行儀の良い子供に育てるには
ぎょうぎというと、世間一般に通じる作法と思いがちですが、時代や文化によってかなり変化するものですし、TPO(時・場所・場合)によってもずいぶんとちがうようです。
ですから、あまり型にはまったぎょうぎを教え込むのはどんなものでしょうか。
あいさつひとつをとっても、「おはようございます」の一点ばりでは、相手によっては滑稽だったり、みずくさかったりするでしょう。
そんな切口上で深々と頭をさげられるより、にっこり「おはよう」のひとことのほうが気持ちがよいばあいがよくあります。
もしかすると、いきなりいたずらをしかけてきたり、遠くからアカンベエをしてみせたりといった仕草に、ずっと強列なメッセージをおぼえるひともいるかもしれません。
他人の前でのぎょうぎにしても、いいつけられたとおりにこちこちになっているのはなんとも不自然、
きらいなひとやいんちきくさい相手を攻撃したり避けたりの行為も、あながち不作法とはいいきれません。
世にそういう道義はあっていいことです。
そもそも幼い子にじっと静かにしていることを要求するのが無理。
心は好奇心でいっぱい、やがてもぞもぞ、からだをくねらせはじめるのです。
それを叱られるのをみるのは、相手だってけっして愉快には感じないのでは。
そんな実りのない、子どもにとって耐えがたいしつけに躍起になるより、
相手が不快にならない程度に自由に行動させたほうが、よほどその場にふさわしいぎょうぎになると思います。
おとなをそっちのけで楽しく遊んでいるのは、叱られながらおとなしくしているよりも、みていて気持ちのよいもの。
親にわがままをいいにきても、親の話がたいせつなら待たせておき、切りのいいところで対応してやれば、相手もさほど不快に思うことはないでしょう。
ただ、自分の勝手ばかりで傍若無人、ひとに失敬な行動にはびしっとしつけなければならないのはもちろんのこと。
気おくれや恥ずかしさから相手を無視するような態度をとる子には、あいさつをする勇気を持たさねばならないでしょう。
内実こそが大事
「ぎょうぎ」は表現ではありますが、内実こそが大切です。
形式については、相手との関係、その時と場所に応じて変わるのが自然。
いつも「おはようございます」では興ざめしてしまいます。
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