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体罰でのしつけについて
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子供が盗みや嘘をついた時、親としてまずすべきことは?
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子供がけんかしていたら、あなたはまずどうしますか?
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子供のわがままをどう対処しますか?
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落ちつきのない子供にどう対処しますか?
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行儀の良い子供に育てるには
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子供のこわがりの対処法
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子供が乱暴な行為をとる場合
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子供がかんしゃくを起こした時の対処法
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子供がだだをこねる意味
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子供の反抗にどう対処しますか?
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子供のいたずらも成長の為に必要なこと
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何故指しゃぶりをするのか?
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おむつをとる時、トイレトレーニングの進め方
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子供がしゃべり始める時期
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赤ちゃんのひとり立ち
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赤ちゃんづれの旅行
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赤ちゃん連れの外出
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親に甘える
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子供とお風呂に入る
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子供の離乳時期について
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赤ちゃんと遊ぶ
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赤ちゃんの夜泣きの原因と対策方法
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子供の寝かしつけ方と気をつける点
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ミルクで育てる
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おっぱいの上げ方
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子供のしつけを「押しつけ」と混同していませんか?
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体罰でのしつけについて
体罰でしつけをしようとするのはもっとも怠惰なおとなの考えることです。
人間としての影響力でなく、安直な暴力で従わせようとするわけですから、自信のなさをも露呈しているともいえます。
それでは親としても成長することはできないでしょう。
しかも体罰は動物の調教と同じで、子どもから自主性を奪いがちです。
中には暴力に抗して強く育つ子もいるかもしれませんが、それは危険なかけ、大半は権威に従順で卑屈な人間に育つと思わなければなりません。
ただ、ほんとうに許しがたく、怒り心頭に発して思わず手がでてしまったというのはしかたがないし、子どもも身にしみるかもしれません。
でもそんなことはめったにあってはならないことです。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供が盗みや嘘をついた時、親としてまずすべきことは?
うそと盗みほど、親にとってショッキングなできごとはないかもしれません。
躍起になって「やっていいこと」と「わるいこと」のけじめを教えようとするでしょう。
ところが、肝心の「善悪の区別」というのが、意外とややこしく、かなりあいまいなことに気づくはずです。
うそひとつとっても、絶対についてはいけないものだとはきめつけられそうもありません。
ほんとうのことを話すと、無用に人を傷つけることもあるし、友だちをかばうためにつかねばならぬうそもあるはずです。
幼い子がなにか失敗をしてとがめられたとき、その理由をきちんと説明することはむつかしい。
自分はいくらわるくないと思っていても、親を説得できるほどきちんと話すことは無理です。
思わず、「ネコがやった」とその場逃れをしたくもなるでしょう。
また、どうしても親が認めてくれない秘密をもったときも、それをとりあげられないためには、欺き隠すほかないでしょう。
このばあいのうそは、幼い心の中に、親のいいなりにならない自分だけのものが芽生えた成長のあかしといえます。
いずれにしても、道徳的に偽りだけを責めたところで、子どもの気持ちにとどきようはありません。
こうしたときには、だました相手だけでなく、うそをいった自分に対しても痛みを感じているはずですから、
むしろそのまま受け取っておいたほうがいいと思います。
子どものいいぶんを聞いてみよう
ことの真実を確かめるばあいは、子どものいいぶんを十分きいてやる姿勢が必要。
しつこく追いつめるだけでは、うそを重ねさせ、その痛みすらまひさせてしまうかもしれません。
盗みは、それ自体より、それをすることによって、子どもが世の中をどう考え、どのように生きかたを選んでゆくかが大切な問題になってきます。
親の完全な保護のもとにあった幼児が、自分の意志と才覚で危険を冒すようになったとすれば、それはたいへんな成長といえます。
それどころか、物品には所有があること、お金との取引があることを知り、なおそれを犯すのですから、この社会への挑戦でさえあるでしょう。
そうした行為に、裁きとか懲罰はなじみません。
「なんてことを」ときめつけるよりも、まずほほえましく子どものいいぶんをきくべきだと思います。
そのうえでやはり相手にすまないとなれば、親子して謝りにいくべきでしょう。
でも「わるい子」扱いしたり、余罪を追及するのは心ないこと。
子は信じられることで、悪事さえ成長のばねにするはずです。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供がけんかしていたら、あなたはまずどうしますか?
幼い子のけんかを見ていると、自分がいまやっていることややりたいこと、それに必要なひとやものをなんとか確保しようと、必死で自分を守っているようです。
ですから、ほかの子から遊びを妨害されたり、おもちゃを取り上げられたりすれば、猛烈に怒りますし、
ほかの子が「いいこと」をしているのを知れば、すぐに割り込んでいって押しのけようともします。
どうやら、幼い子にとってけんかは、子ども仲間のあいだでやってゆくのに欠かせないもののようなのです。
それを「乱暴はいけません」とか「けんかはやめなさい」などとしつけにかかっても、はたしてどれほど子どもの心を納得させられるでしょうか。
子供のけんかはすぐには止めない
それよりも、まずは好きなだけやらせておいたらどうでしょうか。
子どものけんかは子どもどうしにまかせておけば、おのずとかたはつくもの。
精一杯やったことで、かなりの満足感もあるようです。
まして勝ったほうは、相手を征服した快感を覚えるのですが、それでいて友を失い、自らを非難する苦しみも味わわざるをえません。
負けたほうは、みじめさをかみしめつつ、相手を軽蔑するか、またの挑戦にかけてでも、なんとか意地を残すほかないでしょう。
こうして、子どもたちはそれなりにこの世に生きる厳しさ、むつかしさを体得していくのだと思います。
ただ、おとながどこまで子どもどうしにまかせられるかは実際問題としてむつかしいところです。
きょうだいげんかなら、耐えがたいほどになったら、ころあいをみて、ということでしょうか。
よその子とのけんかのばあいは、親どうしの気づかいもあってさらに複雑になるでしょう。
でも、飛んでいってやめさせたり、わが子だけを叱ってあやまらせたりするのは、けっしていいやりかたではありません。
やはり、なるべくけんかはやらせ、とめるときも子どもがえこひいきを感じない工夫をすることが大切です。
いずれにせよ、そんな表向きのしつけより、子どもの内面をくんでやりたい。
なにか鬱屈があれば、荒れるのは当然です。
十分に認められ愛されていれば、他人に寛容になるでしょう。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供のわがままをどう対処しますか?
自分でしたいことやできることがふえ、親の命ずるがままから脱却しようとする幼ない子は、まずだれをも支配下に置こうとしはじめます。
親にはあれやこれやと気まぐれに要求し、親から求められたことは「あまのじゃく」になって逆らいます。
ほかの子どもに対しては、主導権の争いから、おもちゃを取り上げるといった行為に出ます。
それが拒否されれば、ひっくり返って泣き叫んだり、かたくなに固執しつづけたりもするでしょう。
この種のわがままには、ただの「しつけ」で対してもあまり効果はないでしょう。
説教や命令では、子どもの気持ちとすれちがうばかり。
かえって、わるい子ときめつけることによって、意地を張らせかねません。
「自由に」が原則
それよりも、なるべくやりたいようにやらせたほうがよさそうです。
少々因っても黙って見すごすか、せめて「しょうがないねえ」くらいにとどめておく。
そうすれば、子どもは自分で決めた行為を通せたのがうれしく、
しかし同時に、結果については責任を取らなければならぬ苦しさをも味わうことになるでしょう。
これとはちがい、なにかエネルギーの鬱積があって吐き出されず、その代償がわがままに現れているばあいがあります。
精いっぱい遊べないとか、おとなに囲まれて息がつまりそうな子は、当たり散らしたり、際限なく要求を出して、それでもなお満たされません。
わりと年長の子に多いようですが、そういうようすがみえたら、とにかく発散させてやることが必要かと思います。
どんなばあいにも、子どもには自由を。自由はわがままを乗り越えるものです。
解放された感情が、我慢を強めてくれるからでしょうか。
そのうえでなら、自制を強いることがあっても、相当に耐えられそうです。
子どものいうことをどうしても認められないときは、こちらの本音をそのままぶつけるのがよいと思います。
「いやよ」とか「きらい」といった感情、
あるいは「困る」「こうしてほしい」といった都合で迫るのは、説教や命令よりもずっと子どもの心にはしみやすいはず。
たとえその場はいうことをきかなくても、ひとの気持ちを踏みにじったという悔悟は、その後の子どもの行動を律する糧となるでしょう。
人間関係の道徳は、こうして相手を思いやることから、はじめて身についてくるものなのです。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
落ちつきのない子供にどう対処しますか?
幼い子は落ちつきがあるほうが不思議。
なかにはおっとりした子もいるでしょうが、たいていの子は一瞬たりともじっとしていません。
エネルギッシュな子だと、親が悲鳴をあげたくなるほど動きまわるものです。
それを無理に落ちつかせようとやかましくいえばいうほど、ますます落ちつかなくなるのではないでしょうか。
現に、おとなが多い家庭でかまわれてばかりいる子が、ひじょうに落ちつかないということがままあります。
やがて落ちつくときがきます
ですから、なるべくしたいことをさせておくのがいちばん。
少々移り気にすぎるようでも、それはおそらく十分に気にいった遊びがみつかっていないためでしょう。
そのままにしておけば、いつの間にかなにかに熱中して、静かになっているときがあるものです。
もし家にいることが多すぎるようなら、外にだす工夫も必要です。
とにかく、そうこうしているうちに、相当の暴れん坊でも急にひとがかわったように落ちつくときがやってくるものです。
親としてはそれまでの辛抱です。
たとえ、保育園や幼稚園、保健所や病院などで、おかしいといわれたり、親の目からみてもふつうではないと感じても、けっしてあせらないように。
それでもやはり、できるだけやりたいことをやらせ、友だちとも遊ばせ、保育園や幼稚園にも通わせるのがいちばんいいのです。
やたらに「多動」とか「自閉」とかの病名をつけて専門家の「治療」を受けさせるのはいいこととは思えません。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
行儀の良い子供に育てるには
ぎょうぎというと、世間一般に通じる作法と思いがちですが、時代や文化によってかなり変化するものですし、TPO(時・場所・場合)によってもずいぶんとちがうようです。
ですから、あまり型にはまったぎょうぎを教え込むのはどんなものでしょうか。
あいさつひとつをとっても、「おはようございます」の一点ばりでは、相手によっては滑稽だったり、みずくさかったりするでしょう。
そんな切口上で深々と頭をさげられるより、にっこり「おはよう」のひとことのほうが気持ちがよいばあいがよくあります。
もしかすると、いきなりいたずらをしかけてきたり、遠くからアカンベエをしてみせたりといった仕草に、ずっと強列なメッセージをおぼえるひともいるかもしれません。
他人の前でのぎょうぎにしても、いいつけられたとおりにこちこちになっているのはなんとも不自然、
きらいなひとやいんちきくさい相手を攻撃したり避けたりの行為も、あながち不作法とはいいきれません。
世にそういう道義はあっていいことです。
そもそも幼い子にじっと静かにしていることを要求するのが無理。
心は好奇心でいっぱい、やがてもぞもぞ、からだをくねらせはじめるのです。
それを叱られるのをみるのは、相手だってけっして愉快には感じないのでは。
そんな実りのない、子どもにとって耐えがたいしつけに躍起になるより、
相手が不快にならない程度に自由に行動させたほうが、よほどその場にふさわしいぎょうぎになると思います。
おとなをそっちのけで楽しく遊んでいるのは、叱られながらおとなしくしているよりも、みていて気持ちのよいもの。
親にわがままをいいにきても、親の話がたいせつなら待たせておき、切りのいいところで対応してやれば、相手もさほど不快に思うことはないでしょう。
ただ、自分の勝手ばかりで傍若無人、ひとに失敬な行動にはびしっとしつけなければならないのはもちろんのこと。
気おくれや恥ずかしさから相手を無視するような態度をとる子には、あいさつをする勇気を持たさねばならないでしょう。
内実こそが大事
「ぎょうぎ」は表現ではありますが、内実こそが大切です。
形式については、相手との関係、その時と場所に応じて変わるのが自然。
いつも「おはようございます」では興ざめしてしまいます。
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子供のこわがりの対処法
親が守ってくれているという信頼を与える
お誕生すぎから一歳前後の子はひどくこわがりです。
いろいろと周囲のことが見えてきたけれど、それらの正体がよくつかめない、
なにがおきているのか、自分に対してなにをしてくるかがよくわからないという状態でしょうから、やたらこわがるのも無理ありません。
なかでも巨大なエネルギーを感じさせるものは、たまらなくおそろしいようです。
近づくヘリコプターの爆音、吠える犬などは身を震わせてこわがります。
まして以前にひどい目にあった記憶があれば、なんとかそれから逃げようと、あがき泣き叫ぶでしょう。
注射をされた病院などは近くにきただけで大騒ぎ。
おふろで落とされかけた子は、おふろというとしがみついて衣服を脱がさせようとしません。
子供のこわがりに対しての処方箋
とにかく、こわがりだした子は、しっかり抱いて、気を静めてやることが大事です。
親が守ってくれているという信頼がなにより心強く、恐怖に立ち向かう力をつけてくれるはずですから。
そのサポートのもとに徐々にこわいものの正体をわからせてやったらどうでしょう。
ヘリコプターの爆音には、窓をしめて、やや遠ざかってから抱いて外にでて眺めてみる。
吠える犬には、いったん逃げてから、きつく子どもを抱いて少しずつ近よってみるといった練習をするのです。
でも、極端にこわがることは、しばらく避けておくのもやむをえないかもしれません。
髪を洗うのをいやがる子なら、おふろはからだを洗うだけにし、汚れががまんできる限界まで待ってやったらどうでしょう?
あえて慣らそうと毎日強行するより、そうした配慮をしてくれているという安心が、洗髪への恐怖をいくぶんでもやわらげるのではないでしょうか。
また、親からみても、こわがるのはあたりまえ、
あまりひどすぎる仕打ちをする病院などは、親の責任でつれてゆかない、別のところにかえるといった勇気をもたなければ、子どもにはもうしわけないと思います。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供が乱暴な行為をとる場合
幼い子をかんだり、たたいたり、髪をひっぱたり、突き倒したりするのをみていると、まるで強迫観念にかられているかのよう。
相手がそこにいるのが耐えがたい、気になる、それでちょっかいをだしてみるといったふうにみえるのです。
相手との関係を確かめる行為
これは、子どもの我がでてくるにしたがい、自分と似たような相手の存在をなんとか自分と関係づけようとする苦心の努力なのだと思います。
だから、そうしながら遊びが成立したり、けんか相手となかよくなったりするのでしょう。
そうであれば、こうした行為はなるべくするままにまかせておいたほうがよいでしょう。
中途半端にとめられると、相手との関係がきまらないかぎり何度でもくり返しそう。
とめられたことに対する意地もでてきそうです。
もちろん、危険だったり、あまりにしつこいときはとめるべきですが、
そのときはさっとわが子を抱き、相手にはちょっと「ごめんね」というくらいにして、その場を離れるのがよいと思います。
相手の親がいないときは両方を抱いてやるのがいいでしょう。
いずれにしても、けっしてわが子だけを叱らないことです。
「あなたの気持ちはよくわかっているわよ」といった感じで受けとめるようにしてやりましょう。
むしろ問題は親どうしの関係です。
それが疎遠だとこうした対応はなかなかできないものだからです。
いちばんいいのは、あらかじめ相談して、危険がないかぎり放っておこうと申し合わせておくこと。
それが無理でも、なんとか気心を通じさせる努力だけはしたいものです。
家族におとなが多く、ちやほやと甘やかされたり、やかましく叱ったりしすぎると、子どもは自分を安定させることができず、よその子がくるとかみついたり、たたいたりすることもあります。
また、おとなからかまわれることが少なく、愛情に飢えていると、よその子に攻撃的になるともいわれます。
もし思い当たるふしがあれば、みんなでなんとかする必要があります。
親に対してかみついたり、たたいたりするのは、多くは愛着のなせるわざ、甘えているか、親をわがものにしたい気持ちの現れでしょう。
でも、あまりしつこいときは、親のかまいかたがわるいのかもしれません。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供がかんしゃくを起こした時の対処法
あえて放っておきましょう
子どもが急に大声をあげて泣きだし、ひつくりかえって手足をハタハタさせて怒っているときには、ちょっと手のつけようがありません。
いくら親があやまったり、なだめたり、抱いたり、あるいは叱りつけたとしても、かえって火に油を注ぐだけ。
それは、かんしゃくが子どもの内面からきていることを示しています。
表面は、ほしいものがもらえなかったとか、いたずらを禁止されたといった原因があったとしても、実はそれはたんなる引き金で、内心はなにかにつけていらだっていたのです。
自分のしたいことがはっきりせずもやもやしていたり、ものごとがうまくできない自分にあせりを感じていたり、親のいうことをきこうかきくまいか迷っていたり。
それでかんしゃくをおこすと、今度はかんしゃくをおさえられない自分にいらだってしまうのです。
ですから、表面のきっかけになったことだけを解決しようとしても子どもの心の奥にはとどきません。
こうした内面のかっとうは、結局は本人が自分で解決してゆくしかないのです。
親としてかんしゃくは耐えがたいことかもしれませんが、あえて放っておくことです。
といっても、泣く子をひとりにしてどこかにいってしまうのは考えもの。
親にできるただひとつのこと、それはそばにいて無言のサポートをしてやることです。
そうしてやれば、たいていの子どもはくたびれて、やがて寝入ってしまうか、いつの間にか遊びに夢中になったりするでしょう。
そんな体験を何度かくり返すうち、子どもの内面は成長し、やがてかんしゃくをおこすことも減ってくるはずです。
かんしゃくをよくおこす子どもを、はれものにさわるように大事にするのはどうかと思います。
必要なしつけや生活の事情は遠慮なく子どもにぶつけたほうがいいでしょう。
そういうことが少ないと、子どもはかっとうに悩み、内面をきたえていくチャンスに恵まれないことになってしまいます。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供がだだをこねる意味
人間としての共感をもって 子どもがだだをこねるのは、自分の求めるものが、なにかに妨げられて、その鬱屈した気分がうまく収拾できないときです。
ですから、こうした状態になった子は、なによりその気分をわかってやることが大切。
たとえよくわからなくても、親がわかろうとしていることが子どもに感じられればいいのです。
だだをこねるのを、「やめなさい」と高飛車に押さえつけようとするのは禁物です。
そうでなくとも鬱屈した気分がよけいに火をつけられて、逆効果になりかねません。
こちらもいらいらしているのなら、むしろ無視しておいたほうがましでしょう。
親としては、子どもが求めて果たされないものがなにかを、どうにかしてわかろうと努力してやりたいものです。
ひじょうにエネルギーはもっているのに気が弱い子のばあい、ちょっとした遠慮でそれを発散できず、ぐずつくということがあります。
そのようであれば、なるべく押さえつけない対応をしたほうが伸びるでしょう。
自分でやりたい遊びが上手にできず、そのためのもどかしさが原因になっていることもあるようです。
そんなときは、すこし手伝ってやるだけで解決することもあります。
もしかすると、いまだだをこねている原因とは別のところに、心底から満たされないものがひそんでいるというばあいもあるかもしれません。
それはもう、人間としての共感で洞察するしかありません。
もし、親にからだで突っかかってくることがあったら、しっかりと抱きしめてやるにかぎります。
それこそ最高のなぐさめになるはずです。
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子供の反抗にどう対処しますか?
子どもの意思にまかせてみる
反抗は、ひととひととの関係に、それをもたらす動機があって起きてくるもの。
子どもだけで「反抗期」などという時期を迎えるわけではないでしょう。
とすれば、それは子どもとおとなのあいだに矛盾が高まってきたときに生じることになります。
ただ、幼い子はまだ判断のしかたが単純で、自己主張もかたくなにすぎるのがふつう。
だから、「反抗」にはそうした事情を配慮して対応してやらなければなりません。
まずは、なにをするか、どのようにするか、やめるかやめないか、いつやめるかといった行為の選択をできるだけ自分の意志できめさせるようにしてみたらどうでしょう?
服を着たがらない子に二種類の服を見せて
「どっちにする?」
とたずねると、
「こっち」
といってさっさと着ることがあります。
なかなか寝ようとしない子には、
「ねなさい」
よりも
「もうねようか」
と誘うほうが抵抗が少なそうです。
こうした問いかけや誘いは、親を権威者にするのでなく対等の関係におくので、子どもは自我を傷つけられない。
それでいて決定した行為には自分で責任をとらなければならないことを悟らされるはずです。
行為を自分で選ばせるからには、まかせると同時に、幼い子なりのタイミングをみはからってやることが大切です。
問いかけや誘いに対してすぐには応じなかったとしても、急がないでまってやる。
そして、こちらの要求でなく、子どもが思うとおりにできたときには、うんとほめてやるのです。
親の要求と子どもの意志が真っ向から対立したときは、親が譲歩できるほどのことなら、子の性格やその場の状況によっては、負けてやったほうがいいと思います。
子どもはがんばれば主張を通せるという自信をつけるし、その結果に自分で責任を負う経験をすることになります。
でも、どうしても譲れないばあいは、親の実力で従わせるのもわるいことではないと思います。
そういう切羽つまったときには、断固とした態度をとりつづけるにかぎります。
子どもはたいてい激しく抵抗して親の反応をうかがおうとしますが、少しでも動揺の色を見せてはなりません。
一度従わせようとしたら妥協せずにとおしたほうが、子どもは親を理解してくれるのではないでしょうか。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供のいたずらも成長の為に必要なこと
幼い子のいたずらは最初から悪意をいだいてやるわけではありません。
おとなと同じことをしたいという欲求がいたずらといわれる行動にかりたてるのです。
父親のメガネを頭に乗せたり、母親のマニキュアをこぼしたりするのは、自分たちを好いてくれている証拠。
なによりほほえましいこととして受けとめてやりたいものです。
子どもはどうも入れ物にこだわることが多いみたい。
引き出しを開けたがるし、箱があればじっとのぞきこみます。
そして、中のものを次から次へと取り出しにかかります。
バッグなど逆さにしてばらまいてしまうでしょう。
コップや皿のようなものだと、それに入っている水やスープなどを別のコップや皿に移しかえ、またもとにもどすという仕草をくり返すことがよくあるのではないでしょうか。
こうした行為は「もの」に内部と外部があることが不思議で、
しかも、ひとつの「もの」の内部にある別の「もの」が外部にも出せるし、またその道もできるということがおもしろくてたまらないのでしょう。
この感覚がすすめば、任意に空想で、大きなものを小さなものの中に入れたり、小さなものでも外にだして大きなものにするといった遊びを展開することが可能になるはずです。
たとえば、お話で象さんを自動車の運転手にしたてたり、遊んでいる途中でポケットから小さな怪獣をとりだして大暴れさせることもできるのです。
これはすごく楽しいことで、おとなも子どもをまねて、いま一度こういったイマジネーションをとりもどすチャンスにしたらどうでしょう?
そもそも、いたずらはおとなにとっては困るものですが、子どもにとっては楽しくて面白いこと。
価値観からしてちがうのです。
おとなの価値観だけで禁止したり叱ったりしても、通じにくいと思わなければなりません。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
何故指しゃぶりをするのか?
指しゃぶりをする意味
三ヶ月ごろから始まる「指しゃぶり」は、十分に親をおびやかす魔性を持っています。
指を吸う赤ちゃんは、親を拒絶するだけでなく、なにかの不満を屈折させている感じすら与えるかもしれません。
だからこそ、あのかわいげな仕草にかかわらず、たいていの親があわてて指を払いのけ、抱きあげたり、乳をふくませようとかかるのでしょう。
でも、赤ちゃんだって、いつものんきに過ごしているわけではありません。
いろいろな緊張や不安があるにちがいないのです。
おなかがすいたけれど乳を恵まれるかどうか、眠いのに寝つかれないといったいらだちや、さびしかったりやるせない気分にとらわれることもあるでしょう。
こんなときは、なんとかして心を静めたい。
それを、赤ちゃんは自分なりのやりかたで試みているのです。
もともと赤ちゃんは口で吸う欲求が強いため、乳を飲むだけでは足りないのかもしれません。
そのうえ、指をしゃぶることは、自身を確かめることになりますし、色情の満足に似た遊びにもなっているのではないでしょうか。
このようなことを考えると、「指しゃぶり」は、単なる「しつけ」の問題として片づけるわけにはゆかなくなります。
それは、人間の根源に触れるなにものかをはらんでいるのですから。
まして指しゃぶりを異常とか、わるいこととして排斥したら、人間はとてもやってゆけないのでは。
指しゃぶりを必死になってやめさせる必要がどこにあるのでしょうか。
せめて、赤ちゃんなら、この世への好意を抱けるよう親密に接し、珍しく楽しい体験を少しずつ広げてやりたいもの。
また、幼い子で日がな一日指をしゃぶってしょんぼりしているようなら、心を躍らせるような遊びに誘い、しりごみしたりこわがっているときには温かい支えを与えてやるくらいの心づかいをしてやればいいでしょう。
歯並びがわるくなるというのにしても、四、五歳までにやめればなくなるといわれています。
寝てからも指をくわえているときは、深く眠ってからそっと離してやったらどうでしょう。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
おむつをとる時、トイレトレーニングの進め方
余裕とユーモアをもって おむつがとれるのはほかならぬわが子の成長のあかしみたいなものですから、親ならだれだってできるだけ早くとりたいと思うのが人情です。
時期としては一歳半から二歳半のころがいちばんいいチャンスではないでしょうか。
このころには、排泄をコントロールする神経や筋肉が成熟するし、トイレを理解し親に便意を告げる知的能力も発達してくるからです。
ところが問題は、赤ちゃんにしてみれば「しつけられる」ということに対して、それに応えたいという気持ちと、
なんとなくしゃくで反発したい感情が複雑に交錯しているらしいのです。
だから、どのようにおむつがとれるかというのは、しつけようとする親の意志と、しつけられる子どもの意志の相互の関係でかなりちがってくるのではないでしょうか。
とすれば、「トレーニング」などといったドライで一方的な調教みたいにしないで、親と子の心がふれあうようなやりかたでするようにしたい。
少々でたらめがあっても、便意を告げることへの抵抗とトイレへの嫌悪感を固定しさえしなければ大丈夫。
そのためにはいやがるとき、しくじったときに、しつこくこだわらないようにするのが大切です。
だれでもおむつは早くとりたいですから、大いに奮闘したってかまいませんが、そこになにがしかの余裕とユーモアがほしいのです。
排泄のしかたは文化の様式ですから、それになじむよう、親やきょうだいのトイレを見せたり、食事の前後や昼寝からさめたときなど生活の区切りにトイレに連れていったり、
便器にかけたら「シーシー」とか「ウン、ウン」とか声をかけるのはいいことでしょう。
ともあれ、おむつをとるのは悲喜こもごも。
はじめからかんたんにとれてしまう子もいますが、なかなかという子のほうが多いようです。
懸命にやってもだめで、あきらめたとたんにできたというひともいれば、
成功して大喜びしていたら思いがけず部屋でジャーとやられたひとも(笑)
それをまた夫婦して、たがいの育てかたや遺伝のせいにしたり、たいがいは、まあそんな他愛のない騒々しさの中で、どうにかなってしまうものなのですが。
おねしょ(夜尿)
三歳までは、ほとんどの子が夜中におしっこをもらします。
だから、夜だけはおむつをあてているのが普通です。
また、四、五歳でも、五人にひとりくらいは夜中にもらす子がいます。
毎日という子もいますし、ときどきという子もいます。
どっちにしても、そういう子がどこか病気だというわけではありませんし、知能に問題があるわけでもありません。
ちょうど歩きだすのに早いおそいがあるのと同じだと考えておけばいいのです。
親としては、内心のいらだちもあるでしょうが、それは心の中におさめるか、ちょっぴり小言にもらすくらいにして、ふとんの始末だけをさっさとしてやったらどうでしょう。
「おちんちんがくさる」とか「学校に行けない」と脅したり、
ほかの子とくらべて「バカだ」「ダメね」などと子どもをおとしめるのは、もしかして一生にわたる劣等感を残しそうです。
早く「なおそう」と医者通いをしたり、叱ったりすると、緊張して、よけいにもらすようになりかねません。
夕食後にいっさい飲みものを与えないのも心ないことだし、水分の需要の多い子どものからだにとってよいことではありません。
せめて、夕食後は大量に飲むのだけ制限して、寝る前にトイレに行く習慣だけはつけたらどうでしょう。
夜中に起こすのは、かえっておねしょをつくるようなもの。
眠りが妨げられて、神経やホルモンなど排尿をコントロールする仕組みが乱れるうえ、その時間になると無意識的にでもおしっこをするくせがついてしまうといわれています。
夜中にもらしても目覚めないのなら、そのまま朝まで眠らせておくのがいいでしょう。
しかし、おしりがかぶれてきたら、もらしたころにそっと寝巻とシーツをとりかえてやってください。
ふとんが維持できなければ、「おねしょパッド」を買ってきて敷くか、本人がいやがらないかぎりおむつをあてておいてもかまいません。
ただ、いままでもらさなかった子が急におねしょをするようになったときは、なにか精神的な原因があるかもしれません。
思いあたるふしがあれば、それらの手当をしてやることが先決です。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供がしゃべり始める時期
十ヶ月もすぎるころから、たいていの子が自分の名前を呼ばれると振り向くようになります。
「いけません」といわれれば、一瞬でもやめようとするでしょう。
「ちょうだい」といわれれば手にもっているものを渡そうとするかもしれません。
また、自分のほうから「マンマ」といって食事の催促をしたり、「イヤイヤ」といって逃げ出したりする子もでてきます。
こうして赤ちゃんはことばをマスターしていくわけですが、赤ちゃんがことばを理解するようすをみていると、意味を知ってというより、経験上感じを覚えるといったふうなのです。
赤ちゃんの了解することばも、おとなと同じというわけではなさそう。
「ワンワン」ということばでも、ネコやトリまで意味していることはめずらしくありません。
こうしたずれは、なにも性急に改めさせようとする必要はありません。
別にあせらなくても、いっしょに暮らしている以上、いつの間にかちぢまってゆくはず。
赤ちゃんがネコを見て「ワンワン」といえば、たいていのおとなは「ニャンニャンね」とさりげなく訂正のことばを発するでしょう。
それを赤ちゃんはまねして「ニャンニャン」といってみる。
このときは、おとなだって赤ちゃんことばを使っていて、双方から歩み寄っているわけです。
このような歩み寄りが成立する背景には、赤ちゃんとおとなとのあいだに心情面での結びつきがしっかりあるにちがいありません。
ようするに、ことばが通じ合い、さらにお話しに発展するのには、生活をともにし、心が結び合っていることが大切なのです。
このようにみてくると、しゃべりはじめるのが早いかおそいかはひとつも問題になりません。
しゃべりはじめは子どもによって大きな開きがあって、ふつうはお誕生でひとつかふたつのことば、
早い子だと十ヶ月で、おそい子は二歳近くになっても「ア、ア」くらいしかしゃべらない子もいます。
でも、こちらのいうことがわかっていれば、心は通いあっているし、言語の概念も頭の中でできているのです。
そういう子はきっと、たくさんのことばを、それも豊かな文章として頭の中に蓄えつづけているのです。
だから、やっとしゃべりはじめたと思ったら、せきを切ったように話し出すことがあるのでしょう。
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赤ちゃんのひとり立ち
早い子とおそい子では半年の差
お誕生前後になると、ちょっとした拍子に、一瞬ではあるけれど、ひとり立ちすることがあります。
それを発見したときの感慨はいかばかりのものでしょうか。
思わず拍手かっさいをしてしまうかもしれません。
でも、あまり大声ではやしたてると、赤ちゃんが泣いてしまうかも。
まあそれはご愛敬ですが、二度目からは感激をなるべくひかえめにして、静かに励ましてやりたいもの。
ばあいによっては手を貸すなり、支えをそっとはずしてやるなりしてもいいかもしれません。
ひとり立ちは、最初のころは一〜二秒、どすんとしりもちをついては、また立ち上がろうとする動作を楽しんでいるようです。
やがてふらついていた腰がかたまって長く立てるようになると、今度はやたらと立ちたがりだすのではないでしょうか。
そしてひとり立ちがしっかりした赤ちゃんは、片手さえもってやれば、ひょこひょこと歩けるようになっていることでしょう。
ひとり立ちをするようになる時期は赤ちゃんによってずいぶんちがいます。
早い子とおそい子ではゆうに半年近くの開きがあります。
ですから、そのくらいのおくれは気にすることはありません。
せめて、つたい歩きがお誕生ちょっとすぎ、ひとり立ちが一歳二ヶ月くらいまでにできれば、どうということはありません。
それにともなって、ひとり歩きができるようになる時期も、赤ちゃんによって開きがでてきます。
たいていの子は一歳二〜三ヶ月ごろに歩きだしますが、早い子だと十〜十二ヶ月、うんと早いと七〜八ヶ月でひとり歩きする子もいないではありません。
逆におそい子だと一歳半近く、一歳七、八ヶ月になってやっとという子もいます。
ひとり歩きの早いおそいには、どうやらその子の性格も大きく働いているように思えます。
大胆な、わるくいえば向こう見ずの子は早く歩いてしまうし、憤重な、わるくいえば憶病な子は歩くのがおくれるふしがあるみたい。
どちらがいいかはいちがいにはいえないし、親としては、わが子の性格を理解してやることが務めでしょう。
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赤ちゃんづれの旅行
目的によって臨機応変に
旅行のときに赤ちゃんをどうするかは、まず、その旅の目的やら性格によって違ってきます。
赤ちゃんだってひとりの人格と社会的な関係をもっていますから、それとのかかわりで旅行の是非はきめられなければなりません。
実家の祖父母が孫の顔をみたいと望んでいて、こちらもそれに応じる気持ちが強いときには、赤ちゃんはその旅行にしっとりと溶け込めるし、主役として当然欠かすわけにもいきません。
しかし、気がすすまないのに義理で連れていくとすれば、赤ちゃんを両親と祖父母のあいだで不安定にしてしまう恐れがあります。
そのようなときは、できるだけ双方で意向を交わし合って、いくにしろやめるにしろ、心を整えてからにしたほうがよさそうです。
出産につづく育児疲れで、実家に帰って休養したくなったら、赤ちゃんも連れていくことになるでしょう。
勤めのある夫にはまかせられないし、赤ちゃんがそばにいなければ寂しいにちがいないからです。
幸いに父親もまとまった休暇がとれるようなら、一家ででかけると、みんなが寂しくありません。
レジャーで、海や山、スポーツや観光に出かけたくなったときには、赤ちゃんのことをよく考えて、夫婦でじゅうぶん検討してください。
このばあいはまったくの親本位で、赤ちゃんはつき合わされるだけですから、赤ちゃんの体調を考えてがまんするか、無理のない程度にとどめるかしなければなりません。
どんなばあいでも、赤ちゃん連れの旅行では、夫婦の協力が不可欠です。
母親だけが抱きづめ、世話のしづめでは、母子ともにくたびれてしまいます。
運転、荷物運びなど、それぞれの力と体調に応じて、適当な「分業」も必要です。
旅先での環境や交際が赤ちゃんに煩わしいようなら、夫婦して守ってやる勇気を持たなければなりません。
ペースは、赤ちゃんに合わせてゆっくりと。
授乳やおむつの交換、睡眠など、いつもの習慣はくずさないのが、旅行を楽にするコツです。
もし赤ちゃんがぐずりだしたり、病気にでもなったら、予定を変更する度量ももっていなければなりません。
乗り物は、目的地までの所要時間、速度の加わり方、揺れ、混雑など、いずれも少ないほど楽です。
親子とも、生理的にも心理的にも、二、三時間以上の拘束は苦しいのではないでしょうか。
それをこえるときには、途中での休息を考えてください。
乗り物で注意すること
電車
うんとすいている電車を選べば、となりの空いている席に赤ちゃんを寝かせられて、親子とも楽です。
ただし、急停車にそなえて転げ落ちないようにしておくように。
込むおそれのあるときは、指定席をかならずとっておくこと。
禁煙車、禁煙席があればそこに乗るのはもちろんです。
冷暖房がききすぎているときは車掌に申し出てもいいし、込んでいて授乳やおむつの交換がしにくいときには、車掌室を使わせてもらってもいいと思います。
ミルクをつくるお湯は、ビュッフェか食堂車がついた電車ならそこでもらえるはず。
つくったミルクをさますのは洗面所でできるでしょう。
泣きだして座席でどうやっても泣きやまないときは、立ってゆするか、通路を歩くか、デッキにでてみるはかないでしょう。
他人の手前せつないですが、早く泣きやませようとあせるのは禁物です。
自動車
いちばんこわいのは事故ですから、細心の注意が必要です。次に心配なのが疲れ。
授乳とおむつの交換を目安に車をとめ、一日の行程は六〜八時間までに。
冷暖房をかけるときはおとなだけのときよりもゆるめにしてください。
車内の空気がわるくなりやすいので、パーキングのたびにしばらくドアを開けるなど、換気には気をつかってください。
車はとてもくたびれるので、目的地についたらゆっくり寝かすように。
飛行機
生後二週間をすぎれば乗せられますし、三歳までは無料です。
座席は禁煙席でスチュワーデスが近くにいるところを選ぶこと。
赤ちゃん用ベッドや授乳室がある便なら申し分ありません。
不自由を感じたらスチュワーデスにたのめば便宜をはかってくれるでしょう。
離陸のときは、縦に抱いて乳をふくませておくと耳が痛いのを防げるといわれます。
飛行中はつねにしっかり抱いて、ベルトを締めておくこと。
親だけトイレにいくときは隣のひとかスチュワーデスに預け、絶対にひとりで寝かせておかないこと。
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赤ちゃん連れの外出
ひとにふれ、自然になじませる
天気がよい日には、だれだって家にはいたくないもの。
ひとりでは動くことのできない赤ちゃんだってその気持ちは同じです。
赤ちゃんも一ヶ月をすぎれば、外にだすことができるようになります。
ぽかぽか陽気に誘い出されるように外にでて、明るい光や花のにおい、木々の緑のなかに身をおけば、わざわざ「外気浴」だの「日光浴」だのと、自然を物理的な要素に分けて赤ちゃんの体への刺激にするといった意識は、どこかにとんでいってしまうでしょう。
「外気」は空であり、風であり、香りであり、「日光」は輝きであり、ぬくもりであり、色彩。
これらは、ただの皮膚や内臓への生理的な効果をはるかにしのいでいます。
赤ちゃんとの外出はこのような自然とのなじみをつくってくれるだけでなく、ひとびとにふれ、世のありさまを見聞きする機会ともなるでしょう。
見ず知らずのひとが不意にのぞきこんだり、あやしてくれたりします。
ときには抱っこしてくれるかもしれません。
その感じは、親とはずいぶんちがうのではないでしょうか。
赤ちゃんは、そうした喧騒のなかで、しだいにこの世となじんでいくのです。
外に出たときは、移動ばかりでなく、できるだけのんびりと座っているひとときをもちたいもの。
寒い季節でも風の強くない日だまりを、暑い季節でも木陰のすずしい風の通る場所を選べば、親子ともゆっくりできるのではないでしょうか。
外にいる時間は、のんびりと「そろそろ帰ろうか」といった気分できめてよいのでは。
用事での外出
用事で出かけなければならないときに、家にもう一人以上のおとながいなければ、赤ちゃんをどうするかが問題になります。
ごく短い時間、ゴミを捨てにいくとか、近くの店で小物を買ってくるといったことなら、赤ちゃんをひとりでおいていっても大丈夫でしょう。
眠っていたり、おとなしく遊んでいたりするのを兄はからい、ベッドの柵やふとんの具合などの安全を確かめて、急いで用をすませてください。
ただ、生まれて間もない子をうつぶせのままにしておくのは危険です。
ちょっとのあいだでも、鼻と口がふさがれば、窒息してしまう危険性があるからです。
乳をのませたあとすぐ寝かせて出かけるのも、吐いたときに気管をつまらせる恐れがあります。
三十分以上のまとまった時間がかかる用事のばあいは、赤ちゃんだけおいていくわけにはいきません。
だれかに預けるか、自分が連れていくか、用事の性質と、親子の体調と気分、天候などによって判断してください。
だれかに預けるばあい
預ける必要を感じたときは、遠慮せずに思い切って先方に頼むこと。
このばあいは、相手に対して平素から礼をつくしていることが条件になるでしょう。
頼む相手としては、近いことと、赤ちゃんを知っていて、親ともなじんでいてくれる人が最高でしょう。
そうした人とは、預けたことがきっかけになって、たがいに助け合える間柄になれそうです。
預けて出かける場合には、ついでに何件かの用事をまとめてすませてしまうようにしたらよいと思います。
郵便局、銀行、買い物など、要領よくすれば、けっこう回れるもの。
ただ半日以上かかる用事、冠婚葬祭とか、自分の病院行き、同窓会などのときには、すこしぐらい遠くても、親戚か、懇意な友人に預けたほうが気が楽かもしれません。
いっしょに連れて出るばあい
気楽な用事で、道中は安全、天気も上々といった日には、のんびりと親子で出かけるのもわるくないでしょう。
少々気の張る用事でも、赤ちゃんに無理をかけないですむのなら、いっしょにつれていったほうがいいかもしれません。
ただし、赤ちゃんを連れていく場合には、とにかく早く用を切りあげて帰ること。
せいぜい二時間以内でしょうか。
病院とか人ごみなど、病気をうつされやすいところは避けてください。
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親に甘える
甘えは不安の裏返し
幼い子は、親に対して、大なり小なり甘えん坊です。
親は、幼い子から見れば、大きくて力があって、頼りがいのある存在、自分の生きることのほとんどすべてを世話にならなければならないひとです。
やさしく抱かれ、愛撫されれば安心できるし、困難に陥ったとき、ちょっと助けてくれるだけでどれだけ救われることか。
だから親としては、これには相当に応じてやるべきでしょう。
ただ甘えたいだけでべたべたするときでも、こちらに受け入れる余裕のあるかぎり、甘えさせるのもわるくありません。
親に十分甘えられた経験は、子ども時代を安定させるだけでなく、おとなになってからの心のおおらかさのもとになるような気がします。
もし、冷たく突き放されたら、孤独で、満たされぬ甘えを一生にわたって持ちつづけることになるかもしれません。
子どもには、つねに親がいなくなる不安がつきまとっているのではないでしょうか。
しらぬ間にどこかへ行ってしまったとか、自分のことを忘れたかのようにぼうぜんとしているとか、何かに夢中になっているのを見ると、子どもはいてもたってもいられなくなるようです。
これも、やはり、保障してやらなければ。
いつでもそばにいてくれる。
いなくなってもすぐもどってくる。
それがかなわぬときでも代わりのひとがいるという信頼がないと、身がもちそうにありません。
甘えには、身をゆだねることによって、相手から自分の求める行為を引き出すという意図が働いているばあいもあります。
それが察知されたときには、要求そのものに正面から立ち向かってやりたい。
そして、きける要求はきく、のめない要求はきっぱりと断るのがよいでしょう。
そうすれば、結果としてどうなっても、卑屈な態度は取らなくてすむようになるでしょう。
態度だけ責めて要求ははぐらかしたり、逆にかわいさから無条件に受けいれてしまっては、この種の甘えをなくすことはできそうにありません。
しかし、あまり度をすぎて甘えさせるのは考えもの。
いくらかわいいからといって、いつまでもべたべたさせておくのは、子どもからもっと充実した行動をする意欲を奪ってしまいそうです。
いっしょになにかを始めるとか、親から離れたくなるほど魅力的な遊びに気づかせてやる工夫が必要です。
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子供とお風呂に入る
赤ちゃんをおふろに入れるのはとてもたいへん。
でも、裸のわが子を抱いてお湯につけ、心をこめて洗ってやるのは、なんともいえない気分にちがいありません。
赤ちゃんの小さいうちは、ベビーバスがよく用いられますが、
あれはどうも「洗う」という感じのほうが勝っているのではないでしょうか。
もちろん、それでも十分に「おふろに入れた」という満足感があり、そのやりかたが楽ならば、べつに悪くはないのですが。
でも、どちらかといえば、生まれて間もない子でも、普通のおふろに親が抱いていっしょに入るほうが楽だし安全、
なによりも親子が肉体を密着させることができるので、これほど情のこもる入れかたはないのではないかと思うのです。
ただ、いっしょに入ったとき、自分も同時に洗ってしまおうとすると、ひどくあわただしいし、のぼせがち、とてもゆったりはできそうもありません。
とくにひとりだけのときは、脱衣場に置いた赤ちゃんのことが気がかりでならないでしょう。
これはベビーバスにしても同じで、ひとりだと不自由。
とにかく赤ちゃんのおふろはふたりがかりで入れるにこしたことはなさそうです。
とすると、いちばんは夫婦が揃うときに入れるのがよい。
そのために少々おそい時間になってもかまいません。
赤ちゃんのからだにとっても、入浴は清潔のためだけではない大きな意味があります。
血液循環がよくなる、身体機能をよくするといった効能は、まだ自分ではほとんど動けない赤ちゃんには、かっこうのエネルギーの発散になります。
ただ、おふろの温度には注意を払ってやりたいものです。
いちばんいいのは、まずおとなが入ってすこしぬるく感ずる湯加減にそうっとつけて、しばらく赤ちゃんのようすをみることです。
気持ちよさそうな顔で、息も落ちつき、手足は動かしても全体に不安がなくほぐれた感じがあれば、その温度が最適なのでしょう。
もし安定よく抱いていても落ちつかないようなら、静かにかきまぜながら、温度を上げてみてください。
そのときには温度計は必要ありません。
やむをえない事情でひとりのときはもちろん、ふたりのときでも落ち着いて、とくにころんだり、やけどさせないように。
湯上がりはゆっくりと、すこしさめてから衣類を着せること、このくらいで「湯ざめ」はしません。
銭湯
内ぶろがなければ、生後一カ月をすぎたら銭湯につれていってかまいません。
ただし、あまり込まない時間で、手伝ってくれるひとがいるときを選ぶのがよいでしょう。
赤ちゃんをだれかに預けるか、落ちる心配のない安全な場所に寝かせて、
自分だけ先に入浴をすませ、それから赤ちゃんを裸にしてしっかり抱き、すべらないように気をつけてお湯をつからせてやるのです。
それでも熱そうなら水を入れている蛇口のあたりにしたらどうでしょう。
洗うときはどっかりと座って、腕から落とさないように。
お風呂を嫌う子
裸にするだけで泣きだす子は、お湯につけようものなら震えて激しい泣き声をたてるでしょう。
そんな子は、うんときつめに抱いて、要所(頭、顔、耳の後ろ、首、わきの下、おへそ、陰部、肛門などくびれたところ)だけでも洗い、お湯につけるのもさっとすませたらどうでしょう。
あまりたいへんなら、毎日きちんと入浴させることもありません。
夏は洗うだけにして、お湯につけるのはやめてもよいし、冬なら二、三日に一度で間に合うと思います。
内風呂にひとりで入れる
次のような手順でやれば楽でしょう。
(1)冬には、脱衣場と浴室を寒くない程度に暖めておく(感じでよい)。
(2)赤ちゃんを、衣類を着せたまま、危なくないように脱衣場に寝かせて、おとなが先に入浴をすませてしまい(揚ぶねにつかってよい)、その後、湯かげんを少しぬるめにしておく(温度計は不要)。
(3)おとなが軽くからだをぬぐってから、赤ちゃんを裸にしてしっかり抱き、浴室の床にどっしり座って、ひざの上で「かけ湯」をしながら、石けんで全身を洗う。
(4)洗い終わったら、お湯に手を入れて赤ちゃんの好みの温度に調整し、赤ちゃんを抱きしめなおして湯ぶねに入り、ゆっくりとつかっていく。
(5)お湯につけたとき、赤ちゃんが気持ちよさそうにしていれば、のんびりあやしながら楽しむ。
お湯が熟そうなら少しずつ水をさし、ぬるそうなら温度をあげるセットをして静かにかきまぜる。
ノブから熱い湯を入れるのは危険。
「さし湯」は、面倒でも赤ちゃんを引き上げてからにする。
(6)お湯から上がったら、赤ちゃんを脱衣場に敷いたバスタオルに寝かせ、もう一枚のバスタオルをかけておいて、おとなが先に着てから(そのくらいのあいだは「湯ざめ」しないのでゆっくりでよい)、赤ちゃんに着させる(脱衣場でなく部屋につれていってからでもよい)。
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子供の離乳時期について
赤ちゃんが三、四ヶ月になると、そろそろ「離乳」のことが気になってくるでしょう。
この時期には離乳の準備をはじめ、五ヶ月ごろには本格的な離乳に入らなければならないと、たいていのひとが本を読んだり、医者や保健婦に聞いたりして、にわか勉強を始めるようです。
なんだかたいへんなことのようですが、離乳というのは、つまり、おっぱい以外のものを食べさせること。
赤ちゃんは自然に人間の食べるものを食べだすようになっていますから、そんなにむつかしく考える必要はありません。
自然体、あくまで気楽に、暮らし向きにあった方法でやるにかぎります。
そためには、まず「離乳」ということばにとらわれないのがいい。
赤ちゃんにただおっぱい以外の食べ物を与え始めるのを、そんな固いことばで考えるから、必要以上にむつかしくなってしまうのです。
栄養とか、「そしゃく」や「えんげ」の機能といった生理上の問題はありますが、それらにしたところで、常識で十分判断できること。
かえってむつかしく考えるとうまくゆかないくらい。
だから、「離乳」をほとんど意識しない二番目から後の子のほうが、なんとなくスムーズに進んでしまうのでしょう。
とすると、とにかく赤ちゃんのようすによるのがいちばん。
赤ちゃんがおとなの食べるのをじっと見つめ、口をもぐもぐさせたり、身を乗り出して手をばたばたさせでもすれば、それをきっかけにして与え始めてみるのです。
このような親と赤ちゃんの気持ちが触れあった瞬間がまさに食べさせ始めるときなのだと思います。
そして、食べるようなら大胆に進め、嫌うようならゆっくりするというふうにしたらどうでしょう。
赤ちゃんによって食べかたはちがうのだし、少々の失敗やつまずきはだれでもあるもの。
それを反省し修正しながらやってゆくのが本当のところなのです。
親の気持ちだって、もっと素直に出させてもらってもいいのかも。
「標準」とちがうからといって食べさせたいものをすべて我慢するのは、いかにもつらい。
口移しに食べさせるのだって、衛生面からだけで遠慮するのは水くさい感じがします。
食品にしても、あまりに計算ずくなのはどんなものか。
工業的大量生産のベビーフードなんかよりも、食卓にある料理で赤ちゃんが欲しがるものを適当にアレンジして与えるほうが、ずっと心が通うし、
よく食べてもくれると思うのですがどうでしょう。
離乳食で注意すること
離乳は気楽にやるとしても、赤ちゃんに食べさせるものは安全でなければなりません。
いまいちばん気をつけなければならないのは、材料そのものと添加物に含まれるかもしれない有害な人工物質です。
したがって、離乳を親といっしょに進めるばあいは、この点から家族の食生活を注意しなければなりません。
「材料」は少々手間がかかって高くついても、ほんものの自然食品を手に入れたい。
それができないばあいは、もったいないけれど、
果物なら皮をむき軸に近い部分は捨てる、
野菜は念入りに洗って皮のむけるものはむき、葉の付け根に近い部分は用いない、
魚介類は内臓を捨てる、
といった手の入れかたをしたほうがよいでしょう。
「添加物」については、まず表示をよく読むこと。
一般に、使用材料が多種で加工度が高い製品は避けたほうが安全。
中でもインスタント食品はもっとも危険が大きそう。
計り売りのおそうざいなど添加物の表示がないものは、色や光沢、食べてみての感じで選ぶか、信用できる店で買うほかありません。
離乳食の調理法
まずは形式にとらわれないこと。
離乳の初期(五〜六カ月)にはどろどろ、べたべたしたもの、
中期(七〜八カ月)には舌でつぶせるもの、
後期(九〜十一カ月)には歯ぐきでくだけるもの、
といった指導を受けることが多いでしょうが、これを守らなければならないわけではありません。
赤ちゃんによって好まれる調理はさまざま。
いろいろと試してみることです。
次にあまりビューティフルにつくろうとしないこと。
赤ちゃんをかかえた生活はた離乳食の食べさせ方ベビーフードについてだでさえ忙しいのですから、自分たちが食べるものを適当にアレンジして与えるほうが、ずっと手間がかからず経済的です。
離乳食の食べさせ方
なにはともあれ、おとなといっしょに食べさせるのがいちばん。
赤ちゃんはおとなの食べるのを見て食欲をそそられるし、食べかたも真似しやすいでしょう。
おとなだって、赤ちゃんといっしょに食べるほうが楽しいし、おいしいにきまっています。
ただ、現実には、赤ちゃんの目覚め、おなかのすきぐあいと親の都合とで食事の時間がきめられることになるはずです。
ときには、おとなの食事時間をずらす工夫も必要になってきます。
赤ちゃんといっしょに食べるということは、そうしたつき合いが要求されるということは忘れないようにしてください。
ベビーフードについて
ベビーフードはつくる手間が省けて便利ですが、赤ちゃんの食べものとしてはすすめたくありません。
というのは、なにより栄養価とか赤ちゃんの生理機能とかが平均的に計算されている点が不自然だからです。
ようするに、ひとりひとりの赤ちゃんのためにつくられているのではないということは忘れないでほしいと思います。
使うとすれば、自分でつくるのがむつかしいレバーペーストを与えたいときと、親が病気などで一時的にベビーフードでがまんしてもらうばあいなどでしょうか。
せいぜいそのくらいの出番、とうてい赤ちゃんの食事の主役にはなりえないものです。
離乳の悩み
食べものを受けつけない 食べさせはじめによくあることです。
これは親の食べさせたいという思いが、赤ちゃんの食べる気にマッチしていないだけのこと。
はやる気持ちはおさえて、しばらく離乳を見合わせるにかぎります。
この時期は食べる量は知れているので、半月やひと月おくれてもどうということはありません。
そのかわり、親が食べるのを見せるようにしてください。
やがて、じっと見つめたり、口をバクバクさせたりするようになるはずですから、
そうなったら親の食べているものをちょっぴり口に入れてみるのです。
また、食べることは食べるがほんのわずかというときも、あせりは禁物。
こういう子はまだ母乳かミルクのほうがよくて、食べものにはなじまないのでしょう。
わずかでも食べさせ続けていれば、いつかはたくさん食べ出すものです。
急に食べなくなった
食べさせはじめて一〜二カ月のころに、急に食べなくなることがよくあります。
食べさせようとすると手で妨害したり、口から吹きだしたりしだしたのなら、食べることに慣れて遊びが入ってきたのかもしれません。
そのときは食べさせることに懸命になるよりも、食事を楽しい遊びにしてやることのほうが大切。
そのうちまた食べだすときがくるはずです。
赤ちゃんのようすがどうも変、元気がないというときは、もちろん病気を疑わなければなりません。
離乳食とアレルギー
しっしんができたり、胸をぜろぜろいわせたりしていると、医者から「アトピー」だとか「アレルギー体質」と診断され、卵や牛乳は避けるようにいわれることが多いのではないでしょうか。
そういう場合には、まず落ちついて事実をよく確かめてみる必要があります。
いままで何ヶ月もミルクを飲ませてきて、なんの異常も現れていなければ、まず牛乳アレルギーではないでしょう。
少なくともひどくはないはずなので、食べ物にはいっさい牛乳を使わないなどという極端な制限はしなくてよいと思います。
母親が牛乳や卵を食べていて、母乳を飲ませているのなら、アレルギーの可能性はないではありませんが、その場合は試してみればよいでしょう。
少しずつ牛乳や卵を与えてみて、しっしんやぜろぜろが悪化することがまったくなければ、まず関係はなさそうです。
量をふやしても変わらなければ、アレルギーではなかったということです。
でも、与えたとたんに明らかに悪化したり、これまでになかった異常がでたばあいは、アレルギーの可能性が大です。
与えるのを中止して、ひと月ほどしてからごく少量を再び試してください。
それで悪化しなければ、少しずつ増量する。
だめだったら、またひと月後とくり返すのです。
食物のアレルギーは消化力がつき免疫機能が成熟するにつれておきなくなるものですから、あきらめずにくり返してみることです。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
赤ちゃんと遊ぶ
ときとともに赤ちゃんは家族の一員といった感じの存在になってくるでしょう。
顔つきは気心の知れるようすに変わってくるし、からだも丸みを帯びてひとを誘う魅力を持ってきます。
そのころになると、育児に追われていた親にも少し余裕が出てきて、子どもとつき合おうかという気分になるもの。
こうして、あの親バカといわれる「かわいがり」が始まります。
かわいさのあまり、大切に大切にという親の気持ちはわかりますが、
いまの育児にいちばん欠けているのは「動かす」ということではないでしょうか。
赤ちゃんも人間、動物の一種なのですから、動かずに寝かされてばかりいるのは、どんなにつらいかしれません。
それに赤ちゃんはそんなに弱い壊れものではありません。
うんと大胆に、もっと多くの時間、体を動かしてやってください。
暮らしの中に、折にふれて、動かしてやるチャンスはいくらでもあるはずです。
「赤ちゃん体操」を覚えるのも悪くありませんが、義務みたいになるとかえって苦になりますし、形式ばかりにとらわれるのは赤ちゃんにも迷惑です。
とにかく親と子おたがいが楽しむことがいちばんなのですから、「体操」なんかより自由な遊びのほうがずっといいのではないでしょうか。
ひざに乗せて「ギッタンバッタン」したり、
頭の上で「たかいたかい」したりするのは、それなりの運動量になりますし、
慣れて「キャッキャッ」と喜べば、かわいさもひとしおでしょう。
遊ぶのは、自然に、そのときどきの気分に応じてでいいと思います。
たとえ赤ちゃんが眠っていたり、かまわれるのが迷惑そうでも、かわいがりたくなったら、少しぐらいちょっかいを出したっていいではないですか。
もちろん、ひどく迷惑そうなときには遠慮するし、逆に赤ちゃんのほうから親を求めてくるときには、できるだけ応じてやる度量がなければならないでしょうが。
とにかく、赤ちゃんとはできるだけ遊んでほしい。
「あやしている」つもりが、じつは「あやされている」ような関係。
それが親と子のいつわらない姿なのかもしれません。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
赤ちゃんの夜泣きの原因と対策方法
昼間の過ごし方を改めてみよう
夜中に突然赤ちゃんに泣き出されるのは、なんとも切ないものです。
夜ごとに何度も泣かれると、わが子ながら面倒くさく、ときには憎らしくさえ感じることもあるでしょう。
でも、なんとか頑張って面倒をみてやれるのは、やはりそれが親であるゆえんですよね。
三、四カ月未満の赤ちゃんが夜に泣くのは、切実な生理的要求にもとづいています。
おなかがへった、のどが乾いた、暑い、寒い、着物やふとんの具合が悪い、あるいは、どこかが痛いとかかゆいといった気の毒な状態さえもあります。
敏感な子では、おしっこがでたり、頭や手足が無意識に動いたりしたときなどに、ビクッとして、泣きだすこともあるようです。
これらに対しては、親は眠いからといって放っておくわけにはいきません。
「夜泣きは泣かせておけばなおる」という通説ほど赤ちゃんに酷なことはありません。
それよりも、原因を考えて面倒をみてやるほうが、親子とも楽になるでしょう。
子供の夜泣きの原因は?
四、五カ月からのちの夜泣きには、赤ちゃんのこころが深く関係してきます。
親があまり赤ちゃんにばかりかまけていると、赤ちゃんは図に乗ってくるかもしれません。
ぐずぐずと甘え泣きばかりするようなら、すこし放っておいてみることです。
お誕生が近くなってくると、夜中に遊びたくなる子もいます。
これも、なるべくかまわないで、ひとりで遊ぶくせをつけるようにしむけるのがよいでしょう。
しかし、あまり突き放してばかりいると、赤ちゃんのこころは傷つきます。
別室にカギをして知らぬ顔より、身近に寝かすとか、せめて、眠りがけにはそばにいてやりたいもの。
大切なのは、できるだけ、昼間から遊びの相手をしてやり、日光や外気や、世の中の文化にもよくふれて、たがいにこころを満たし、適度に緊張した生活のリズムをつくっていくことだと思います。
とりわけ、自分では十分に体を動かせない赤ちゃんを、おとなが手伝って運動させてやること。
「たかいたかい」とか、我流でけっこうですから、思いきって振り回してやってください。
ここで育児の参加を渋りがちなお父さんの出番ではないでしょうか?
男性はだいたい照れ屋なのでお母さんから声を掛けてあげてみてください。
毎夜の夜泣きをひとりで背負い込むと、たいていのひとが疲れ果ててしまうでしょう。
そんな悲惨なことにならないためには、どうしても夫婦の協力が欠かせません。
明日の仕事に支障があるからといって知らんぶりをするなど許されようはずがありません。
夜泣きの対策
夜によく眠れるようになりそうな工夫を考えられるだけやってみてください。
日中に外に出る時間を多くする、
暇をみてはうんとからだを動かしてやる、
夜寝かせつける時間をおそくする、
夕方に昼寝する習慣のある子は早めに起こす、
昼と夜とをとりちがえたみたいな子は日中に長く眠らせないなど。
次に、夜の熟睡を妨げそうな原因をチェックします。
部屋とふとんの中の温度(暑さ、寒さ)、
おむつと着物(窮屈さ、しわ、着せすぎ)、
ベッド(よく動く子だと狭くて苦しい)、
姿勢(うつぶせ寝がよい子もいる)、
かゆみ(湿疹、あせも)、痛み(おむつかぶれ)など。
これらのことをひととおりやってみても夜泣きがおさまらなければ、そういう子として覚悟をきめて対応するしかありません。
寝かせる場所は、できるだけ親のそばに。いちばんいいのは同じ寝床に添い寝することです。
これだと、ぐずりはじめたときに、機を失うことなくなだめることができます。
なかには、抱いて歩きまわったり、戸外に出ないと泣きやまない子もいます。
そのときも早く寝かせようとあせらないことです。
ようやく眠った子をベッドにもどすときも、あせりは禁物。
すやすやと寝息をたてていても、すぐには降ろさず、からだがほぐれてずっしりと重い感じになってから、抱いたままベッドに寝こむようにします。
そして赤ちゃんが落ちついてからそっと腕を抜くようにすれば、再び泣き出されることは少ないでしょう。
抱きぐせについて
赤ちゃんが定まらぬ目で親を追い、クスンクスンと鼻をならし、手足を踊らせて抱っこを要求したときには、できるだけこたえてやるべきです。
すぐには応じられない場合には、「ちょっと待ってね」と声をかけ、間があきすぎてしまったら
「ごめん、ごめん」と念入りに抱きしめてやったらどうでしょう。
しょっちゅう抱いているとくせになるからとか、甘やかして自立心の成長を妨げたくないといった理由で抱かずにいるのはどんなものか。
親を求めているときに抱いてもらわなければ寂しいでしょうし、デリケートな子やエネルギーの強い子は、不安で落ちつきを保ちにくいでしょう。
赤ちゃんには自然な情のままにかまってやり、ひとへの信頼をもってもらうことが大切です。
カテゴリー:赤ちゃんや子供のしつけ
子供の寝かしつけ方と気をつける点
赤ちゃんの安らかな眠りは、あわただしい育児のなかのひとときのやすらぎ。
たまった家事や用事を片づけたり、夫婦の語らいをするチャンスも、このときを逃すとなかなかみつかりそうもありません。
でも、だからといって、親の都合で一方的に眠らせようとするのはどうかと思います。
赤ちゃんには、その子なりの生活のリズムがありますし、成長につれて変わってもきます。
眠くもないのにベッドに入れられ、抗議の声をあげても無視されたら、怒ってしまうでしょう。
そもそも親と子は共同生活者、子どもだけを別に、早く寝かせようとするには無理があるのです。
たとえ、そのときはあきらめて眠ったとしても、行きあたりばったりな寝かしつけは、
生活のリズムを乱して、乳の飲み方を悪くしたり、ぐずりをもたらす可能性があります。
では、赤ちゃんに眠ってほしいと思ったらどうすればいいでしょうか。
それは心底から「頼んで」みることです。
まだわからないからと、さっさと床に入れてしまうのでなく、「用事があるからね、寝ていてね」とほおずりでもして、しばらく傍らにいてから離れるのです。
それでもぐずられたら、あきらめるか、どうしても手をかけられないときには、そのまま放っておくのもやむをえません。
でも心底頼んでおけば、情緒は安定するのではないでしょうか。
眠る時間も、本に書いてあるような、なんヶ月の子はなん時間眠らなければならないといった「標準」にこだわる必要はありません。
あれはあくまで目安、平均の話にすぎません。
赤ちゃんによって、また家庭の生活様式によってちがうのがふつうですから、ようするに、赤ちゃんの好きにまかせておけばよいのです。
すくなくても目覚めた時にきげんがよければ、眠りは足りていると思っていいでしょう。
ぐずぐずと眠そうなのに寝つかれないようすがあれば、なにより安心させてやること。
そのためにはとにかく抱いてやることです。
そして、うんとスローなテンポでゆすってやったらどうでしょう。
そうすれば自然にそれにあわせて語りかけたり、歌ってやることになるはずです。
静かになってもすぐに降ろすのではなく、しばらく抱きつづけてからそっとベッドに降ろすこと。
赤ちゃんを寝かしつけるときに大切なのは、それを形式化しないことです。
いくら忙しくても、寝かしつけるときはやさしさをこめてやるべきです。
うつぶせ寝
赤ちゃんの寝かせかたや抱きかたは、たぶんに民族の風習です。
アメリカ人はうつぶせ寝をさせることが多いようですが、無理にまねをする必要はありません。
よくいわれるようなうつぶせにすれば頭の形が良くなるという根拠もなさそうです。
赤ちゃんによっては、あおむけだと寝つきにくく、うつぶせにしたほうが安定する子がいるかもしれません。
そのばあいはやむをえませんが、うつぶせ寝だと窒息や突然死の危険があるので、敷きふとんはかたく、必ず誰かがそばにいるようにしてください。
添い寝
赤ちゃんを親のふとんの中に入れるか、ふとんを並べて寝かせる添い寝は、日本人の感情と生活様式に根ざした昔からの風習。
そばに寝かしておけば赤ちゃんを見つめ愛撫することができるし、眠っているあいだに赤ちゃんになにかあっても気づきやすい。
また、赤ちゃんがぐずりだしたとき、タイミングよくかまってやれるのもいいところです。
これは現代に生かしておいてよい伝統ではないでしょうか。
ただ、乳房をふくませながら眠ってしまうと窒息させる危険があるので、疲れているときは避けること。
添い寝させると眠れないとか、ベッドでスペースがないときでも、せめて同室には寝かせてほしい。
寝室のレイアウト
赤ちゃんができると、空間、とくに寝室をどうするかが問題になってきます。
生まれたてのころは、大切に専用のベッドに寝かせておくのが普通でしょうが、それにしてもそのベッドをどこに置くかは、なかなかの問題。
オール母乳なら母親のそばにかぎるにしても、二人の床に添えるか、母子だけ別に寝るかについては、夫と妻子とのスタンスの取り方もかなりかかわってくるのではないでしょうか。
ミルクばかりの場合には、どちらが授乳するかによって位置がきまってくるはず。
添い寝のばあいだと、夫婦のベッドのどこに寝かせるかが問題。
どちらかの端に置くのは赤ちゃんを落とす危険があります。
そうかといって、夫婦の間にはさむのも、よほどひろいベッドでないかぎり、窮屈で二人ともゆったり眠れなくなるかも。
この点、日本式のふとんか洋式のマットだけにすれば楽ですが、どうしてもベッドがよいのなら、父親だけ降りるか、母子が別の床をつくるか、子どもだけ離して寝かせるか、いろんなバリエーションを工夫するほかないでしょう。
赤ちゃんを長時間ひとりにしない
ごくごくまれなことですが、なんにも異常のなかった赤ちゃんが、ふと見たら死んでいたということがあります。
原因はわかっていませんが、赤ちゃんを長いあいだひとりにしておいたときによくおきています。
ですから、赤ちゃんを長時間ひとりにしておくことは絶対してはなりません。
夜はおとなのそばか、せめて同じ部屋で寝かせるようにしましょう。
「突然死」といってもあっという間に死んでしまうのではなく、
たいていうなったり、吐いたり、ひきつけたりといった苦しむ時間があるので、そばにいればその気配を察することができます。
赤ちゃんが眠っているあいだは、ときどきようすをうかがい、ふとんが顔にかぶさっていないかに気をつけ、うつぶせ寝のばあいは敷きふとんをかたくしましょう。
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ミルクで育てる
どうしても乳房がよく張ってこず、赤ちゃんが始終泣きづめるようになったら、ミルクに切り替えるのもやむを得ません。
そのさい、母乳でないと病気への抵抗力が弱くなるとか、アレルギー体質になるとか、栄養と発育に偏りがおきやすいといった意見が気になるでしょう。
確かに栄養と免疫の点で母乳が優れているのは事実ですが、それも初乳、せいぜい一カ月くらいまでに強調されることです。
大切なのは、母乳かミルクかよりも、母と子の双方に無理ながんばりを強いないこと。
赤ちゃんを育てるのは日々の暮らしですから、母親が自分で選択を迫られていったん決断したら、あとはあっけらかんとミルクを与え始めるにかぎります。
子どもにわるいとか、だめな母親などと思いわずらうことなどまったくありません。
なんといっても、ミルクで育てる最大のメリットは父親にもやれるという点でしょう。
子育てにこれを生かさない手はありません。
哺乳瓶で授乳するときでも、赤ちゃんの息づかいは十分肌で感じることができますから、父親にもミルクをやってもらって、日頃一歩ひいている感のある男親を育児へと誘ってみたらどうでしょう。
ミルクを使うときには、どうしても数字にとらわれてしまいがちです。
ミルクの缶には一回の量と一日の回数の目安が書いてありますし、母乳とちがってミルクの場合は飲んだ量がはっきりわかるからです。
ここがむつかしいところだけれど、まずまず母乳と同じように好きなだけ飲ませていて大丈夫なのではないでしょうか。
飲みの悪い子だと心配になりますが、顔色も元気も良くて最低限の発育さえ確保していれば、あせらずにようすをみることです。
逆に、あんまり飲みすぎとか太りすぎと思われたらセーブしたくなるでしょうが、少々飲みすぎてもまあ大丈夫。
二、三カ月たつうちに大半が落ち着きます。
せめて一日一リットル、一回200ccをこえなければよいでしょう。
飲むのが少なくても、きげんがよく、体重が最低線を維持していれば気にしないことです。
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おっぱいの上げ方
あせらず、自然体で
クスンクスンとぐずりはじめた赤ちゃんに、張りつめた乳房をあてがうと、むしゃぶりついて飲みはしてしまう。
そのときほど母親になったよろこびを実感することはないのではないでしょうか。
おっぱいをふくませるというのは、ただ育てるための栄養を与えるという行為ではありません。
母親と赤ちゃんの人間的な交渉として、たがいを探り合うという面が多分にあるものです。
ですから、うまく授乳できるだろうか、という不安はだれもがもたざるをえないでしょう。
理想どおりに飲ませようと気負えば気負うほど、かえってぎこちなくなってしまうよう。
型どおりの授乳法にとらわれず、自分にとって楽なやりかたを工夫してゆくようにしたいものです。
飲む間隔にしても、飲む量にしても、赤ちゃんによってじっにさまざまですから、だれもが同じようにはいきません。
だから、よその子とくらべて同じように飲まなくても気にすることはありません。
おっぱいがよく出ないばあいは不安になるでしょうが、産後一カ月くらいは調子に乗らないのがむしろ普通。
赤ちゃんが泣いたときに根気よくふくませていれば、たいていは、しだいによく出るようになるはずです。
逆に、乳房はよく張るけれど赤ちゃんがほとんど飲んでくれない、ようやく吸いついても、すぐ寝入ってしまう、といったときにも、じっと待つことが求められます。
時間がきたからといって無理におこして、乳首をふくませようとしても、だめ、かえっていらだちが増すばかりでしょう。
そんなときは、じっと赤ちゃんの寝顔に語りかけ、そっと抱くだけにしてください。
こだわりがすっと薄らいでゆくことでしょう。
授乳にあたっては、楽な姿勢でやるのがいちばん。
いつもきちんとしようと努めるより、疲れていれば寝ころび、興が向けばテレビや本を見ながらのほうがずっと気持ちよく飲ませられるにちがいありません。
そうしながらでも、赤ちゃんが飲みやすいように、そして苦しくならないように気をつけていれば、それでいいはずです。
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子供のしつけを「押しつけ」と混同していませんか?
子どもが赤ちゃんを卒業するころになると、親はだれでも「しつけ」にとりかかることになるでしょう。
世の中のマナー、よいこととわるいことの区別だけは教えておきたいと考えだすのです。
これは一見当たり前のことのように思われますが、
でも、いったいなぜ「しつけ」は必要なのでしょう。
どうして親は熱心にしつけにかかるのでしょうか。
それはたぶん、そうしておかないと大きくなったときに困る、世間からはなつまみものにされかねないといった恐れを持つからでしょう。
そのうえに、きちんとした人格をつくってやりたい、他人に迷惑をかけるような人物には育てたくないといった希望もオーバーラップしているかもしれません。
そうだとすると、「しつけ」は、多分に世間的な価値とか効用をはらむ性質のものかと思われてきます。
つまり、世の中で成功するための、いわばマニュアルを仕込むことといったらいいすぎでしょうか。
しかし、すくなくとも、これを普遍的な「道徳」の教育と考えたら、かなりのお門違いといわなければならないと思います。
だいたい、「道徳」というもの自体が、どこでも通用する善であるとか真であるとかは、かならずしもいい切れないことでしょう。
早い話が「よいこととわるいことの区別」といっても、時代とか社会の状況によってずいぶん異なってきます。
同じ今の日本でも、階層とか地位、ひとりひとりの性格や人生観によってかなりちがってくるでしょう。
「しつけ」をむつかしく「道徳教育」などと構えないで、もっとリアルに個々の感覚でやるに徹したほうが無理がないような気がします。
だいいち、親にはそれぞれ子に対する期待があるはず。
その願いをそのままぶつけたらどうでしょう。
子どもとまわりのひとがぶつかり合うことによって、たがいに人間的に熟してゆければそれが最高なのだと思うのです。
気持ちをそのままに
育児に「しつけ」はいらないとはいいませんが、少なくも、そのやりかたを変えて、のんびりしたほうがよさそうに思います。
そんなにいっしょうけんめいにならなくても、子どもはけっこう育ってゆきます。
大人の目からみて、いやなこと、困ったことでも、子どもにとってはごく当たり前、
ひとつも「異常」ではないことだって少なくありません。
赤ちゃんが「指しゃぶり」をやりだすと、たいていのお母さんはあわててその手を払いのけます。
でも、指をしゃぶらない赤ちゃんがいるでしょうか。
二、三歳だって、ひょっとすると小学生でも、ときに指をくわえる子はいます。
でも、なんということなしに、おとなになっていっているでしょう?
「おちんちん」をいじるのにしても、母親にとっては「いやらしい」行為に感じられるかもしれませんが、これも「指しゃぶり」と同じように、子どもにはもともと自然な行為なのです。
それに恥じらいを感じるのはおとなであり、その感覚を子どもに求めるのには無理があります。
「しつけ」には、どうも、こういったくいちがいが多すぎるような気がします。
そのために、幼いときに満たされるべきもの、幼いからこそ感じられるものを、捨て去らせてしまうのは惜しいことです。
「清潔のしつけ」などといって、泥や汗にまみれる喜びを経験させないのでは、神経質な人間をつくるだけです。
赤ちゃんがなんでも口にするのを「ばっちい、ばっちい」ととめてばかりいたら、あまり丈夫には育たないのではないでしょうか。
汚れた手で食べものをワシづかみにほおばることのできない子は、たくましく生きるのがむずかしいでしょう。
いたずらや散らかし、けんかも経験を豊かにし、そこから学びとるものは大きいと思います。
だいいち、そこには、子ども時代があります。
人間は、子どものとき、そういうふうにして生きるのがふつうなのです。
それを「してはいけないこと」という、ひとつのスタンダードでしばり、
「いうことをきく」ようにのみしつけたら、どんな悔いを残すかもしれません。
みかけはしっかりして分別があるように育っても、こころの底では、満たされぬ思いをたぎらせている子どもがあります。
やはり、道徳は、自分のものになっていかなければなりません。
そうでないと楽しくないですし、他人のみていないところでは悪いことをする人間ができてしまうでしょう。
こう考えると、「しつけ」というのは「押しつけ」であってはいけないようです。
「教育」などと大げさにかまえないで、おとなと子どもがいっしょに暮らしていくうえで、たがいにわかり合い、愉快にやっていけるようにすれば、それでよいのだと思えてきます。
子どもに「いうことをきいてもらう」ためには、親も子どものいいぶんをきいてやる必要がありますし、
命令や禁止にいきりたつより、おとなの気持ちをそのままに伝えるほうが、よほど楽にことが運べるのではないでしょうか。
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