平凡こそ幸せ
偶然に買った宝くじが当たり、一億円のお金を得ることができると私達はラッキーと感じます。
ほとんど付き合いのないおじさんが亡くなって、おじさんに子どもがいなかったので莫大な遺産が舞い込んできました。
これもラッキーです。
試験にヤマをかけたところ予想がずばり当たり、いい点数が取れました。
これもラッキーです。
幸運が舞い込んだとも言えるでしょう。
しかし努力をしないで、運だけで得られた幸せは、人生を必ずしも豊かにしません。
子ども達も「あいつラッキーでいいな」という発言をよくします。
しかしちょっと考えてください。
ラッキーというのは自分では選べないのです。
ラッキーを求める子どもは運命を待つようになります。
そして運命はそれほどラッキーを与えてくれません。
こんなことがありました。
町の一画で、小さな豆腐屋さんをやっている一家がありました。
店の前の通りが、区画整理で大きく拡張されることになりました。
移転料を含めて莫大なお金がその一家に入ってきました。
皆、大喜びです。
こつこつと働いて貯めたお金など、些細なものに見えました。
つつましい生活の反動か、派手な生活をするようになりました。
いままで家族が力を合わせていたのに、お金の配分をめぐって争いが起きました。
一年もたたないうちに、億というお金が跡形もなく消えて、かつての豆腐を作った店もなくなり、家族はばらばらに離散せざるを得なくなりました。
これは一時はラッキーでも、結局はアンラッキーであった話です。
一方、ハッピーとは何でしょうか。
幸せかどうかは、周りの出来事の見方によって決まってきます。
朝起きたら頭痛がします。
空模様もどうも怪しい。
小雨が降っています。
気分も冴えません。
仕事をサボりたいなという誘惑にようやくうち勝って、電卓に乗ります。
いつもはあまり座れることのない電車でしたが、二つ目の駅で運よく座ることができました。
電車の窓から外を見ると、どうやら雨はやんだようです。
そのうち少しうとうとしてしまいました。
目がさめると頭の痛いのも、いつのまにか消えています。
会社に着くと上司が呼んでいます、新しいプロジェクトの中心になれと。
以前自分が出していた企画が役員会で通ったのです。
がんばろうという気が湧いてきます。
しばらくすると久しぶりに友人から電話がかかってきました。
いろいろ問題を起こしていた息子さんがどうやら立ち直って高校に入学が決まったという話でした。
夜、ビヤホールで会うことにしました。
昼からは、天気もすっかり晴れてきて、気持ちの良い青空が広がっています。
帰りに友人と飲むビールはとてもうまいものでした。
帰りの電車のなかで、「今日もいろいろあったけどまあベストを尽くした」と結構満足な気持ちになってきました。
この満足な気持ちこそハッピーな気持ちなのです。
私達は平凡ななかに幸せを見ることがあります。
そして青い烏症候群のように幸せははるかかなたの遠いところにあるのではなく、
自分の目の前にある平凡の中に「幸せ」があるのだということを、しっかりと子ども達に教えてほしいのです。
お気に入りのブックマーク・RSSに登録 »
関連記事
サイトマップトラックバック(0)
http://yg-away.biz/mt/mt-tb.cgi/481

