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赤ちゃんの顔の向き
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股関節脱臼
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気になる頭のこぶ、形、大きさについて
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歯ぐきにある白い玉みたいなものはなに?
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子供の事故を防ぐには
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予防接種の考えかた
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健康診断の受け方
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よく病気をする子こそ大胆に育てよう
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医者にかかるタイミング
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子どもの病気とどう付き合えばよいか?どう判断すればよいのか
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子供が成長するってどういうこと?
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子供の食事については、多少の飢えが大事
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赤ちゃんの発育度をきちんと知る為に
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赤ちゃんの顔の向き
生まれてまもない赤ちゃんは、たいていどちらか片方を向いています。
そのほとんどは病的ではない強直性頸反射のためですから心配はいりません。
まれに斜頚のこともありますが、そのときはかたいしこりにふれるはずです。
そのしこりも、ほとんど半年くらいでなくなってしまうので、放っておいてかまいません。
気にして、マッサージなどはやらないことです。せいぜい、からだをよく運動させてやることでしょう。
万一しこりが大きくて一〜二歳になってもなくならず、顔や頭の形までゆがんできた場合にだけは手術が必要になります。
カテゴリー:子供の健康と病気
股関節脱臼
「脱臼」といっても、ほんとうに関節がはずれているケースはめったにありません。
ほとんどは、はずれかけているか、ただ関節の成長がおそいだけのものです。
生まれて三ヶ月までは新生児用のおむつをあてて、脚が自由に動くようにしておくとかなり防げるといわれます。
診断の方法は、大腿を手に持って両側に開かせたときに手に感ずる音で調べるのがいちばんです(クリック法)。
ただ、脱臼には関係なく、赤ちゃんによっては力を入れるために股の開きがかたいことがあります。
まして緊張するとよけいにかたくなるので、よほどゆっくり調べないと誤診のもとになります。
レントゲン検査はなるべくやらないほうがよいでしょう。
やるとしても三ヶ月をすぎてから、性腺を防護するプロテクターをあてて、三〜四ヶ月に一回くらいまでにしてもらうようにしてください。
治療としては、生後一〜三ヶ月はおむつのあてかたに気をつけることです。
その後は、布製あぶみ式つつバンドを一ヶ月か四、五ヶ月使用すればほとんどなおります。
長く使うのは、お座りや立つちなどの動きを妨げるのでいいことではありません。
しかし、どうしても脱臼がなおらない場合は、入院して牽引をかけるのもやむをえません。
手術が必要なケースはめったにありません。
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気になる頭のこぶ、形、大きさについて
生まれてまもない赤ちゃんの頭にある押さえるとぷよぷよするこぶは、頭血腫といいます。
これは、生まれるとき頭蓋骨の骨膜の下に出血したもので、二〜三ヶ月のうちにかならずなくなります。
頭の形はほとんどの子がいびつです。
それは頭蓋の成長のしかたが大なり少なり左右均等ではないからです。
ですから、寝かせかたにはほとんど関係ありませんし、かっこうよくしようと枕をあてるのは、効果がないばかりでなく、頭が固定されて運動が制限されるのでよくありません。
心配しなくとも、座ったり歩くようになれば、しだいにいい形になってきます。
頭が大きく見えたり、小さく見えたりする場合も、からだとの割合でそう感じることもありますし、親をはじめ先祖に似ることも多いのです。
ただ、「おどりこ」(頭のてっぺんにあるやわらかいところ)があまりにも大きく、しかもきんきんに盛り上がって脈打っているとか、頭囲のふえかたが多すぎる場合には、水頭症ではないかと疑い、CT(コンピュータ断層撮影)もらう必要があります。
もし水頭症のときは、チューブを脳室に入れ、心臓か腹腔に脳脊髄液を流す手術をします。
そのさい、発見が早く、ほかに奇形をともなっていなければ、知能はおかされずにすむことが多いでしょう。
ただ、程度がひどくてすでに知能のおくれが目立っている場合には、手術の効果はあまり期待できません。
二分脊椎(脊椎被裂)をともなって、脊髄がはみでている場合には、下半身の麻痺を覚悟しなければなりません。
一方、頭が極端に小さく、頭国が平均より五センチ以上も少ない場合には、小頭症の疑いがあります。
これには治療法がなく、知恵がおくれ、運動障害やけいれんをともなうこともあります。
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歯ぐきにある白い玉みたいなものはなに?
歯ぐきにある白い玉みたいなものは真珠腫といわれます。
異常ではなく、いつの間にか消えます。
ほっぺの内側に白いかすのようなものがついているのは鷲口瘡といわれます。
カンジダという糸状菌によるもので、幼い赤ちゃんには大なり小なりよく見られるものです。
おっぱいが飲めるかぎり放っておき、けっしてふきとろうとはしないでください。
もしおっぱいが飲みにくそうになったら、ピオクタニン(紫チンキ)を塗ればすぐになおるでしょう。
また、歯のはえかたは、個人差が大きいものです。
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子供の事故を防ぐには
幼い子をもつ親は、やれ机のかどに頭をぶつけないだろうか、やれへんなものを飲み込まないだろうかと、いつも気が気ではありません。
でも、幸いに大事にいたることはまれ。
ほとんどの子は転んだりぶつけたりをくり返しながら、すくすくと育っていきます。
ですから、多少のけがは目をつむってもかまわないと思います。
「あぶない、あぶない」と手を貸したり行動を制限ばかりしていると、ひとときといえども子どものそばから離れられませんし、
だいいち、子どもがしっかりと育つはずがありません。
自分で危険を察知し、反射的に回避する能力は、なん度か痛い目をしたりけがを経験しながら、からだが覚えてゆくものだからです。
かといって、まったく野放しにするわけにはゆかないのはもちろんのこと。
重い病気が減ってきた今では、一瞬のうちに命を奪いかねない事故は親によって最大の恐怖であることも確かです。
ですから、親は、「少々のけがはしかたないが、重大な事態はぜったい避けなければならない」というはざまで、苦心するほかないのでしょう。
ところが、重大な事故は、緊張感を欠き、安逸に流れたときに多く起きているようにみえます。
「はいはい」から歩けるようになった赤ちゃんに慣れ、要領めいたものをつかむと、
わが子が薬を口にし、高所から落ちるという可能性を、いつの間にか意識から遠ざけてしまいがちです。
いたずら盛りの赤ちゃんを「あ、やっているな」とほほえましく思いながら、それとなく注意を向けていれば大丈夫ですが、
親がなにかにかまけてこの存在を忘れると、ものをのどにつまらせたり、激しく転倒するといったことがおこってしまいます。
そこで、まずは、身のまわりから恐ろしい事故を招く状況をなくすことが、親としての最低限の義務になります。
熱湯は手の届かぬところに、ベランダには踏み台になるものを置けません。
わが子の性格と成長の過程から、あらかじめ起こしそうな事故を予測し、対策を講じておくことも、親に求められる責任でしょう。
また、三歳くらいまでは高いところから落ちるのと水におぼれるのが怖い。
ベランダには台になるものを置かない、ふろ場は水を張ったままにしないなどの注意は絶対必要です。
四歳前後からは交通事故が大敵。
この年ごろならかなり話も通じるので、まじめにルールを守らせるようにしたい。
同時に、おとなの責任として社会的に安全策をすすめる努力をすべきでしょう。
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予防接種の考えかた
親としての責任を果たす
子どもがいると、役所をはじめ、保育園や学校などから予防接種の通知がくることでしょう。
親としては、予防接種で防げる病気は防ぎたいが、かといって、
すべての予防接種が必要なのかどうか、
ほんとうにきくのか、
副作用はないのかなど、
いろいろな疑問や心配をもつにちがいありません。
こうした悩みはけっしておろそかにしないことです。
予防接種を受けるのはほかならぬわが子。
親としては、すべての予防接種についてよく考え、すこしでもわからないことや不安があれば、医者なり保健士なりに徹底的にたずね、納得いかないものは受けさせない、という断固とした態度をとることです。
それを、
「国がすることだから、まちがいないだろう」
とか
「医者がすすめるのだから、大丈夫だろう」
などと考えて、すべてを「おまかせ」にするのは、とても危険なことです。
なにしろ予防接種というのは、病原菌を人為的に弱め、体内に入れて免疫をつくらせるというのが原理、もともと不自然で、害がまったくないとはいいきれません。
それでも、元の病気がひどく怖いものなら、あえて受ける必要があるでしょうが、大したことのない病気なら、むしろ本物にかけて自然の確実な免疫をつけたいと思うのは、必ずしも素人考えとして笑われてよいわけはないでしょう。
そういった目で、いま行われている予防接種を検討しなおしてみる必要がありそうです。
専門家の説明がどうしてもわからないばあいは、なお納得できるまで問いただす勇気をもつこと。
自分でも多くの本にあたって調べ、親どうしで情報を交換することも大切です。
また、予防接種について、受ける立場から研究を進めている民間のグループも多くなっているので、そこに入れてもらうのもよい方法です。
そうしたひとたちといっしょに、厚生省や自治省がちゃんとした予防接種行政をするように働きかける運動をすることが、わが子に対するなによりの責任の果たしかただと思います。
予防接種を受けるときの注意点
実際に予防接種を受けるときには、けっして無理をしないことが大切です。
通知がきたからとか、いま逃すと面倒だとか、親の都合できょうやってもらうのがいいといった考えで、子どもの調子がよくないのに受けさせるのは、ひじょうに危険です。
なによりも元気できげんもよいときに。
体温については、何度から熱とはきめられないので、迷ったら、やはり元気ときげんのぐあいで判断してください。
ちょっとした鼻水やせきの場合も、その状態が何日もつづいていて悪化するようすはなく、元気ときげんが普通ならまあ大丈夫。
しかし、鼻水やせきが昨日きょうにはじまったというのなら、元気がよくても見合わせたほうが無難と思います。
また、熱がでたり、ぐったりするほどの病気にかかったあとは、一週間くらいは見合わせるのが常識です。
下痢は、軽くて元気がよくても、ポリオ(小児麻痺)生ワクチンだけは避けなければなりません。
下痢がなおってからも三日以上は延ばしたほうがよいでしょう。
そのほかのワクチンなら、元気さえよければ、ちょっとした軟便くらいは大丈夫かと思います。
どのワクチンについても、おたふくかぜ、水ぼうそうなどの伝染病にかかったあとは完全になおってから、とくにはしかは免疫の力をしばらく低下させるので、なおって一ヶ月以上たってから接種を受けるのが安全です。
病院や接種会場では、まず、子どもの状態やワクチンについての不安とか疑問があれば、遠慮せずに聞くこと。
「予診」というまえもっての診察で「接種は不可」とはねられたけれど、その理由が納得できないときには、勇気をもって食い下がってよいと思います。
ワクチンの種類とその知識
ツベルクリン反応とBCG(結核の予防ワクチン)
法律では、ツベルクリンは生まれてから四歳までのあいだに一回して、結果が陰性ならBCGをすることがすすめられています。
しかし、BCGは、肺結核に対する効果が世界的に疑問をもたれ始めているうえ、接種したあとのツベルクリン反応の陽転を結核と誤診される恐れがありますから、一律にはやらないほうがいいでしょう。
ツベルクリンをこまめにし、自然陽転したら結核の予防薬を飲ませるという方法をお勧めします。
ただ、乳幼児が感染すると結核性髄膜炎になるおそれがあり、それにはBCGが効くので、
接種する範囲に結核の病人が出た場合はすぐに、
また保育園に行く子は入園前に、
大人と接する機会の多い子も早く、ツベルクリン反応が陰性なのを確かめたうえでBCGを接種しておくべきです。
BCG接種の方法は上腕に二カ所スタンプを押すようになされます。
副作用は接種して一〜二ヶ月たったころ局所にいくつかの針跡が赤く現われることが多いですが、半年以内に消えます。
まれにはわきの下のリンパ節がはれることもあります。
きわめてまれには骨炎をおこしたり、生まれつきの免疫不全症があると敗血症などをおこすことがないではありません。
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健康診断の受け方
健康診断を受けようとする親は、わが子の発育がたしかめられるうれしさと、もしかしてわるいところがみつかりはしないかという不安の入り交じった、多少とも緊張した顔つきをしています。
まして、具体的に心配なことのある親は、それが医者から駄目押しされるのではないか、想像よりわるい事態といわれはしないかと、恐れおののいているようです。
こうした親の気持ちに、健康診断はどれほど応えられているのでしょうか。
よかったという声も聞くけれど、「異常」とか「異常の疑い」のレッテルをはられて、余計な心配をさせられたという怒りの声もよく聞くのです。
それはきっと、いまの健康診断が、親からの相談に来るというよりも、医者などの専門の立場から子どもを評価することに重点が置かれているためではないかと思います。
しかも、その評価のしかたがほとんど統一されていて、いわば○×式に優劣を決めてしまうようになっていることが多いのです。
だから、たいていの健康診断がまるで流れ作業、どの親も同じ質問を受け、どの子も同じ診察を受けるといったふう。
およそ親がこまごまとした話など持ちかけられるような雰囲気ではないわけです。
こうした点は、だんぜん改めてもらっていいことです。
せっかく赤ちゃんのためにするのですから、まず、その子と親の意に沿うように。
そして、お上による決まった形の「調べ」でなく、ひとりひとりの心配にこたえる、地についた「相談」であるように。
そのためには、聞きたいことがあったら、たとえ雰囲気が堅くても、遠慮なくたずねる勇気が必要です。
そうでないと、赤ちゃんは品質検査を受ける物品みたいになってしまいますし、だいいち、医者のチェック項目にない問題を落としてしまう危険があります。
万一、「異常」といわれたときは、たいへんなショックでしょうけれど、ここではぜひ落ちついてください。
いまは「異常」のレッテルを張りすぎるきらいがありますから、納得できなければ、十分に説明を求めたほうがよさそうです。
「精密検査」が必要だとしても、それをどこで受けるかは親の自由であって当然。
とにかく、一切を健康診断に取りしきってもらうのでなく、親も生活感覚からの判断力を鍛えて、楽しく赤ちゃんを育ててほしいと思うのです。
子供の健康診断の結果をどう判断するか
いわれたことがよくわからない
いわれたことがよくわからないとか、聞きもらしたことがあったら、そのままにしないでたずねるように。
その場で機会を逸したら、あとで電話するなり出かけていって、確かめること。
ときには医者や保健婦のちょっとしたことばのはしに猛烈な不安をもたされたり、心ないいいかたにショックを受けることがあるかもしれませんが、そんなときでもめげずに詳しい説明を求め、真意を問うべきだと思います。
発育がわるい
なにか「異常」を指摘されても、できるだけ冷静に。
それはかならずしも決定的ではないし、もともと健康診断はスクーリング(網にかける)の性格をもっているからです。
発育がわるいとか、ふとりすぎといわれても、ただ「標準」と比較してだけのことなら、にわかに心配する必要はありません。
発育のようすは、親をはじめ日常その子をみているひとたちの感じのほうが、意外によくあたっているものです。
もちろんそこには主観が入りますから、確かめたければ、カウプ指数など総合的な発育の評価法を試みてください。
育児のしかたがまちがっている
母乳の与えかた、ミルクの量、離乳のすすめかた、幼児の食事などについてまちがっているとしかられても、それでなんとか育っているのなら、まあいいとしていて大丈夫だと思います。
からだの異常
からだの異常についても、親の感じでたいしたことはないと判断されれば、あわてずに、しばらくようすをみるようにするほうがよさそうです。
発育のさかんな子どもは、そのうちに自然になおってしまうことが多いからです。
しかし、どうしても心配とか、重い異常を指摘されたときは、さらに詳しい検査を受けて確かめてください。
発達がおくれている
発達がおくれているという疑いをもたれると、ショックは大きいでしょうが、これほど、あとになって、なんともなかったとわかることの多いものはありません。
実は、専門的な発達の診断法は考えられているほど確実ではないし、大勢の子どもを短時間に流れ作業式に調べたのではなおさらよくわかりにくいのです。
そもそも発達というのは、子どもによってさまざまな姿をとるし、環境によってもすごく変わるもの。
簡単に表面からだけではとらえられないものでもあります。
ですから、むしろ家庭や地域で日常の子どもと接している自分たちのほうが発達のぐあいはよくつかめると考えていてよいと思います。
もちろん、素人には気づかないこともあるでしょうが、それほどならたいした異常ではないはずです。
また、たとえ大きな発達のおくれがあるとしても、それをただちにマイナスとばかりはきめつけられません。
いま流行の「発達」という概念には、
年齢にともなって一定のことができるようになるのを「正常」とする意味が強く含まれているようですが、
これはあまりにも人間を浅くとらえる考えです。
まず、人間を能力で評価しようとするところが、ひじょうに一面的です。
能力がすぐれていても人間的にどうかと思うひとがいるし、劣っていてもすばらしいひとはいくらでもいます。
しかも、その能力というのが、いまの時代、いまの社会の多数者のできることに基準がおかれている点が気になります。
そういう基準で評価されれば、別のできかたをする少数者は「異常」とされるほかなくなります。
そこからは、少数者の特性を生かす道はひらかれず、ひたすら多数者に近づく努力のみ要求されることになるでしょう。
これでは世の中の奥行きが深くなりそうにありません。
それに、なにかが「できるようになる」ことは、おうおうにして、別になにかが「できなくなる」ということをともないがちです。
たとえば、歩くのが上手になるにつれて、はいはいは下手になります。
はいながら見えていたものも見えにくくなるでしょう。
ことばが巧みになったために、空虚な発言ばかりふえて、真実みのある沈黙や仕草は消えてしまうかもしれません。
数や文字を覚えただけに、事物そのものとのていねいなつき合いをおろそかにしてしまうひともよくいます。
そういうわけで、発達のおくれを、イコール障害と思わないでください。
障害というのは、本人と社会のありようの関係でもたらされるものですから、そうした観点で対応するようにしてほしいと思います。
「要観察」「要精密検査」
健康診断の結果、「要観察」とか「要精密検査」とかいわれたときにも、
それがからだについてであろうと発達についてであろうと、以上のことを考えて、どうするかを判断してください。
かならずいわれたとおりにしなければならないことはないし、すくなくとも、どこで診てもらうかは親の自由です。
観察や検査が納得できないときには、別のところで診てもらうのはよいことですが、あまり性急に結論をえようと「はしご」を重ねるのはどうかと思います。
からだの異常については急ぐばあいもありますが、それならかえって早くどこかで治療を受けるべきだし、発達に関することなら、むしろゆっくりと経過を見るほうがよいからです。
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よく病気をする子こそ大胆に育てよう
しょっちゅう病気をするといっても、わりに軽く、まあなんとか育っていれば、気にしなくていいと思います。
病気によって、かかる年ごろというのもあって、
一、二歳までは鼻かぜ、「ぜろぜろ」するかぜ、下痢、中耳炎など、
二、三歳をすぎると扇桃炎、気管支炎のほか、水ぼうそう、おたふくかぜ、風疹といった「伝染病」も盛りになります。
こうして年齢に見合った病気を経過することは、かえってその後の健康にとっていい結果をもたらすもの。
それによって免疫ができるし、幼いなりに「やまい」とのつき合いも覚えられる。
つまり、子どもは病気をしながら育つという面をもつからです。
よく病気をする子が、かならずしも弱いとはかぎりません。
赤ちゃんを卒業したてのころは、上のきょうだいから病気をもらうことは避けられませんし、保育園や幼稚園に入ると、しばらくのあいだ、たてつづけに病気に見舞われることも多いでしょう。
いずれも、うつされる機会がふえたのがいちばんの原因で、それだけで「弱い」と思うのは早計です。
また、医者通いばかりしていると、なおさら弱くしてしまう恐れがあります。
自分で病気とたたかう力を削ぎますし、薬の害も軽視できません。
精神的にも医薬に頼るくせができるうえ、よけいな病気までもらう可能性が大きいからです。
そんなことをするよりも、もっと積極的、大胆に育てるほうがいいと思います。
なんともないときはもちろん、多少病気ぎみでも、元気さえあれば、外に出して好きな遊びをさせてもいいですし、おふろにいれてもいいのでは。
そのほうが心身ともに勢いがついて丈夫になることが多いみたい。
たとえ熱がでたりぐずっても、一日、二日とがんばらせると、自然になおったり、病気になる回数もへる傾向があるようです。
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医者にかかるタイミング
ほんとうに医者にかかる必要があるほどの病状なら、赤ちゃんはそのことを全身で訴えるでしょう。
眠れぬくらいぐずるとか、生気がなくなるとか、顔つきや仕草も苦しそうな、どこかふつうでないようすをみせるはず。
そんなときに高をくくったり、親の都合で医者にみせるのを延ばしたりするのはひじょうに危険です。
医者にかかるとき、つい忘れてしまうのが赤ちゃんの意向。
どうせなにもわからないからと思うのでしょうが、赤ちゃんはさほどつらくなく、いつもに近い調子なのに、親のほうが心配で放っておけず、医者にかけてしまうということがよくあります。
熱が出たとか、せきをするといったときに、そのことだけで病状を判断し、熱が「高い」とか、せきが「ひどい」とでも感じられれば、矢も楯もたまらなくなるわけ。
まして、知り合いの子が「肺炎」になったなどという話を聞いていればなおさらのこと。
こうして医者のところに連れて行かれる赤ちゃんは、自分の必要からではなく、
実は、親の心配を担い、それを解消するために身をつくすことになりかねないのです。
それでも、医者が赤ちゃんの気分と病気の性質をよく考えて、そうした配慮をしてくれればよいのですが、親の心配のほうに加担して、念のためといって、不要な薬までくれることがあります。
もし、そのときの熱やせきが、突発性発疹とか普通のかぜであったら、抗生物質は効きません。
効かない薬を与えるのは、からだに害を加えるだけです。
どんな場合でも、医者にかかったら、不審なことは遠慮なくたずねるべきです。
このごろは検査のしすぎと、そこからくる病名のつけすぎ、生活規制のゆきすぎが問題になっているので、わが子の身になって生活者の実感はどしどし出して、たがいに修正すべきはするようにしてください。
とにかく、病気を見立て治療するのは医者だけでなく、親にも責任が大きいことを肝に銘じてほしいのです。
医者にかかったとしても、予想に反しどんどん悪化するときには、時機を失わぬよう、他の医者に変わる決断までしてかまわないと思います。
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子どもの病気とどう付き合えばよいか?どう判断すればよいのか
元気と機嫌をみる
育児はたいへん手間のかかるものですが、それでも病気することさえなければ、どれほど楽になることか。
熱をだしたり下痢をしたりするたびに、親は動転してすぐにでも医者につれていこうとします。
でもいまは、急な病気で一晩で死んでしまうとか、二、三日ようすを見たために手おくれになるようなことは、まずないと考えていいでしょう。
子どもが急に病気になったとしても、あまりあせらず、じっくりと病状をみてほしいのです。
そのためには、年齢のいかんにかかわらず、子どものようすをよく見てください。
まず、元気があるかどうか。
赤ん坊ならおっぱいを飲まないとか、幼児ならグターッとしているとか、
そんな「これは」といったようすがなければ、まずたいしたことはありません。
また、多少元気がなくても、話しかけたりあやせば笑い、きげんがいい、というのであれば心配はいりません。
次には、きげんのぐあい。
やけにグズったり、メソメソしたり、やたら怒りっぽいとか、赤ん坊ならいつまでたっても泣きやまない − そういうときは、医者に診せたほうがいいでしょう。
でも、本当に急を要する事態のときは、真っ青になってもうろうとしたり、意識がないとか、引きつけているとか、とにかく尋常でないようすが現れますから、たとえシロウトでも、はっきりわかるものです。
子どもは全身で反応しますから、そういう極端な状態でなければ、多少熱や咳がひどくても、元気やきげんがよい、またはまあまあなら、
半日や一日ぐらい、医者に行かずにようすをみても大丈夫でしょう。
第三に、経過をみること。
半日から一日見ていれば、急を要する病気なら、みるみる元気がなくなったり、きげんがわるくなって、これはという状態が出てくるからです。
ほかに、その子の病気の癖を考えることも大切。
ちょっとしたことで高熱を出したり、ひきつけを起こす子は、少し早めに手当を加えたほうがいいでしょう。
逆に、医者が大丈夫だといっても、親から見てこれはという感じのときは、思いきって医者を変える勇気と決断が必要です。
自分の感覚とか判断を大事にしなければなりません。
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子供が成長するってどういうこと?
子どもが「成長する」とはどういうことでしょうか。
年齢で考えると、お誕生日がきた、三歳になった、学校にあがるなどといったときには感慨があるでしょう。
また、わが子をながめて、からだが大きくなった、しっかりしてきたなど、その姿に成長を感じることもあります。
ところが、このごく自然なことが、いやにむつかしく、かまえた格好で受けとられる傾向があるように思われるのです。
「なん歳児」というふうなとらえかたがそのひとつ。
保育所や幼稚園、役所の「健康診断」や「保健指導」では、子どもを「三歳児」とか「一歳半児」、「九ヶ月児」「新生児」といったぐあいに分類しています。
でも、こういう成長のとらえかたは教師や保母や医者や保健士のものであって、けっして親のこころになじむものではありません。
親にとってわが子の成長は、やっぱり感覚的であり、生活のなかにこそあるのです。
親にとって子どもの成長とは、制度によって区切られるものでなく、なしくずしに連続していて、親と子の相互の情緒的な関係によって認識されるものなのです。
ですから、たとえ、なにかの障害があって、なかなか歩けなかったり、しゃべれなかったりして、レベルを低くみられても、親には親の成長への実感があるのです。
その子をいくつとみるかは、もう生活の年輪のようなもので、からだの大きさや能力のレベルではないはずです。
とすれば、成長を数量的にとらえようとする傾向もあまりいいこととは思われません。
体重や身長で成長を「科学的」に測り、なんキログラム増えたとか、なんセンチメートル伸びたというのを成長のあかしとすることはどうかと思うのです。
健康診断などで体重計をのぞきこむお母さんの目はとても真剣で、そこには「大きくなってほしい」という悲願がみえかくれしています。
そういう思いが育児に大切なことはたしかですが、体重の増えかたが多いの少ないのといっても、大半は正常の範囲内、個人差にすぎません。
まあ、親の楽しみのひとつとすればいいのでしょうが、数量にひきずられて、それが「科学」だと錯覚したときにはたいへんです。
どうみても元気でそれなりに育っているのに、ただ体重の増えかたが平均より少ないというだけで、食事の強制が行われたり、欲しくもないのに無理に食べさせられる子どもは、どんなに辛いことでしょう。
「成長する」ということを、制度とか科学の手から、人間どうしの感じ合いの世界に引きもどしてほしいと思うわけです。
カテゴリー:子供の健康と病気
子供の食事については、多少の飢えが大事
異なった世代がともに暮らす家庭では、食事はしばしば紛争のたねになるようです。
考えてみれば、おとなと子ども、年寄りと若い人では好みから食べる量、空腹を覚える時間、たしなみかたまで大きくちがうので、トラブルがおきないほうが不思議です。
そうだとすれば、食事にはある程度の目こぼしと、たがいにゆずり合う寛容があるのがよさそうです。
さもないと、紛争が高じるか、だれかが涙をのんで、結局は不快を招くことになりかねません。
子どもが少ししか食べないとか、「偏食」がひどいと気になるでしょうが、これもあくまで親の側からの感じ。
勝手なあせりかもしれないという一歩退いた見かたをしてみたらどうでしょぅ。
そうすると、これがその子にとっての食事なのかと思えてくるのではないでしょうか。
じっさい、そういうタイプの子はたくさんいますし、それでけっこうやっていけるのです。
それは、栄養はすべての栄養素をいつもまんべんなく取らなければならないものではないからでしょう。
こんな子をやいのやいのと攻めたてるのは酷なことです。
子どもにしてみれば、欲しくもないのに食べさせられるのはつらいし、かえって、いやになってしまいそう。
あとで欲しくなったとしても、意地が許さなかったり、ぐずって親にさからってみたくなるかもしれません。
必要なのは、与えるより、むしろ飢えさせることかと思います。
めいっぱい遊べばおなかも減るでしょう。
そのうえ、いっしょに献立を考えたり、買い物や調理を手伝ってもらったりすれば、もっと食欲はわくでしょう。
食卓では多少散らかしたり、もたもたしていても、あまりうるさくいわないこと。
「正しい」マナーにこだわって、楽しさをなくしてはつまりません。
大食で太りすぎが心配な子も、飢えが大切。
食べることを忘れてとことん遊んだあげくの食欲なら、肥満にはならないはずです。
ただし、いまの日本では、添加物の多い食品には自制心を持たせなければと思います。
飲みが減る
あるころから、母乳やミルクの飲みかたが急に減りだすことがあります。
いままでたっぷり飲んでいたのが、勢いがなくなり、見向きもしなくなったりすると、親は大慌て。
病気は別として、飲みが減ったのは、たいてい、赤ちゃんの成長のしかたに変化がおきているのです。
これまでぐんぐんふとって、体重もひと並み以上といった子の場合は、ここで小休止。
このままのペースで飲みつづけると巨人になってしまうので、いわば「自動調節」を働かせているわけ。
こういうのに「親心」を押しつけて無理強いすると、本当の「乳ざらい」になってしまう恐れがあります。
離乳食がすすむころになると、母乳やミルクよりも、ほかの食品の昧のほうがよくなって、飲むのをきらう子もでてきます。
たくさん食べるようなら、思いきって離乳をすすめたらいいでしょう。
食べる量が少なく不安があったら、牛乳を与えてみるのも一法。
砂糖は加えないで、初めは三分の二の濃さから、一、二ヶ月もしたら薄めずに。
バニラのエッセンスなどを落とすとよく飲むかもしれません。
晴乳瓶を嫌うときは、スプーンやコップなどで。
調理に牛乳をふんだんに使うのもよいことです。
六、七ヶ月を過ぎた赤ちゃんは、「遊び」がさかんになってきます。
おっぱいを飲みながら、周囲のことに気を取られるし、飲むよりもいたずらのほうに興味を示すかもしれません。
それはそれで、うれしい成長をものがたるものです。
テレビなど、授乳時にあまり気を散らす刺激は避けるとしても、栄養より行動の広がりを喜んでやってください。
気分が快いように環境を整えてやることも必要です。
ベッドに寝かせていることが多ければ、なるべく出して動き回ったり、遊んでやる時間をつくってやってください。
旅行とか来客で習慣を乱されたときは、日常を取り戻すために、二、三日はぐっと落ちついた生活を。
食欲は状況に応じて動揺するのを防げませんが、早く回復しないと体調をくずす恐れがあります。
むし暑い巨ハ�kつく妄∵こ、ミルクを冷たくしたり、牛乳にかえたり、むぎ茶、ヨーグルトなどで消耗を防ぐ工夫をしてください。
食べない
お誕生を過ぎるころから、急に食べなくなることがあります。
親というものは、子には食べさせたがる性がありますから、これはたいへん気にかかる出来事です。
たいていの親は懸命に格闘を始めます。
でも、なかなかうまくいきません。
いろいろと工夫し、やいのやいのと脅したりすかしたり、結局はため息をつきながら日がたって、いつの間にか、この戦争もうやむやにすんでしまうのが落ちのようです。
そのあげく、栄養とか発育に重大な支障をきたすこともまずありません。
多少やせ気味でも、元気に育っていくのが不思議なくらい。
どうやら、赤ちゃんは、そんなふうにできているのです。
からだのことでは、もうこのころには目覚ましい発育の時期は終えて、皮下脂肪も減り、すらりとした体形に転換しだすので、前よりも栄養はいらなくなります。
けれど、赤ちゃんを見ていると、それよりも、食べること以外のことに気が向いてしまうのが大きな理由のように思われます。
親が食べさせようとするのを、そらしたり拒んだりして、試し、遊び、自己主張もやっているらしい。
これは赤ちゃんの発展であり、親を相対化していく試みなのでしょう。
そうとすれば、無理やり食べさせにかかるのは、生理的にも心理的にもふさわしくない。
いままでの「発育第一」ではなく、食事を楽しみ、子どもなりのしかたで家庭生活に位置づけるよう切り替えるのがよさそうです。
まず、本人の食べる気を待つこと。
遊びに夢中になっているのを、中途でテーブルに着かせるなどは下手なやりかた。
食卓が整う気配に関心を向けたときさっと連れてくるとか、親だけ先に食べ始めて寄ってくるのを誘ったりしたらどうでしょう。
食品は、本人の好むものを食べるだけ与えること。
きらいなものを強制するのは、食欲を閉ざすだけです。
せめてたわむれみたいにして少しずつ口に入れるくらいに。
偏食と「むら食い」は、この時期の赤ちゃんでは普通です。
むしろ、そのほうが心身の現実に忠実なのかもしれません。
いつも万全な「栄養」をとらせるという考えは、そもそも人間の自然と主体的意志に反するものです。
しかし、単なる放任ではなく、その場の食品の中から選択することになるのですから、食卓は豊かにして、生活のけじめはつけるように。
いまは家庭とか幼稚園とかの努力だけで子どもをちゃんと育てることができなくなった時代です。
いくら親や先生が一生懸命に育てようとしても、人間の生きる基盤である環境そのものがものすごく汚染されているからです。
ですから、現代の子育ては、なによりも環境をよくすることからはじめなければならないと思います。
まず、身近なところで、空気、食物、衣服、住居、交通の安全を求める必要があるでしょう。
ですが、これらは個人の努力だけではどうしても限界を感じるにちがいありません。
たとえば、食物は、目を皿のようにして有害な添加物の有無を調べようとしても、表示がよくわからないし、その表示さえないものも少なくはないのが実情です。
とすれば、なによりも行政レベルでしっかりした対策をとってもらうことが先決。
そのためには消費者運動が不可欠になってくるでしょう。
まして、その食物に放射能が入っているかいないか、どれだけ入っているかといった心配になれば、これは明らかに個人の判断の城を越えています。
とりあえず消費者運動として取り組まなければなりませんが、それだけでは不十分。
国に対策を迫る必要も大きいですが、それでも足りない。
核兵器や原子力発電の危険などは国際的に対策を講じてもらわなければならないことでしょう。
さらに大規模な自然破壊になると、もう地球規模の問題。
人類として阻止するはかないはずです。
そうした思慮と行動を欠いた子育ては、砂上の楼閣。
本気になって子どものこととおとなたち自身のことを考えるのなら、家庭とか学校とか狭い場所からでて、社会的にアクションをおこさなければと思うのです。
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赤ちゃんの発育度をきちんと知る為に
親として赤ちゃんの発育が気になるのは自然の情。
よその子にくらべて小さいとか背が小さいといったばあいには、だれもが心配でたまらないようです。
まして医者や保健士さんなどにきめつけられでもしたら、いても立ってもいられないでしょう。
でも、赤ちゃんの発育はひとりひとりがひじょうに異なるもの。
発育のパターンだってさまざまで、どの子もいちょうに大きくなっていくわけではありません。
だからこそ「わが子」の感じがでるのだし、その体をいとおしめるのではないでしょうか。
ですから、よその子とくらべて発育のよしあしで一喜一憂するのは意味がないこと。
「標準」といわれる数値もありますが、標準とは平均値、つまりそれより大きい子も小さい子もいるということです。
赤ちゃんの発育を知るには、からだ全体の印象と元気、きげんのよさをみることです。
大きいなら大きいなりに、小さいなら小さいなりにまとまりをみせ、いきいきとした感じさえあれば、まず発育は順調と考えていいでしょう。
もし数字が知りたいなら、体重と身長それぞれでなく、総合的に判断できる「カウプ指数」を計算してみてください。
カウプ指数

15~19・・普通
13~15・・やせ型
19~22・・やせすぎ
やせすぎ
(発育がわるい状態だけれど、その後しだいに数値が上向いてくれば安心)
ふとりすぎ
(発育がよすぎる状態だけれど、その後しだいに数値が下向いてくれば安心)
すくなくても、あわててミルクや離乳食の量を増やしたり、制限したりといった無理をしないほうがよさそう。
いくら強行しようとしても、赤ちゃんは計算どおりに飲み、食べてくれるものではありません。
赤ちゃんのきげんをそこね、親はいらだつのが関の山でしょう。
もちろん先天性の異常が発見されたり、生気に欠け、発育が極端におかしいときには、医者に相談しつつ慎重に育てなければなりません。
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