中学生と勉強
中学生の子どもがいる親と、子どもたち自身の最大の悩みや関心事は、なんといっても、勉強とその成績でしょう。
学歴偏重社会でのきびしい受験体制を反映して、学習の目的が受験のためにかたよっているというきらいがありますが、
健全な心身の発育とともに、頭脳の働きが柔軟で知的能力の発達が著しいこの時期に、基礎的な学力を身につけるための学習は、やはり大切です。
小学生や中学生の子どもにたいし、親がいちばんよく口にするのは、
「勉強しなさい」「宿題はないの?」ということばです。
しかし、口を開けば「勉強、勉強」では、子どもはかえって反発して勉強しなくなったり、机に向かってはいても、気が乗らないために能率が上がらなくなったりすることがあります。
そればかりか、心の健康にも害を与えかねません。
警察庁統計によると、一九七九年は子どもの自殺が多発した年ですが、
この年度の未成年者の自殺者九百十九人の直接的原因・動機は、「学業問題」や「入試苦」など学校の問題が二百五十二人(二七・四パーセント)と全体の四分の一強を占めてトップになっています。
また、一九八〇年に総理府青少年対策本部がまとめた『家庭内暴力に関する研究調査』でも、その背景のトップに「親の期待過剰」(二一・四パーセント)があがっています。
一九八八年七月、東京・目黒の中学二年生の少年が、両親と祖母を包丁でめった刺しにして惨殺するという事件が起きました。
背景には親子関係など複雑な問題があると思われますが、直接の動機は、日ごろから両親に勉強のことでやかましくいわれていたことです。
両親は有名進学高校に進んだ少年のいとこと比較しては「勉強、勉強」と口やかましくいっていました。
そのうえ、英語、数学、国語の三教科のうち、一教科でも学年平均を下まわるようなことがあったら、小遣いを与えないというペナルティを課していたといいます。
親が子どもに期待をかけるのは当然ですが、過剰な期待は子どもを押しつぶします。
目黒の少年の事件は、自分を追い詰める者への逆襲でしたが、自殺というかたちで逃避する例も少なくありません。
教育ママの期待に押しつぶされ、班ノートに遺書を書いた子
学級の班ノートに遺書を書いた富有子(仮名 当時中学一年生)も、「勉強、勉強」という親の期待に押しっぶされそうになった子どもの一人です。
「(略)−スペリング・コンテストは100点は無理!
勉強したくない。
自由になりたい。
学校行きたくない。
いなくなりたい。
疲れた。
班ノートは遺書に使わない方がいいのかな」
当時の富有子は、学校の成績はトップクラスですが、内向的で友だちの少ない生徒でした。
父親は一流商社勤務で転勤が多く、富有子は中学一年生の時に二度も転校しています。
母親は典型的な「教育ママ」で、子どもに寄せる期待の大きさは普通ではありません。
平日は夕方の五時から夜中の十一時過ぎまで、夕食などのわずかな生活時間を除いて、ピアノのレッスン、学習塾、家庭学習とびっしり。
日曜日には、競争率の高い入塾試験をくぐって入った進学スクールに通っていました。
「百点か零点か。九十九点は点ではない」
母親が口ぐせにしていることばだといいます。
だが、いちがいに母親だけを責めるわけにはいきません。
「勉強だけがすべてではない」と百も承知しながら、子どもを勉強一筋の生活に追い込まざるをえないように親を追い込んでいる学歴偏重社会と受験体制こそ、きびしく批判されなければならないでしょう。
さいわいにして富有子は、担任の先生の励ましと仲間の連帯を大切にする学級の支えで、危機をのりこえることができました。
二年生で富有子を受け持った担任の先生は、生活に充実感を持たせることが必要だと考え、学級のリーダーとしての任務を与えました。
はじめは先生の熱意に押された形で立候補した学級委員でしたが、次第にその気になって学年委員にも立候補し、学級や学年の活動の中心になって頑張り出してからの彼女の顔は、見違えるように生き生きとした表情になりました。
何事にも自主性をと放任された子
一方、「子どもを受験体制の重圧から解放する」といって、子どもに「勉強」ということばをいっさい言わないのだという親もいます。
先の目黒の両親殺害事件の直後、東京のある中学生の父母懇談会で、ある母親が
「あれ以来、子どもには『勉強』ということは、いっさい言わないことにしています」
と言ったといいます。
子どもを「勉強、勉強」と追いたてることへの反省としては大切なことですが、
だからといってどんな子にも勉強のことはいっさい言わないというのはどうでしょうか。
中学二年生の俊男の親は、なにごとにも子どもの自主性を尊重するといって、小学生のころから、「勉強しなさい」とは一度もいわなかったといいます。
子どもらしくのびのびと育ち、小学校から中学一年生の二学期まではどうやら上位の成績を収めていました。
ところが、三学期から成績が急激に下降しはじめ、二年生の二学期になると、下位に近くなってしまいました。
とくに数学と英語については、テストの点数が三分の一そこそこになりました。
適切なアドバイスができる親に
子どもの勉強をめぐる親の態度について、干渉しすぎと放任という対照的な例を紹介しましたが、親として中学生の勉強についてどう考え、どう子どもにかかわったらよいか考えてみたいと思います。
たしかにいまの子どもは、勉強に追われすぎて子どもらしい生活を失っています。
心ある人ならだれしも、子どもを「勉強、勉強」と追いたてるようなことはしないで、子どもらしいのびのびとした生活をさせたいと願っています。
ところが、いざわが子のこととなると、事情が変わってきます。
「九十九点は点ではない」という富有子の母親ほどではないにしても、子どもの通信簿の成績やテストの点数に一喜一憂し、
子どもの顔さえ見れば、壊れたレコードのように「勉強、勉強」と繰り返す親が意外に多いのです。
しかし、これは、かならずしも「たてまえ」と「本音」という矛盾する問題ではありません。
多くの親たちは、子どもをのびのびと育てたいと願いつつも、今日の受験体制のもとで、勉強至上主義に追いやられているのです。
だが、本当にわが子の幸せを願うならば、体制にふりまわされることなく、バランスのとれた子どもの発達を考えて、勉強についても適切なアドバイスのできる親でありたいと思います。
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