子どもの勉強意欲をなくすだけの、2つの間違った教育
勉強には「競争心」も必要だという言葉を、よく耳にします。
たしかに、はっきりとゴールの決まった結果の重視されるものの場合、競争相手がいるかいないかは、能率や成果を大きく左右します。
陸上競技などでも、大差のついた競争よりも、ゴール間際までせりあった競争のほうがいいタイムが出るということは、よく知られています。
ですから、たとえば受験勉強などにかぎっていえばライバルの存在や点数を競う環境が、よい結果につながるということもあるでしょう。
しかし、小学校、とくに低学年の勉強についていえば、これはあてはまりません。
この時期の勉強の目的は、将来人間として生活していくために必要なさまざまな考え方の基礎を身につけること、そして中学、高校、大学と続く学校生活の中で、自ら学習する姿勢を養うことです。
ここで大切なのは、結果よりも過程です。
好奇心から出てくる本当のの意欲やる気をうまく引き出してあげることが、もっとも重要なのです。
こうした場合、競争心はむしろマイナスに働きます。
他人と比べるとき、どうしても点数や成績などの「結果」で比べることになりますから、子どもは結果ばかりを気にするようになってしまうのです。
「知りたい」「理解したい」というほんとうの意欲は忘れられ、「点数を上げたい」という欲求だけになります。
こうなると、「できる」子どもにはなるかもしれませんが、「わかる」子どもには育ちにくくなるのです。
そして、点数が思うように上がらないと、一気に勉強が嫌いになってしまいます。
たしかに、お母さんどうしの競争心もありますから、よその子の点数が気になるのはいたしかたありません。
子どもがテストを持って帰ってくると、つい、「○○ちゃんは何点だったの?」とか、「△△君はこないだ100点だったらしいわよ」などと言ってしまいがちです。
また、兄・姉ができる子だった場合など、「お兄ちゃんはこんなところすぐできたわよ」「お姉ちゃんはこんな点数とったことなかったわ」といった言葉も出てしまうことがあります。
でも、こうした言葉は、じつは子どものほんとうのやる気をそいでしまう可能性がひじょうに高いのです。
同じような理由で、「100点をとったらファミコンのソフトを買ってあげる」とか、「80点以上だったらお小遣いをアップしてあげる」といった、ごほうびでつるという方法も感心できません。
なんとかやる気を出させたいという親心はよくわかりますが、かえって逆効果になる場合も少なくありません。
こんな例もあります。
小学校の高学年になったころから、成績によってお小遣いを決めていたお子さんの話です。
それが功を奏して(と親は思っていたのですが)、小学校ではまずまずの成績をとり、中学一年までは順調にいきました。
ところが、二年生になったとたん、一学期の中間テストから、ガクンと成績が落ちたのです。
驚いた親は、あわてて塾に相談に行きました。
そこで実力テストをやらせてみると、一年生の内容もけっして理解しているとはいいがたく、成績がよかったのが不思議なほどでした。
そして、期末テストのときに理由がわかりました。
先生に呼び出された親は、子どもがカンニングの常習犯だったということを聞かされたのです。
お小遣いのアップにつられたその子は、「点数」を得るため、カンニングをしていたのです。
ところが、中学二年のとき、席順が前になったことからカンニングがうまくいかず、成績が落ちてしまったわけです。
あわてて無理にカンニングに頼ろうとしたところで、とぅとうバレてしまったというのが真相でした。
子どもの心理を考えると、これはけっして特殊な例だとは思えません。
ごほうびを与えるにしろ、罰を与えるにしろ、子どもの目を結果だけに向けさせてしまうような方法は、長い目で見た場合うまくいかないことが多いようです。
子どもが興味をもったことは、ただ黙ってやらせてあげればよい
「うちの子は鉄道にだけは夢中で、部屋の中も模型やら雑誌やらでいっぱいなんですよ。
もうちょっと学校の勉強にも力を入れてくれればいいのに」。
こんなお母さんの声もよく聞きます。
鉄道であったり昆虫であったり、あるいは野球であったりサッカーであったり、何か一つのことに熱中してしまうというのは、どちらかというと男の子に多い傾向のようです。
お母さんにしてみれば、鉄道にいくら詳しくても将来べつに役に立つわけじゃないし、あるいは、スポーツに熱中したところでそうそうプロになれるわけでもありませんから、その分勉強がおろそかになったら困る、と心配になるのも、もっともです。
ですから、つい「いいかげんにしなさい」と叱りたくなるのも無理はないのです。
でも、ちょっと見方を変えてみましょう。
子どもが何かに熱中するということは、好奇心の純粋な表れであり、何かをしたいというエネルギーに満ちていると考えることができます。
好奇心というのは、一つの疑問が解決されるとそれがすぐつぎの疑問につながり、どんどん広がっていくという性質をもっています。
ですから、一つのことに熱中していた場合、それがしぜんにほかの分野のことにも広がっていくものなのです。
たとえば鉄道に興味をもっている子どもは、路線について調べているうちに、しぜんに日本の地理に興味が広がっていくかもしれません。
あるいは、列車そのものへの興味が、電気関係や工学関係への興味につながっていくかもしれません。
そして、このように一つの分野について知識を追い求めていけば、自然に難しい事柄にも挑戦するようになります。
専門的なことなら、まわりに教えてくれる人もいないでしょうから、あれこれ本を見比べたりしながら、自分でなんとか理解しようとするでしょぅ。
興味のあることなので、それはちっとも苦になりません。
そして、ついにわかったときの喜びは、何ものにもかえがたいものがあるに違いありません。
こういう取り組み方は、じつは、勉強に対するもっとも望ましい態度にほかならないのです。
つまり、何かに熱中できる子どもは、ほんとうの意味で勉強好きな子どもになる可能性が、ひじょうに高いのです。
スポーツに熱中する場合も、すこしでも上手になるために自分なりに工夫して練習したり、コーチやうまい人の話を真剣に開いて自分なりに消化したりという体験の中で、かならず貴重なものを得られるでしょう。
そして、何に熱中するにせよ、かならず得られるのが「集中する」という体験です。
子どもに集中力をつけさせることの難しさは、教育にたずさわったことのある人間なら、誰でも痛感していることです。
けれども、何かに熱中した体験をもっている子どもとそうでない子どもでは、明らかに違いがあるのです。
自分が集中できるということを知っている子どもは、「切り替え」の要領さえ覚えれば、どんな勉強であってもすぐ集中できるようになります。
ですから、子どもが何かに興味をもって、やりたいと言い出したら、ぜひ黙ってやらせてあげてください。
そして、子どもがそのことについての話をしたがったら、興味をもって聞いてあげてください。
こういう話をすると、かならずといっていいほど、「ファミコンでもいいんですか?」という質問を受けます。
これは難しい質問です。
集中力という点では、ファミコンもほかのものと変わりませんから、まるっきりマイナスだとは言えないでしょう。
ですから、もしお子さんが熱中しているのなら、「ファミコンはよくない」という理由で無理やりやめさせるのは考えものです。
ただ、ファミコンの場合には、二つ問題があります。
一つは、目をはじめ、健康的にはあまり望ましくないということです。
もう一つは、機械を相手にした遊びですから、コミュニケーションをもてないことをあげることができます。
受け身的な遊びでもあり、指示待ち人間になる可能性がおおいにありえるのです。
月並みな結論になりますが、ファミコンの場合はやはり、ほどほどにとどめさせるのがいいように思います。
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