受験に挑戦する動機や目的がしっかりしていますか?
受験勉強で、子供や家族が破滅しないためにはどうしたらよいのか、幸福な人生を実現してゆくにはどうしたらよいのかを、考えていきたいと思う。
まず最初は、受験の動機および選択基準の問題である。
熾烈な受験戦争に子供を投じようと決意するような父兄には受験に対するその人なりの強い思い入れがあるはずである。
そして、その思い入れが的を得たものであれば良いのだが、そうでない場合には、やがて取り返しのつかない問題となって家族全体に跳ね返ってくるのである。
ここでは、そうした思い入れが、子供や家族の幸福へと結びつくものであるかどうかを再チェックしたい。
「受験などというやっかいなものは、親として1回でも少ないほうがいい」と思っているようではダメだ!
中学受験をうまく乗り切りさえすれば、あとは大学受験だけ、あるいは、その大学受験すらないということに限りない魅力を感じてはいないか?
経済的な問題はともかく、自分たちの精神的負担を極力避けたいという思いを、「子供がたいへんだから」という問題にすりかえているとすれば、たいへん危険な傾向である。
なぜなら、そこには、「子供と家族の将来の幸福実現のため」という視点が全く欠落しているからである。
そして、かわりに、そこにあるのは、「とりあえず楽がしたい」という横着で怠惰な気分である。
しかし、その結果として、楽ができるどころか、とんでもない災難に見舞われかねないことには、まるで気づいていないのである。
親としての体面にこだわるな!
「体面を気にするな」と言っても無理な相談だろう。
だれにでも、ある程度の見栄はあるからである。
しかし、それも程度問題であって、中学受験の動機や選択基準の有力な要素になるようでは困りものである。
いま、「イタメシ」(イタリア料理)がはやっているからといって、たいして好きでもないのに、高い金を払って食べに行ったり、
必要でもなければ、似合いもしないのに、ジョルジオ・アルマーニを身につけたりする感覚で、中学受験をとらえてはいないだろうか?
「猫も杓子も中学受験をする時代なのに、うちの子は区立**中学では格好が悪い。
やっぱり、私立☆★中学に行ってるよ・なんて言えるようになりたい」
と思っているとしたら、きわめて危険な傾向である。
言うまでもなく、そこには、子供や家族の将来的な幸福実現という観点が欠落しているからである。
洋服や食事ならお金を損するだけですむが、子供の人生は、それではすまないのである。
中学受験を決意する前に、もう一度・自分たちの気持ちを見つめ直すことも必要だろう。
私立中学の授業内容を過信するな!
これは、非常に広く見られる現象である。
しかし・私立であれ、国立であれ、いわゆる超一流校の中で、大学入試に即応した授業をやっている一貫校など、ごくごく少数である。
大学進学実績だけを見れば、なるほど東大をはじめ一流大学合格者がずらりと並んではいるが、それは、たまたま生徒が優秀だったからであり、学校の教育内容がよかったからではないのが普通である。
有名なエピソードを紹介しよう。
某一流高校で、数学の先生が病気入院のために長く学校を休み、あるクラスでは、1カ月以上も数学の授業が自習になってしまった。
そして迎えた期末テスト。
ところが、なんと、その「自習」クラスが、数学の平均点で、学年トップに躍り出たのである。
そのとき、先生たちはため息をついて言った。
「われわれなんかがへたに教えるよりは、全然教えないほうが生徒のためだ」
この例は要するに、この一流校の生徒がふだんいかに厳しいトレーニングを受けていないかを示すとともに、
自学自習にゆだねられて、生徒たちが少しまじめに勉強したとたん、学年のトップになってしまうほど、試験のレベルも低いことを示しているのである。
さらに別の面から見れば、この生徒たちを大学入試即応の教育で徹底的に鍛えれば、東大合格者数も、簡単に2倍、3倍になるだろう、ということなのである。
名門の一貫校の授業それ自体には、必ずしも期待はできないことを知るべきだろう。
公立中・高に入っても、即、大学入試に不利などということはない!
公立中学・高校の荒廃あるいはレベルダウンについては、いまや知らない者はいない。
まさにこのことが、中学受験ブームの大きな要因をなしているのである。
だからといって、中高一貫校に入れば即大学入試に有利で、公立に行けば即大学入試に不利と考えるのは、あまりにも短絡である。
すでに説明したように、中高一貫校だからといって、必ずしも大学入試に有利な教育をやっているわけではなく、
大学入試という観点だけから見れば、中途半端な一貫校なら、ほとんど行く意味がないからである。
反対に、一口に「公立」といっても、それなりに多様性を持ち、特に、公立高校にはいまなお「一流校」の名を維持しているところも多いのである。
そして、そうした高校には、へたな一貫校より、よほど進学実績にすぐれている学校も多いということを知るべきである。
大学進学実績だけに目を奪われないで、子供の性格や価値観を重視しろ!
たいていの家庭では、子供の幸福というものを、「よい中学・よい高校・よい大学・よい会社」というライン上に考えがちである。
真に幸福かどうかはともかく、少なくとも経済的・社会的地位が安定しやすい、要するに安全確実に生活基盤が確立できると考えるからであろう。
そうなると当然、中学進学を考えるうえで、大学進学実績が非常に重要なファクターにならざるをえない。
その結果、御三家を筆頭にする偏差値の高い中学にばかり目を奪われることになる。
もとはと言えば、自己実現のための考えがないから、こういうことになってしまうのだが、
仮に、将来ビジョン達成のためにハイレベルの中学をねらわざるをえない状況になったとしても、それでも、大学進学実績だけで、受験校を選んではいけない。
このレベルなら許せるという範囲の学校の中から、子供の性格や価値観に適合するものを選ぶべきであろう。
たとえ、どんなにハイレベルですばらしい学校であっても、子供に合わなければ、たちまち不適応を起こして脱落してしまうからである。
「金と時間と労力をかける以上は、少しで上位の中学に」などと思うな!
中学受験には、金も時間も労力もかかる。それも並みたいていのレベルではない。
そのせいだろうか? どうせ入るなら、少しでも上位の学校に入ってほしいと思う父兄が多いようだ。
しかし、莫大な金と時間と労力を費やす目的は、子供と家族の将来的な幸福であり、自己実現なのである。
それを実現する手段として、最もふさわしい学校に入るための、金であり、時間であり、労力でなくてはならない。
「親まで巻き込んで、これだけたいへんな思いをしているのだから……」
という気持ちは、よくわかる。
だが、そのたいへんな思いは、あくまで自己実現のためであって、ただ単に、上位校に入るためではないことを、きちんと認識する必要があるだろう。
塾の進路指導は、全面的に信用するな!
おそらく、ほとんどの父兄が、塾の進路指導にもとづいて、受験する中学を決定していることだろう。
初めから、父兄のほうで受験校を決めてあり、その学校に対する合格可能性がどの程度あるかを、塾の豊富なデータにもとづいて算定してもらうのなら、塾・それも大手進学塾は有用である。
しかし、そうではなくて、父兄の側に何の準備もなく、受験校について、ほとんど何も考えていないような場合は要注意である。
表面的にどんな美しい言葉を並べてみたところで、要するに、塾というところは、金のありそうな家庭からは、何だかんだと理由をつけては金を巻き上げることを考え、金のなさそうな家庭など、適当にあしらうことしか考えてはいないのである。
受験校決定についても同じことで、有名校のボーダーライン前後にいるような生徒の父兄には、甘い言葉をかけて、すっかり、その気にさせて、片っぱしから受験させるというやり方をする。
それこそ、「へたな鉄砲も数打ちゃ当たる」である。
それによって、1人でも2人でも多く、有名校に入ってくれたほうが、安全確実に無名校に入ってくれるよりも、塾としてほありがたいわけである。
それはそうだろう。
「○○中学何人合格」という実績が、塾経営の死命を制することになるからである。
それだけではない。
塾が把握しているのは、子供の偏差値と、中学校への合格可能性だけであって、それ以外の要素、たとえば、その子が、どんな性格や価値観を持ち、あるいは、どんな特有の能力・特性を持って、将来、どういう方向に進むことが幸福につながるかなど、全く把握していないだけでなく、初めから、そんなことをする気もないのである。
塾を責めているわけではない。
そもそも、塾には、そういう機能はないのであり、どんな学校を受けて、どんなコースを歩ませるべきかなどを、塾に求めるほうに、むしろ問題があるのだ。
そうした偏差値以外の側面については、あくまで家庭の問題と言うべきだろう。
だからといって、塾の言うことなどいっさい信用するな、というわけではない。
使う以上はその使い方に注意しろ、ということだ。
たとえどんなに優秀でも、勉強嫌いの子供の受験には注意が必要!
世の中には、「勉強のできる子」=「勉強好き」という公式があるらしい。
しかし、小学校や中学校程度では、ほんとうに頭のよい子なら、それほど熱心に勉強しなくても、人の上に立つことはできる。
つまり、勉強嫌いであっても、頭のよさで、ある程度上に行くことは可能なのである。
その辺を勘違いして、この子は、よくできるからと言って、「勉強好き」の集まる中学などに入れたら、それこそたいへんなことになる。
たちまち不適応を起こし、心身症にでもなるのが落ちだ。
では、公立中に入れればよいかと言えば、話はそう単純でもない。
高校入試があるし、あるいは、さらに大学入試もあるからである。
その子の将来ビジョンとの兼ね合いもあるが、
その子の本来的な持ち味を伸ばすにふさわしい中学校に進ませるのが基本である。
ただし、大の勉強嫌いというマイナスの側面をカバーすることを考えて、大学までストレートに上がってゆけるような、準一流程度の私立校に入らせるという方法も考えられるだろう。
その場合、子供の頭の程度より低いからといって、父兄のほうがその学校を嫌ってしまうケースもあるから要注意である。
第3・4志望校選定は慎重に!
だれでも、第1志望については、よく考えるものである。
しかし、第2志望以下、特に、第3・4志望ともなれば、いいかげんになりやすい。
どうしても、第1志望校に関心が集中しがちで第3志望とか第4志望までは十分な注意が行き届かないのが普通である。
しかし、必ずしも、第1志望校に合格できるわけではない。
第2志望以下の中学に入ってから、シマッタと思うことが少なくはない。
そうならないためにも、将来ビジョンをしっかり持ち、そのうえで、それを実現してゆく手段として、どの学校が適当かという視点に絶えず立って、3〜4校を均等にながめることがたいせつである。
まかりまちがっても、偏差値順に3〜4校並べて、下位の学校を軽視して中身を調べもしないなどということがあってはならない。
子供に、自分の果たせなかった夢を託すな!
これは、よくあるパターンだ。
いわく
「自分は二流大学しか出てなくて苦労したから、子供にはなんとしても東大に行かせたい」
これが、子供の自己実現のための将来ビジョンにかなったものならなんら問題はない。
しかしもし、そうでないのなら、そうした親の思い入れは、子供にとって迷惑なだけである。
夢を託すのであれば、自分の果たせなかった自己実現の夢を託すべきだろう。
あくまで優先すべきは、自己実現であることを忘れてはいけない。
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