わが子と自分の両方を大切にする気持ち
子どもには「つきあいきれない」ところが、たくさんあります。
気が強くて活動的な子どもをもったお母さんなどは、それを身にしみて感じていることでしょう。
片時もじっとしていず、家中をはいずりまわり、ひっくり返して、それをとめれば火のついたような泣声をたてる。
買いものに連れて出れば出たで、親の手をふりきって、どんどん行ってしまう。
お母さんは一目子どものあとを追い、始末をつけるのに精いっぱいです。
かといって、おとなしい子なら楽かというと、そんなことはありません。
お母さんにくっつきっぱなしで、ろくに用事をさせてくれないなどということがおきるでしょう。
ちょっと台所に立っても足元にまとわりつき、そばのいすに座らせるのもだめ、洗たくものを干しに出ようものなら、大泣きに泣く。
これではトイレにもゆっくり入っていられません。
こうした悩みは、子どもをもった以上、避けられません。
幼い子どもをかかえた暮らしというものは、子どもの面倒をどれだけみるか、みきれるかという問いかけに、いちいち答えをだしていかねばならぬ毎日であるでしょう。
相手は生身の人間だし、年が二十以上もちがうのですから、いっしょに暮らすのはたいへんむつかしい。
もちろん、育児の知識や技術で少しはカバーできるでしょうが、とことんまで合わせるというわけにはゆきません。
それでも、親は子どもとなんとかやってゆくほかないのです。
それを世間では 「責任」とか「教育」の問題にしがちですが、
親はもっとなまなましいところで、子供とやってゆくようにしたらどうでしょう?
かわいくてたまらなければ存分に面倒をみてやるし、どうにもつきあいきれなくなったら、多少の勝手はさせてもらうのです。
そのときでも、もちろん子どもの状態をちゃんとつかんで、危険や精神不安の限界ではかまってやるだけの余裕をもたなければなりません。
そのためには、母親がいつも育児の犠牲になっているのでなく、自分の時間と生活をもつということが必要です。
子どもをもった不自由は、このような、自分をも大切にしようとする母親の「子がかわいい」という気持ちによってのみ、乗り切られてゆくのだと思います。
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