反抗と自己主張について
思春期は、この時期の特徴から、一般的に第二次反抗期と呼ばれていることはよく知られていることです。
しかし、思春期が親子関係にとかく乳轢を生じやすい時期であることを認めても、反抗期などというものはないという人もいます。
わたしは、ここで反抗期といういい方が妥当かどうかを論ずるつもりはありません。
ただ、わたしもこの時期の子どもの問題を、反抗期といういい方でかたづけてしまう親の対応の仕方には、危惧を感じます。
子どもというのは、親の胸を借りて自己をきたえ、息子は父をのりこえて一人前の男になること、娘は母をのりこえて一人前の女になることが思春期の課題です。
そのために、子どもは親にたいしてある種の闘争をいどみます。
理屈を並べて親をへこませようとしたり、親のいうことやすることの矛盾を鋭く突いたりします。
親の干渉をきらい、口をきかないとか、親のいうことを無視するという、物理的抵抗を示したりもします。
このような子どもの言動は、独立要求からくる自己主張の現れです。
親心としてやっかいなことには違いありませんが、客観的にはむしろ健全な発達の姿なのです。
それを、「反抗」として「親に口答えするな」と一喝するやり方で抑えつけてしまったら、子どもは自立のための自己主張を封じ込められてしまいます。
このような一喝主義が子どもの自我を抑圧して、自己表現のない萎縮した性格の子にしてしまうか、
あるいはそのはけ口を母親に向けて、それこそはげしい反抗を示すことになるのです。
また、「反抗期なんだから、適当にあしらっていればいい」という態度や、「掛れものにさわる」ようなあつかいも、子どもの正常な発達を妨げます。
いずれも子どもの自己主張を正面から受け止めて、親が胸を貸すという態度ではありません。
子どもの気持ちとしては、親に一人前の人間として扱ってもらえないという不満が残るだけでなく、子どもの身勝手な言動をも放任することになりかねません。
親の態度として大切なことは、情緒的にも不安定なこの年代の子どもの特徴をよく知ったうえで、子どもの言動に過敏に反応するのではなく、ゆとりをもって受け止めることです。
親のヒステリックな対応が、子どもの自己主張を反抗的なものにしてまう、というケースが多いのではないでしょうか。
親も自分の間違いを指摘されたときは、率直に認めるいさざよさをもつと同時に、子どもの身勝手ないい分や、親への無理解からくる主張には、きびしくやり返すことがあってもいいのです。
そうすることによって、子どもは自分主義という幼児性を克服していくのです。
結果として親子げんかになったとしても、そのことで親子関係をそこなうなどと恐れることはありませ人。
こどもが「死んでやれ」などという感情をいだくのは、こどもの主張に耳を傾けようとしない親の態度や、納得のいかない叱られ方をしたときなのです。
親への反抗は思春期の子どもの健全な姿
親への反発、抵抗、批判などといった反抗期的現象は、親にとってはたいへんやっかいなことですが、多かれ少なかれどの子どもにも見られる、自我の目覚めた思春期の子どもの健全な自己主張です。
しかし、対処の仕方を誤ると、子どもが思わぬ迷路に迷い込む危険性もあるのです。
中学三年生の明男(仮名)が、一学期のはじめにおこなわれた学校での三者面談の席で、いきなり「高校へは進学したくない」といい出しました。
驚いたのは先生と母親です。
教科によってむらはあるものの、けっして悪い成績ではありません。
英語が苦手で、通信簿の成績は「2」ですが、得意とする体育と社会は「5」 ですから、担任の先生も母親も、高校には進学するものと頭から決めてかかっていたのです。
驚いて問い詰める母親に、明男は学校で人間の価値が決まるわけではないと反発しました。
担任の先生も「英語さえがんばれば」と励ましましたが、明男の気持ちは変わりません。
学校から帰って母親は、さっそく父親に話し、二人がかりで息子の説得にかかりました。
「なぜ高校に行きたくないのか」と問い詰めても、
「やれ偏差値だ、やれ内申書だといわれてビクついているようないまの学校の雰囲気がいやだから」
というだけです。
明男の気持ちは、高校に行きたくないというのではなく、どうやら今日の受験体制と、それにふりまわされている中学校教育のあり方にたいする強い反発からきているようなのです。
しかし、両親は「勉強するのがいやだから、そんな理屈をいって」ぐらいにしか受け止めなかったのです。
そして、いまの社会では高校ぐらい出ていなければ困ること、男の子だからできれば大学にも行ってほしいと思っていることを、くどくどと話しました。
だが、そういえばいうほど、明男は
「そういう社会が間違っている。ぼくが間違った社会に合わせる必要はない」
と主張して譲りません。
結局、結論が出ないまま、「よく考えておきなさい」ということで打ち切りました。
それ以来、明男は、親とあまり口をきかなくなり、なにかと反抗的になりました。
肝心の勉強の方も、親の心配をしり目に、陸上部の練習にあけくれて、家ではまったくといっていいほどやりません。
成績は下がる一方です。
業を煮やした父親は、
「受験勉強のつらさから逃げているのなら、親として許さない。
自分の人生を真剣に考えたうえで進学しないというのなら、将来の目標をはっきりと決めなさい」
と、きびしく迫りました。
それにたいして明男は、将来は警察官になりたい、そのために高校卒業の資格が必要なので、定時制高校にいくつもりであると答えました。
かたわらで聞いていた母親は、
「同じ高校でも、定時制では社会に出たときたいへん不利だ」
といって、なんとか息子の気持ちを変えさせようとしました。
しかし、明男は
「そんな社会がおかしいんだ」
の一点張りで、ますます定時制高校進学の意志を固めます。
納得しなければテコでも動かない息子の性格は、両親がいちばんよく知っています。
とうとう父親は、勉強からの逃げでない証拠としてふだんの勉強をしっかりやる約束で、定時制進学を認めることを約束しました。
以来明男は、人が変わったように勉強しだしました。
持ちまえの明るさを取り戻し、親への反抗的な態度もすっかり影をひそめました。
おとなの生活や社会のなかにある不正や矛盾に鋭い批判の目を向け、おとなのつくった常識に反発するのが、この年ごろの子どもが本来もつ特徴です。
変におとなの��常識″の枠にはまったこざかしい子どもが多くなっている今日、明男のような若者らしい純粋さはとても貴重です。
親も教師も、真っすぐな目で社会や学校の矛盾をとらえている明男の気持ちに、どれだけ共感を示せるかどうかが、彼のかたくなな気持ちを解きほぐすカギです。
反抗期だから、子どもはむやみに反抗するのではありません。
反抗と見える子どもの言動の裏側にある自己主張、親への訴えを、しっかり読み取れる親でありたいと思います。
受験体制と偏差値教育に反発して、高校に行かないといい出した明男の成績が、英語だけがとくに低い、と書きました。
人間ですから得手・不得手があって当然ですから、そのこと自体はそれほど心配することではありません。
しかし、他の教科に比べていちだんと劣る教科がある場合、その原因はなにか、親として知っておく必要があります。
やればできるのに、成績が極端に悪いという場合、その教科の先生をきらって勉強しなくなった、という場合がしばしばあります。
明男の場合も、一年のときに、英語を教えた担任の先生とのトラブルに原因がありました。
三十歳を少し出た女の先生です。
一学期の半ば過ぎ、担任の先生から明男の母親に電話がありました。
登校拒否ぎみのクラスの女の子の母親から、その原因が明男にいじめられるためだという抗議が、学校にきたというのです。
明男は、小さなころから活発な子でしたが、よその子をいじめたという話は、一度も聞いたことがありません。
「まさか」とは思いましたが、担任の先生のとがめるような口調に母親は、さっそく先方の家を訪ねて謝罪しました。
そこでも、あれこれいわれましたが、
学校から帰った明男に問いただしても、まったく心当たりがないといいます。
強情だが嘘をついたことのない子です。
母親はさっそく先生に連絡して、よく調べてくれるように頼みました。
その結果、そういう事実はまったくないことがはっきりしました。
女生徒は、口を開けば「勉強」としかいわない母親に反発しての登校拒否でしたが、母親に責められて、口から出まかせをいっていたのです。
しかし、担任の先生は
「ひどいお母さんです。わたしもすっかりだまされました」
といったきりで、一言の謝罪もしません。
「担任としてなんの調べもせず、むこうの母親のいい分をそのまま伝えてくるなんて」
そういって、明男の母親は憤慨しました。
しかし、腹の虫がおさまらないのは、ぬれぎぬを着せられた明男です。
「先生は、どうしてぼくに話してくれなかったのか。それに、間違いだとわかったら、先生だって謝るべきだ」
そういって、よく確かめもしないで先方に謝罪にいった母親にも、くってかかりました。
以来、明男はその担任の先生を信頼しなくなりました。
それでも、まだ学級のリーダーとしてやる気充分だった明男は、なにかと学級の問題について積極的な発言をしました。
しかし、先生の意見とくい違うことが多く、それを先生にたいする「反抗」と受けとられてしまいました。
明男は、そんな先生を徹底してきらうようになり、その先生の教える英語の勉強をまったくしなくなってしまったのです。
かたちとしてはあきらかに「反抗」です。
子どもの自立に胸を貸す心がまえで
親や教師は、このような反抗と見える子どもの言動の裏側にある自己主張を、しっかりと読み取る必要があります。
そして、子どもの主張に対しては、納得のいくかたちで答えてやることが大切です。
明男の場合、親として先生との問題に、もっと真剣に相談にのってやるべきだったのです。
そして、場合によっては、親から子どもの気持ちを先生に話して、先生にも態度を改めてもらうようにはたらきかけをしてもよかったと思います。
子どもの主張には、ひとりよがりや偏見も多くあります。
しかし、それにたいしても、頭ごなしに否定してしまうのでなく、粘り強く話してわからせていくという態度が大切です。
ときには、親子でいい合いになることもあるでしょう。
最後まで意見の一致を見ないこともあるでしょう。
それでも、子どもと正面きって意見をいい合うということが、大切なのです。
親が子どもの自立に胸を貸すというのは、そういうことなのです。
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