子どもの健康な発育に必要なもの
子どもに心と体のプログラムのあることはよく理解されたことと思います。
その上、子どもは育つものですから、心と体のプログラムを発育に合わせる発育のプログラムも備えているのです。
発育の生体システムといっても特別な限られたものではなく、体全体・生体システムのすべてです。
とくに骨格系・結合組絨系などの体をつくる骨・筋肉などは目立って大きくなりますが、それには神経系、内分泌系などの発育に関係ある生体システム、
とくにそれが作る成長ホルモンなどのホルモン、さらには発育因子が支配的な役割を果たしています。
発育のプログラムは、体全体の臓器や組織、それぞれの生体システムのプログラムを調整せ、その相互作用によってホルモンなどを介して、全体としての統合をはかりながら、子どもの心と体をすくすくと育てるのです。
そのプログラムの中心として、発育センターと呼ぶべきものが考えられるでしょう。
人間が健康に生活するためには、心と体のプログラムを円滑に機能させなければなりません。
逆に、健康とは、心と体のプログラムが相互作用をしながら協調し、スムーズに働いている状態であるといえます。
子どもも同じです。
そうなれば発育のプログラムも作動します。
心と体のプログラムの一方に不調があると他の一方に不調がみられるようになるのは、どなたも御存じの通りです。
一般に、大人ではストレスが、すなわち外からの原因で心のプログラムに異常が起こると、それが心気亢進・胃痛から始まって、胃潰瘍・心因性大腸炎などの消化器症状から心筋梗塞などの心症状まで、いろいろな疾患の原因となるなどはその代表です。
子どもも同じなのです。
とくに乳幼児では、母親に愛されない、育児環境が悪いなどの状態では、無気力になったり、下痢や腹痛・頭痛を起こしたり、さらには体重の増加や身長の伸びが遅れたり、行動異常が現れたりするのです。
小児科医はこれを母親愛情剥奪症候群、そのうちとくに身長の伸びの停止した状態を小人症と呼んでいます。
もっとも、そのような子どもでも入院したり施設に入ったりして可愛がられるとすぐにこにこ笑うようになり、すくすく育ち始めるので、
母親や父親に原因があるとしても病名にするのはどうかというので、情緒遮断症候群と呼びます。
これは、子どもの心のプログラムが乱されるために体のプログラムや発育のプログラムが失調することによると説明されています。
子どもの健康な発育にとっては、心と体のプログラムが円滑に作動し、発育のプログラムがよく機能しなければならないのです。
したがって、家庭や学校での子どもの生活環境が本当に重要なのです。
ここでひとつ、教訓的な症例をお話ししましょう。
第二次大戦後のドイツで、あるイギリスの栄養学者が発表した研究です。
イギリス占領地域のドイツに、AとBという二つの孤児院がありました。
Aの孤児院の尼さん(園長)は優しく、子供好きでした。
Bの孤児院の尼さんは大変うるさい尼さんで、しつけが厳しく、ガミガミと管理する人でした。
この二つの孤児院の子どもたちには・両方とも同じ量のパン・バター・砂糖などの食糧品が連合軍から配給されていました。
しかし、子どもたちの体重増加率を調べてみると、優しい尼さんに世話されていたAの孤児の方がBの孤児より良かったのです。
ところが、うるさい尼さんにも八人の好きな子がいて、その子たちの体重増加はAとBの平均の中間でした。
ところで、二人の尼さんの入れ替えが行われたのです。
Aの孤児院にうるさい尼さんが彼女の好きな八人の子どもといっしょに移り・Bの方に優しい尼さんが移りました。
そうして体重増加のよかったAの子どもたちにはうるさい尼さんが来たので、食べたいだけ食事が与えられました。
Bの子どもは体重増加が悪かったのですが、優しい尼さんが来たので食事の量は前と同じようにしておきました。
ところが半年たってみると、優しい尼さんに世話されたBの子どもたちの方が、前と同じ食事量にもかかわらず、体重増加がよくなったのです。
すなわち、食べたいだけ食べさせているAの子どもたちの発育速度を上回ったのです。
ここでおもしろいことに、うるさい園長が特にかわいがっていた子ども八人は、Aに移って食事がほしいだけ与えられることによってさらに体重増加がよくなったのです。
当然といえば当然ですが、孤児の成長発達に園長さんの愛情がいかに重要であるかを示したよい例だと思います。
もう一つ、二卵性双生児の例をお話ししましょう。
ある母親は男と女の双子を生みました。
ところが、乳幼児期では男と女の発育に差はないはずなに、女の子の発育の方が男の子よりはるかに良いのです。
調べてみると、子どもたちの父親、すなわち母親の夫は悪い男で、アルコール中毒であるばかりかほかの女の所へ走り、その上生活費も渡しませんでした。
ですから母親は夫を憎み、男性一般を憎み、夫に似ている自分の男の子さえも憎んでいたのです。
逆に女の子の方は女性であるが故にたいへんかわいがったのです。
その結果、双生児の女の子と男の子の発育の差が現れたのです。
愛情に恵まれなかった男の子を母親から離して入院させたところ、男の子の発育は急速に改善されました。
この例も、子どもの成長発達には、単に栄養だけでなく愛情が必要であることを物語っています。
小児科医は、「置き去り赤ちゃん」症候群、「おしおき」症候群(虐待児症候群)、母親愛情剥奪症候群、心身症、情緒障害、不安神経症、家庭内暴力、自殺、さらに非行などの子どもたちを診療の場でみるようになってから二十年ぐらいになります。
ここでいう「置き去り赤ちゃん」症候群とは、だれかに育ててもらおうとして赤ちゃんを捨てるのではなく、まったく育児意欲がなくて、子どもを生んでも育てようとせず、産院などに自分の赤ちゃんを置きっぱなしにしている状態です。
その極限型が、昔あったコインロッカー事件です。
コインロッカーにわが子を入れてかぎをかけて拾てるとは、恐ろしいことです。
「おしおき」症候群とは、親が子どもを骨折や頭蓋内出血するまで打榔する状態を病気としてこう呼ぶのです。
前に申し上げた母親愛情剥奪症候群がさらにアグレッシブになったものです。
こういった子どもの問題は、親の行動異常として表に出ていますが、親子関係の破綻によるもので、子どもの心を著しく痛めつけています。
教育の現場で見られる「登校拒否」「いじめ」「校内暴力」「非行」なども、子どもの心の大きな問題です。
小児科医や、教育の現場に関わる人達は、これらをまとめて子どもの行動問題と呼んでいます。
また、こういった問題を対象とする小児科学を行動小児科学と呼びます。
新しい概念ですが、近ごろでは小児科学の流れにも新しい変化がみられています。
行動問題の原因は決して単純ではありません。
親子関係(母と子・父と子)の失調、離婚などによる家庭基盤の破綻、教育の荒廃、さらには思春期の不安定な心理状態による挫折などが考えられ、しかもそれが互いに構造的に関係しているのです。
そしてこのいずれもが、母子関係を中心とする親子関係が安定していれば、
すなわち親と子のきずなが強ければ予防可能であり、
また治療も可能である場合が少なくないと考えられるのです。
さらに、そうなれば、教育の場における子どもの心も生活も安定し、教育の効果も高められると思います。
ですから、親と子のきずなが家庭教育の核となることは言をまちません。
こう考えてみると、子どもの生活環境がいかに重大であるかがおわかりでしょう。
子どもが生き生きと生活し、すくすくと発育するためには、子どもの持っている心と体のプログラムを円滑に作動させ、十分に発育のプログラムを機能させなければならないのです。
発育にとって相互作用は重要で、生態システムとの相互作用なくしては発育は進みません。
子どもの発育にとっては、単に栄養があればよいというものではないことは、よくおわかりになったでしょう。
したがって、生態システムの質は良いものでなければなりません。
子どもの生活環境の質がどんなによくても、それは贅沢ではないのです。
こう考えてきますと、生態システムの中の人間的な因子はきわめて重要です。
人間は多彩な行動パターンをもって社会生活を営み、その社会は多様な人間関係、すなわち人間関係のネットワークで成り立っています。
そのネットワークは社会・経済因子と深く関係しますが、その基盤は信頼関係であり、心のきずなといわれるものなのです。
母と子の人間関係は、ひとりの人間が一生の間で持つ多様な人間関係の中の最初のものであって、いろいろな意味で特別であることは周知のとおりです。
したがって、豊かな母子関係は、子どもの生態システムの質を良くします。
反対に、質の良い生態システムの中で母子関係は豊かになるものです。
そして、それが子どもの心に基本的信頼を作り上げ、後の人生の人間関係をも豊かにするのです。
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