生活のリズムが乱れると、非行に走る子供が多い
子どもの生活リズムの崩れが、子どものからだに異変を起こしているとすれば、
とかくタガのゆるみがちな夏休みの生活は、子どものからだにどのような影響を与えているでしょうか。
夏休みあげの九月、授業中に頭痛や腹痛を訴えて保健室へ行きたがる生徒が目立ちました。
中学二年生の哲夫(仮名)も、そのひとりです。
哲夫は授業中ぼんやりしていることが多く、以前に比べて無気力な感じが目につきます。
「勉強がいやで保健室に行きたがるんじゃないか」という先生もいますが、母親の話によると、二学期が始まってから毎日のように下痢をしているといいます。
医者の診断では、とくにからだの異状は認められず、心理的なもので、なにか学校生活のうえで悩みごとがあるのではないかといわれたそうです。
母親も、そういえば学校が休みの日は下痢をしないといいます。
担任の先生がいろいろ哲夫にたずねてみましたが、これといって思い当たるものがありません。
「学校はきらいか」と聞くと、「好きだ」と答えます。
そこで先生は、哲夫の夏休みの生活に原因がありはしないかと考え、哲夫の夏休みの生活記録を調べてみました。
起きているあいだは、テレビをみるのが最も多く、平均すると一日六時間二十六分。
最高はなんと九時間半にもなっています。
しかも、ほとんど夜中の二時、二時におよんでいます。
哲夫の生活は、極端な遅寝・遅起き型の生活だったのです。
ちなみに勉強時間は、一日平均わずか三十三分です。
九月半ばの身体測定では、四月上旬に比べて、身長は六センチも伸びていましたが、体重はほとんど変わっていません。
このような身体発達のインバランスも、からだの変調をきたす原因になります。
そのうえ、急激な成長期にある子どもが、夏だというのにあまり日にも当たらず、クーラーのきいた室内でテレビを見て過ごすような不健康な生活が続けば、
からだの変調をきたさないほうが不思議です。
夏休みの生活の乱れから非行型生活へ
しかも哲夫は、夏休みの惰性で、二学期が始まっても夜ふかしの習慣がなかなかなおりません。
ですから、朝ご飯を食べる時間があれば寝ていたいというほうで、お母さんも毎朝けんかごしで起こすのだといっています。
どうやら哲夫の場合は、心のほうではなく、からだそのものが学校生活を中心とする生活のリズムに適応できていないようです。
しいて病名をつけるとすれば、「夏休み後遺症」といったところでしょうか。
それでなくとも九月は、夏の疲れの出るときで、学校でも保健室の利用者が最も多い月なのです。
それも、すり傷や打撲、切り傷といった外科的なものより、腹痛、頭痛、吐き気、貧血といった内科的なものが多くなっています。
そして、このようなからだに現れた「夏休み後遺症」から、無気力な生活が習慣化し、
やがて遅刻常習、授業エスケープ、無断欠席、夜遊びといった非行型生活におちいっていく例が少なくありません。
哲夫の場合も、その心配は多分にあると担任の先生はいいます。
万引、家出などの非行で警察に補導される子どもの数が増えるのも、九、十月だといわれます。
これは、心の面に現れた「夏休み後遺症」といっていいでしょう。
ところで、あなたのお子さんの場合、毎朝気持ちよく起きていますか。
朝、そう快な気分で起きられるような生活が、人間の生活の基本です。
そのためには、親の協力も必要です。
家族みんなのテレビの見方をふくめ、就寝時間を早めるための努力をしてほしいと思います。
子どもの体力の低下や、「朝礼でバタリ」「朝からボンヤリ」といったからだの問題については、運動不足もその原因としてあげられています。
哲夫の場合も、明らかに運動不足です。
先にみたように夏休みの生活の大半は、家の中でテレビを見ていたのですから、日焼けをしない不健康な生活が、二学期の学校生活が始まって体調を崩す原因にもなっているのです。
二学期が始まり、久しぶりに顔を合わせた子どもたちのなかに、哲夫のように日焼けしない顔が、最近目につくようになりました。
あなたのお子さんはどうでしょうか。
草木も中学生の心とからだ旺盛に生長する季節です。
人間の子どももまた、真夏の太陽をからだいっぱいに浴びてこそ、健康でたくましく育つのです。
ところで、夏休みに日焼けしないような子どもをみると、ふだんから戸外の遊びや運動から遠ざかった生活をしている場合が多いのです。
ここにより大きな問題があります。
哲夫の場合、とりたてて運動がきらいだということではありません。
中学に入学して、あこがれの野球部に入りましたが、きつい練習についていけず、足が痛い、からだの調子が悪いといってはすぐ休みます。
特別不器用なほうではありませんから、普通にやってさえいれば選手にもなれたでしょうが、休みが多いために技術的にも遅れをとり、仲間との間もしっくりいかなくなって、二学期の半ばで退部してしまいました。
二年生になって卓球部に入りましたが、まじめに練習に参加したのほほんの三週間ほどです。
あとは名ばかりの部員で、夏休みに入る少しまえにやめてしまいました。
からだの各器官が急速に発達する青年期は、運動にたいする欲求がたいへん強く、中学生の場合も、スポーツへの欲求の強さは、このようなからだの発達からきています。
シラケ世代とか、青年の老化現象などといわれますが、
本質的にはどの子どもも、運動をしたいという欲求を強く持っています。
ところが、最近は戸外で活発に遊ぶ子どもが減ると同時に、中学・高校でも運動ざらいが目立ってきています。
哲夫のように途中で、投げ出すような例ばかりでなく、はじめから運動そのものに興味を示さない子どもも少なくありません。
人間の基本的欲求のひとつである運動欲求さえ衰えてきているのだとすれば、これはたいへんゆゆしき問題です。
子どもの運動の欲求を正しく受け入れる環境がないことも、今日の子どもの運動ざらいの一つの原因ですが、子どもの育ち方のなかにも問題があります。
幼児時代の戸外遊びの不足から運動ざらいの子に
運動はきらいではないが、長続きせず途中で投げ出してしまい、結果として運動から遠ざかる子どもの場合、よく「根性がない」といわれます。
たしかに、がまん強さやねばり強さに欠ける子どもが多くなったのも事実ですが、運動ばなれはそういう精神的弱さばかりでなく、からだそのものがしっかり育っていないところにも原因があるようです。
幼稚園から小学校低学年にかけては、運動能力、とりわけ神経機能がよく発達する時期だといわれますが、
すでにこの時期にリズム体操や遊戯に興味を示さない子どもがあんがい多いのです。
幼稚園に入るまえの幼児期に、あまり外で遊び回る経験を持たなかった子が、そういう子になりがちだといわれます。
哲夫の場合も、からだが弱いということで、ほとんど家の中で遊ぶような幼児期を過ごしました。
幼児期に子ども同士が夢中になって外で遊ぶことによって自然につくられるからだや神経のはたらきが、幼稚園に入ってからのリズム体操や遊戯の基礎になるのです。
哲夫のように家の中にばかりいて、運動の基礎が十分できていない子は、なにをやってもうまくできないということで気後れして、しだいに運動ざらいになっていくのです。
「欲求というものも、また一つの能力である」
といった人がいますが、からだを使って遊ぶ経験の不足から、運動欲求能力が育っていない子どもや青年が多くなっているとしたら、これは一刻も放置できない問題です。
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