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あまりにも高すぎる目標は、子どものやる気の芽をつんでしまう
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子どもは「勉強のおもしろさ」を知ればやる気が出る
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親子で楽しめる趣味やスポーツがあるとやる気のある子が育つ
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子どもに言葉をかけるときは「受け手の論理」を考える
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外からと内からの二つの動機づけ
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いい親子関係をつくるための外から内への動機づけ
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能力は使われなければ開花しない
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他人と比較させるとやる気は失せる
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真のエリートの条件
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結果ではなく努力を励ます
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思春期と児童期の特徴
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知識よりも知恵を教える
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実際に子供に体験させる
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子どもの夢を応援し、勇気づける
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失敗を通して学ぶことがたくさんある
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子供の力が発揮できる場所を探しましょう
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自分を好きになることを教えると子どもの能力は伸びる
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子ども達はいろいろな能力を持っているが、
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あまりにも高すぎる目標は、子どものやる気の芽をつんでしまう
子どものやる気を引き出すために、目標をもたせることはいいことです。
ただ、親は欲ばりですから、つい高すぎる目標を設定してしまいがちです。
これは、逆効果になりますから、注意する必要があります。
これは受験生の例のほうがわかりやすいと思いますが、たとえば偏差値が50の子どもに対して、偏差値65の中学校を目標として選んだとします。
最初のうちは子どももやる気満々です。
ところが、一生懸命勉強してもなかなか成績は上がりません。
六年生の夏休みに、偏差値が55になっていました。
ここへきて目標は達成できそうもないということが、親子ともにはっきりわかってきます。
すると、子どもはいっぺんにやる気をなくしてしまうのです。
じつは努力のかいあって偏差値は上がっているのですが、それよりも子どもの心の中は、挫折感でいっぱいになってしまうのです。
この期におよんで目標を偏差値55の学校にかえても、もう手遅れです。
たとえ合格したとしても、ほんとうの満足感を得ることはできませんから、中学へ行っても、あまりいい成績はとれないのではないでしょうか。
また、成績が落ちて、希望校に合格できないことも十分考えられますから気をつけてください。
目標を設定してそれをクリアしたとき、子どもは大きな満足感と自信を手にします。
反対に、クリアできないと、挫折感と自信喪失を味わいます。
とくに高すぎる目標を設定してしまったときには、達成できそうもないとわかったときから子どもはやる気を失います。
しかも、挫折感を感じているわけですから、目標を設定するまえよりも悪い状態です。
だからといって、低すぎる目標では、目標を立てる意味がありません。
ですから、目標を設定するときは慎重になってください。
問題集のページ数を目標にするにせよ、時間的な目標を立てるにせよ、適当にきりのいい数字を選ぶのではなく、子どものふだんのテストの内容などから、適切と思われる目標を立てましょう。
また、一年先、半年先というような遠い目標も、とくに低学年の場合はあまり効果がありません。
そういう場合は、一ヶ月後にここまで、つぎはここまでというように、小刻みの目標にかえましょう。
テストの点数を目標にするのも感心できません。
点数を左右する要素が、子どもの力以外にいろいろとありすぎますし、努力がそのまま反映するとはいえません。
それに、子どもを点数にこだわらせてはいけないというのは、これまで何度も述べてきたとおりです。
目標を立てるとき、親が一方的に目標を押しつけるのではなく、子どもといっしょに目標を立てるという形にすると、より効果的です。
もちろん、実際の目標はお母さんが決めていいのですが、そのとき
「このくらいできるかな?」
「うん、できる」
「じゃあ、やってみる?」
「うん、やってみる」
こんな会話をかわしておくのです。
すると、子どもには「自分の選んだ目標」という意識も出てきますから、よりやる気が出るはずです。
そうして、一度目標を立てたら、ほったらかしにしないで、なんとしても達成させるように協力してあげてください。
手伝いすぎてはだめですが、子どもが「自分でやりとげた」という意識をもてる範囲で援助してあげましょう。
そうすることではじめて、子どもは、目標を立てること、それを達成することのたいせつさを学ぶのです。
カテゴリー:子供のやる気を引き出す方法
子どもは「勉強のおもしろさ」を知ればやる気が出る
現代の教育をめぐる状況について色々書いてきましたが、私がいちばん言いたいことは、点数を取ることだけではなくて、「勉強って、わかるとおもしろいんだなあ」という子どもが増えると、変な競争意識がなくなるということです。
そういう子は自分から自然に勉強しはじめます。
ほかの子に負けたくないという気持ちで勉強するのではありません。
たとえば、算数だったら算数がおもしろい、理科だったら理科がおもしろいから勉強する子がいます。
マイペースで勉強しますし、コツコツやっていますから、結果的に、競争意識をもっているお母さん方が羨ましがるような学校に合格できるのです。
そのためには、お母さん、お父さんから、まず「受験競争はたいへんだ」という意識をなくしてほしいと思います。
ご両親がくぐり抜けてこられた受験競争と比べても、現状はそれほど悲観するものではありません。
それでも、一部の受験競争が激化している学校をうけさせようと希望するなら、そのときは隣近所と競い合うのではない方法でお子さんに勉強をすすめてほしいと思います。
「隣の○○ちゃんよりいい点をとれた」ではなく、「全体でいまこの辺にいるから、もうすこしがんばってみよう」とか、「わかると勉強っておもしろいでしょ。こうして勉強していくとどんどん問題が解けるようになるんだよ」と、このように子ども自身の興味を引き出すようにしてほしいのです。
これが「わかる」と「おもしろい」勉強なのです。
しつけが子どもの学力に大きく影響していることはまえにも述べました。
しつけの基本は、「誰々がしているから同じようにしなければいけない」のではないし、ましてや「きちんとやらないと誰々に叱られるからそうする」というのではありません。
かならず、なぜそうしなければいけないのかを理解させることが必要ですし、「こうしてくれると、お母さんはうれしい」とか「こうしてもらえないとお父さんは悲しい」のように、かならず、そこに、子どもとお父さん、お母さんの関係が必要です。
そうしないと、子どもはしつけられません。
これは、「わかる」と「おもしろい」というのに似ています。
ですから、「わかる」ということに興味を示す子どもはすごく伸びます。
そういう子はまた、勉強をすすんで「わかろう」とします。
それに比べて、要領のいい子で、「こんなの適当に公式に当てはめておけばいいんだ」と疑問があっても割り切ってやっている子は、かならずといっていいほど途中で伸びなくなります。
つまり、「わかる」ということにこだわると、まず、これから必要になる学力を身につけることができます。
それから、競争意識をそんなにもたなくてもすむようになります。
他人に勝つための勉強ではなく、自分がほんとうに楽しいと思える勉強です。
そうした意識で勉強すれば、激化している受験競争は緩和されてくるのではないでしょうか。
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親子で楽しめる趣味やスポーツがあるとやる気のある子が育つ
子どもの学力を伸ばすためには、家庭内のコミュニケーションがたいせつであることは、今までの記事でおわかりいただけたでしょう。
そのコミュニケーションをよりよいものにするために、親子で楽しめる趣味をもつことをおすすめします。
親子で共通の趣味があると、「親子」という関係のほかに「同志」のような関係が加わります。
すると不思議なことに、親子のあいだでは話しにくいようなことが、同志に対しては話せるので、結果的により深いコミュニケーションがとれるようです。
それまでほとんど口も聞かなかったような父と子が、いっしょに釣りに行くようになったとたんに話しはじめるというようなこともあります。
これは男の子と父親のあいだに多く、女の子と母親のあいだでは、どちらかというと「友だち」のような関係でいろいろと話し合うようです。
また、場合によっては「ライバル」のような関係が加わることもあります。
子どもは、親を尊敬すると同時に、どこかで、いつも押さえつけられている親を越えてやろう、というような意識をもっています。
たとえば、将棋などの勝負事やスポーツが共通の趣味になると、親に勝つために一生懸命研究したり練習したりします。
これは、子どもの向上心を高めます。
もちろん、親をライバルとは思っていなくても、親といっしょに何かをやっているという意識は、子どものやる気を高めます。
趣味の分野で上達するための努力は、苦しいものではありません。
楽しみながら努力して、望む結果を手に入れるという体験は、好きなことでなければなかなかできません。
やる気がありますから、こうした体験もしやすいはずです。
言いかえれば、「やればできる」という体験です。
この体験は、自信につながります。
勉強をはじめ、ほかの分野にもこの自信は生きてきます。
多少の困難にぶつかっても、自分の力を知っていますから、何とか乗り越えようという気持ちをもつことができます。
自分の趣味に子どもを誘ってもいいですし、「いっしょにはじめてみようか」という感じで新しいことにチャレンジしてもいいでしょう。
ぜひ実行してみてください。
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子どもに言葉をかけるときは「受け手の論理」を考える
子供のやる気を起こすには、親の態度が非常に大切ですが忘れてはいけないものが、「受け手の論理」ということです。
つまり褒めたり叱ったり相手に何か言葉をかけるとき、それがほんとうに機能するか否かは、受け手がそれをどう受け止めたかで決まるということです。
たとえば教師が、何かの罰として、生徒にグラウンドを走らせたとします。
先生としてはその罰で生徒に反省を促したつもりでも、当の生徒は、「授業をしないですんだ」というように、報酬として受け止めてしまう場合があります。
同じように、ほめるにしても、受け手の子どもにどのように機能しているかということをチェックすることがだいじです。
学習の話でいえば、勉強の楽しさに気づきはじめた子どもには、ステップ・バイ・ステップで、徐々に難しい課題を与えます。
その子の状態を把握せずに、いつまでもやさしい問題ばかりを与えていれば、子どもはわかる喜びもなくなっていきます。
逆に、やる気はあってもその問題でつまずくようならば、やさしい問題に戻って基礎をやり直せば、満足感をもってつぎのステップに進むことができます。
このように、つねに「受け手の論理」を意識しなくてはいけません。
子ども自身に目標を立てさせること
それからもう一つ、やる気を起こさせるうえで問題なのは、大人が自分の目標を子どもに直接与えてしまう例が多いことです。
この学年ならこれぐらいできなくてはいけないと、親が勝手に決めて与えるのです。
基本になるのは、現在の子どもの状態を正確に把握することで、つぎに、何をすればいいかという具体的で身近な目標を設定することです。
最終的には、どこそこの学校にはいるという大きな目標があったとしても、日々の学習を支えているのは、より具体的で身近な目標です。
それは「いまの子どもの状態プラスアルファ」ということになります。
ただ、まわりに影響されて、「あの子ができるのだから、うちの子もこれくらいはできるはず」というようになりがちなので、気をつけなければなりません。
具体的な学習目標というのは、子ども自身に立てさせたほうがいいでしょう。
ただ、いままで満足した経験のない子は、つぎのステップの目標を立てられないのです。
そういうときは、親のアドバイスが必要です。
つまり、なるべく子ども本人が計画を立てて、自分自身の目標をもったほうがいいということですね。
ただ、それができない場合は、親の適切なアドバイスが必要になるけれども、その際、親の考、妄押しつけないようにしなければいけないわけですね。
はじめは身近な目標を立てさせる
たとえば、子どもの立てた目標が十分できる内容なら、もう1ランク上げるように言います。
反対に、いきなり大きな目標を立てる子もいます。
これはおうおうにして親の影響を受けている場合が多いのですが、失敗する可能性が高いですから、下げるようにアドバイスすることが必要です。
そのときには、ただ下げるように言うのではなく、「これをするにはどうすればよいのか」という具体的な方法を教えることがだいじです。
大学生ぐらいになっても、自分の目標をもてない人が、けっこういます。
ある22、3歳の青年ですが、将来何になりたいかという質問に、「僕は有名人になりたい」と答えるのです。
「有名になってどうするのか」と尋ねても、それ以上具体的な考えはもっていません。
「なぜ有名になることがいけないのか」と逆に怪訝そうな顔をするのです。
おそらくそれまでに、すこしずつ目標を立てて達成するという経験をしてこなかったのでしょう。
大きな目標をもつことはたいせつだと思います。
ただそれ以上にたいせつなのは、その大きな目標に到達するために、どのような身近な目標を立てるかということです。
そういうことのできる人は、社会に出ても仕事のできる人ですよね。
すこしずつ小さな目標を達成しながら、大きな目標に向かってどんどんつき進んで行けます。
身近な目標をもたず、大きな目標に振り回されている人は、失敗体験がひじょうに多いのが特徴です。
逆に、身近な目標を立てられる人というのは、日々の活動の中で満足を感じる度合いが高く、同時に、内からのやる気を育てている人でもあります。
大きな目標だけにこだわる人にとっては、日々の生活そのものが失敗感でいっぱいなんですね。
これはつまらないことです。
当然やる気もなくなります。
精神的にも不安定になってきます。
そうした失敗体験を多くもっていると、できることまでできなくなってきます。
やるまえから、できないのではないかと思えて不安になってきます。
そして、結局やろうとしなくなってしまうのです。
子どもを見るときは、親もプラス志向の発想をする
やる気を育てるには、親の態度がたいせつだという話をしましたが、親が「ゼロからの出発」ではなく、「マイナスからの出発」というように発想を変えてみてほしいと思います。
できなくて当たり前というように、親が視点を変えて見れば、子どもがいろいろなやる気を秘めていることに気がつくはずです。
「根気がなくて、10分と机に向かって勉強したことがない」という子でも、好きなプラモデルを作らせたら、一時間でも夢中になっています。
ということは、一時間ものごとに集中できる力をもっていることになるのです。
そのことは、実際に勉強を教えていてもよく感じることです。
教師のもっていき方しだいで、ふだんよく遊んでいる子は、一時間でも二時間でも集中できます。
同じことをしても、できない子もいます。
そうした子は休み時間でも遊べない子です。
一人でじっとしています。
授業に集中できる子は、休み時間には、友だちといろいろ工夫して思い切り遊んでいます。
そのうちに、何かのきっかけで自分で勉強しだすようになる子が多いようです。
ですから、一時間集中して遊んでいる子が10分しか勉強していなかったとしても、叱らずに「がんばっているね」と声をかけてあげてほしいと思います。
否定的な見方でなく、プラス志向でということです。
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外からと内からの二つの動機づけ
心理学では、やる気などの動機づけには二種類あると考えられています。
一つは外からの動機づけ、もう一つは内からの動機づけです。
前者の典型的な例が「ものによる報酬」です。
それ以外にも、お母さんの「よくやったね」「がんばったね」というような言葉や、親子が視線を合わせてうなずいたりする、というのも含まれます。
報酬というと、ごほうびだけを連想しますが、われわれが何かしたときに本人にとってプラスだと思われる結果を伴ったら、それは全部報酬と呼んでいいのです。
人間の一生は、ものの報酬と切り離せません。
大人の場合、毎月の給料も外からのやる気を起こさせる報酬ですし、一般的に本人にとってプラスだと思われる結果を伴うと、すべてそれは報酬だと考えます。
つまり、われわれの生活は報酬でコントロールされていると言ってもいいのです。
もう一つの内からの動機づけとしては、自分で目標を設定して到達したときや、わからなかったものがわかった、あるいは自分の興味、関心、好奇心を満足させたときなどの喜びがあげられます。
これは他人から与えられるものではありません。
たとえば、一時期はやった「ルービックキューブ」というパズルがあります。
あれなどは、できたからといって誰かにほめられるわけでもなく、まさに解ける喜び、すなわち内からの動機だと言えるのです。
外からの動機づけから内からの動機づけへ
一般に学習をうまく進めるには、当初は外からの動機づけが有効で、それをいかに内からの動機づけに移行させるかということがたいせつです。
さきほど例としてあげた、大学に行っても子どもにものを与え続けて一種の中毒現象になるといったケースは、外から内への移行に失敗したケースだと言えます。
年齢が低いほど外からの動機づけが必要で、高学年になるにつれて内からの動機づけがふえてきます。
と同時に、その発達段階の中で外から内へという方向もあります。
つまり全般的な発達から見ると、外からの動機づけから内からの動機づけへと大きな変化があり、さらにそれぞれの段階で外から内へという、二次元で構成されているわけです。
そこで、たとえば学習習慣を身につけさせる場合、低学年の子どもには、お母さんの言葉による励ましがたいせつです。
ものをあげる必要はありません。
そして、その言葉の内容もすこしずつ工夫して変えていきます。
最初のうちは「がんばったね」でもいいのですが、「図鑑を読んでると楽しいでしょう」といったように対象そのものに興味をもたせるようなアドバイスに変えていくといいのです。
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いい親子関係をつくるための外から内への動機づけ
中学二、三年で親子関係がうまくいってない子どもの作文を読むと、よく「親は、顔を見れば勉強しろ、勉強しろと言うだけで、うるさい」と書いています。
そこで思うのは「勉強しろ」と言うだけでは、いい親子関係はつくれないのではないかということです。
子どもへの言葉のかけ方に気をつける
よく外からの動機づけとしての「もの」が、この場合は言葉になりますが、悪者扱いされるのは、その与え方に問題があるからだと思います。
ある学習を身につけさせるには、最初は連続して外からの注目が必要です。
そして、しだいにその頻度を少なくしていくのです。
たとえば一つの行動に対して、最初は「よくやったね」と連続してほめます。
それを10回繰り返して子どもが自分からすすんでやるようになったら、ほめることを三回に一度、五回に一度、十回に一度、やがて与えないというように、フェードアウト(fade-out)していくことがたいせつです。
こうした知識を親が知っておくといいと思います。
つまり、子どもが何か新しいことをしているときは、連続して注目するのです。
そして自分からするようになったら、注目回数を少なくしていくわけです。
注目することをずっと続けると中毒現象が起きるので、やめるタイミングが重要です。
外からの動機づけから内からの動機づけへと変えていく時点で、
「よくやったね」から「わかるとおもしろいね」「また新しいことができたの。楽しいね」というようにほめ方も変えていくと、子どもは徐々に「わかることはおもしろいんだ」という経験をしていくことになります。
そうした周りの注目の変化によって、自分からわかることの楽しさに気づいていきます。
そうすると、自分の興味や関心にしたがって、自発的にわからないことを調べようとする姿勢が出てきます。
発達段階でいうと、小学校の低学年から高学年になるころで、とてもたいせつな時期だと言えるでしょう。
その時期の親子の接し方、家庭学習の仕方は低学年と高学年では違ってくるということですね。
さきほど点数にこだわってほめる親の話が出ましたが、これは、子どもの中の「外から内へ」という動機づけの変化を考えると、ひじょうにへたなほめ方だといえます。
それよりも、わかろうとする姿勢や新しいことにチャレンジすること、自分で興味や関心をもって何かを調べようとしたことをほめるべきです。
私は父母に対して、テストの点数だけを問題にせず、かならず中身を見て、ほめたり励ましたりしてほしいと話しています。
たとえば難しい問題ができたら、「よくできたね。お母さん、これ難しいと思うよ」とひとこと言うのがだいじなのです。
言われた子どもは「そうか。ぼく、才能あるのかな」と、自信がつきます。
そういうほめ方をしてほしいと思います。
100点をとってきたら、内容も見ないで「あら、よかったじゃない」で終わらせてしまうお母さんは多いようです。
そして60点をとってきたら、「なによ。60点なんてとってきて」とつい言ってしまいます。
そこをぐっとがまんして、「あら、これは難しい問題なのに式はできてるじゃない。計算でまちがえたのね。今度は気をつけようね」というように、いいところを探してほめてほしいのです。
子どものできたところをきちんと評価してあげる
小学校四、五年生の子どもがいるお母さん方に、「ある日、子どもが学校から30点のテストを持って帰ってきました。そのとき何と言いますか?」と聞きますと、「なんでまちがえたの」「このあいだ習ったばかりでしょう」といった答えが8割でした。
つぎに「隣の家の同年齢の子が遊びに来て、同じように30点の答案を見せたら、何と声をかけるか」と質問すると、「よかったね」とほめはしないが、「ああそう、がんばったわね」と答えるというのです。
つまり、同じ点数でも、自分の子どものときはできなかった7割に注目し、隣の家の子どものときはできた3割に注目しているのです。
もしその日、テストでまちがったところを直してくる宿題が出ていたら、どちらの子がやる気を出せるでしょうか。
親から子へのかかわりの基本は、できたところを正当に評価することが出発点だと思います。
言葉かけも含めた外からの動機づけの経験をもたない子に、内からの動機づけが生まれることはありません。
できたところに注目することは、外と内からの動機づけを同時に行なうことになります。
さきほど家庭学習をしない中学生に「勉強をしなさい」という親の話がありましたが、それは、できないところに注目しているからだと言えるでしょう。
つまり、「どうして30点しかとれないの」と言うのと基本的に同じです。
子どもの否定的な面ばかりを見ているのです。
親から見れば、子どもの悪いところばかり目につき、ここを直してほしい、もっとこうしてほしいといったことが、いろいろあるのが当然です。
でも、よくないところを直していこうという発想でいくと、親も子もおたがいにイライラしますし、くたびれてしまいます。
たとえば、ファミコンばかりしてちっとも勉強しない子に、「ファミコンをやめて勉強しなさい」と何度も言うよりも、子どもが机に向かったとき、ひとことほめてあげることがだいじです。
そのほうが、お母さんも笑顔でいられます。
そうすれば、しぜんにファミコンをする時間が少なくなるかもしれませんね。
ファミコンをやめて子どもがしぶしぶ机に向かったときは、「がんばってるじゃない」と声をかけてあげることがたいせつなのに、「ファミコンをやめなさい」と言って、子どもがやめるのは当然だと、お母さんは子どもに声をかけるのを忘れてしまうのです。
否定的な言葉が多いと、やる気が失われるということです。
両親の基本的な教育方針を一致させておく
よくレストランなどで、親子連れを見かけるのですが、子どもはテーブルの上の調味料のぴんなどをさわろうとしますね。
そういうときに、ひとこと母親が言っただけで、すぐやめる子どももいれば、やさしく言っただけではやめずに、かなりきつく叱らないとやめない子どもと2通りあります。
今までのお話で分かると思うのですが、子どもが小さいころの親の接し方やしつけで、ずいぶん変わってくるのではないかということです。
これはあとの学習習慣にもつながってきますよね。
それはテストの点数のところでお話しした親の態度に通じると思います。
「これはだめ、あれはだめ」と、ふだん禁止する言葉ばかり言っている親が多いのではないでしょうか。
「だめ」と言うだけでは、こうしたらいいという情報がはいっていません。
「だめ」と言ってやめたときに、「おりこうだね」と声をかければ、子どもはこれを繰り返せばいいということを学習できるのです。
レストランの親子連れで気がついたことですが、お母さんのひとことでやめる子どものほうは、食事中もとてもいい雰囲気で、親子でよく会話をしているんです。
いっぽう、一回の注意でやめない子どものほうの親子は、食事中も雰囲気がとげとげしく、ほとんどしゃべらないんです。
話すとしても命令する言葉だけというような場合が多いような気がします。
そういったことが、親子関係や家庭学習などすべてにつながりを持っているのではないでしょうか。
場面は違っても、共通しているのは、できないところに注目するか、できるところに注目するかということではないかと思いますよ。
また、子どもにかかわっている周囲の大人の考え方を一致させておくことがたいせつです。
たとえば、両親の基本的な方針が一致していれば、役割分担した中でそれぞれの接し方が違っていても、話し合ってたがいに補い合うことで、問題は起きません。
そうした基本的考えの一致なしに、ばらばらに接すると、子どもはとまどってしまいます。
中学受験をする場合、子どもの父親と母親の考え方が一致していないと、子どもは勉強しません。
中学受験の場合、教科書のほかにその5倍ぐらいの勉強が必要だと言われていますが、そうした勉強についてこられる子の家庭では、例外なく両親の考え方が一致しています。
逆に、受験を目指しているにもかかわらずなかなか勉強しない子の場合、父母懇談会で話してみると、両親の考え方が一致してないことが多いようです。
お母さんは受験させたいのに父親が反対だとか、本人にぜんぜんその気がないなど、両親どうしや親子の考えの不一致がよく見られます。
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能力は使われなければ開花しない
知的障害を持つ子ども達のキャンプにボランティアとして参加したことがありました。
キャンプには和義君と康一君も参加していました。(二人とも仮名)
二人とも特殊学級に通う小学三年生の男の子でした。
和義君はキャンプ中走りまわったり、友達に噛みついたり、大声をあげたりとても手がかかる子どもでした。
一方、康一君は友達と仲良く遊び、ほとんど手をかけなくても自立している子どもでした。
私は当然康一君の方が能力の高い子だと思っていました。
ところが指導していた先生の話によると和義君の方が知能は高いということでした。
びっくりしてわけを先生に聞きました。
康一君のお母さんは康一君が自分でできることは手を出さないでやりおわるまでじーっと見守っていました。
和義君のお母さんは和義君がかわいくて何でも言うことを聞いてきました。
和義君は自分の希望が通らないとわがままが出てしまうのでした。
このことからわかるように能力が高いとか低いとかよりも、子どもがどう育てられ、しつけられたかということが子どもの可能性を豊かにします。
どんなに豊かな能力があってもそれが私達の社会を豊かにするために使われなければ、その能力は決して豊かと言えないと思います。
お子さんの能力をお互いが豊かになるように使えるように励ましてください。
康一君のお母さんの育て方はこのような子育てのヒントになるのではないでしょうか? -----
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カテゴリー:子供のやる気を引き出す方法
他人と比較させるとやる気は失せる
小学校三年の次郎君は勉強は得意ではありません。
でも一生懸命漢字を覚えようとがんばりました。
「お母さん、僕やったよ。漢字テストで七〇点取ったよ」。
うれしそうに答案用紙をお母さんに見せています。
そばにいた小学六年生の一郎君が言いました。
「漢字テストはねえ。みんなほとんどできるんだよ。
七〇点はクラスではできない方だよ」。
次郎君はがっかりしてしょげてしまいました。
そのときお母さんが言いました。
「一郎、次郎はねえ、この前四〇点だったんだよ。
それを今度は一生懸命がんばって三〇点も点数がよくなったんだよ。
ほかの人のことはわからないけれど、お母さんは次郎ががんばって七〇点取ってきてくれてうれしいよ」。
しょげていた次郎君も少し元気が出ました。
私達は子どもの能力を他の子どもと比較してどちらがあるとかないとか考えませんでしょうか。
でも大切なことは他人と我が子を比較することではありません。
自分の子どものなかでどれだけ成長しているかを見ていることが大切なのです。
他の子どもと競い合わせることではなく、
自分自身の成長を喜べるように我が子を励ますことが必要なのです。
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真のエリートの条件
子どもの勉強を見ていると、なかには本当に頭がいいなと思わせる子どもがいます。
残念ながら能力は皆同じというようにはできていません。
頭のいい子もいるし、それほどでもない子もいます。
親から見ると、とんでもなくできの悪い子もいるかも知れません。
弘(仮名)君は小学六年生です。
私立中学を受験させようということでお母さんが相談にきました。
能力的には問題なく合格の可能性が高い子でした。
お母さんと話をしているときに昔恩師から聞いた言葉を思い出しました。
「エリート」という言葉です。
「他の者のためにその優秀な能力を使うことのできる人がエリートと呼ばれるのだ」と。
能力のある者が自分の私利私欲のためにその力を使うのは、決してエリートではないのです。
エリートは自己犠牲を求められる大変な人でもあるのです。
我が子が幸い高い知的能力を与えられていたならば、親は一層責任が重くなるのかも知れません。
真のエリートにするために、我が子がその能力を他人のために使うように教えなければいけないからです。
カテゴリー:子供のやる気を引き出す方法
結果ではなく努力を励ます
人間にとって最も大切な能力は何でしょうか。
その答えは人によって様々かも知れません。
アメリカの精神科医であるドライカースは「自分が不完全であることを認める勇気」を高く評価しています。
ある小学六年生の子どもの話です。
算数の試験の時間です。
彼は五題の問題のうち四題はすぐに解けました。
ところが最後の一題に引っかかったのです。
あせればあせるほどわからなくなります。
先生が残り五分だと言いました。
すると彼はいままで書いていた答えをすべて消してしまいました。
先生が言いました。
「あのまま出せば80点は取れたよ。白紙で出せば0点になるよ」。
彼は言いました。
「僕は0点ではありません。答えを書かなかっただけです」。
一題答えられなかったということが我慢できなかったのでしょう。
彼にとっては全部できなければ0点と同じという考えがあったのでしょう。
「自分に不完全な部分があってもいいのだ」ということを、彼は受け入れることができなかったのです。
子どもが挫折する場合の多くは、オールオアナッシング(全てか無か)の考えに取りつかれたときです。
結果ではなく努力を励ましてください。
そうすれば完全でない自分を認める勇気を持った子どもになるでしょう。
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思春期と児童期の特徴
いままで九歳から十歳の頃は、もっとも精神状態が安定している時代と言われてきました。
いわゆる児童期の後半です。
この時代の子ども達は、遊びに夢中になり、自分の能力を一生懸命証明しようと、駆け足に、山登りに、プラモデル作りに夢中になっていました。
そしてそれを作れると興奮して喜びを身体全体で発散していました。
もちろんこの時代の子どもに悩みがないわけではありません。
傷つき悲しい思いをすることもあります。
しかしこの年代の子ども達は「いま」に生きている子ども達なのです。
彼らはそんなに時間的見通しを長く持っているというわけにはいきません。
悩んでも何日かたつとケロッと忘れています。
「お母さんなんか一生許さないから」
などと母親に抗議している子どもが、次の日ケロッと母親に甘えてきます。
「一生恨む」などと言った言葉はすぐに忘れてしまいます。
しかしこれが思春期の子ども達になってくると、そうはいきません。
下手をすると一生忘れることなく親への批判や抗議を続けることもあります。
児童期の子ども達の心の世界は「いま」にあります。
過去でも未来でもなく「いま現在」を生きているのです。
しかし思春期になると、子ども達は過去や未来に想いを馳せることができるようになるのです。
時間軸が拡大します。
同じ失敗でも、いまだけの失敗ではなく一生続く失敗と考えたりします。
部分的自分から全体としての自分へ
児童期の子どもも、もちろん自分というものを意識します。
しかしそこで子ども達が考える自分とは、勉強ができる自分とか、運動の上手な自分とか、給のうまい自分とか、ある部分の能力に基づいて自分を評価しています。
自分の能力のありようが自分でもあるのです。
「運動がうまいのは」が主語になります。
その能力のあるなしが彼らや彼女達の誇りにもなり劣等感にもなるのです。
彼らの悩みは何々できない自分の能力にあります。
決して自分の存在のあり方そのものに懐疑するということではありません。
すなわち自己評価は、自分の能力評価と関係づけられて考えられているのです。
しかし思春期になると、子ども達は自分の存在のあり方そのものを問題にしてきます。
「できる」「できない」から「良い」「悪い」という価値へ関心が深くなっていきます。
「自分は」が主語になってくることです。
このような自我の目覚めは、思春期の子ども達の第二の特徴と言えましょう。
これは児童期の能力のようなものと異なり、相手との比較の対象が目に見えるものではなくなります。
走る競争で勝つことは事実としてハッキリと理解できます。
それ故児童期の子どもの自己評価は、主観的には揺らぐことがあまりありません。
しかし思春期になると自分というトータルなもので、主観的、観念的なものになっていきます。
思春期の子どもの動揺は、自分についての主観的なものによる動揺です。
大人への絶対的信頼から大人を否定的に見るようになる
思春期の特徴の第三の点は、児童期には親を絶対的なものと見ていたその見方が180度変わり、否定的に見るようになってきます。
児童期には親の力を尊敬していた子どもも思春期になり大人の力もそれほどでないと知るようになると、自分の力を誇示するために必要以上に大人に批判的になります。
児童期の子どもにとっては大人の能力はすばらしいものに見えます。
走ってもボールを投げても子どもはとてもかないません。
何を聞いても答えてくれます。
家族もちゃんと守ってくれます。
こういう大人を子どもは尊敬します。
しかし、思春期になり子どもの身体も発育してくると、これらの能力の差はさほどのものではないということに気がつきます。
いままでの保護してほしいという考えから自分でもできるという親離れの最初の考えが芽生えてきます。
この親からの自立はかなりの力仕事になります。
子どもの心には自立したいという気持ちとまだ保護されていたいという気持ちの動揺が大きくなります。
特に親の方が子どもの自立の気持ちに気づかないと、
子どもはいつまでも自分が子ども扱いされていると感じて、強引に親から自立しようと必要以上に自分を一人前だと強調します。
いままで素直だった子どもが親が何か言うとことごとく反抗したり無視したりします。
一般には第二次反抗期と言われる現象です。
これは基本的には主導権争いの形を取ることが多いようです。
自分の意見を押し通して相手を従わせようというのがこの争いの基本にあります。
これは親が勝っても負けても、子どもの成長には間題を残します。
主導権争いを子どもが取るときには、親はできるだけ子どもと上手に妥協することが必要です。
この時期の子どもは「すべてか無か」という考えをしがちです。
100点でなければ0点でいいと考えるのです。
人生にはお互いが満足し合うためにはゆずり合いが必要だということを教えるのです。
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知識よりも知恵を教える
何人かの子ども達を連れて近くの公園へ散歩に行ったことがあります。
公園にはいろいろな草花が咲き乱れていました。
しかしいまの子どもはあまりそういう自然に関心を示しません。
すぐに飽きてしまいます。
「テレビ見たい」とか「帰ってテレビゲームする」とか口々に不満を言い出しました。
そのときです。
小学五年生の明美(仮名)さんが言いました。
「あ、これクローバーだ。この花で首飾り作れるんだ。こういう風に編んでいくんだよ。
田舎のおばあちゃんが教えてくれたんだ」
といきいきと草を摘み始めました。
すぐにかわいらしい首飾りができました。
何人かの子どももまねし出しました。
「簡単だね」とか「おもしろい。ここどうやるの」など明美さんに教えてもらいながらしばらく夢中で首飾りを作っていました。
与えられた遊びではなく、本当におもしろく夢中になれる遊びは自分達が工夫したときに生まれてきます。
おばあちゃんが教えてくれたクローバーで首飾りを作るということは遊びを工夫する知恵でもあるのです。
私達には長い歴史のなかで多くの人が体験してきた生活の知恵があります。
子育てのなかで学問的でないからと言って捨ててはいけない知恵がたくさんあります。
私達の生活を成り立たせているのはむしろ知識よりも知恵なのかも知れません。
子ども達にも知恵の大切さを教える必要があります。
知恵のある子どもこそ、少々のことでは負けません。
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実際に子供に体験させる
ある夏に子ども達と一緒にサマーキャンプに行きました。
参加した子どものなかにいわゆる問題児がいました。
犬が大好きな小学四年の女の子でした。
お母さんに犬を飼ってほしいと言いました。
しかし彼女の家は団地です。犬は飼えません。
お母さんはダメだと言いました。
しばらくしてとんでもない事件が起きました。
お昼休みになると学校から彼女の姿が消えたのです。
先生が心配して彼女の後をつけました。
すると学校の近くのビルの屋上の段ボール箱のなかで小犬が彼女を待っていたのです。
給食のミルクを犬にあげていました。
そのことで学校中が大騒ぎになったのです。
この子がキャンプに参加したのでした。
サマーキャンプに参加した子ども達を連れて近くの河原に行きました。
裸足になって川に入りました。
五分もしないうちに多くの子ども達が
「足がぬるぬるして気持ち悪い。水が泥で濁って汚い。つまんない。ファミコンの方がいい。テレビが見たい」
の合唱です。
そのなかで彼女だけが夢中になって遊んでいます。
殿様蛙を手で捕まえて「旅館まで持っていって飼うんだ」といきいき張り切っています。
私は
「もし大地震のような天災でもきたら、確実に生き延びるのは彼女だろうな」
と話していました。
身をもって体験することの大切さを教えてくれる次のような例があります。
小百合(仮名)さんは小学校二年生です。
あまり運動神経が発達していません。
そのせいか逆上がりができません。
日曜日に公園に行ってお母さんと練習をしました。
お母さんは「腕を引きつけて」とか「もっと力を入れて」とか熱心にコーチをしています。
しかしうまくいきません。
お母さんが途中で一休みしました。
すると小百合さんは一人で逆上がりができたのです。
お母さんの言う通りにやらなければと考えると、かえってうまくいかないのです。
何も考えずに夢中にやっていたらできたのです。
「あ、これでいいんだ」というひらめきがありました。
それからは逆上がりがどんどんうまくなりました。
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子どもの夢を応援し、勇気づける
小学二年の孝(仮名)君です。
一生懸命サッカーボールを蹴っています。
孝君の蹴るボールはときどきとんでもない方向へ飛んでいきます。
でも孝君はめげません。
全力で走っていき、ボールを拾っては蹴っています。
お母さんが夕食に呼びにきました。
孝君はあと十本と言ってシュートの練習をやめません。
お母さんが孝君に言いました。
「お前はサッカーが好きなんだね。大きくなったらサッカーの選手にでもなりたいのかい」。
「うん、僕大きくなったらJリーグに入って中山選手みたいになるんだ」。
お母さんが言いました。
「だってお前、足は遅いし、運動神経だってそんなによくないじゃないか。プロの選手なんか無理だよ」。
孝君は泣きべそをかきながら言いました。
「大丈夫だよ。僕がんばって絶対なるんだから」。
野球で有名な王選手を始め一流と言われた人も、初めは有名な選手になりたいという夢をただ一生懸命追いかけて努力をしていただけなのです。
孝君は中山選手みたいになれないかも知れません。
しかし夢を追いかけて一生懸命がんばることは大切なことです。
そしてそれは孝君がほかの人生を歩んでも必ず役に立つことなのです。
親は子どもの夢を壊してはいけません。
「中山選手みたいになれるといいね」と言ってあげることが、我が子を勇気づけ、子どもの能力を発揮させるのです。
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失敗を通して学ぶことがたくさんある
五年生の男の子達が校長室の前でキャッチボールをしていました。
力があまって一人の男の子が投げたボールが校長先生の部屋のガラスを割ってしまいました。
校長先生が窓の外に出てきました。
子ども達は怒られるのではと身を縮めています。
校長先生は
「割れたガラスが危ないから片付けようよ」
と静かに話しかけました。
片付け終わったところで校長先生は再び子ども達に言いました。
「今度キャッチボールをするときどんな風にやったら、ガラスを割らないでやれるかな」。
子ども達は話し合って
「校舎から離れてキャッチボールするよ」
と具体案を出しました。
「そうだね。今度からはそうしようね。ところで今度のことをどう思うね」
と校長先生が聞きました。
生徒達は「ごめんなさい」と素直に謝りました。
子ども達が失敗したときこそ、子どもの能力を伸ばすチャンスなのです。
再び失敗をしないような代替案を考えてもらうのです。
そうすれば子どもは同じ場面で同じ失敗をしなくなります。
経験から知恵を得たことになります。
経験から学ぶことによって能力は伸びるのです。
失敗した子どもを親はつい叱ってしまいます。
それでは失敗から子どもは何も学びません。
ぜひ子どもに代替案を考え出すように励ましてください。
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子供の力が発揮できる場所を探しましょう
あなたのお子さんはどんなところにすてきな能力を発揮しているのでしょうか。
どんな子どももどこかにすてきな能力を発揮する場所があるものです。
与えられた自分の能力を最大限に発揮できればそれが幸せな人生になるのです。
他人と能力を比較して、自分の能力を悲観することはないのです。
親が見つけなければいけないものは、子どもの持っている能力を発揮できる場所なのです。
そしてその場所をお母さんは子どもに教えてほしいのです。
たとえば、こんな例があります。
正彦(仮名)君は自閉症児です。
友達関係が作れず会話も不十分です。
お母さんは将来をとても心配していました。
中学校を卒業することになりました。
学校の先生の紹介で陶芸の先生に会うことになりました。
先生が粘土をいじらせたところ、正彦君は関心を持ったらしく、一生懸命捏ねていました。
しばらく陶芸の先生の元で修行をすることになりました。
陶芸に関してとても集中力があり、反復作業も飽きずに繰り返してがんばります。
どんどん腕が上達しました。
半年もしない間に、売り物になる焼き物を作るようになりました。
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自分を好きになることを教えると子どもの能力は伸びる
どんな子どもが自分の能力を十分に発揮することができるのでしょう?
不登校の小学五年の男の子の話をしましょう
私は彼に尋ねました。
「君は自分のことが好きかな?」。
彼はちょっと戸惑って答えました。
「自分のことなんか大っきらいだよ。勉強はできないし、スポーツすればドジばかり。
僕が出たばかりにクラスの対抗リレーには負けてしまう。
家だって学校だって親や先生に怒られてばかりいる」。
彼は深く自尊心を傷つけられています。
何かを始める前に自分は失敗するに決まっているという誤った信念を心の奥に育ててしまっているのです。
こういう子どもに限ってうまくいくとまぐれだと思い、失敗すれば自分の思った通りだと納得してしまうのです。
何かに挑戦することを避け、結局自分の能力をしぼませてしまうのです。
子どもの能力を伸ばしたかったら、ぜひありのままの子どもを受け入れてください。
こんな僕でもお母さんが喜んでくれていると子どもが感じたとき、子どもは能力を発揮するのです。
(参考リンク)
子どもに自信を与える方法
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子ども達はいろいろな能力を持っているが、
子ども達はいろいろな能力を持っています。
計算の得意な子ども。
絵を描かせたら大人顔負けの子ども。
走ることが得意な子ども。
皆の前で発表するのに優れた力を発揮する子ども。
心のやさしい子ども。
こんな能力もあります。
木登りなら誰にも負けないと思っている子ども。
めんこなら僕に任せてという子ども。
なかにはけんかなら負けないよという子どももいるかも知れません。
子どもは皆能力の塊です。
大人にとってその能力が望ましいかどうか別ですが。
私の子ども時代にはドングリ博士や海老カニ博士などの博士もいました。
野球博士も竹トンボ博士もいました。
これらの博士は仲間から尊敬されていました。
いまの子ども達の不幸は、博士と認められるいろいろな能力が大人や社会によって狭められていることではないでしょうか。
お母さんにとっては、子どもが得意になっている何とか博士は勉強博士になるための邪魔に見えてしまうようです。
でも本当にそうでしょうか。
二十一世紀を生きる子ども達がたくましく生き抜くためには、勉強博士だけで十分でしょうか。
もちろん勉強博士も大切です。
しかしもっと大切なことは、
私達大人が子ども達の能力に多様なものがあることを認めることです。
このように考えればどんな子どもにもかならず能力はあるのです。
親がしなければいけないことは、能力を発揮できるように勇気を子ども達に与えることなのです。
我が子のなかにきらりと光る能力を見つけてください。
それはもしかしたら勉強博士の能力ではないかもしれません。
でもそのきらりと光る能力こそ、その子の人生を豊かにするものなのです。
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