子供は真似をして育つ
生まれて間もない赤ちゃんでも、ものまねをします。
もう名前がつけてあるなら、低めの優しい声で、「○ちゃん、○ちゃん」と何回か語りかけ、
そのうちに何となく気が通じ合ったと感じたら、赤ちゃんの目の前で、ゆっくりと舌を大きく出してごらんなさい。
赤ちゃんはすぐに反応して、ベロリと舌を出すわけではありませんが、口をモゴモゴと動かし始め、舌の先をちょっと唇の問からのぞかせます。
もう少し大きく、一、二か月にもなれば、堂々と舌を出したり、複雑な表情をまねする赤ちゃんもいるのです。
模倣行動は、今書いたように、母親の動きに同調したり、母親の語りかけた声をまねたりすることから始まります。
口の動きは、赤ちゃんにとって・乳幼児でもそうですが、最も関心の探いものなのです。
こうしたことから、子どもは自然と言薬を学んでいくのでしょぅ。
また、赤ちゃんは口をよく動かします。
なにしろ、妊娠初期、胎生十数週にもなれば胎児はいろいろと体を動かしますが、なかでも口の動きは活発で、目立ちます。
口は栄養摂取にも関係しますから、いろいろな意味で重要なのです。
アメリカのテレビに 「セサミ・ストリート」 という有名な幼児の教育番組があるのを御存じの方は多いと思います。
その中でおしゃべりしながら言葉や数を教える漫画化した蛙の人形を思い出されるでしょう。
その蛙の口は大きく、身長の半分もありますが、その方が口の動きによる教育効果が強いからだそうです。
年齢をとるにつれて、親子の間ばかりでなく子どもどうしの間でも、動作や言葉の模倣、そしてすべての活動に模倣がみられるようになります。
子どもが自分の外にあるものを模倣するのは、目の前にあるモデルを取り込むこと(同化)ばかりでなく、年齢とともにモデルを越えて拡大し変換して取り込むこと(調節)もするようになります。
このように、子どもは模倣により外から新しい情報を取り込んで知識にしているのです。
子どもが一歳半も過ぎますと、その場にないものまで模倣するようになります。
印象の強かったものを記憶していて、何かがそれを引き出して模倣行動に転換するのでしょう。
空想して模倣しているのです。
これを延期模倣と呼びますが、これはその場にない行動を再現する活動で、象徴機能・表現活動の芽生えを示しています。
子どもの心の発達にとって、遊びの中での模倣行動は重要な役割を果たします。
どなたでも思い出されるでしょうが、「ままごと」の中での両親の役割をまねた「ごっこ」遊びはその代表でしょう。
大人のモデルを遊びに取り込み・イメージの中でそれを模倣することによって、大人になることに備えているのです。
人間が生まれながらにして模倣能力をもっていることは素晴らしいことであり・「学ぶ」と「まねる」は表裏の関係にあるので、これこそ教育の出発点といえるのです。
また、このことは当サイトの基調となる私の考え方でもあるのです。
確かに、読み書き・そろばん(算数)にしろ、音楽にしろ、習字や絵画にしろ、子どもたちはこの生まれながらの模倣能力を駆使して学んでいるのです。
もちろん赤ちゃんはそれを意識していないでしょう。
そしてある年齢になれば、それを意図的に意識してやっているときもあるでしょうし、意識していないときもあるでしょう。
一方、教える側の先生方も、いろいろな椒会にそれを利用しているに違いありません。
「学ぶよりまねろ」ということわざもあるように、模倣は学習方法の第一の原則ではないでしょうか。
この十年来、赤ちゃんのものまね行動の研究は、世界中の発達心理学者や乳児行動学者の間で盛んに行われています。
ノーベル賞を受賞した利根川博士のおられるマサチューセッツ工科大学でも認知科学のグループが、人工頭脳への応用などを考えて研究しています。
認知科学とは、人間をふくめた生体における情報処理に関する科学体系で、脳の機能をマクロ的に説明しようとする理学的なアプローチ、人工知能の基礎研究に関する工学的なアプローチのほかに、
この人間学的なアプローチが重要で、その代表が模倣研究なのです。
しかし、二十年ぐらい前には、生まれたばかりの赤ちゃんにも模倣能力がちゃんとあるということは認められてはいませんでした。
子どもの心理学の泰斗、ピアジェのもとにトルコから留学していた若い女性の心理学者が、観察に基づいて新生児にも模倣能力があるという論文を書いたそうですが、師に認められず、発表の椀会を失ったそうです。
新しいことを確立するのは、洋の東西を問わず大変なことのようです。
もちろん、教育に関係する「学ぶ」という能力、すなわち学習能力が模倣能力だけで決まるわけではありません。
記憶する、思考する、認知するなどの人間の高度の精神機能ばかりでなく、外からの情報を取り込む、聞く、見るなどの感覚機能と関係していることは言をまちません。
この点については、またの機会にあらためて私の考えをまとめてみたいと思います。
まず、生まれたばかりの赤ちゃんのものまね行動が教育を考える上に重要だと思う私の理由づけを申しあげたいと思います。
生まれたばかりの赤ちゃんを支えて、固い板の上に軽く立たせますと、赤ちゃんは反射的に足を歩くように動かします。
これを原始歩行、あるいはステッビング反射と呼んでいます。
もっとも、この反射は妊娠後半に入ると胎児にも見られ始め、末期に入ればほとんどすべての胎児に見られるものなのです。
だからこそ妊婦さんは、この行動で赤ちゃんにおなかの中から蹴られるのを胎動として感じ、母親になった実感を味わっているのです。
生まれたばかりの赤ちゃんがものまねをしたり、歩くような格好で下肢を動かすことができるということをどのように説明するかはなかなかむずかしいことですが、
私はシステム理論・情報理論で考えるのがよいと思っています。
人間の体は、細胞とか、組織・臓器の組み合わされた多種多様なシステムからなっていて、そのそれぞれを働かせるプログラムをもっているのです。
ここでいうプログラムとは、本や芝居のプログラムではなく、コンピュータのプログラムに準ずるもののことです。
人間は、生きるためにプログラムを作動させ、生体のシステムをいろいろな組み合わせで機能させているのです。
この点についても、後に整理して述べてみたいと思います。
模倣行動をさせるシステムは、脳の神経細胞の組み合わせで、お母さんの舌を出すという行動を見るとその視覚情報がそのシステムを働かせるプログラムにスイッチを入れ、口を動かさせ、舌の先を出すという行動をとらせると考えられるのです。
原始歩行は、骨、筋肉、関節、皮膚、神経からなる下肢という生体システムが、足を固い板に当てて刺激を受けることにより、歩行のプログラムにスイッチが入って起こるのです。
このように、受精卵が子宮に着床してから、胎芽、胎児と育っていく間に、生体システムとそのプログラムの基本は出来上がっていると考えるのです。
ですから、生まれたばかりの赤ちゃんでも、あのようなものまねという人間らしいことができるのです。
もっとも、赤ちゃんの模倣行動は生後六か月くらい、原始歩行は二か月くらいになると、いったん消えていきます。
そして、それらが再び現れるときには、今度は高度の精神機能の支配のもとにあります。
すなわち、子どもの意志によってものまねをしたり、歩いたりするということになるのです。
原始歩行が消えていく過程をみると、なにかが恐ろしくて足が出ないという感じです。
羊水の中で、宇宙遊泳をしているように無重力に近い状態で生活していた赤ちゃんは、重力のある三次元のこの世に生まれ出てみると、段々おっかなくなって、歩くプログラムのスイッチが切れてしまうと説明することができます。
しかし、毎日毎日の生活の中で重力の感覚を体得し、自分の足で体を支える力も発達し三次元の空間を認知することができるようになると、再び自分で歩くプログラムにスイッチを入れることができるようになるのです。
ですから、赤ちゃんは十二か月にもなると、ある機会に自然とよちよち歩くことを始めるのです。
だれも、赤ちゃんに左足の上げ方、右足の上げ方を教えたりはしません。
「両方の足を同時に上げると尻もちをつきますよ」とも教えません。
まさに、歩行のプログラムに自分でスイッチを入れているのです。
赤ちゃんが正しく成長するには、心の安定が必要
歩き始めた赤ちゃんが大きくなり、保育園や幼稚園に入ると、先生から教えられたり友達のやり方をまねたりして、スキップやダンスをすることができるようになります。
模倣のプログラムが新しい情報を取り込んで歩行のプログラムを変え、歩行運動がスキップやダンスの足の運動になると言えるのです。
もちろん、このときの模倣のプログラムは、赤ちゃんのものまねのときとは違って、自らの意志によるものです。
赤ちゃんのものまねや歩く運動や、胎児の行動などを、私たち大人や年長の子どもたちのものとはまったく異なるもの、下等なものと見なすわけにはいきません。
いずれも、赤ちゃんの心理状態が良くなければ出て来ません。
特にものまね行動は、語りかけて、なにか心が通じたと思われる状態でなければ出て来ません。
ですから私には、赤ちゃんにも心があり、
プログラムにスイッチが入るのには心が安定していなければならないと思っています。
教育は、親なり先生なりの教える行動と、子どもの「学ぶ」という行動の相互作用によって成り立っています。
子どもの「学ぶ」という行動は、模倣・記憶・認知・思考などの多数のプログラムが互いに関係し、統合されたものと考えられます。
私は、その中心に、外の情報を取り込む模倣のプログラムがあると思うのです。
丸々を覚えることは模倣の繰り返しから始まりますが、それを記憶し、掛け算を学んでいるのです。
こうして算数の教育効果を上げていることをみれば明らかです。
読み書き・そろばん(算数)のいずれの教育をみても、その基盤に模倣があるのです。
私は、生まれて間もない赤ちゃんでもものまねすること、すなわち生得的な模倣能力があるということに深い感銘を受けるのです。
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