「できる子」よりも「わかる子」を育てることが大切
「本物の学力」と「見かけの学力」の違いは、「わかる」と「できる」の違い、と言い換えることができます。
以前の記事で、算数だけを例にとって説明しましたが、この「わかる」と「できる」の違いは、ほかのどの教科にも表れます。
「暗記科目」の代表と考えられている社会を例にとってみましょう。
たとえば、五年生では日本各地の自然や産業について学びますが、そこで「北陸地方は日本の穀倉地帯(米どころ)」と教わります。
このとき、「北陸地方では米がたくさんとれる」という事実だけを覚えれば、テストで点数をとることはできます。
ここで満足してしまう子どもも、少なくありません。
でも、これは「できる」だけです。
いっぽう、「なぜ北陸地方では稲作が盛んなんだろう?」というところにまで興味をもち、考、至る子どももいます。
すると、「北陸地方は雪が多く、田畑を耕作に使える期間が短い」「稲は種をまいてから収穫までの期間が短い」という事実を結びつけて、「なるほど、だから米なのか」と納得することができます。
これでこの子どもは、「北陸地方は日本の穀倉地帯である」ということが「わかった」ことになるわけです。
社会科は、けっして「暗記科目」などではありません。
歴史の勉強になれば、この「なぜ」という考え方がいよいよたいせつになります。
というより、歴史というのはこの「なぜ」「どうして」を追いかける勉強だといえるからです。
ですから、年代や事件の内容だけを暗記している「できる子」と、歴史の流れを理解している「わかる子」の違いは大きいのです。
理科は、本来科学的な考え方を養う科目です。
小学校では、できるだけ実験や観察を通して自然現象にふれ、そのうしろにある自然のしくみ、法則のようなものを理解させるようなカリキュラムが組まれています。
扱われる事実や現象はひじょうに少なくなっていますので、ただ覚えてしまおうと思えばたいした苦労はいりません。
ところが、中学校になると内容の密度は急に濃くなります。
その落差は、おそらく四教科のうちでいちばん大きいでしょう。
ですから、小学校のうちに実験の意味などをきちんと考え、「わかる」ところまでいっていないと、とたんに挫折してしまうのです。
中学にはいって理科が嫌いになる子どもが多いのは、こうした理由によるものです。
国語の場合は、「できる」だけで点数がとれるということは少ないでしょう。
「国語ができる子」というのは、基本的に「わかる子」です。
ただ、本来の国語力である読解力や表現力をつける勉強は、家庭では難しいので、ついつい漢字の練習や語句の暗記などですましてしまうことになります。
そういうことだけやっていても、国語の学力は伸びません。
「わかる」子どもというのは、ものごとをきちんと論理だてて考える力がある子どものことです。
考える力や習慣が身についているかどうかは、学校の成績に影響するばかりではありません。
じつは、社会に出たときに、その差が大きく出てきます。
言われたことはできるけれども、自分で企画を立てたり、同じやるにしても能率のいい方法を工夫することができず、「いったい学校で何を勉強してきたんだ」と言いたくなるような新社会人がふえているそうです。
これなどは、学生時代を「見かけの学力」だけでなんとか切り抜けてきてしまったために、自分で考える力が身についていなかった、ということなのではないでしょうか。
「できる子」よりも「わかる子」を育てることがたいせつだ、と私が考える理由は、そこにあります。
学校の成績はともかく、社会に出てから、意義のある仕事をし、自分で納得のいく充実した人生を送らせてあげるためにも、子どもに、自分の頭で考えて「わかる」体験を積み重ねさせてあげる必要があるのです。
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