落ちこぼれを生む能力主義の教育と受験制度
中学生が非行の「主役」であることのいま一つの要因は、学歴社会と今日の受験制度、
ならびに「できる子」と「できない子」を差別し、選別するための能力主義の教育です。
中学校は義務教育最後の段階で、中学生は自分で自分の進路を決定し、自分で道を切り開かなければなりません。
これは、子どもが体験する自立のためのはじめての試練だといっていいでしょう。
この自立のための試練は、子どもがおとなになる過程でだれもがくぐり抜けなければならない関門です。
しかし、学歴によって社会的な階層がある程度決定づけられてしまうような社会構造と、テストの点数や偏差値によって進路がふり分けられ、
そしてそれが、差別的な階層にふり分けられることにつながるような受験制度のもとでの苦悩が、はたして子どもの自立のために必要な試練であるかどうか、議論の余地はないでしょう。
このような進路や受験にたいする不安が、思春期にある中学生の不安と動揺をいっそう大きくしているのです。
そして、教師やまわりの友だちから「落ちこぼれ」のレッテルを貼られたような生徒が、自分の将来に絶望して荒れたり、ひらき直ってつっぱったりするのです。
校内暴力をはじめとして非行に走る子どもの大半は、授業についていけなくなった、いわゆる落ちこぼれです。
このような授業についていけなくなった子どもを大量につくり出したものは、
経済の高度成長政策を裏側から支えてきた「人づくり政策」による能力主義の教育と受験体制です。
そして、新しく示された臨教審路線の学習指導要領は、小学校の低学年から履修する漢字の数を増やしたり、小学二年で40×3などの二位数の乗法を加えるなど、
はやい時期から落ちこぼれをつくり、中学では「個に応じた指導方法」だとして能力別のクラス編成(「習熟の程度に応じた指導」)を導入するなど、はやくから「できる子」と「できない子」をふるい分けするような内容になっています。
このようにやむなく非行に走るような状況をつくり出す一方で、校則や体罰などで管理を強めているのが今日の学校です。
もちろん、それは教育全体にたいする管理体制の問題であって、そのような状況下にあっても、どの子にも行き届いた教育をと願いながら、また子どもをのびのびと育てたいと願いながら、頑張っている教師たちのいることも忘れてはならないでしょう。
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