何故、人づきあいが怖いのか?
以前紹介した公園デビューに失敗した若いお母さんは、「自分の悪口をいわれているように感じて」公園に行けなくなってしまいましたが、
この「自分の悪口をいわれているように感じる」という感覚は、人間関係でつまずきを感じている人にわりとよくみられるものです。
そう「感じている」だけならいいのですが、その感覚が強くなりすぎると日常生活の活動に支障をきたすようになってきます。
精神医学でいう「対人恐怖症」がそれにあたります。
対人恐怖症とは、他人と接する際に緊張があまりにも強すぎて、社会生活に適応できなくなっている状態のことをいいます。
顔が赤くなるのを気にして人前に出られないという人や、自分の視線がほかの人を不愉快な気分にさせるのではないかと心配になる人、自分のからだが出すにおいが周囲に迷惑をかけているのではないかと気に病む人、いろいろな対人恐怖症のケースがあります。
しかし、対人恐怖症の状態にある人が気にしていることは、ものごとを客観的に判断したうえでの認識ではありません。
自分の思い込みでそう信じ込んでいる場合がほとんどです。
では、対人恐怖症の状態にない人、心身ともに健康な人であれば客観的に現実を認識できるのかというと、そういうわけでもありません。
私たち人間は、誰もがそれぞれの主観にもとづいて現実をみているにすぎません。
主観という色メガネを通して世界を見て、自分なりの世界をつくり上げて、そのなかで一喜一憂しているという点では、私たちも対人恐怖症の症状がある人も、変わりはありません。
私たちは、こうした主観的な判断を瞬間的にしていて、それがあるからこそ日常の生活のなかで起きるいろいろなできごとにうまく対処できています。
しかし、ストレスが強くなると、そうした瞬間的な判断に狂いが生じてきます。
マイナス面ばかりに目がいって、次々と悲観的な考えが頭に浮かぶようになったり、不必要な心配ばかりするようになってくるのです。
そうすると、現実を客観的に把握して適切に問題を解決するという本来もっている力をうまく発揮できなくなってきます。
強いストレスにさらされると考えが極端に狭くなって問題を解決することができなくなる例として、劇場内で火災が発生したときの人間の行動がよく引用されます。
心理学の本によく出てくる話なので、みなさんのなかにもご存じの方がいらっしゃるかもしれませんが簡単に紹介しましょう。
劇場内に煙が立ち込めて、「火事だ!」と判断すると、人は外へ逃げ出そうと出口に殺到してドアを押し開けようとします。
そのドアが引かなければ開かない場合でも、多くの人は「生懸命ドアを押し開けようとします。
引けば難なく開くドアなのに、不思議なことに「開かない、開かない」と必死になって押し続け、結局は煙に巻かれてしまうことになります。
このとき、多くの人が「ドアを押す」ことしか考えられなかったのはなぜでしょうか。
それは「ドアを押してドアを開ける」という考えにこだわりすぎたからです。
私たち人間には、やろうとしたことがうまくいかないとわかったときに、逆にその方法にこだわってしまう傾向があります。
私たちが問題を解決する方法として最初に選ぶのは、自分にとって一番なじみのある、自分と一体化した方法です。
ですから、それがうまくいかないと、不安になります。
自分がいちばん自信をもっていることが否定されたために、まるで自分が否定されたように感じてしまうのです。
はっきりとは意識しないところで「そんなはずはない」と考えて、自分が否定されたという思いを打ち消そうと、最初のやり方にこだわって、そこからなかなか離れられなくなります。
そのために、「押す」だけでなく「引く」というほかの行為を試してみようと考えることができなくなってしまうのです。
同じことが人間関係でも起こります。
自分なりに考えた万全の準備をして公園に出かけ、思ったほどうまくいかないときにも、「そんなはずはない」と考えるだけで、新しい対策を考えることができなくなることがあります。
その結果、「自分のことを悪くいっているのではないか」と思うようになって、ちょっとした他人の言葉に敏感に反応するようになります。
そして、自分の世界に閉じこもって自分を責めるようになり、それがさらに「うつ」な気分を強めることになるのです。
こうした悪循環を断ち切るためには、自分の「こだわり」に早く気づき、そのこだわりに対してより現実的に、より柔軟に対処していくことが大切なのです。
公園デビューなど環境の変化にともなってあらわれる人間関係の「うつ」以外に、
友人あるいは近所の人など、比較的近しい人たちとのつきあいでも憂うつな気分になってしまうことがあります。
人の性格やものごとに対する考え方はそれぞれ違います。
そのような人々といっしょにいると、当然のことながら、性格の不一致や意見の食い違いのためにイヤな気持ちになることがあります。
そうした摩擦を避けるために私たちは、直接的な感情表現を避け、あいまいな空間をつくることで人間関係をスムーズに進めるようにしています。
ところが、場合によってはそうした距離をうまくとれなくなって、お互いに傷つけあうようになることがあります。
そのおもな原因が相手の態度や言葉による場合、私たちはその人のことを「イヤな人だ」「困った人だ」とラベル付けして自分の世界から排除し、そのことでなんとか心のバランスを保とうとします。
このように、いったん「困った人だ」だというラベル付けをしてしまうと、相手のイヤなところばかりが目につくようになってしまいます。
こうして、ますます人間関係がこじれることになるのです。
しかし、そうしたときには、ちょっと立ち止まって、その人が本当に「困った人」なのか考えてみてください。
「あの人は困った人だ」と決めつけてしまえば、一時的に不安は軽くなります。
しかし、それは一時的なものでしかありませんし、その決めつけが正しいとも限りません。
人間には、よいところも悪いところも、いろいろな面があるのです。
イヤな部分があったとしても、それだけがその人なのではありません。
一方的に「困った人」と決めつけられれば、その人が反発してしまうのも当然です。
不安を解消しようとしてしたことが、人間関係をさらにもつれさせることになります。
本当に困ってしまう人とは、できるだけ距離をおいて関わらないようにするのがいいのですが、近所づきあいなどでは距離をおこうにもおけないことがほとんどです。
いやでもつきあっていかなくてはなりません。
だとしたら、ただ決めつけるのではなく、問題を具体的に考えてひとつひとつを解決していくのが一番です。
また、期待や価値観など、お互いに食い違っているところがないかを考え、そのギャップを埋めていくことも大切です。
相手に対して過剰な期待を寄せてはいないでしょうか。
その期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときには相手に対する不満が強くなります。
また、それぞれ違う価値観を無理やり押し付けあってはいないでしょうか。
このようにして、ひとつひとつ問題を解決していければ、今まで以上によりよい人間関係が築けるようになるはずです。
お気に入りのブックマーク・RSSに登録 »
関連記事
サイトマップトラックバック(0)
http://yg-away.biz/mt/mt-tb.cgi/340

