お母さん、子どもを信頼していますか?
他人を好きになる、信頼するということは専門用語では「基本的な他者への信頼」と言います。
この信頼がいまの子ども達に欠けているのはすでに述べた通りです。
他人を信頼することを学ぶためには、まず他人から信頼されるという経験がどうしても必要になります。
誰からも信頼されたことのない人がどうして他人を信頼することができるでしょうか?
これが、子どもに信頼を教えるために、お母さんが、最初に子どもを信頼しなければならない理由です。
お母さん達は、「子どもを信頼している」と言います。
しかし、よく聞いてみると、それは信頼でなく信用と言った方がよいものです。
「五時までに帰ってきて勉強するのよ。あなたを信頼しているからね」
と子どもに言います。
ところが子どもは遊びに夢中になって五時になっても帰ってきません。
遅く帰ってきた子どもに
「あなたを信頼して五時まで遊んでいいって言ったのよ。お母さんの信頼を裏切ってもう絶対あなたなんか信頼しないから」
と言います。
これでは子どもは信頼を学ぶことはできません。
このお母さんは、子どもを信用したのです。
子どもはお母さんの信用を裏切ったのです。
お母さんから怒られることで、子どもは信用を裏切ったことをチャラにします。
すなわち約束を破っても怒られればそれでご破算だという考えを学びます。
本来信用というものは担保をとることによって成立します。
裏切られるという前提で、ものを考えているのです。
裏切られたときに、担保を取れば自分は損をしないという考えです。
ですから担保を差し出したことによって、その信用を裏切った行為はご破算になります。
そして担保を払ったんだから文句はあるかということになります。
だまされることを覚悟の上で子どもを信頼する
私が示したいのは、この信用ではありません。信頼です。
では信頼とは何でしょうか。
先ほどの担保の比喩で言えば、これは白紙委任の小切手を無条件で相手に渡すことです。
だまされることを覚悟の上で相手を信頼するのです。
親は何度も何度も子どもにだまされる必要があると思います。
先はどの子どもが約束を破り遅く帰ってきたときに、子どもはどうせ怒られればいいと考えて帰ってくるかも知れません。
このとき
「お帰りなさい。ご飯できてるわよ。すぐに食べる?」
とやさしく迎えたら、子どもはどう考えるでしょうか。
初めは怒られないで儲けたと思うかも知れません。
しかし約束破って悪かったという気持ちもどこかにあるはずです。
お母さんの信頼を裏切って申し訳ないという気持ちが続きます。
お母さんがこのように子どもを信頼し続けると、子どもの方でも気楽に裏切ることができなくなります。
そして相手の信頼にはこたえなければいけないということを学ぶのです。
よく
「子どもの言いなりになっていたら、とんでもない子になってしまう。厳しくしつけをしなければいけない」
という意見を聞きます。
そして、
「子どものためを思い、親がいろいろ心配して、厳しくやっているのだ」
という意見もあります。
たとえば、忘れ物を子どもがしないように毎朝
「ハンカチ持った? 教科書揃えたの? ほらほら帽子が曲がっているじゃない。もう八時よ。家を出ないと学校遅刻するわよ」
などと、子どもに注意を与えているお母さんがいます。
どうしてそんなに注意を与えるのか聞いてみると、
「注意しないと自分では何もできないからです」
という返事が返ってきます。
これは私に言わせると
お母さんがいろいろ覚えてくれていて、注意をしてくれるので、自分では忘れ物をしないように覚える必要がないということを、子どもに教えているように見えます。
本当に必要なことは、親に言われてできるということではないはずです。
少しぐらい失敗があっても、自分の力で解決していけた方がはるかに子どもにとっても自信になり、すてきなことです。
もし、お母さんのなかに、子どものためにという考えで、行動するものがあるとしたら、そういう行動はすべて過保護の甘やかしの行動だと考えます。
それは子どもが自分で解決すべき課題に直面することを、避けさせてしまう行動だからです。
子どもを信頼できるようになると、この行動は減ります。
失敗してもそのなかから何かを学んで立ち直ってくるということを信じることができるからです。
「自分も役に立っている」という実感が子どもを支える
さて最後にアドラー心理学がお母さん・お父さんに提案したいことは、子ども達の心に
「自分は世のなかに役立っている。世のなかもまた自分に役立っている」
という感覚を育てることです。
私達は一人では生きていけない存在です。
どんなに力がある人でも、その人一人ではできることはたかが知れています。
仲間と協力して、力を合わせて行動するときに、すばらしい力を発揮するのです。
「自分もその成果の達成に役立っている」という実感を持つことは、とても大切なことです。
別な言い方をすると、この世のなかに自分の居場所を見つけることができたということです。
人間を深く傷つけるのはこの居場所を見つけることができなかったときです。
「自分は世のなかに、学校に、クラスに、家庭にどこでも用無しの役に立たない人間だ」と感じることは、ひどく自分を傷つけます。
いま学校で陰湿ないじめが流行しています。
いじめの一つにシカトがあります。
クラスの全員が一人の子を完全に無視するのです。
無視された子は、クラスから締め出され、自分のクラスでの居場所を失います。
クラスに貢献する機会を奪われ、クラスに何も期待が持てなくなった子どもは心を激しく傷つけます。
さて、このような子どもの心に、学校や家庭での居場所を見つけてやるにはどうしたらいいでしょうか?
家庭生活を健全に維持するには、役割に違いはあるけれども、
親だけではなく子ども達にも全員に役割があるということを教えるのです。
役割とは、ある場合には家事の手伝いかも知れません。
しかしこれは親から強制されてするものではありません。子どもの自発的な参加、協力です。
または、親からのお願いを、子どもが納得して行う場合もあるでしょう。
このときも親はこの手伝いを当然だと考えてはいけません。
子どもの行動に、当然やあたり前はありません。
「ありがとう」と役立ったことへの感謝の気持ちを伝えましょう。
こうして親から感謝される体験を通して、子どもは
「自分も家族に役立っている、自分も家族のなかに居場所がある」
ということを学びます。
考えてみれば、人間の成長は家族に居場所を見つけ、学校に居場所を見つけ、さらには社会に居場所を見つけていくことにあります。
子ども達が学ぶ最初の居場所が家族であり、学校であるのです。
親や学校の先生がもし子どもに失望し、家族やクラスの厄介者と感じることがあると、子どもはひどく傷つきます。
自分の居場所を見失います。
子どもはこの時混乱した不安定な精神状態になります。
そして立ち直ることが困難になります。
どんな子どもでも、子どもの可能性のなかには、常に良いものがあります。
我々はどんなときにも、子どもの可能性を信じている必要があります。
自分が他人から役立つ人間だと評価されて初めて、人は自分の可能性を信じることができるのです。
お気に入りのブックマーク・RSSに登録 »
関連記事
サイトマップカテゴリー:思春期の子育て・教育
トラックバック(0)
http://yg-away.biz/mt/mt-tb.cgi/473

