子ども達の勉強の悩み
大人になり、社会に参加し、何らかの仕事を引き受けるためには、勉強をマスターしなければならないという課題が、子ども達を待っています。
現代社会が複雑になるに伴い、子ども達が求められる課題はますます複雑になってきています。
義務教育課程である中学生の数学をすらすら教えられる親の数は少ないだろうと思います。
文部省も子ども達にゆとりを持たせるために、現在のカリキュラムの三割近くをカットし、体験を重視した総合教育にしようとしています。
そのくらい難しい内容の勉強をいまの子ども達は求められています。
また受験をめぐる偏差値が子どもの評価にとっての大きな物差しになっています。
偏差値が高い子が頭のいい子だとなってしまうのです。
頭のいい子というのは、知識の豊かな子どもというわけでもありません。
子ども達の間に、マニュアル人間が増えています。
子どもはマニュアルがあるときは、上手にものごとを処理します。
しかしマニュアルでは処理仕切れないような状況に直面すると、どう対処していいか迷ってしまいます。
本来の賢い子どもは、いざというときに上手に新しい発想を持ち込むことができる子どもです。
知恵のある子どもだと言えましょう。
しかしながらいまの教育のなかでは、すなわち偏差値が最終的なところでものを言う教育のなかでは、なかなか賢い子どもを育てることができないのです。
勉強の挫折が不登校の原因に
不登校という現象が子どもやその親を苦しめています。
この不登校の子どもと話していると、彼らがとても自分の成績に悩んでいるのがわかります。
また不登校のきっかけに、勉強の挫折ということがよくあります。
いまの子ども達が、いかに勉強に、言いかえれば自分の成績にこだわりを持っているかがわかります。
交友の課題とも関係するのですが、子ども同士は真の仲間になれない構造に組み込まれているのです。
友人は競争相手であり、常に比較されるライバルでしかないのです。
成績のみに自分の価値を置いている子どもがよくいます。
しかし成績で常に優位に立ち続けるということは難しいことです。
挫折をどこかで経験することになります。
勉強のみに自己評価の根拠を置いている子どもは、成績が思わしくなかっただけなのに、自分の全てがダメになったと錯覚してしまうのです。
この挫折は成績にかわりうるものを持っていない子どもにとっては、深いものになっていきます。
かつての成績の良かった自分、満足していたそのときの自分をいつまでも美化し、現実の自分を嫌っていくのです。
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