いま求められる「資格試験制度」を考えてみる
偏差値をほんとうになくすためには、資格試験制度の導入が必要だと思います。
高校受験でしたら、数学はこのライン、英語はこのラインと決めておきます。
たとえば数学だったらABCの三つのランクを決めればいいのではないでしょうか。
こうして九科目を決めておいて、ある高校はAがいくつでBがいくつ、Cがいくつなら合格と表示して、そういう子を希望するのです。
そういう子が集まって、全員入学ではありませんが、試験なしで合格できるような形がいいのではないでしょうか。
全員入学の制度は、私はある意味で賛成できません。
実際に現場で子どもを教えていて、いま全員入学すると、高校の現場が困るということがわかるからです。
中学三年生でも、成績が下から一、二割の子どもの中には、小数、分数の計算ができない子がかなりいます。
そういう子が、いまの高校の教育制度のままで全員入学したら、子どもたち自身がかわいそうです。
ですから、いろいろと学科をふやして、高校卒業の資格が取れるような高校制度にすれば問題ないと思います。
大学ですと、フランスのバカロレアが資格制度ですし、ドイツの場合も資格制度を取り入れています。
資格試験でAをいくつ取っているか、Bをいくつ取っているか、その結果、大学一年生が定員の倍になっても入学させていいのではないかと思います。
学生があふれたらどうするのかと言われるかもしれませんが、進級のときに厳しくすればいいのです。
はいったときが1000人、二年生のときが800人、三年生のときが600人、四年生のときが400人というように、トータル的に人数を考えるのです。
いまの大学は、担当教授の本を読んでいなくても、授業に出席しなくても、進級できる制度ですが、もうすこし厳しくしてもいいのではないかと思います。
さらに、資格制度になれば、隣の子と自分の子を比べる必要がありません。
自分は自分、これだけ勉強すればこれだけの資格が取れるのだということになれば、他人を意識することも少なくなると思います。
そして、黄初に戻りますが、子育てが競争になるということが、まずなくなるに違いありません。
子育てが競争になるのは、隣の子に比べてうちの子はどのくらいできるか、ということを知りたがるからです。
しかし、競争入試がなくなれば、比較する必要もなくなるわけです。
やるべきことをきちんとやるということは、小さいときからのきちんとしたしつけがだいじです。
そうすると、小さいときからしっかりとしつけられて、学習する習慣を身につければ大丈夫というように、本来あるべき学習環境が家庭に戻ってくるでしょう。
また、競争意識をむきだしにして、たとえば中学受験で、隣の子がどこそこの学校に受かって、どうしてうちの子がこうなのだろうというような気持ちにもならないと思います。
ほんとうの意味を知っていれば「偏差値」はこわくない
偏差値=入試の諸悪の根源だと思っている人はけっこういます。
でも、偏差値というのは、全体の中で自分はどこに位置するかということを示す数字で、競争入試があるかぎりそれを利用するのはやむをえないことだと思います。
ただ、それによって子どもをランクづけるとか、偏差値によって高校をランクづけるとかということは避けなければなりません。
偏差値でなくても、ランクづけは絶対評価でもできます。
たとえば東京でいうと、桐朋学園という進学校がありますが、桐朋に合格する子はいつも学校の成績が95点以上だったとします。
すると、桐朋という学校は、95点以上必要なのかという評価になるわけです。
このようにテストの点数でもランクづけができるわけですから、偏差値だけを悪者にするのはおかしいことです。
偏差値やテストで序列化して、輪切りにするということがおかしいのです。
たとえば高校の評価の序列の場合、いまは偏差値で輪切りにされているかもしれませんが、偏差値ではなくて、教育の内容で競争するという考え方が出てきてもよいのではないでしょうか。
そういうかたちで学校が競争しようと思えばいくらでもできるわけです。
偏差値は平均が50で、最高が75、最低が25となっているのがふつうです。
あくまで、全体の中でどれだけできたかできないかを表す数字なので、その人の絶対的な能力を示しているものではありません。
ですから、偏差値にこだわると、子どものほんとうの実力さえ見失いかねません。
ちゃんと勉強していけば、誰でも本物の学力が身につきますから、相対評価の偏差値を気にしすぎないようにしましょう。
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