障害のある子の子育て
障害のある子を育てるのは、その程度によってたいへんにはちがいありませんが、
将来の見通しについてはあまり悲観的に考えないで、親がその子とともに積極的に開拓してゆくようにかまえてほしいと思います。
考えすぎると、普通の子を育てるときにもあるたいへんさまでも、障害のせいにしてつらさを増してしまいがちです。
特別の子だからと世話に力を入れすぎるのも、無用のくたびれを招くもとです。
そもそも、異常はその子のすべてではないし、それが生きるうえにどれほど障害になろうとも、一個の人間としての生涯はすでに始まっているのです。
しかも、その人間は、ほかならぬ自分たちがこの世にもたらしたひと。
これは、なにごともなかった子とまったく同じことでしょう。
とすれば、とにかく子育ては着手されなければなりません。
むしろ、あるがままのわが子を、そういう子としてたんたんと育てていれば、障害があることについても、しだいに度胸がすわってもきそうです。
そうなれば、障害児を育てるのは、世間で考えるほどたいへんではないといえるようになってくるかもしれません。
そのとき親は、人間として大きく成長していることでしょう。
そこまでなるのには時間がかかるでしょうが、じっさいにたくさんの先輩がいるのですから、いろいろなことを学んでほしいと思います。
もし近くにそういう人がいなければ、下記の団体にたずねれば、相談に乗ってくれますし、適当な人も紹介してくれるはずです。
社会に育ててもらう
どうして自分たちだけがと嘆いたところでどうにかなるものでもありません。
そうした子どもだからこそ、むしろ世間に突きだして、いっしょに育ててもらうようにすべきです。
それにしても、障害児を育てるにあたっては、多くのひとの直接の協力が必要です。
とりわけ夫婦が力を合わせることは不可欠。
母親だけが背負ったのでは、身も心ももちにくいでしょう。
夫婦だけではやりきれないことは、親戚はもちろん、友人、知人、近所のひとたちに、遠慮なく助けを求めるのがよいと思います。
だれだってピンチにはひとの助けが必要なのだし、とくに障害のある子は多くのひとたちに知られ、その中で育つことによって世間で生きられるようになるからです。
きょうだいがいる場合には、できるだけ手伝ってもらうべきですが、けんかやわがままは、普通のきょうだいのようにやらせておくべきでしょう。
障害のある子の犠牲にしたのでは、両者とも明るく育ちそうにありません。
このほか、たいへんさをしのぐためには、家事をうんと簡素化することも必要なのではないでしょうか。
すべてをきちんとやろうとしてダウンしてしまったのでは、もとも子もなくなります。
家事は少々の手抜きをしたところでなんとかなるし、すぐその生活様式に慣れてもくるはず。
いまは、こまかいことにこだわらないおおらかさが求められているのです。
普通に育てる
障害児を育てるにあたっては、障害にばかり気をつかうのでなく、その子を全体として育ててゆくことが大切です。
障害はその子のすべてではないし、その子は障害をかかえながらも人間として成長しなければならないのです。
障害を不欄に思って、大切に育てすぎれば、世の中で生きてゆく力がつきません。
少々のからだの不自由があっても、できるだけ自分のことや家事はやらせ、友だちとも遊ばせたほうが積極的になります。
知恵おくれだって、家に閉じこめないでいれば、いろいろなことを覚え、ひととのつき合いかたも上手になるはず。
視覚障害も、いつも手を引くばかりしないで、ひとりで壁などを伝って歩かせたり、広い所では走らせたりすれば、大胆に外にでてゆけるようになるでしょう。
聴覚障害も、大勢の友だちと遊ばせていれば、ひとりでにさまざまのことばを聞き分けるようになってくるものです。
寝たきりの子にしたところで、窓を開け、乳母車や車椅子で外にだし、太陽や風にあて、多くのおとなや子どもと接しさせれば、表情もからだの動きも生き生きとしてきます。
こうしたことは、考えてみればあたりまえの話で、
動きや感覚にしろ、知恵にしろ、ことばにしろ、まわりの自然や社会と接することによって育てられてくるのです。
この事情は普通の子とまったく変わりありません。
ただ、普通の子を含めて、子どもによって、育ちかたのちがいと早いおそいがあるだけです。
とすれば、障害児の育てかたも、普通と同じを原則にしなければなりません。
特別扱いして、訓練にばかり時間を費やしていたら、かんじんの自然や社会と接する機会を減らし、人間としての成長を妨げてしまうでしょう。
ですから、しつけにしても、障害児だからといって手心を加えないように。
なんでもしたいようにさせるのはまちがいです。
叱るべきときは、たとえけいれんのある子でも、断固として叱らなければなりません。
そのかわり、子どもが困難を克服してなにかをなしとげたときには、いっしょに喜んでやってください。
そして失敗したときには、アーアといっしょに悲しんでやるのです。
世間との関係では、とにかくかくさない、恥ずかしがらないのがかんじんです。
堂々と外にだし、チャンスを見て障害のようすを話してしまったほうが、ぐっと気が楽になるはず。
また、そうしてこそ、成長にとって大切な自然や社会との接触も豊富にできるのです。
子どもが大きくなって、奇形やからだの不自由さなどについて気にしだしたら、そんなことは人間の価値をきめるものではない、
いろいろなひとがいるのだから、かくさず恥ずかしがらず振る舞うように話してやってください。
だいいち、親が不憫に思うほど子ども自身は深刻ではないのではないでしょうか。
なのに、親があまり悲憤なようすを見せると、かえってしょげてよくないと思います。
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