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平凡こそ幸せ
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四つの能力が子供をたくましくする
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子供たちの勇気づけが大切である
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人としての根っこをつくる家族関係とは
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自己実現
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セルフエスティーム
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子供が育つ教育とは
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人間関係の重荷を軽くする10のコツ
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何故、人づきあいが怖いのか?
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性格は脳内物質で決まる?
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小児医療の問題点
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睡眠と食事の大切さ
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子供の健康
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かかりつけのお医者さんをみつける
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子供の発熱
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平凡こそ幸せ
偶然に買った宝くじが当たり、一億円のお金を得ることができると私達はラッキーと感じます。
ほとんど付き合いのないおじさんが亡くなって、おじさんに子どもがいなかったので莫大な遺産が舞い込んできました。
これもラッキーです。
試験にヤマをかけたところ予想がずばり当たり、いい点数が取れました。
これもラッキーです。
幸運が舞い込んだとも言えるでしょう。
しかし努力をしないで、運だけで得られた幸せは、人生を必ずしも豊かにしません。
子ども達も「あいつラッキーでいいな」という発言をよくします。
しかしちょっと考えてください。
ラッキーというのは自分では選べないのです。
ラッキーを求める子どもは運命を待つようになります。
そして運命はそれほどラッキーを与えてくれません。
こんなことがありました。
町の一画で、小さな豆腐屋さんをやっている一家がありました。
店の前の通りが、区画整理で大きく拡張されることになりました。
移転料を含めて莫大なお金がその一家に入ってきました。
皆、大喜びです。
こつこつと働いて貯めたお金など、些細なものに見えました。
つつましい生活の反動か、派手な生活をするようになりました。
いままで家族が力を合わせていたのに、お金の配分をめぐって争いが起きました。
一年もたたないうちに、億というお金が跡形もなく消えて、かつての豆腐を作った店もなくなり、家族はばらばらに離散せざるを得なくなりました。
これは一時はラッキーでも、結局はアンラッキーであった話です。
一方、ハッピーとは何でしょうか。
幸せかどうかは、周りの出来事の見方によって決まってきます。
朝起きたら頭痛がします。
空模様もどうも怪しい。
小雨が降っています。
気分も冴えません。
仕事をサボりたいなという誘惑にようやくうち勝って、電卓に乗ります。
いつもはあまり座れることのない電車でしたが、二つ目の駅で運よく座ることができました。
電車の窓から外を見ると、どうやら雨はやんだようです。
そのうち少しうとうとしてしまいました。
目がさめると頭の痛いのも、いつのまにか消えています。
会社に着くと上司が呼んでいます、新しいプロジェクトの中心になれと。
以前自分が出していた企画が役員会で通ったのです。
がんばろうという気が湧いてきます。
しばらくすると久しぶりに友人から電話がかかってきました。
いろいろ問題を起こしていた息子さんがどうやら立ち直って高校に入学が決まったという話でした。
夜、ビヤホールで会うことにしました。
昼からは、天気もすっかり晴れてきて、気持ちの良い青空が広がっています。
帰りに友人と飲むビールはとてもうまいものでした。
帰りの電車のなかで、「今日もいろいろあったけどまあベストを尽くした」と結構満足な気持ちになってきました。
この満足な気持ちこそハッピーな気持ちなのです。
私達は平凡ななかに幸せを見ることがあります。
そして青い烏症候群のように幸せははるかかなたの遠いところにあるのではなく、
自分の目の前にある平凡の中に「幸せ」があるのだということを、しっかりと子ども達に教えてほしいのです。
四つの能力が子供をたくましくする
子ども達と話をしているとよく気がつくことがあります。
子ども達に「生きていく力」が欠けているのではないかということです。
これは、問題を起こす子ども達だけではなく、いまの子ども全般に共通するものではないでしょうか。
子ども達が成人する頃、大変難しい時代になっています。
つぶれるはずのない大銀行や大会社が倒産しています。
いままでの経験では予測のつかない社会に突入したのです。
子ども達が大人になる二十年後を予測することは大変困難です。
二十年後の子ども達を、学歴や親の残した財産などで安全に保障してあげることができるのでしょうか?。
私はこのような不透明な時代には、
どんな状況になっても、自分の力で生きていける子どもに、たくましく育てていくことが大切ではないかと考えます。
そのようなたくましい子に育てるには、親はどのように子育てをしたらいいのでしょうか。
私は以下の四つの力を子育てを通して、子ども達につけておく必要があると感じました。
尊敬する能力
「尊敬」とは、自分以外の人を自分と同じように大切な人として敬うことです。
このような、人を尊敬できる子どもになるには、いくつかの条件があります。
最初の条件は、自分のことを好きになること(自己肯定感)です。
子どもはまず自分のことを好きになる必要があります。
いまの子どもは案外自分のことが好きではありません。
それは周りの大人が(親を含めて)ありのままの子どもを認めて、受け入れることが少ないことに理由があるようです。
親はつい理想の我が子と現実の我が子を引き算して、子どもの足らないところ(欠点)を指摘しがちになります。
親は子どもに
「あそこがダメ。ここもなおさなければ。がんばらなければ」
などと理想の我が子の立場から声をかけてしまいます。
そうされると子どもはどんな気持ちになるでしょうか。
「あそこもなおさなければダメか。結局何やってもダメなんだ、自分は」
と考え、自分に自信を失っていきます。そして自分を嫌いになります。
親はできるだけありのままの子どもを認めてあげてください。
子どもの行うあたり前のことに感謝してください。
不登校の子どもを持つ親から見れば、子どもが朝元気に学校に行くだけで、子どもに感謝したくなります。
試験で少しぐらい悪い点を取ってきても、決して子どもを叱る気にはならないはずです。
風邪を引いて寝込んで、初めて健康のありがたさがわかります。
どうか、元気に精一杯生きている我が子を喜んでください。
そうすれば子どもはこんな自分でも親は喜んでくれるんだと、ありのままの自分に自信を持つことができるのです。
責任をとる能力
次に大切なことは、責任をとる力です。
日本人は責任をとるというときに、会社をやめればいいと考えたり、昔は切腹して責任をとるような、問題が起きている状況から身を引けばいいというような、そういう責任のとり方をしてきました。
そしてそういう責任をとる人に寛大でした。
しかし責任とは本来そういうものではありません。
本来の責任の意味は、自分でできることがあれば、喜んで自分からそれを引き受けようと決心することです。
誰かに責任を転嫁したり、原因をただ追い求めるのではなく、目の前の困難な課題に対して、自分にできることを果たしていくこと。
これが責任をとるということです。
自分に原因があろうとなかろうと、自分が必要とされる出来事が目の前にあるのなら、自分に何ができるかを考え、自分のできることを果たすこと。
それが責任をとるということです。
残念ながらいまの子ども達はあまりこの責任ということを学んでいません。
部屋が散らかっています。
お母さんが子どもに
「部屋を片付けくれるとうれしいんだけど」
と頼んでいました。すると
「部屋散らかしたのは僕じゃないもの。僕、関係ないよ」
と子どもが答えます。
よくある一場面です。
皆さんのお子さんは、このように答えることはありませんか。
「部屋散らかしたのは僕じゃないけど、でも僕手伝って片付けるよ。
だって部屋がきれいだと僕も気持ちがいいもの」
と言ってくれる子どもがいたら、その子はきっと責任ということを教えられている子でしょう。
子どもにもっともっと責任ということをよくわかってほしいものです。
またもっともっと教えなければいけないことでもあると思います。
子どもに責任を教えるには二つの方法があります。
一つは責任を果たさなければ、その結果事実としてどうなるかを体験させるのです。
子ども部屋を散らかしているとしましょう。
「お母さんは部屋がきれいになっている方が気持ちいいけど、掃除しない?」
と聞いてみるのです。
子どもが「うん、する」と言ったら一緒に掃除の手助けをしてあげてもいいのです。
反対に、「僕の部屋だからいいの」と言って、散らかしっぱなしにしておくなら、徹底的に散らかさせておくのです。
途中でお母さんが片付けてあげてはいけません。
それは汚くすればお母さんが片付けてくれるということを覚えてしまうからです。
汚くしていれば自分が不自由するということを身をもって体験させるのです。
一、二か月後にはどうしようもなくなって片付けます。
きれいになったところで「やっぱりきれいな部屋はいいね」と言ってあげるのです。
このような経験をした子どもはそれなりに片付けるようになります。
責任を教えるもう一つの方法があります。
それは「いけないものはいけない」とはっきり言うことです。
もちろん感情的に怒ることではなく冷静に言うことが必要です。
特に他人に迷惑のかかることについては断固として「いけない」ということを言わなければいけません。
小学校の一、二年生くらいの子どもが電車のなかを我が物顔にかけずり回っています。
お母さんが数人で話をしています。
子どもの行動に全く無関心です。
老人が電車に乗ってきました。
子どもの一人が老人にぶつかりました。
見かねて私が子どもに注意しました。
初めて気がついたお母さんは子どもに
「おじちゃんが怒っているから静かにしなければダメよ」
と注意しました。
これでは子どもは責任ということを学びません。
私が怒っているからではないのです。
私が怒ろう怒るまいと電車のなかでは静かに人の迷惑にならないようにするというのがルールなのです。
誰かが怒る怒らないは関係ないのです。
皆が協力して生きていくためには、いけないものはいけないものだということをしっかり教える必要があるのです。
社会性を身につける能力
第三に大切なことは、社会性を身につける力です。
よく「皆と仲良く遊ばなければダメよ」と言う親がいます。
社会性ということを考えるとき、皆と仲良く遊べる子が本当に社会性がある子と言えるのでしょうか。
皆と仲良くするということは、大人の私達だってできないことです。
私達大人は皆、社会性がないのでしょうか。
そんなことはありません。
皆と仲良くするということは、結局誰とも仲良くならないということでもあるのです。
八方美人という言葉があります。
皆と仲良くしますが、本当の友達はできません。
社会性がある子とは、仲良くなりたい子に「君と仲良くなりたい」と言えるような子どもです。
自分の言葉で自分の意見を、はっきり表明できる子を、育てなければいけないのです。
日本人は自分の意見を表明せずに、態度や雰囲気で自分の気持ちを伝えようとします。
そしてうまく自分の気持ちを相手がくみ取ってくれないと、相手を気がきかないと言って非難します。
しかしこれは間違っています。
してほしいことがあれば、それを相手にちゃんと言うことが大切なのです。
子育てのなかでも、子どもが自分の意見をしっかりと言えるように訓練する必要があります。
自分の意見を言うには、方法があります。
それは「私は……思う」という言い方が大切だということです。
この言い方を「私メッセージ」と言います。
この言い方は相手に自分の意見を伝える言い方です。
反対に「あなたは……だ」という言い方があります。
これは「あなたメッセージ」と呼ばれる言い方です。
「あなたメッセージ」は相手を評価、判断した言い方になりやすいのです。
結果として、話し合いは対立、争いになります。
意見を表明するにはあまり望ましい言い方ではありません。
たとえばご主人が帰ってきて、あなたの作った料理を
「これはうまいな。料理の上手なお前は偉いな」
と言ったとしたら、あまりうれしい気持ちはしませんね。
やはり
「おいしい料理を作ってくれて、僕はうれしいな」
と言ってくれた方が気持ちよくありませんか?
子ども達に教えなければいけないのは、「私メッセージ」での話し合いです。
これはあくまで自分の意見ですので、それに反対するにしろ、賛成するにしろ、相手の意見もまた意見として開けます。
要するに話し合いが進んでいきます。
生きていく知恵
最後に大切なものは生きていく知恵です。
私達は二つの能力を持っています。
一つは知識であり、もう一つは知恵です。
本を読んだり、2+2=4といったことは知識です。
いまはこの知識が重要視されています。
しかし、これから必要とされるものは知恵ではないでしょうか。
かつては子育てで悩む若い母親が、おばあちゃんに相談するという光景がよく見られました。
「三歳になってもまだ言葉が出ないけど大丈夫かしら」
「男の子は昔から口が遅いんだよ。もう少し様子みたら」
と年寄りに言われて、安心して子育てを続けた母親もたくさんいました。
知恵とは体験を通してしか身につきません。
体験のなかでいろいろ工夫することにより、実際に身につけていくのです。
知恵というのは工夫です。
知恵がないと知識があってもそれを活かすことができません。
学校では知識は教えてくれますが、あまり知恵は教えてくれません。
知恵は家庭で子ども達に教える必要があります。
二十一世紀を生きる子ども達のためには、特に男の子には家事労働の知恵をぜひ教える必要があると思います。
多分これからの時代は男もかなりの部分家事労働をすると思います。
そのときに知恵がないと悲惨だと思います。
また女の子には、できるならば外で働くこと(バイト)をやらせたほうがいいと思います。
これからの女性は、経済的にも男性から自立していくと思います。
働くことの知恵を身につけておく必要があるのです。
子ども達が大人として社会に参加していくのは二〇二〇年頃でしょう。
そのころの日本は様々な面で大変な厳しい環境が予想されています。
学歴や大企業というだけでは安全とは一言えなくなってきます。
しかしこの四つの力を身につけた子どもは困難な状況になればなるほど力を発揮していきます。
子どもの権利条約というものがあります。
この条約は大人と子どもの関係を大きく変えるものです。
いままでは子どもは、大人に保護され守られる対象として考えられてきました。
しかし今後は子どもは大人と対等な権利を持ったパートナーとして理解する必要があります。
子どもには意見表明権が認められています。
否が応でも大人は子どもと新しい関係を作っていかなければならないのです。
すなわちいままでみたいな上下の関係(縦の関係)はもう望めないのです。
対等な関係(横の関係)を親子のなかで作り上げていくことこそ、最も大切な子育てになっていくのです。
私がいままで述べてきた子育てのやり方も基本的には、子どもと親が横の関係に具体的になっていく方法を述べたものです。
二十一世紀を生きる子ども達は、私達のかけがえのないパートナーだというところで、もう一度、いまの親子の関係を見直してみませんか。
そして子ども達に本当の生きる勇気と知恵を教えておけば、たとえ子ども達が大人として生きる時代がどのような時代であろうと仲間とともに幸せに生きていくことができるのではないでしょうか。
子供たちの勇気づけが大切である
さて、二十一世紀はどんな時代になるのでしょうか?
二十一世紀を正確に予想し、子どもの安全を確保しようという試みはほとんど成功しないでしょう。
それよりいま私達がしなければならないことは、二十一世紀がどんな世紀になろうとも、子ども達がたくましく生きていける知恵を育てておくことではないでしょうか。
アドラー心理学では環境がどんなものであれ、「自分が好きだ(自己肯定感)」、「他人が信頼できる(基本的信頼感)」、「自分は世のなかに役立っている(貢献感)」の三つの感覚があれば、人生を意味のあるもの、役立つものとして、生きていけると考えています。
アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラー博士はこの三つの感覚をまとめて共同体感覚と名づけました。
そしてこの「共同体感覚は、全ての人に生まれつきあるものであるが、それを育てるためにはたえず教育と訓練が必要だ」と考えていました。
アドラー博士は子どもの問題行動はすべてこの共同体感覚が育っていない状態の表れだと考え、彼等の問題の本質は「勇気をくじかれたり、失ってしまっている」ことにあると考えました。
不登校にしろ、保健室登校にしろ、非行にしろ、これらの行動から、子どもを立ち直らせるには、勇気づけを子ども達に行うことが大切になってきます。
逆に言えば勇気づけが十分行われている子どもは、共同体感覚が発達しており、勇気を失うことが少ないと言えます。
すなわち問題行動が起こりづらいということです。
いま皆さんのお子さんは元気に生きていることと思います。
だからこそ、もっともっと幸せになる三つの条件、言いかえれば共同体感覚をこの機会に伸ばしてほしいのです。
そして子育てを通して、お母さんの共同体感覚も共に伸ばしてほしいのです。
お母さんが自分が好きで人も信頼でき、社会参加に喜びを見いだしていれば、そのお母さんを見て子どもは共同体感覚を成長させるでしょう。
子育ては決して子どもだけが成長するものではありません。
子育てを通して親子共に成長していくものです。
そこに子育ての大切さがあるのではないでしょうか。
人としての根っこをつくる家族関係とは
一般的には子どもは家族の中に生まれそして育てられます。
今は家族の形も多様になって、構成員は少なくなっています。
三世代で暮らす大家族が減って核家族が増加、一人っ子も増えて、その親と、あるいは親と少ないきょうだいとの核家族で育つ子どもが多くなっています。
祖父母と会う機会も少なく高齢者になじみにくい子どもがいたり、身近に肉親の死に遭遇することもまれになったりしています。
幼い命や赤ちゃんにふれる機会も少なく育ち、赤ちゃんを抱くのは自分が産んだ子どもが初めてという親も、珍しくなくなってきました。
子どもは育つ過程で、たくさんの人にふれ、見守られて育つことが望まれます。
親子の絆をしっかりとつくっておくことは大切ですが、それは親子が密着していたり人々から孤立したりしていてよいということではありません。
子どもが家族の中で安定した関係と居場所をもっていることは、育っていくうえでの安心の基盤となります。
子どもは家族の中で人との関係を学び、価値観、ものの見方などを身につけていきます。
子どもにとって初めての環境、それは家族であって、そのありようが人としての根っこをつくっていく役割をはたします。
親は子どもを産み育て、子どもにとって最初の先生であり、一生の間、子どもに影響を与え続ける存在なのかもしれません。
しかし、子どもの側にも生まれつきの気質というものがあってそれが親に影響を与えることももちろんあります。
上の子がおっとりした子になりやすいのは、親の注目と十分な世話を受けやすいからで、下の子は逆におっとりしていては十分構ってもらえず、注目を得る必要からも自己主張が強くなると考えられます。
また、親にそのつもりはなくても、子どもの反応によってそれぞれの子どもへの接し方が違ってしまうことがあります。
親子関係も相互の人間関係ですから、子どもによってそれぞれ独自な関係ができてしまうのです。
親には、子どもを産むことでなるわけですが、親になるまでにはさまざまな過程があります。
父(母)親となる相手との関係、子どもを産むことを望んでいたのかどうか、生まれた子どもの性別への期待などが、生まれてきた子どもへの姿勢を決めることもあります。
その前に親になる人自身のありよう、自分を好きで肯定できているか、自分のことを理解できているか、成熟した大人になっているかなどは、親になるための大切な条件であると思います。
親であることは、自分という全存在で子どもと向き合うこと、子育てには生身でかかわることが求められます。
親自身について考える作業も、親との相談の中では必要になってくるでしょう。
子どものもう一方の親、パートナーとの関係はどうでしょうか。
パートナー選びには実は自分自身の親との関係がかかわっていることが多いものです。
父と母の関係は自分の夫婦関係のモデルとなりますし、反面教師として逆のタイプの人を選ぶ場合もあります。
理想的と思った相手でもお互いに違った育ちをしているのですから、まったく同じではないし、思い通りになるということもないでしょう。
違った者同士が理解し合い、折り合いをつけて、子どもを愛し、協力して子育てができれば子どもにとっても幸せなことでしょう。
しかし、小さな対立が重なって両親の間に破局を迎えることもまれではなくなりました。
そんなパートナー間の関係が直接、あるいは間接的に子どもに影響することはいうまでもありません。
こうした危悦が感じられる場合、個人的なことではありますが、両親の状況にも注意を向け、家庭への配慮や支援をしていくことも保育の場に求められているのではないでしょうか。
ことに父親にとって、子育て参加が難しい働き方が一般化して、母親に全ての負担がかかっている家庭も多いのですが、
子どもと両親間にバランスのとれた親子関係をつくっていくためにも、父親への働きかけにも工夫が望まれます。
親自身の親との関係ですが、実は子育てに深い関係があります。
親になっていながら、自分の親の娘や息子でいる状態から抜けられない、自立できないでいる人が少なくありません。
祖父母が、親になった娘や息子をいつまでも子どもとして束縛したり介入したりする場合も多く見られます。
このことに気づかない人も多いのですが、気づいた人はたいへん悩みますし、そこから抜け出すにも相当な努力を要します。
親子の関係は一生のものですが、子どもが成長するにつれてその自立を認め、尊重する関係でいたいものです。
子どもも反抗期を経て自立に向けて歩んでいく必要があります。
親になる前に一個の自立した人間になっていることが大切なのです。
「子どもとの関係」をテーマに友人たちと話し合ったことがありました。
自分の親との関係を子どもとの関係に引き継がないようにするにはどうしたらよいか、ということが話題になりました。
今から子どもとの距離を考えておきたいという話も出ました。
自分と母親との関係をどう断ち切るか、ということを真剣に話し合ったこともあります。
娘としては親を否定しなければならないつらいことです。
しかしそれをしないと親としてやっていくことが困難なのです。
そんな思いを抱えている親もいます。
親との相談には、背景にこんなこともあることを理解していただければと思います。
自己実現
自分らしくあるために
自己実現という言葉はよく使われますが、元はアメリカの心理学者マズロー(A.H.Maslow)が提唱した用語です。
マズローは人間の動機を、
(1)飢えや渇きをいやしたいという生理的動機、
(2)安全に暮らしたいという動機、
(3)仲間がほしいという所属と愛情の動機、
(4)自尊の動機、
(5)自己実現(self-actualization)の動機、という5つの階層に分けました。
5つ目の自己実現動機は、自分のもつ能力を最高に発揮したい、自分らしく精一杯生きたいという気持ちです。
衣食住が充たされ、仲間に恵まれ自分に自信がもてても、この自己実現の動機が充たされていなければ真に精神的に健康であるとはいえないとマズローは考えていました。
自己実現と似た言葉に個性化の過程というものがあります。
これはスイスの分析心理学者ユングの用語です。
ユングは人間の心は意識と無意識からなり、無意識には個人的無意識と普遍的無意識があるとしました。
普遍的無意識には同じ民族が共通にもっているものや人間が共通にもっている元型があると考えました。
この民族や人間に共通のものと同時に、自分独自のものをもっている自分の内面を意識化し統合させることが、ユングの個性化の過程です。
自己実現と同様に、「自分らしくある」ということが、最大の目的となっています。
日常会話の中で自己実現とか個性化という言葉は、本来の意味とはややずれて用いられることが多いようです。
何か社会的に行動を行うこと、成功することが自己実現と考えられ、目立ってユニークであることが個性化と受けとめられてはいないでしょうか。
本来は「自分らしく」ありたいというのが自己実現動機であり個性化の過程なのですから、皆が同じような到達の理想像をもつというのは最もこれらの用語から離れたことです。
子どもを見る目においても、親、そして保育者自身を見る目においても、一つの理想像にとらわれないようにすることが大事です。
自分らしいとはどういうことか、人とは違う自分のよさとは何か、自分は何をしたいのか、人それぞれでまったく異なった答えが出るはずです。
マズローは全ての人がそのような自己実現欲求、成長への欲求をもっていると考えています。
ユングは個性化の過程を一生をかけてやり遂げることと考えています。
その人なりその子なりの自己実現、個性化の過程に寄り添うのが保育者の仕事といえるでしょう。
セルフエスティーム
あるがままの自分を受け入れ大切にする気持ち
セルフエスティームとは、「自尊感情」「自尊心」「自己価値」「自己受容」など、いろいろな意味を含む言葉で、自己概念と結びついている自分自身についての感じ方です。
一つの日本語で表すのが難しい概念であるために、
最近はself-steemという英語をそのままカタカナで読み替えて使われることが多くなったものです。
一般に自己概念が肯定的であるほど自尊感情が高いと考えられていますが、セルフエスティームの研究で著名な、ローゼンハーグ(M.Rosenberg)は、自尊感情には、二つの側面があるとのべています。
一つは、自分を「とてもよい(very good)」と考えることで、人と比べて自分は優れていると思う、優越性と関連する気持ちです。
もう一つは、自分は「これでよい(good enough)」と考えることで、人と比べるのでなく自分の価値を認め、自分を好きだと感じられ、自分を尊重することで、あるがままの自分を受容し大切にする気持ちです。
ローゼンハーグは後者の立場をとっています。
私たちは自分自身を肯定的に認識するには、人と比べて優れている、「とてもよい」という自尊感情を満たす場合もありますが、
人と比べると少し劣っていても自分の価値基準に照らして「これでよい」という自尊感情を満たす場合があります。
そしてセルフエスティームとは、他の人はどうであれ自分は「これでよい」という自尊感情をもつこと、自分をかけがえのない存在として認識し大切にする気持ちをもつことなのです。
私たちは日常生活の中で多かれ少なかれさまざまな葛藤的な場面に遭遇しています。
しかし誰でもがある程度のセルフエスティームをもっているからこそ、たとえば友だちと喧嘩をしたり、何かに失敗したり、恥ずかしい思いをしたりなどで、いっとき心が傷ついても、自分自身を肯定し再び元気をとりもどすことができるのです。
ですからセルフエスティームが高いと、自分自身を信頼し、自分の行動に自信をもち、情緒的に安定した行動をとることができますし、
逆にセルフエスティームが低いと、自分自身に否定的な感情をもち、不安感をもちやすく、自分の資質を十分にいかすことができないばかりか、心の問題をひきおこしてしまうこともあります。
つまり同じように困難な事態に出会ったとき、自分ならできるかもしれないと課題に挑戦するか、自分などにできるはずがないとくじけてしまうかどうかは、セルフエスティームのあり方の違いといえるでしょ、ゝつ。
それでは子どもの健全なセルフエスティームはどのように形成されるのでしょうか。
「自分」を認識する能力は人間に特別に備わったものですが、はじめから自分の存在価値を認識しているわけではありません。
誕生直後からはじまる親(養育者)を出発点とする人間関係の中で1歳半を過ぎる頃から「自分というものがある」ことに気づくようになり、
徐々にその自分の価値や能力についての感覚・感情をもつようになります。
とくに6歳頃までは、自分が自分であるという存在価値を感じること、「自分」の根っこを形成する過程として大切にしたい時期です。
健全なセルフエスティームの形成には、まずそれぞれの子どもがその成長過程で出会う「重要な他者」から尊敬、受容、関心のあるかかわり方を受けることが必要です。
たとえばある能力の面で劣等感をもっている子どもが、親や親しい友だちから勇気づけられ、受容、支援をえられることによって、かえってその子らしい能力を発揮し、セルフエスティームを健全に発展させるというのはよくあることでしょう。
最後に、親自身のセルフエスティームが高いと子どもを受容しやすい傾向があります
子供が育つ教育とは
ある小学校の先生が、
「○○幼稚園出身の子は三、四年生ごろからあまり伸びなくなってしまうけど、△△幼稚園出身の子は五、六年頃から伸びてくるから楽しみだ」
と言うのです。
出身幼稚園によって子どもの成長に差があるというのはなかなか興味ある話なので詳しくたずねると、次のように話してくれました。
「○○幼稚園は字や数についての勉強を教えているので、小学校入学後にはちょっとした作文まで書きこなすことができます。
音楽教育も盛んでハーモニカも吹けますから、一年の音楽は簡単だと言うんです。
それに対して△△幼稚園ではよく遊んでくるらしくて、一年生に入っても少々お行儀が悪いくらいやんちゃな子が多いんです。
字もちゃんと書けないし、ハーモニカも吹けない子がほとんどです。
ところが○○幼稚園の子はまだ字や数に関心を持つ前や、鉛筆をしっかり握ることができない段階でもさせられるものだから、学校に入ってからちょっとしらけちゃうのかあまり伸びないのです。
どうもお勉強はつまらなくてたいへんなものという思い込みがあるみたいなのです。
ところが△△幼稚園の子は字や数を憶えるのに興味がわくらしく、楽しそうにやるのです。
ハーモニカだって手も大きくなってますし、息のコントロールも幼稚園の頃より上手ですから、苦痛が少なくできますから、早く上手になりますし、音楽そのものを楽しめるのかもしれません」
最近は、早い時期に子どもにさまざまなチャンスを与えて、その能力を発揮させることに熱心になりました。
それも子どもの可能性を伸ばすひとつの方法で、もって生まれた才能が花開くこともあります。
しかし多くは彼らがこれから与えられようとする課題を十分やりこなす下地ができあがっているかを考える必要があるのです。
かつてゲゼルという学者は、遺伝的には同じ形態を持つ一卵性双生児(仮にC君とD君としておきましょう)に階段のぼりの実験を行いました。
C君には生後四六週から階段をのぼる練習を開始しました。
まだ一歳になっていませんから、そろそろ歩き始めるかなというおぼつかない時期にさらに難しい階段をのぼることになったわけです。
それから六週後(生後五二週)、C君は二六秒でのぼれるようになりました。
D君のほうはもう歩けるようになった五二週から階段のぼりの練習をさせました。
そうするとわずか二週間で、しかも一〇秒でのぼれるようになってしまったのです。
C君のほうはというと二六秒からほとんど速くなりませんでした。
歩けるようになってから練習したほうが結果的には速くのぼれるようになってしまったのです。
この結果は子どもにとって子どもの身体や心の準備が整わない状態で訓練をしても、子どもに負担をかけるだけで能力を伸ばすことにはならないことがあるのだということを示しています。
子どもがその訓練を受け入れるまでに成熟したときにこそ最もよい効果が得られるのでした。
早くから鍛えれば鍛えるほどうまくいくという強い思い込みは根強いものがあります。
早期教育として早々と読み書きを教えたりすることがありますが、ときとして階段のぼりの練習と同じことが起きたりします。
よく考えてみるとどんなに早くから教えたからといって、おとなになったとき誰よりも早く階段をのぼれるようになるかというと、それほどの差があるものでもありませんし、
たとえ差があったとしてもそれは体格と体力の差程度のもののはずです。
小さいとき誰よりも早くことばを言えるようになったとか、
書けるようになったとかということがおとなになったときたくさん漢字を知っているとか、
誰よりも早口に話せるとかに直接結び付くものでないことは皆の知るところです。
大切なことは子どもが知りたいと思ったときそれに答えてやれる環境と、そうした気持ちを積極的に育てていくということなのです。
最近は子どもの発達を待つだけでなく、子どもの準備が整うように育てていこうという試みがなされるようになってきています。
いきなり小さな手でピアノの練習曲を弾かせるより、音が出ることや音を出すことを楽しませてやることが、結局は将来の上達につながるということに気づいたからです。
人間は楽しんだ経験がなければ何も続かないものなのです。
カテゴリー:子育て・教育・人間関係に関するコラム
人間関係の重荷を軽くする10のコツ
---追記:
参考記事です。→上手に叱るには、「叱り方よりも、もっと大事な事」がある
人生のさまざまな局面で、私たちは人間関係につまずくことがあります。
「人間関係がうまくいかない」と悩みはじめると、人間関係がつらくなってきます。
そのために自分の世界に閉じこもるようになると、「憂うつ」な気持ちがますます強くなってきます。
そこで、「人間問係がうまくいかない」と悩んでいる人のために、人づきあいの重荷を軽くするヒントを10のポイントにまとめてみました。
自分で自分を好きになる
人間関係がうまくいかなくなってくると、私たちほぞの原因をいろいろとさぐり出そうとします。
ものごとをまじめに考えようとする人の場合、人間関係のトラブルを自分のせいにしてしまいがちです。
つまり、自分の欠点を並べ立てて「自分たたき」をはじめてしまうのです。
「私が悪い」という前提に立って自分のアラを探すのですから、当然、自分のすることなすことすべてが欠点にみえてしまいます。
これでは「私」がつらくなるばかりです。
また、このように自分で自分のことを受け入れられない状況では、他人を受け入れることなど、とうていできません。
そのために、ますます人間関係がこじれてしまう、という悪循環に陥ってしまいます。
この悪循環を断ち切る為には、まず自分自身が自分の存在をそのまま受け入れるようにすることが必要です。
誰にだって欠点はあります。でも、それ以上に今の「私」にもプラスの面あがあるはずです。
もっと自分のことを信じて、「ありのままの自分」を受け入れるようにしましょう。
相手のことももっと認める
人間関係がこじれると、つい他人のせいにしたくなるのが人情というものです。
食事中、しょうゆがほんの一滴はねかえって洋服にできてしまった小さなシミも、いったん気にしだすと、いてもたってもいられなくなるものですが、
他人の欠点もそれと同じで、気にしてばかりいると、他人の悪いところばかりが目についてしかたがなくなってしまいます。
自分の性格がなかなか変わらないのと同様、他人の性格もそんなに簡単に変わるものではありません。
相手のマイナス面をありのままに受け入れ、さらにその人のプラス面にも注目するようにしてみましょう。
問題を具体的に考える
人間関係でトラブルが起きるのは、なにも当事者たちの人間性ばかりに原因があるとは限りません。
ところが、私たちはどうしても、「私がダメなんだ」「なんてひどい人なんでしょう」と、人間性の問題にしてしまう傾向があります。
しかし、それでは 事態を解決することなどできません。
「人間関係がうまくいかないのは誰のせいか」と悪者さがしをする前に、そのエネルギーを
「お互いの間に何が起きているか」「どんな部分でうまくいかなくなっているのか」と問題を具体化するほうに向けてはどうでしょうか。
具体的な問題がみえてくれば、それに対する解決法を発見しやすくなります。
人間関係も晴れたり、曇ったりする
誰とでも伸よくすることはできませんし、いつでもうまくいく人間関係もありません。
お互いに違う世界で生きているのですから、うまくいくこともあれば、ぶつかることもあります。
もちろん、誰とでも「仲よくできて、トラブルのない人間関係」をもてればいいのですが、その思いにしばられて、そうでなくてはならないと考えるようになると、人間関係はつらくなってきます。
意見の食い違いを忘れない
人と話を接しているとき、「相手と意見が食い違ってはいけない」と考えて、自分の気持ちを押さえ込んでしまっている人も少なくありません。
相手を「大切な人だ」と思えば思うほど、「同じ考えでいたい」という願いが強くなるものですし、少し意見が違っただけで大変だと悩むことになります。
しかし、少しくらい意見が食い違ったところで、人間関係が崩れ去ってしまうことはありません。
むしろ、その食い違いを認め合うことで親密になれることだってあるのです。
そうしたことでダメになってしまう関係だとすれば、どんなに無理をしていてもいずれどこかで破綻してしまうでしょうし、それはそれでしかたのないことでしょう。
いいづらいこともしっかり伝える
「こんなことをいうと、相手が傷つくのではないかしら」「腹を立ててしまうのではないかしら」と心配して、何もいえなくなってしまうこともあります。
しかし、黙っていては相手に自分の気持ちは伝わりません。
黙っていたために、あとあと人間関係がこじれてしまうことだってあるのです。
別に無理をして気のきいたことをいう必要はありません。
相手の気持ちを傷つけないような表現の仕方を考えて、それを言葉にすればよいのです。
どうしても自分からいいだしにくい場合には、第三者から伝えてもらってもいいでしょう。
コミュニケーションは言葉だけじゃない
相手に自分の気持ちを伝えるために言葉は大切な道具ですが、言葉に頼るだけでは不十分です。
言葉がもつ意味は人によって違います。
たとえば、「けっこうです」という言葉は、相手の意見に同意するという意味もあれば、逆に相手の申し出を断る意味をもつこともあります。
また、「あなたの意見に賛成です」といったとしても、本当に賛成していることもあれば、しぶしぶ賛成していることもあります。
あるいは腹立たしく感じていることだってあるかもしれません。
言葉だけで判断しようとすると、相手の真意を見落としてしまう危険があるのです。
コミュニケーションは言葉だけではなく、言葉の抑揚や調子、あるいは態度や雰囲気など、私たちの存在すべてを使って行うものです。
人づきあいでは、言葉にならない「コトバ」を伝えたり、感じ取ったりする必要があるのです。
思い込みは排除する
前にもいいましたが、私たちの判断には、かなり自分の思い込みが影響しています。
その思い込みがあるからこそ、相手の発言を直感的に理解し、いわゆる「あうんの呼吸」の人間関係をつくり上げることもできるのですが、
いったんその歯車が狂い出すと、関係がギクシャクしてしまうことにもなりかねません。
相手のちょっとした発言やしぐさに触発され、「私のことが嫌いなんだろうか」と思い出すと、「私のことが嫌いに違いない」と思うようになって、
人間関係の悩みのうずに巻き込まれてしまうということも少なくありません。
人間関係がつらいと感じたときには、ちょっと立ち止まって何を根拠にそう判断したのかを考えてみることが大切です。
「自分流」を捨ててみる
これも前に書きましたが、人間関係に限らず、何か問題が起こった場合、私たちは自分がやりなれた方法で対処しようとします。
その方法が「一番いい」と感じているからそうするのですが、「一番いい」と思っているだけに、それがうまくいかないときにはまるで自分が否定されたように感じて不安になってしまいます。
その不安を打ち消すために「うまくいかないわけがない」と考えて、逆にますます「自分流」に強くこだわるようになるのです。
ときには、思い切って「自分流」を捨て、新しい視点に立って問題を解決することも必要です。
「困った」ときこそ、チャンス!
人間関係で問題が起きたときにはまず、「どのように解決するか」と考えるようにしてください。
問題をひとつひとつ解決していけば、それが結局は、その後の人間関係に生かされることになります。
長い目でみれば、トラブルはけっして「困った」ことだけではなく、宝箱のようなものなのです。
実際、困らなければ問題はみえてきません。
問題がみえなければそれを解決して前に進むことはできません。
困ることを恐れず、自分を信じ、相手を信じてしんぼう強くつきあううちに、新しい人間関係が生まれてきます。
何故、人づきあいが怖いのか?
以前紹介した公園デビューに失敗した若いお母さんは、「自分の悪口をいわれているように感じて」公園に行けなくなってしまいましたが、
この「自分の悪口をいわれているように感じる」という感覚は、人間関係でつまずきを感じている人にわりとよくみられるものです。
そう「感じている」だけならいいのですが、その感覚が強くなりすぎると日常生活の活動に支障をきたすようになってきます。
精神医学でいう「対人恐怖症」がそれにあたります。
対人恐怖症とは、他人と接する際に緊張があまりにも強すぎて、社会生活に適応できなくなっている状態のことをいいます。
顔が赤くなるのを気にして人前に出られないという人や、自分の視線がほかの人を不愉快な気分にさせるのではないかと心配になる人、自分のからだが出すにおいが周囲に迷惑をかけているのではないかと気に病む人、いろいろな対人恐怖症のケースがあります。
しかし、対人恐怖症の状態にある人が気にしていることは、ものごとを客観的に判断したうえでの認識ではありません。
自分の思い込みでそう信じ込んでいる場合がほとんどです。
では、対人恐怖症の状態にない人、心身ともに健康な人であれば客観的に現実を認識できるのかというと、そういうわけでもありません。
私たち人間は、誰もがそれぞれの主観にもとづいて現実をみているにすぎません。
主観という色メガネを通して世界を見て、自分なりの世界をつくり上げて、そのなかで一喜一憂しているという点では、私たちも対人恐怖症の症状がある人も、変わりはありません。
私たちは、こうした主観的な判断を瞬間的にしていて、それがあるからこそ日常の生活のなかで起きるいろいろなできごとにうまく対処できています。
しかし、ストレスが強くなると、そうした瞬間的な判断に狂いが生じてきます。
マイナス面ばかりに目がいって、次々と悲観的な考えが頭に浮かぶようになったり、不必要な心配ばかりするようになってくるのです。
そうすると、現実を客観的に把握して適切に問題を解決するという本来もっている力をうまく発揮できなくなってきます。
強いストレスにさらされると考えが極端に狭くなって問題を解決することができなくなる例として、劇場内で火災が発生したときの人間の行動がよく引用されます。
心理学の本によく出てくる話なので、みなさんのなかにもご存じの方がいらっしゃるかもしれませんが簡単に紹介しましょう。
劇場内に煙が立ち込めて、「火事だ!」と判断すると、人は外へ逃げ出そうと出口に殺到してドアを押し開けようとします。
そのドアが引かなければ開かない場合でも、多くの人は「生懸命ドアを押し開けようとします。
引けば難なく開くドアなのに、不思議なことに「開かない、開かない」と必死になって押し続け、結局は煙に巻かれてしまうことになります。
このとき、多くの人が「ドアを押す」ことしか考えられなかったのはなぜでしょうか。
それは「ドアを押してドアを開ける」という考えにこだわりすぎたからです。
私たち人間には、やろうとしたことがうまくいかないとわかったときに、逆にその方法にこだわってしまう傾向があります。
私たちが問題を解決する方法として最初に選ぶのは、自分にとって一番なじみのある、自分と一体化した方法です。
ですから、それがうまくいかないと、不安になります。
自分がいちばん自信をもっていることが否定されたために、まるで自分が否定されたように感じてしまうのです。
はっきりとは意識しないところで「そんなはずはない」と考えて、自分が否定されたという思いを打ち消そうと、最初のやり方にこだわって、そこからなかなか離れられなくなります。
そのために、「押す」だけでなく「引く」というほかの行為を試してみようと考えることができなくなってしまうのです。
同じことが人間関係でも起こります。
自分なりに考えた万全の準備をして公園に出かけ、思ったほどうまくいかないときにも、「そんなはずはない」と考えるだけで、新しい対策を考えることができなくなることがあります。
その結果、「自分のことを悪くいっているのではないか」と思うようになって、ちょっとした他人の言葉に敏感に反応するようになります。
そして、自分の世界に閉じこもって自分を責めるようになり、それがさらに「うつ」な気分を強めることになるのです。
こうした悪循環を断ち切るためには、自分の「こだわり」に早く気づき、そのこだわりに対してより現実的に、より柔軟に対処していくことが大切なのです。
公園デビューなど環境の変化にともなってあらわれる人間関係の「うつ」以外に、
友人あるいは近所の人など、比較的近しい人たちとのつきあいでも憂うつな気分になってしまうことがあります。
人の性格やものごとに対する考え方はそれぞれ違います。
そのような人々といっしょにいると、当然のことながら、性格の不一致や意見の食い違いのためにイヤな気持ちになることがあります。
そうした摩擦を避けるために私たちは、直接的な感情表現を避け、あいまいな空間をつくることで人間関係をスムーズに進めるようにしています。
ところが、場合によってはそうした距離をうまくとれなくなって、お互いに傷つけあうようになることがあります。
そのおもな原因が相手の態度や言葉による場合、私たちはその人のことを「イヤな人だ」「困った人だ」とラベル付けして自分の世界から排除し、そのことでなんとか心のバランスを保とうとします。
このように、いったん「困った人だ」だというラベル付けをしてしまうと、相手のイヤなところばかりが目につくようになってしまいます。
こうして、ますます人間関係がこじれることになるのです。
しかし、そうしたときには、ちょっと立ち止まって、その人が本当に「困った人」なのか考えてみてください。
「あの人は困った人だ」と決めつけてしまえば、一時的に不安は軽くなります。
しかし、それは一時的なものでしかありませんし、その決めつけが正しいとも限りません。
人間には、よいところも悪いところも、いろいろな面があるのです。
イヤな部分があったとしても、それだけがその人なのではありません。
一方的に「困った人」と決めつけられれば、その人が反発してしまうのも当然です。
不安を解消しようとしてしたことが、人間関係をさらにもつれさせることになります。
本当に困ってしまう人とは、できるだけ距離をおいて関わらないようにするのがいいのですが、近所づきあいなどでは距離をおこうにもおけないことがほとんどです。
いやでもつきあっていかなくてはなりません。
だとしたら、ただ決めつけるのではなく、問題を具体的に考えてひとつひとつを解決していくのが一番です。
また、期待や価値観など、お互いに食い違っているところがないかを考え、そのギャップを埋めていくことも大切です。
相手に対して過剰な期待を寄せてはいないでしょうか。
その期待が大きければ大きいほど、それが裏切られたときには相手に対する不満が強くなります。
また、それぞれ違う価値観を無理やり押し付けあってはいないでしょうか。
このようにして、ひとつひとつ問題を解決していければ、今まで以上によりよい人間関係が築けるようになるはずです。
性格は脳内物質で決まる?
脳内物質は気分の変化だけでなく、人間の性格にも影響を及ぼしています。
アメリカの精神科医、ロバート・クロ二ンジャーによると、
ドーパミンという脳内物質は新しいことや珍しいことに輿味をもって衝動的にものごとを探究していく「新奇追求性」という性格に関係しているといいます。
セロトニンは危険が予測されるときにそれを回避しようとする心の動きに関係していて、不安や人見知りに、またノルアドレナリンは、いいことが起きたときに「このままこの"いい状態"が続くんじゃないか」と思う心の動きに関係しているといいます。
最近の研究から、神経と神経の接合部で脳内物質を受け取る受容体に関連する遺伝子と性格との関係が解明されてきました。
遺伝子というのは、私たちのからだをつくるアミノ酸という成分の配列を指定する設計図で、アデニン、チミン、シトシン、グアニンという4種類の分子(塩基ともいう)で構成されています。
これら4つの分子は、さまざまな順番で3個1組になり繰り返しつながっていて、それが暗号となってアミノ酸の配列を指定しています。
イスラエルのリチャード・工ブスタインやアメリカのジョナサン・ベンジャミンは、好奇心をもって突き進んでいく「新奇追求性」の性格とドーパミンの受容体の遺伝子の様子との関係を調べました。
ドーパミンの受容体の遺伝子のなかには、アミノ酸配列が繰り返される回数が人によって違っている部分がありますが、アミノ酸配列が繰り返される回数が多いほど、新奇追求性の傾向が強くなることがわかりました。
また、不安に関しては、ドイツのクラウス・ピーター・レッシュらの研究でセロトニンと関わる遺伝子の違いが影響していることがわかりました。
神経の末端から放出されて次の神経の受容体に結びついた脳内物質は、「トランスポーター」とよばれる、いわばリサイクル回収業者のはたらきでもとの神経の末端に取り込まれます。
セロトニンをリサイクルするセロトニン・トランスポーターの一部に、44対の塩基をもつ遺伝子と、それをもたない遺伝子がありますが、
44対の塩基をもたない人はもつ人にくらべて不安で神経質な傾向が強いことが確認されたのです。
しかし、これらのことだけで性格が決まるわけではありません。
これらの遺伝子で説明できるのは、ごく一部でしかないのです。
小児医療の問題点
小児医療の問題点・・・
一番の原因は医師不足。小児科の労働条件の厳しさが小児科の医師が増えない最大の原因。
ほとんどの小児科が診療時間が過ぎても患者が減らず、朝から晩まで働きっぱなし。
また、小さなお子さんを扱うため他の診療科以上にサポートスタッフの人数を必要とするわりに、他の診療科より診療報酬が低いという小児科の経営的実情も追い打ちをかけているそうです。
救急医療の問題点
・総合病院からの医師離れ・医師の人材不足。
・患者のたらいまわし・約9割が緊急を要しない患者である。
・その他
小児医療の問題点
・医師不足(小児科へ進む医師が少ない)
・小児科の診療報酬の低さ=小児科医の地位の低さ
・他の診療科目以上にサポートスタッフを必要とする診療科のため、人件費をはじめ経営的に厳しい。
・その他
沖縄県の例でいえば、救急医療は全て総合病院が中心に行っています。
救急医療の当直医は昼間も一般の患者さんを診ています。
そういった極めて厳しい労働条件のため医師が増えず、更には地域の診療所などへ開業するなどの医師離れが起きている事が一番の原因です。
また、よく耳にする救急医療における待ち時間の長さや患者のたらいまわしの最大の要因は緊急を要しない患者の多さが原因です。
現在、夜間の救急医療で本当に緊急を要した患者は全体の患者数の1割で残りの9割は翌日に診察しても問題ないそうです。
救急医療の大きな問題点は医師不足と一方では軽い症状の患者数の多さが原因ともいえます。
医師を大切に
何よりも自分たちのために・・・私達が本当に必要な時に適正な医療が行き届くように、医療全体の事、医療スタッフの事を大切に考えていくべきではないでしょうか?
医療スタッフも人間です。
現在の極めて厳しい労働条件のもと最良の医療を皆さんに提供できるように日々励んでいます。
現在、小児医療や救急医療に携わるお医者さんや看護士さんは皆さんが考える以上の高い使命感と志をもって、医療に取り組んでいるのです。
そのためには緊急以外は昼間の診療時間に診察にいくようにしましょう!
忙しい人は親、兄弟などの親戚との協力関係を築いておく事や職場の理解を求める事が必要です。
夜間診療は症状の重い患者が多いため小さなお子さんは病気をもらう事が頻繁にみられるそうです。
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睡眠と食事の大切さ
子供と食事
忙しいから、食欲がないからと、朝食を抜いたりしていませんか?
朝、食欲がないのは夜更かしが原因かもしれません。寝る時間を早める工夫をしましょう。
朝食をきちんと食べると、エネルギーが補給され、からだがしっかり目を覚ましてくれます。
簡単でバランスのとれた朝食は、たとえば和食なら、ご飯またはおにぎりに、卵料理と野菜料理、プラスみそ汁。
パン食なら、パンに卵料理と野菜料理。
プラス牛乳またはヨーグルトかスープといった感じ。
前日の夕食の支度と一緒に準備しておけば、時間をかけず簡単に作る事ができます。
子供と睡眠
子どもの成長と健康にとって、夜間の睡眠はとても大切です。
睡眠不足や夜型の生活は免疫力を低下させ、ホルモン分泌の乱れを引き起こします。
また、睡眠不足の子どもは、将来肥満や生活習慣病に陥りやすくなるとも言われています。大人の生活に子どもをつき合わせてはいけません。
子どものいる家庭は早寝早起きの習慣をつけ、生活のリズムを整えましょう。
できれば大人の生活習慣も一緒に見直してみましょう。
「おはよう」「いただきます」「おやすみ」など、家族で挨拶することもどもに生活のリズムを身につけさる事に役立ちます。
朝起きて太陽の光を浴びさせる、食をきちんととる、昼間は外でよくばせる、夕食の時間を早くする、夜くまでテレビを見せないようにすなど、周囲の大人が規則正しい生活身につけさせるようにしましょう。
夜遅くなる仕事をしている人は、どもとのコミュニケーションは朝休日にとれるように工夫してみてださい。
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子供の健康
周囲の大人が、夜更かしや運動不足など、子どもを不健康な生活に巻き込んでいませんか?子どもの健康は私たち大人にかかっています。
子ども達のために、大人も一緒に、生活のリズムを整えていききましょう。
生活のリズムを整えましょう。
外に出ると車が多く、子どもが自由に遊べる場所は減っている上、小学生になると、塾や習い事があり、屋内は冷房が効いている等、子どもが思いっきり汗をかいて遊ぶ機会は減るばかりです。
また、テレビやゲームに子守りをさせて、子どもを運動不足にさせている家庭も多いようです。
しかし、鬼ごっこをしたり、縄跳びや一輪車に挑戦すること、買い物や犬の散歩など家の手伝いをすること、ジャングルジムや「うんてい」などで遊ぶことなど、身体を動かして思いっきり外で遊ぶことは、子どもが健康に成長するためにぜひとも必要なことなのです。
子どもが運動不足だと感じたら、大人も一緒に、たくさん歩く、階段を使う、外で遊ぶ、ストレッチを頻繁にやる等、日常の生活の中に運動を取り入れることを考えてみましょう。
親が積極的に子どもと遊ぶのは、親にとっても良い運動不足の解消になります。
また、自転車、縄跳び、水泳、野球など積極的に身体を使って楽しむ事をはじめてみると良いでしょう。
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かかりつけのお医者さんをみつける
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身近にいて日頃から健康相談をしたり、病気になったときにまず診てもらうお医者さんのことを、「かかりつけ医」といいます。
身近にいて、日頃から健康相談をしたり、病気になった時にまず診てもらうお医者さんのことを「かかりつけ医」といいます。信頼できるかかりつけのお医者さんがいたら、とても安心です。
運悪く重い病気にかかってしまった場合でも、かかりつけの小児科があれば、そこで相談して入院治療や詳しい検査が必要かどうかの判断をしてもらい、その病気に詳しい専門医や必要な設備のある病院を紹介してもらうことができます。
これまでにかかった病気や体質など、子どもの事を良く理解してくれていて、ちょっとした症状でも気軽に診てもらえ、育児の相談にものってもらえる、そんなかかりつけの医師が身近にいれば安心ですね。
かかりつけ医:選び方のポイント
家の近くにある病院を選ぶ。
ちょっとした症状でも気軽に診てもらう病院なので通いやすい近くの病院を選びましょう。
近所に住んでいる人や友人に相談して、評判の良い病院を選ぶ。
なぜその病院が良いのか、どういうところがが信頼できるのかも聞いておくとよいでしょう。
質問や相談にもわかりやすく気軽に応じてくれ、人としても信頼できる医師を選ぶ。
子どもの健康について、不安な事や知りたい事など何でも相談できるのが、かかりつけ医を持つメリットです。
治療に対する考え方や人柄などについても、信頼できる医師を捜しましょう。
勉強熱心な医師を選ぶ。
熱心な医師は常に最新の治療法や研究、医学情報を勉強しています。また、どこに優秀な専門医がいるかもよく知っています。
必要なときに専門医を紹介してくれる医師を選ぶ。
重い病気の可能性があるときには、すぐにその分野の専門医を紹介するのが、かかりつけ医の重要な仕事です。
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子供の発熱
発効熟が出るのは、健康な身体の反応です。
子供が熟を出した時、あわてないで、症状を見て適切に判断できるようにしておきましょう。
生まれたばかりの赤ちゃんはあまり熟を出すことはありません。
身体の中にお母さんからもらった「抗体」を持っていて、ウイルスや細菌などの病原体を排除してくれるからです。
ところが、生後半年くらいでこの抗体もなくなってきます。
そうすると、病気を治すために身体が働いた結果として、熟を出す事が多くなります。
また、保育所や幼稚園などで集団生活を始めると、細菌やウイルスなどの病原体をもらう機会も多くなるので、最初はどうしても熟を出す事が多くなります。
発熱はウイルスや細菌などの病原体から身を守る身体の働きのひとつで、普通は身体に深刻なダメージを与えるものではありません。
ウイルスや細菌に感染すると、熟が出る事で病原体が増殖するのが抑えられ、病原体を排除するしくみ「免疫」のスイッチが入ります。
一度自分の力で病気を治すと、身体の中にその病原体に対する「免疫」ができ、同じ病気にはかかりにくくなります。
子どもの発熱の原因は、ほとんどがウイルスや細菌などの病原体が引き起こす喉や鼻の炎症、いわゆる「風邪」ですが、一度風邪をひいて治っても、また風邪をひくというのはよくある事ですね。
それは風邪の原因となる病原体が何百種類とあり、一言で風邪といっても全て同じ病気というわけではないからです。
子どもの頃に様々な病原体に対する免疫をたくわえる事で、病気に対する抵抗力がつき、大人になると病気にかかりにくくなります。
子どもが夜間や休日に熟を出したとき、診療時間を待って小児科の病院でみてもらうか、それとも救急病院を利用するか、症状を見て適切に判断できるようにしておけるといいですね。
夜間など、病院の診療時間外の急な発熱では、救急病院を利用する人も少なくありません。
ところが、救急で診療を受ける子どもの多くは、実際に診察してみると、自宅で安静にしておいて、翌日の診療時間を待って小児科の専門医にみてもらった方が良い場合がほとんどなのです。
子どもは大人と比べると体温調節が苦手で高熱を出しやすいものです。
まず、熟が高いかどうかだけでなく全身の症状を見て判断するのがポイントです。
熱があるだけで元気に遊んでいて食欲もあるようなら自宅で様子を見て、病院の開いている時に、小児科の専門医に診てもらいましよう。
日頃から、信頼できるかかりつけの小児科をみつけておくと、こういう場合も安心です。
ただし、様子を見て、症状が大きく変わるようなら休日でも救急診療所を受診します。
生後4ケ月未満で、38度以上の発熱がある場合は急いで病院に行きましよう。生まれたばかりの赤ちゃんは普通あまり熟を出す事はないからです。
それでも熱が出る時は治療を急いだ方が良い病気の可能性があります。
4ケ月以降でも、
・けいれんが起こる
・意識がハッキリしない
・頭痛が激しい(小さな子供の場合ひどく機嫌が悪くなります)
・吐く
・下痢がひどい
・水分が摂れない
・体に発疹が出る
・たんがからんだせきをしている
・ヒューヒューいって息苦しそう
・熱が3日以上続く
など、発熱以外にも気になる症状がある場合は、熟の高さに関わらず、急いで病院を受診しましょう。
熱が高くて苦しそうなとき
寒気や震えのあるときは厚着にし、汗をかいたり署がったりする時は薄着にするように調節します。
5才以下の子どもの場合は薄着にさせて身体を冷やすとそれだけで熟が下がる事もあります。目の届くところに寝かせて様子を見ましょう。
水分を補給しましょう
発熱によって身体から失われる水分が多くなる上、水を飲まなくなると身体に必要な水分が不足してしまいます。
子どもは水分不足に弱いので、こまめに水分を補給してあげましょう。
なかなか飲まない場合は、子ども用のイオン飲料や水などをスプーン一杯くらいから、2分おきくらいで少しずつ飲ませます。
なかなか飲まなくても怒らないで、優しく真剣に飲ませてあげてください。
多少下痢をしていても、冷たい飲み物の方がよく飲んでくれるようなら、少しずつのませてあげてください。
解毒剤
解熱剤は熟を下げてくれますが、病気を治すわけではありません。
38度5分以上の熟があり、身体がつらそうで、十分な休息が取れないときなどは、医師に相談し、指示に従って解熱剤を使用します。
病院で処方する薬は体重に応じて処方しているので、兄弟が使っていたからといって薬を使いまわすのは危険です。
また、まれに重い副作用の例が報告されたりして使用禁止になっている薬もあるので、本人が使っていた薬でも使い残しは使用しないでください。
かかりつけの小児科でそのつど処方してもらいましよう。
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