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   <title>「心」が育つ、子育て・教育・しつけの仕方</title>
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   <updated>2009-11-21T04:58:38Z</updated>
   <subtitle>「教育」の在り方を捉えなおす必要があります。キレる子供、青少年の事件が相次いでいる中、知識でなく「心の豊かさ」を形成する子育て・教育が現代には必要です。</subtitle>
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   <title>あまりにも高すぎる目標は、子どものやる気の芽をつんでしまう</title>
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   <published>2009-11-21T04:36:56Z</published>
   <updated>2009-11-21T04:58:38Z</updated>
   
   <summary>子どものやる気を引き出すために、目標をもたせることはいいことです。 ただ、親は欲...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どものやる気を引き出すために、目標をもたせることはいいことです。

ただ、親は欲ばりですから、つい高すぎる目標を設定してしまいがちです。

これは、<span class="b red">逆効果</span>になりますから、注意する必要があります。


これは受験生の例のほうがわかりやすいと思いますが、たとえば偏差値が５０の子どもに対して、偏差値６５の中学校を目標として選んだとします。

最初のうちは子どももやる気満々です。

ところが、一生懸命勉強してもなかなか成績は上がりません。

六年生の夏休みに、偏差値が５５になっていました。

ここへきて目標は達成できそうもないということが、親子ともにはっきりわかってきます。

すると、子どもはいっぺんにやる気をなくしてしまうのです。

じつは努力のかいあって偏差値は上がっているのですが、それよりも子どもの心の中は、挫折感でいっぱいになってしまうのです。

この期におよんで目標を偏差値５５の学校にかえても、もう手遅れです。

たとえ合格したとしても、ほんとうの満足感を得ることはできませんから、中学へ行っても、あまりいい成績はとれないのではないでしょうか。

また、成績が落ちて、希望校に合格できないことも十分考えられますから気をつけてください。

<span class="b blue">目標を設定してそれをクリアしたとき、子どもは大きな満足感と自信を手にします。</span>

<span class="b blue">反対に、クリアできないと、挫折感と自信喪失を味わいます。</span>

とくに高すぎる目標を設定してしまったときには、達成できそうもないとわかったときから子どもはやる気を失います。

しかも、挫折感を感じているわけですから、目標を設定するまえよりも悪い状態です。

だからといって、低すぎる目標では、目標を立てる意味がありません。

ですから、目標を設定するときは慎重になってください。

問題集のページ数を目標にするにせよ、時間的な目標を立てるにせよ、適当にきりのいい数字を選ぶのではなく、子どものふだんのテストの内容などから、適切と思われる目標を立てましょう。


また、一年先、半年先というような遠い目標も、とくに低学年の場合はあまり効果がありません。

そういう場合は、一ヶ月後にここまで、つぎはここまでというように、小刻みの目標にかえましょう。


テストの点数を目標にするのも感心できません。

点数を左右する要素が、子どもの力以外にいろいろとありすぎますし、努力がそのまま反映するとはいえません。

それに、子どもを点数にこだわらせてはいけないというのは、これまで何度も述べてきたとおりです。

目標を立てるとき、親が一方的に目標を押しつけるのではなく、子どもといっしょに目標を立てるという形にすると、より効果的です。

もちろん、実際の目標はお母さんが決めていいのですが、そのとき

<span class="b purple">「このくらいできるかな？」</span>

<span class="b green">「うん、できる」</span>

<span class="b purple">「じゃあ、やってみる？」</span>

<span class="b green">「うん、やってみる」</span>


こんな会話をかわしておくのです。

すると、子どもには<span class="b">「自分の選んだ目標」</span>という意識も出てきますから、よりやる気が出るはずです。

そうして、一度目標を立てたら、ほったらかしにしないで、なんとしても達成させるように協力してあげてください。

手伝いすぎてはだめですが、子どもが<span class="b green f11em">「自分でやりとげた」</span>という意識をもてる範囲で援助してあげましょう。

そうすることではじめて、子どもは、目標を立てること、それを達成することのたいせつさを学ぶのです。]]>
      
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   <title>子どもがテストを持ち帰ってきたときが、親子で勉強するいいチャンス</title>
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   <published>2009-11-20T16:31:18Z</published>
   <updated>2009-11-20T16:49:02Z</updated>
   
   <summary>学校では、一つの単元が終わったときにテストをします。 ですから、テストの点数は結...</summary>
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         <category term="子供がつぶれない為の勉強法、学習法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[学校では、一つの単元が終わったときにテストをします。

ですから、テストの点数は結果を表すもの、とだけ考えがちです。

でも、それは学校のカリキュラムの中だけでのこと。

<span class="b">家庭学習においては、テストの点数はむしろ、一つのきっかけ、スタート地点と考えたほうがいいのです。</span>


学校では、クラス全体としてどのくらいの点数がとれたかを目安に、以後の授業のプランを立てるでしょうが、一人ひとりの子どものまちがえた問題のフォローまではしてくれません。

テストの時点で理解できていなかったところは、家庭でフォローしなければ、そのままになってしまうかもしれないのです。

つまりテストの点数は、お母さんに<span class="b purple">「ここを子どもに復習させておく必要がありますよ」</span>という貴重な情報を伝えてくれているわけです。


<h3>（１）余白の書き込みをチェックする</h3>


子どもがテストを持って帰ってきたら、まず答案用紙の全体をよく見てください。

算数のテストの場合、解答欄に答だけを書く形式のテストでも、子どもによっては余白に式や計算などを書いている場合があります。

逆に、答えだけが書かれていて、余分なことはまったく書かれていなかったり、書いたあとはあっても消しゴムで消してあったり、という場合もあります。

余白に何か書いてあるかいないか、これが第一のチェック・ポイントです。


<span class="b">余白にいろいろと書いてある子どもは、考えることのたいせつきを知っている子どもだと考えていいでしょう。</span>

したがって、こういう子どもは学力が伸びる可能性は高いと言えます。

反対に、何も残っていない子どもは要注意です。

たと、答えはあっていたとしても、結果だけに目がいっている子どもは、「できる」ことだけで満足している子どもである可能性があります。

式や計算はたいせつなものですから、かならず書き残しておくよう指導してあげてください。


<h3>（２）まちがえた問題をほかのノートに書き写させる</h3>


続いて、<span class="b">まちがえた問題に対するフォロー</span>です。

まちがえた問題は、「まちがいノート」をつくって、かならずそこに自分の手で書き写させてください。

このノートは、子どもがつまずいたポイントを記録する、貴重な資料になります。

まちがえた問題の中には、答えが書いてあるけれども×がついているもの、答えも書いていないものの二種類があるでしょう。

答えが書いてあった場合は、式や計算をよく確かめたり、子どもにやり方を説明させたりすることで、ただの計算違いなのか、それとも考え方をまちがえていたのかを調べます。
考え方が正しかったら、そのことを認めてあげ、計算をやり直しさせて○をつけてあげればすみます。

考え方が違っていた問題、そして答えが書いてなかった問題は、きちんと<span class="b">復習</span>する必要があります。]]>
      
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   <title>無口な子よりおしゃべりな子のほうが理解力があり学力も高い</title>
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   <published>2009-11-20T10:21:54Z</published>
   <updated>2009-11-20T10:25:54Z</updated>
   
   <summary>おしゃべりな子ども、とくに女の子のパワーには圧倒されます。 こちらがロをさしはさ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[おしゃべりな子ども、とくに女の子のパワーには圧倒されます。

こちらがロをさしはさむ余地などまったく与えてくれません。

一つの話が終わっても、切れ目なくつぎの話題に移り、５分でも１０分でも、えんえんとしゃべり続けて、疲れることを知らないようです。

でも、よく聞いてみると、この話がじつにおもしろいのです。

事実はきちんと分かりやすく整理されていて、その子供の意見も筋が通っています。

大人たちが、意外なほど鋭い目で観察されていることに気づいて、ギクッとすることもあります。

もちろん、なかには子どもらしくない大人びた難しい言葉や言い回しも、平気で出てきたりしますが、言葉に対して子どもなりにアンテナを張っていることがわかって、妙に感心させられます。

こういう子どもは、たいがい学力も高いようです。

「おしゃべり」というのは人に自分の考えやメッセージを伝えようという行為の一つですから、おしゃべりの好きな子は、いつの間にか自然に<span class="b blue">自分の考えをまとめる力を身につけている</span>のでしょう。


それに、耳新しい言葉を使ってみたいという欲求が語彙を自然にふやしていて、話し好きな子どもは、小さな「もの知り博士」であることも多いようです。

つまり、すべての学力の基本である「国語力」を、おしゃべりの中で養っているというわけです。


おしゃべりな子どもは、しゃべるのが得意なだけではありません。

人の話をきちんと聞き、理解する力もあるのがふつうです。

自分の話を聞いてもらう喜びを知っているからこそ、人の話を聞いてあげられる力も身につけているのです。

また、自分の気持ちを表現するのが上手なだけに、人の気持ちを思いやることもできます。

授業中も、先生の話をよく聞き、積極的に手をあげる子どもが多いようです。


それに比べると、無口な子どもは表現力のトレーニングが少ないわけです。

これでは、学校の勉強を同じようにこなしていても、国語力に差がついてしまうというのはしかたありません。

また、自分を表現するのが苦手ですから、授業中に手をあげるということも少なくなり、それもマイナスに働きます。

それだけでなく、<span class="b red">自分の気持ちを表にあまり出さない子どもは、人の気持ちにも無頓着になりがちです。</span>

おしゃべりな子どもは、他人に嫌われることもありますから、ただしゃべればいいということではありませんが、無口な子どもに比べると学力が高くなる傾向にあることは確かです。


では、どうしたら「よくしゃべる子ども」に育つのでしょうか。

ポイントは、<span class="b blue">家庭での親子の会話</span>です。

まず、自由に話ができる雰囲気が必要です。

そして、子どもが自由に話をしても、べつに誰からも怒られたり注意されたりしないのだということを子どもに示してあげてください。

無口な子どもも、心の中では話したいことがいっぱいあるはずです。

ただ、それを表に出すことに慣れさせてあげてください。


感情表現が苦手な子どもは、最初のうちはあった出来事だけを話すかもしれません。

そうしたら、<span class="b purple">「そのときどんな気持ちだった？」「あなたはそれについてどう思う？」</span>というような質問をしてあげます。


そして、<span class="b blue">子どもがそれに答えたら、まず共感してあげる</span>ことがたいせつです。

もし、お母さんの考えが子どもと違うのなら、共感したあとで<span class="b purple">「お母さんは、こう思うな」「お母さんだったらこんな気持ちになったかもしれないな」</span>というようにつけ加えます。


<span class="b purple f11em">「でも…、」</span>というような、<span class="b red">子どもの話を一度否定するような言葉</span>は、最初のうちはなるべく避けたほうがいいでしょう。

せっかく話をしようと思いはじめた気持ちが、否定されたと感じることでしぼんでしまうかもしれないからです。

お母さんがよくしゃべる家庭の子どもは、やはりよくしゃべる子どもになる傾向がありますが、お母さんが一方的にしゃべって子どもの話を聞いてあげないと、子どもも人の話を聞くのがへたになります。

話すときは話す、聞くときには聞く、という会話のキャッチボールを、お母さんがまず実行し、子どもにちゃんと教えてあげてください。]]>
      
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   <title>学力を伸ばしたがったら、問題集を亨えるよりも図鑑を用意してあげる</title>
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   <published>2009-11-19T15:12:26Z</published>
   <updated>2009-11-19T15:26:51Z</updated>
   
   <summary>自宅学習と聞くと、練習問題をたくさんやることというイメージは、どうしても強いよぅ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[自宅学習と聞くと、練習問題をたくさんやることというイメージは、どうしても強いよぅです。

たしかに、問題を解くことは勉強の一つに違いありませんし、こなした問題の数でどれだけ勉強したかが一目でわかりますから、お母さんとしては問題を解かせておけば安心していられるのではないでしょうか。

それでついつい一つの科目について二冊、三冊と、問題集を買いそろえることになってしまうようです。


<span class="b red">しかし、練習問題というのは、基本的には、問題に慣れるために練習することにほかなりません。</span>

習ったばかりの知識を、復習で確実なものにすることはひじょうに有意義なことですが、だからといって、そのための教材を何冊もやるのはかえって子どもを勉強嫌いに仕向けている感すらあります。

なぜかと言えば、練習問題の中には、子どもの好奇心を満足させてくれる内容が少ないからです。

まして、すでにマスターしている単元の問題を二度、三度と繰り返させても、テストで１００点がとれるという満足感を与えることはできるかもしれませんが、子どもの学力にとってプラスになるとはかぎりません。


原則として、<span class="b">問題集は一科目につき一冊</span>で十分だと思います。

答えはノートに書かせ、問題集に絶対書き込ませないようにすれば、同じ問題を繰り返してやらせることもできますし、なかなか理解できない問題については、お母さんが数字を変えるなどして、手作りの問題をつくってあげたほうが効果があります。

さらに何かを用意したいなら、図鑑や事典を買ってあげるほうがいいと思います。

お母さんといっしょに散歩に出たときなど、道端の草花などを見て、<span class="b purple">「これ、何て花かしらねぇ」</span>と注意を向けさせ、家に帰ってから図鑑で調べる習慣をつけさせるのです。

最初のうちは名前を確かめるくらいかもしれませんが、しだいに興味をもってくると、解説の部分も読むようになっていきます。


男の子の部屋などで、図鑑が一セットきれいに並んでいる中、昆虫図鑑だけボロボロになっているというような光景を見ることがあります。

そんなとき、ああ、この子は虫が好きなんだなあ、と微笑ましくなります。

こういう子どもは、観察力が鋭くなり、私たちが同じものだと思っていた二種類の虫のこまかい区別を説明してくれ、ほんとうに驚かされたりします。

また、このような子どもは、小さな虫たちの営みを見つめているうちに、生命の偉大さやたいせつさもしぜんに理解していってくれるものです。

事典としては、百科事典もそろっていればいいのですが、場所もとりますし、いずれにしても小学生には説明文も難しいので、とりあえず、はじめは子ども向けの事典シリーズで十分です。

それも、一度にそろえなくても、興味のある分野のものを中心に何冊か与えるという形でもいいでしょう。


参考書売り場には、理科や社会の学習事典タイプのものも売っています。

これはちょっと詳しい参考書といった内容ですから、入門書としてはうってつけです。

しかし、すこし詳しく何かを調べようと思ったら、中学生向きの図鑑があるととても便利です。]]>
      
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   <title>偏差値はほんとうに必要か？</title>
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   <published>2009-11-19T11:55:51Z</published>
   <updated>2009-11-19T12:05:53Z</updated>
   
   <summary>１９９４年から首都圏や埼玉では、高校入試の偏差値がなくなりました。 しかし、私は...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      １９９４年から首都圏や埼玉では、高校入試の偏差値がなくなりました。

しかし、私は偏差値を利用しての進路指導の方法はなくならないと思っています。

なぜそれが弊害になったかという理由は二つあります。


一つは、業者テストの偏差値を利用した、推薦制度そのものが青田買いになるということの弊害です。

もう二つは、偏差値で推薦が決まるというので、悪質な塾が資料を入手して先回りして生徒に答えを教えてしまい、公平さを欠くということです。

この二つが偏差値を追放した理由だと思います。


しかし、偏差値自体を追放しようと思ったら、資格制度の入試にしないかぎり絶対になくなりません。

いまの入試制度そのものが他人の成績を気にする相対評価の一つですから、どんなやり方をしても、競争入試は相対評価がかかわってくると思います。

偏差値という言葉は使わなくても、競争入試であるかぎり、相対評価は絶対になくなりません。

そして、相対評価の中でもいちばん便利な指標はというと、偏差値なのです。


学校からは、表面的にはなくなるかもしれません。

しかし、学校の外に出るだけであって、会場テストでは似たようなものが出てくるでしょう。

実際、大手の塾などでは独自で偏差値をどんどん出しています。

ただ学校の外に移ったというだけで、偏差値自体はけっしてなくならないでしょう。
      
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   <title>「わかる」喜びは、子どもの好奇心・探究心を伸ばす</title>
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   <published>2009-11-19T01:12:04Z</published>
   <updated>2009-11-19T01:15:18Z</updated>
   
   <summary>幼稚園前後の子どもは、「これは何〜？」「どうしてこうなるの？」という質問を、たえ...</summary>
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      <![CDATA[幼稚園前後の子どもは、<span class="b green">「これは何〜？」「どうしてこうなるの？」</span>という質問を、たえず音発します。

家事に忙しいお母さんからすると、つい<span class="b purple">「うるさい」「わずらわしい」</span>と感じてしまうくらいです。

どうやら、人間は生まれつき、旺盛な好奇心・探究心をもっているようです。

こうした好奇心・探究心は、大人になっても消えるわけではありません。

奇々怪々な事件などが報道されると、そこでもここでも話題になって、真相はああでもない、こうでもないと議論が起こり、つぎの報道を心待ちにします。

また、世界の珍しい話題を集めたクイズ番組など、テレビ各局のヒット番組となっています。

これは、私たち大人も、じつは好奇心の固まりであることの証拠でしょう。


ただ、<span class="underline">その好奇心を満足させるために、自分で積極的に調べたり考えたりという行動をとるかどうか、</span>ということになると、これは<span class="b red">大きな個人差</span>があるようです。

専門の学者や研究者は別ですが、ふつうは、新聞に載れば読む、番組になっていれば見るという程度で、わざわざ本を買いそろえたり、その場へ出かけていったりというところまでする人は、あまりいません。

もちろん、大人の場合は日常の仕事があり、時間があまりとれませんから、これはいたしかたないことです。

しかし、子どもの場合は違います。

「子どもの仕事は勉強」などといいますが、実際、子どもの生活時間の大部分が、学校の内外を含めて、勉強にあてられているといっても過言ではありません。

そしてこの「勉強」とは、好奇心・探究心を満足させるためのものですから、本来とても楽しいことのはずなのです。

それなのに、なぜ勉強が嫌いになってしまうのかといえばこの旺盛な好奇心にフタをしてしまうような、好奇心の満足のさせ方に問題があるのではないでしょうか。

<span class="b blue">「知らなかったことを知る」喜び</span>も、たいせつなものには違いありません。

でも、<span class="b blue">「わからなかったことがわかる」喜び</span>はそれとは比べものにならないのです。

考えに考えたすえ、自分の頭の中でもやもやしていたものがパッと整理され、<span class="b green f11em">「そうか、そういうことだったのか」</span>と思わずひざを打つ、そんな喜びは、誰にでも何度か経験があるはずです。

そんな喜びの経験を積み重ねている子どもは、自分の好奇心をすくすくと伸ばしていけます。

学校の先生が教室で話す一つひとつの言葉も、覚えなければならない課題というよりも、心の中の疑問に対する答えとして聞くことができます。

こういう子どもにとって、勉強は苦しいものでもつまらないものでもないことがおわかりいただけるでしょう。

そして、この好奇心・探究心こそが、ほんとうの「やる気」につながることは、いうまでもありません。]]>
      
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   <title>親子で本屋に行くようにすれば、子どもの学力はアップできる</title>
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   <published>2009-11-18T14:09:22Z</published>
   <updated>2009-11-18T14:15:38Z</updated>
   
   <summary>本をよく読むか読まないかが子どもの学力を大きく左右することは、もう常識といっても...</summary>
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      <![CDATA[<span class="b">本をよく読むか読まないかが子どもの学力を大きく左右する</span>ことは、もう常識といってもいいでしょう。

読書によって、漢字力、語彙力、読解力という、国語の基本的な力が身につくことはいうまでもありませんが、これはすべての科目の学力の基礎でもあります。

また、算数や理科の学習にとくに必要な論理的思考力、社会の学習に必要な常識的知識なども身につきますし、発想を豊かにする想像力も養えます。

「本物の学力」をつけるのに、読書はもっとも効果的な方法だと言えるでしょう。

そこまでわかっていても、子どもに読書の習慣をつけさせることは容易なことではありません。

漫画、テレビ、ビデオなど、子どもにとっては本よりも魅力的に思えるメディアはたくさんありますから、子どもがついそちらを選んでしまうのは、いたしかたないことかもしれません。


しかし子どもは、もともと本が大好きなのです。

小さいころ読み聞かせをすれば、夢中になって聞いていたお子さんも多いはずです。

まず、<span class="underline">子どもに本を読ませようと思ったら、親が本を読むことは絶対条件です。</span>

親が本を読まないのに、子どもに本を読ませようとしても、それはうまくいきません。

反対に、親が本が好きで、<span class="b purple">「このあいだ読んだ本にこういうことが書いてあったんだけどね」</span>というような会話が日常的に行なわれている家庭の子どもは、しぜんに本への興味が湧きます。

また、親が本を読まなくても、本をよく買う家庭では、子どもは本を特別なものではなく身近なものと感じるようで、<span class="b blue">ごく自然に読書の習慣が身につく</span>と言われているくらいです。

ですから、たとえば一ヶ月に一回親子で本屋へ行き、本を買い与えることを習慣にします。


<span class="b">読む本は子どもに選ばせるようにします。</span>

<span class="b purple">「１０００円以内で漫画以外だったら何でもいいから、読みたい本を選びなさい」</span>と、決めておきます。

親はつい、偉人の伝記やいわゆる名作と呼ばれる作品などを読ませたくなりますが、あまりこだわらず、<span class="b">本の内容よりも、最後まで読み通させる</span>ことのほうがたいせつだと考えてください。

自分の意思で選んだ本なら、子どもも責任を感じて、最後まで読もうという意欲が強くなるものです。

ただ、自分が子どものころ読んでおもしろかった本をすすめるのはいいと思います。

子どもが読み終えたあとで、自分の子ども時代の思い出などをまじえてその本について語り合えたら、親子のよいコミュニケーションになりますし、子どもも本の楽しさをより強く感じることができます。

また、子どもが本を買うとき、親も自分の本を買って、<span class="b purple">「いっしょに読もうね」</span>という感じにすると、子どもにとっては励みになります。


最初のうちは、勉強の時間と同様に読書の時間というのをもうけたほうがいいでしょう。
そして、なるべくその日読んだ部分の内容を聞いてあげてください。

<span class="b blue">読解力、表現力</span>のトレーニングになります。

また、最後に<span class="b purple">「つづきが楽しみだわ。また教えてね」</span>と言ってあげると、子どもも読書が楽しくなってくるはずです。

子どもといっしょに買った自分の本の内容を、おかえしに話してあげるのもいいでしょう。

読書の習慣は、子どもの学力を伸ばすためだけでなく、子どもの人生を豊かなものにするうえでも、ひじょうにたいせつなものです。

ぜひいろいろな方法を工夫して、本に興味をもたせるようにしてあげてください。]]>
      
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   <title>子どもの「なぜ」という疑問には、答えでなく考え方を教える</title>
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   <published>2009-11-18T01:21:55Z</published>
   <updated>2009-11-18T01:35:35Z</updated>
   
   <summary>子どもが、「なぜ夏は暑くて、冬は寒いの？」とたずねたとします。 これに対して、「...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもが、<span class="b green">「なぜ夏は暑くて、冬は寒いの？」</span>とたずねたとします。

これに対して、<span class="b purple">「夏は太陽が高いところにあって、冬は低いとろにあるからよ」</span>と、ズバリと教えてあげることもできます。

でも、いっしょに考えてあげて、子どもの考える力を伸ばすという意味からは、ぜひもう<span class="dotted">ひと工夫</span>してあげたいものです。


たとえば、次のような形で説明してはどうでしょうか。

まず、<span class="b purple">「一日のうちで、いちばん暑いのはいつかな？」</span>というように質問してみます。

この質問には、子どもはおそらく<span class="b green">「お昼ぐらい」</span>などと答えるでしょう。

そこで、<span class="b purple">「そうね、それからだんだん夕方になっていくと、涼しくなっていくわよね。お目様はずっと出てるのに、どうして涼しくなるんだと思う？」</span>と質問を続けます。

今度は<span class="b green">「わからない」</span>と答えるかもしれません。

そうしたら、<span class="b purple">「お昼ぐらいに、お目様はどこにある？　じゃあ夕方は〜」</span>という形で、昼と夕方で太陽の位置が違うこと、そしてそこには高さの違いがあることに目を向けさせます。

それから、

<span class="b purple">「お目様が高いところにあるときは暑くて、低いところにあるときは寒くなるみたいね。</span>

<span class="b purple">だから、きっと、夏はお目様が高いところにあって、冬は低いところにあるのよ。今度確かめてみましょうね」</span>

というようにまとめます。

これは一例ですが、最初のように答えをそのまま教えるのとどう違うか、考えてみてください。


まず第一に、子どもが質問に答えるという形で、考える過程に参加しています。

それによって、答えを知ったときの体験は、「知った」という体験から「わかった」という体験に変わります。


第二に、「昼は暑くて夕方は涼しい」という、日常よく知っている感覚をもとに考えているということです。

体験に結びつけて考えるという習慣は、子どもにとってとてもだいじをものです。


第三に、「畳と夕方の温度差」と「夏と冬の温度差」という別のものを関連づけて考えさせることによって、科学的な思考に欠かせない<span class="b">「類推」</span>という技術をしぜんに体験させているということです。

べつに「類推」などという言葉を教える必要なまったくないのですが、こうした体験を繰り返すことで、子どもはやがて、そういう考え方もあるということを知り、しだいに自分でも使えるようになっていきます。


どんな質問に対しても、こううまくいくとはかぎりません。

ときには、答えをそのまま与えるしかないような質問もあります。

ただ、なるべく答えでなく考え方を教えてあげられるよう、いろいろ工夫をしてみてください。]]>
      
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   <title>規則正しい生活をしていると、しせんに算数の勉強にもなる</title>
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   <published>2009-11-17T03:41:09Z</published>
   <updated>2009-11-17T03:56:59Z</updated>
   
   <summary>算数の学習の中で、「時間と時刻」の単元は、子どもがつまずきやすいポイントの一つで...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[算数の学習の中で、「時間と時刻」の単元は、子どもがつまずきやすいポイントの一つです。

「三時」と「三時間」の区別はもちろん、六十進法、十二進法などが入りまじった単位のシステム、それが一つにまとめられている時計の文字盤の見方など、たしかに子どもにはややこしい問題です。


ところが、教えるまえからこうしたことをほとんど身につけてしまっている子どもがいるのです。

そういう子どもの家庭を調べてみると、たいていは規則正しい生活習慣を身につけさせている場合か多いようてす。


<div class="box2">
<p>朝は七時に起きる。</p>
<p>朝食は七時三十分。</p>
<p>お父さんは八時に家を出て、自分は八時十五分に学校に出かける。</p>
<p>家に帰ったら三十分勉強をして、それから遊びに行く。</p>
<p>夕食は六時半だから、外で遊んでいても六時までには家に帰る。</p>
<p>渡るのは十時。</p>
</div>


こんなぐあいに、毎日のタイムテーブルが決まっていて、親もそれを意識させている家庭の子どもは、しぜんに時間や時刻の感覚が身につきます。

もちろん、時間に縛られて行動しろというのではありません。

ただ、基本的な時間が決まっていて、それが守られていれば、<span class="b green">「きょうはいつもより３０分遅くなったわね」</span>というような会話もできますし、子どももそれを意識することができるのです。

<span class="b blue">規則正しい生活をしている子どもは、計画性も身につきます。</span>

夏休みの計画表などをつくらせても、こういう子どもは一日の予定表をきちんとつくってきて、「もしいなかに出かけた場合は、そこで勉強をする」などということまでちゃんと考えています。

それに対して、いつも規則正しい生活をしていない子どもは、ひじょうにおおざっぱな、計画とも言えない計画を立ててきたり、とても実行できそうもない計画表を書いてきたりします。

サラリーマンの家庭なら、家族ぐるみで規則正しい生活を送りやすいけれども、自営業の家庭などでは難しいといった事情の違いはあるかもしれません。

ですから、その家庭ごとの約束ごとで構わないと思います。

子どもには、なるべく規則正しい生活をさせてあげてください。


また、<span class="b purple">「もうちょっと待ってね」</span>と言う代わりに<span class="b purple">「あと１５分待ってね」、「もう遅いから瀬なさい」</span>という代わりに<span class="b purple">「もう９時半だから寝なさい」</span>というような具合に、時間や時刻を表す言葉を日常会話の中に意識的にとり入れるのも、子どもに時間を意識させるうえで効果的です。

また、<span class="b purple">「時計のこの長い針がここまできたら三時だから、おやつはそれまで待ちなさいね」</span>というように、時計に注目を向けさせるのもいいでしょう。

それだけで、子どもの時間に対する感覚は大きく変わってきます。]]>
      
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   <title>子供の国語力を上げる方法</title>
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   <published>2009-11-16T21:49:36Z</published>
   <updated>2009-11-16T21:55:56Z</updated>
   
   <summary> 辞書は五年ごとに買い換えるくらいのつもりでいたほうがいい 小学生が使う辞書とい...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>辞書は五年ごとに買い換えるくらいのつもりでいたほうがいい</h3>


小学生が使う辞書というと、国語辞典と漢和（漢字）辞典になります。

こうした辞典を上手に活用できる子どもは、確実に国語力が伸びます。

ところが、お母さん方はあまり国語辞典や漢和辞典をひいた経験がないのではないでしょうか。

たしかにふだんの生活の中で、意味を調べなければならない言葉にぶつかることはめったにありません。

せいぜい手紙を書くときなどに、記憶があやふやな漢字を確かめるくらいでしょう。

それで、辞書というと、どうしても中学・高校・大学とお世話になった英和辞典のイメージのほうが強くなってしまいます。


国語辞典と漢和辞典は、根本的にまったく性格の違うものです。

たとえば、<span class="b purple">「societyの意味は？」</span>と聞かれれば<span class="b green">「社会」</span>と簡単に答えられるかもしれませんが、<span class="b purple">「では、社会の意味は？</span></span>と聞かれたら説明にとても苦労するはずです。

前半が英和辞典の役目、後半が国語辞典の役目です。


高校生が大人用の辞書を使ってもあまり問題はありません。

でも、それと同じ感覚で小学生の子どもに大人用の国語辞典を買い与えると失敗します。
まちがって小学生に中・高生向けや大人用の国語辞典などを買い与えた場合、一つの言葉の意味を調べても、その説明の意味がまたわからず、あちこち調べて結局何が何だかわからなくなってしまうのが落ちです。

小学生用の国語辞典では、意味の説明がすべて小学生にもわかる言葉だけを使って書かれています。

これは漢和辞典も同様で、やはり意味の説明がわかりやすいだけでなく、大人用の漢和辞典にはない筆順や漢字の成り立ちなどの説明もついています。

そして、辞書は、かならず新しいものを一冊買ってあげてください。

とくに小学生用の辞書は、学校のカリキュラムの変化に応じて改訂されますし、ひきやすさや説明の内容などもつぎつぎと新しい工夫が盛り込まれています。

兄や姉のものが残っていたりすると、ついもったいないという気になりますが、ひき比べさせて、一つの言葉についてもいろいろな説明のしかたがあることに気づかせるのも、またいい勉強になりますから、新しいものをそろえてください。


また、小学生用の辞書は、絵や図なども使っておもしろく工夫されています。

説明や例文は、読むだけでとても勉強になりますし、大人が読んでも、なるほどそうだったのかとあらためて納得させられることが少なくありません。

ですから、日常の会話の中でも<span class="b purple">「あれ、○○ってどういう意味だっけ。あなたの辞書でちょっと調べてみてよ」</span>というように、辞書に親しむきっかけをつくってあげられれば理想的です。]]>
      
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   <title>子どもは「勉強のおもしろさ」を知ればやる気が出る</title>
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   <published>2009-11-16T10:34:06Z</published>
   <updated>2009-11-16T10:41:19Z</updated>
   
   <summary>現代の教育をめぐる状況について色々書いてきましたが、私がいちばん言いたいことは、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[現代の教育をめぐる状況について色々書いてきましたが、私がいちばん言いたいことは、点数を取ることだけではなくて、<span class="b green">「勉強って、わかるとおもしろいんだなあ」</span>という子どもが増えると、<span class="b blue">変な競争意識がなくなる</span>ということです。

そういう子は自分から自然に勉強しはじめます。

ほかの子に負けたくないという気持ちで勉強するのではありません。

たとえば、算数だったら算数がおもしろい、理科だったら理科がおもしろいから勉強する子がいます。

マイペースで勉強しますし、コツコツやっていますから、結果的に、競争意識をもっているお母さん方が羨ましがるような学校に合格できるのです。

そのためには、<span class="underline b">お母さん、お父さんから、まず「受験競争はたいへんだ」という意識をなくしてほしいと思います。</span>

ご両親がくぐり抜けてこられた受験競争と比べても、現状はそれほど悲観するものではありません。

それでも、一部の受験競争が激化している学校をうけさせようと希望するなら、そのときは隣近所と競い合うのではない方法でお子さんに勉強をすすめてほしいと思います。

「隣の○○ちゃんよりいい点をとれた」ではなく、<span class="b purple">「全体でいまこの辺にいるから、もうすこしがんばってみよう」</span>とか、<span class="b purple">「わかると勉強っておもしろいでしょ。こうして勉強していくとどんどん問題が解けるようになるんだよ」</span>と、このように子ども自身の興味を引き出すようにしてほしいのです。

これが「わかる」と「おもしろい」勉強なのです。


しつけが子どもの学力に大きく影響していることはまえにも述べました。

しつけの基本は、「誰々がしているから同じようにしなければいけない」のではないし、ましてや「きちんとやらないと誰々に叱られるからそうする」というのではありません。
かならず、<span class="dotted">なぜそうしなければいけないのかを理解させる</span>ことが必要ですし、<span class="b purple">「こうしてくれると、お母さんはうれしい」</span>とか<span class="b purple">「こうしてもらえないとお父さんは悲しい」</span>のように、かならず、そこに、子どもとお父さん、お母さんの<span class="b blue">関係</span>が必要です。

そうしないと、子どもはしつけられません。

これは、「わかる」と「おもしろい」というのに似ています。


ですから、「わかる」ということに興味を示す子どもはすごく伸びます。

そういう子はまた、勉強をすすんで「わかろう」とします。


それに比べて、要領のいい子で、<span class="b green">「こんなの適当に公式に当てはめておけばいいんだ」</span>と疑問があっても割り切ってやっている子は、かならずといっていいほど途中で伸びなくなります。

つまり、「わかる」ということにこだわると、まず、これから必要になる学力を身につけることができます。

それから、競争意識をそんなにもたなくてもすむようになります。

他人に勝つための勉強ではなく、自分がほんとうに楽しいと思える勉強です。

そうした意識で勉強すれば、激化している受験競争は緩和されてくるのではないでしょうか。]]>
      
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   <title>お母さんが子どものいいところを認めてあげるだけで子どもは勉強好きになってくる</title>
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   <published>2009-11-15T18:43:44Z</published>
   <updated>2009-11-15T19:22:20Z</updated>
   
   <summary>わが子を愛さない親はいませんが、その愛情のせいで、子どもを見ていると、かえって欠...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[わが子を愛さない親はいませんが、その愛情のせいで、子どもを見ていると、かえって欠点ばかり見えてしまうということがあります。

それでつい、子どもにかける言葉は、ほめ言葉よりも小言が多くなってしまうのです。

子どもは、親に認めてもらうことで自信がつきます。

反対に、親に認められないととても不安になります。

親から小言ばかり聞いていると、しだいに自信も失われていきます。

<span class="b purple">「もちろん、子どものいいところは認めています」</span>と言うかもしれませんが、それを子どもにわかるように伝えてあげないと、何にもなりません。


子どもが、自分が認められていることを感じるのは、まずほめられたときであることは言うまでもありません。

また、感謝されたときにも子どもは自分が認められていると感じます。

子どもが何かしてくれたら、どんな小さなことでも、かならず<span class="b green">「ありがとう」</span>と、お礼を言うようにしてください。

家族どうしだと、かえって照れ臭いということもありますが、言葉に出さなければ子どもには伝わりません。

子どもに、<span class="b green">「自分は必要とされている」「自分の居場所がある」</span>と感じさせることもたいせつです。

そのためには、手伝いなどもどんどんさせ、家の中での役割をもたせることです。

<span class="b purple">「あなたがいてくれて助かるわ」</span>というような言葉をかけてあげると、子どもは自分が必要とされていることを実感します。

親に認められている子どもは、自分でも自分を認めることができます。

これが<span class="b blue">自信</span>です。

そして、自信は子どものエネルギーのもとです。

こういう子どもは、学校でもうまくいきます。

クラス内での仕事なども積極的に引き受け、友だちからもしぜんに認められるようになります。

家の中での自分の役割を意識していますから、責任感も強いのです。


また、自分を認めているので、他人のことも認めることができ、思いやりがあります。

<span class="b">自信があるということは、向上心をもつことにもつながります。</span>

ですから、自信のある子どもは、勉強を好きになることはまちがいありません。]]>
      
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   <title>子どもの発想を豊かにする「創造力」は、「わかる」ことから生まれる</title>
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   <published>2009-11-15T10:20:55Z</published>
   <updated>2009-11-15T10:34:02Z</updated>
   
   <summary>「ソウゾウリョク」と言った場合、「創造力」と「想像力」という二つの漢字が当てられ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[「ソウゾウリョク」と言った場合、<span class="b">「創造力」</span>と<span class="b">「想像力」</span>という二つの漢字が当てられます。

この二つは、「新しいものをつくり出す力」と「そこにはないものを思い浮かべる力」ですから、意味は違いますが、根っこのところで深く結びついていることはまちがいありません。

ですから、「創造力」のベースには「想像力」が不可欠だ、という言い方もできます。


「創造」というと、どうしても音楽や絵画、小説などの芸術分野や発明といったものを思い浮かべてしまいますが、べつにそういうものにかぎったものではありません。

新しい料理を考えたり、部屋の飾りつけを考えたり、部屋の飾りつけを考えたりという、日常生活を豊かで楽しいものにしてくれるさまざまな工夫や発想は、すべて「創造力」の賜物です。

大人は、あまりにいろなことを知りすぎているために、かえって自由な発想が妨げられるということがあります。

その点、子どもは知識が少ない分、大人をあっと驚かせるような奇抜な発想をします。

子どもの絵や詩などには、そうした発想が溢れていて思わずうなってしまう、という経験をよくしますが、べつに絵や詩をかかせるまでもなく、ふだん話している言葉の中にも、子どもならではの発想はポンポン飛び出します。

こうした発想を生み出すのは、子どもの<span class="b blue">「創造力」</span>です。

では、子どもの「創造力」を伸ばすには、どうしたらいいのでしょうか。

さきほども述べたとおり、「創造力」というのは芸術分野にかぎられるものではありません。

ですから、創造力を伸ばすといっても、べつに絵や音楽を習わせなければならないわけではないのです。

ふだんの勉強の中でも、発想のもとになる創造力は、十分伸ばしていくことができます。

ただし創造力は、「できる」ことからは生まれません。

たとえば、繰り上がりのしくみを覚え、繰り上がりのたし算を何度も練習しても、ここには何の工夫も必要ありません。

練習を重ねて正確に計算が「できる」ようになっても、それだけでは、創造力が伸びる余地は、まったくないのです。


ところが、「わかる」となるとそうはいきません。

繰り上がりのしくみ一つをとってみても、なぜそうなるのかを理解することは、けっしてやさしくありません。

学校の先生はそれを理解させるために、あれこれ手をつくして説明するわけですが、それに乏しい知識をもって立ち向かう子どもたちはたいへんです。

子どもにとって、知識や経験の乏しさを補うものは想像力しかありませんから、頭の中では想像力を駆使してあれこれ工夫し、理解しょうとつとめるでしょう。

その過程で、「想像力」はより豊かになります。

それが「創造力」につながることは、最初に述べたとおりです。

自分の頭であれこれ工夫した結果、<span class="b green">「そうか、わかった」</span>という経験をした子どもは、無意識のうちに想像力のたいせつさも実感することになります。

そして、いろいろなものに対して、自分なりの工夫をしてみようという意欲ももつでしょう。

反対に、途中であきらめてしまった子どもは、あれこれ自分で考えるより、結論だけを覚えていったほうが楽だ、というふうに考えてしまう恐れがあります。

そういう子どもにとっては、想像力も無用の長物でしかありません。

<span class="b red">自分では何も考えずに、誰かにやり方を教えてもらうことばかり考える「要領だけはいい子」に育ってしまうかもしれません。</span>]]>
      
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   <title>教科書はやさしくなっているのに、受験は難しくなっている</title>
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   <published>2009-11-14T15:01:48Z</published>
   <updated>2009-11-14T15:19:31Z</updated>
   
   <summary>いちばん誤解されていると思うことは、教科書は年々難しくなっていると信じられている...</summary>
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      <![CDATA[いちばん<span class="b red">誤解</span>されていると思うことは、教科書は年々難しくなっていると信じられていることです。

一般の学校の先生方や大学の教育学部の先生の中にも、そう考えている方がひじょうに多いのが現実です。

つまり、文部省のカリキュラムが過密になり、教科書の内容が盛りだくさんで難しくなってきたために、登校拒否や落ちこぼれなどの問題が起きてくるのだというのです。

しかし、実際に調べてみるとつぎのような事実がわかります。

３０年まえの小学校の算数や中学校の英語の教科書を現在のものと比べてみると、英語は文法で勉強する量が３分の２ぐらい、数学に関しても２割以上減っているのです。

算数も学習項目が２割ほど減っています。

それから、難問といわれるもの、考えさせる問題、パズル的な問題などは、いまの教科書にはほとんどありません。

算数でいえば、むかしはつるかめ算、流水算、和差算などのような問題がかならずありましたが、いまではほとんど出ていません。

教科書が難しくなってきたから進学競争や受験競争がより激化してきたという人も多いのですが、それは逆だと私は考えています。

<span class="underline b">教科書がやさしくなってきたから、進学塾がふえてきた</span>といっても過言ではありません。

なぜならば、中学入試問題は３０年まえに比べてひじょうに難しくなっていますが、教科書はやさしくなっています。

そのギャップを埋めるためには、２０〜３０年まえでしたら、ちょっと家庭教師をつけて自分で受験参考書を買って勉強すれば、そこそこの学校に合格できました。

ところがいまは教科書はやさしくなっているのに入試問題は難しく、ギャップが大きすぎて、自学自習ではそれを埋めることはほとんど無理になってしまったのです。

その結果、家庭学習のやり方も変わらざるをえなくなって、今日のような進学塾の進出を促し、受験競争が激化したと言えるのです。


高校入試問題に関しては、難易度はむかしとほとんど変わりません。

教科書がやさしくなっていますが、そのギャップの広がり方は中学受験ほどではありません。

中学受験のフィーバーの原因は、教科書（授業内容）と入試問題のギャップが広がりすぎたところへ進学塾がはいり込んだからだと考えられますから、入試問題にそれほど変化のない高校受験の場合、中学受験ほど過熱してはいないのです。

いくらか変化があるのは、早稲田、慶応、開成、桐朋などの上位校です。

これらの学校の入試問題は明らかに難しくなっています。

これらの学校を受験する場合は、入試問題と教科書の内容ではギャップがかなり広がっていますから、ギャップを埋めるために進学塾に通って勉強する必要があります。

こんなところに、高校受験で進学塾がふえてきた一つの要素があると思います。


以上のように、進学塾がふえたのは、教科書が難しくなったからではなくて、やさしくなったからだというのが私の考えです。

このことを、逆にとらえる人がひじょうに多いのが現実です。


では、逆にとらえるとどのような<span class="b red">弊害</span>が起こるのでしょうか。

<span class="b green">「教科書が難しくなってきた、だから子どもたちにいろいろな問題が起きてきた」</span>とすると、登校拒否や落ちこぼれ、いじめの問題がなぜ起こるのか説明できません。

教科書がやさしくなっているのに、こうした問題が起きているということは、カリキュラムに原因を求めることができないからです。

ですから、お子さんが何か問題に巻き込まれたり、何か問題を抱えている場合、それを学校や受験競争のせいにするのではなく、家庭でもしっかりと考える必要があるのです。

もちろん、心理学、社会学、経済学などいろいろな分野の先生方がいっしょになって真剣に考える必要があることは言うまでもありません。]]>
      
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   <title>子どもが「本物の学力」を身につけているかどうかは、作文を書かせてみればわかる</title>
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   <published>2009-11-14T11:36:08Z</published>
   <updated>2009-11-14T11:45:00Z</updated>
   
   <summary>作文指導は技術的にたいへん難しく、とくに力を入れている先生でないかぎり、学校の国...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[作文指導は技術的にたいへん難しく、とくに力を入れている先生でないかぎり、学校の国語の授業の中で子どもが作文を書かされる機会はあまりありません。

しかし、<span class="b">子どもの考える力をみるうえでも、またそれを伸ばすうえでも、作文を書かせるのはたいへんよい方法です。</span>


小学校の高学年になると、作文の好きな子どもと嫌いな子どもに、はっきり分かれるようです。

そのもっとも大きな要因は、やはり<span class="b blue">本をよく読んでいるかいないか</span>ですが、低学年のうちから文章を書くことに慣れているかいないかによっても変わってきます。

そこで、ぜひお母さんが、家で作文を書かせてみてください。

いやがらせないコツは、まずあまり長いものを書かせないこと。

原稿用紙は一枚４００字ですが、悪のうちは半分の２００字程度が適当でしょう。

もちろん、長く書きたがったら自由に書かせてください。


テーマ（題）は何でもかまいませんが、子どもがいつも接しているもの、最近の印象的な出来事などから、はじめるのがいいでしょう。

<span class="b purple">「同じ題で、お母さんも書いてみようかな」</span>という感じでいっしょに書いて、あとで朗読しあったり、子どもの作文に返事を書いてあげたりというような方法もいいと思います。


文章の流れがきちんと整っていて、全体として言いたいことが伝わってくるようなら、心配はいりません。

「本物の学力」が身についていると考えていいでしょう。

このとき、誤字・脱字やこまかい「てにをは」のまちがい、文章のうまい・へたで判断してはいけません。

それはまた別に指導する必要がありますが、とりあえず<span class="dotted">内容だけに注目します。</span>


考える力のついていない子どもの作文は、話が途中でとんでまた戻ったり、途中で別の話に変わってしまっていたりします。

同じことについて、最初は「楽しかった」と書いているのに、終わりでは「つまらなかった」と書いていたりもします。

書きはじめるまえに、何をどう書くかを、頭の中でまとめることができていないからです。


こういう場合、中学年以上でしたら、まずメモをつくらせて構成を考えさせるという方法が効果的ですが、低学年のうちは難しいでしょう。

テーマを決めたらまず、それについてしばらく話し合って、それから書かせるというのも一つの方法です。

まず書かせてみて、それを読みながら、<span class="b purple">「これはどういこと〜？」「どういうところがおもしろくて、どういうところがつまらなかったの〜？」</span>などといろいろ質問をし、頭の中で整理させて、もう一度書かせてみてもいいと思います。

なかには、たとえば<span class="b green">「電車で○○駅まで行って、それから歩いて動物園に行きました。</span>

<span class="b green">最初に猿を見て、つぎに象を見ました。</span>

<span class="b green">それからおべんとうを食べました……」</span>というように、事実だけを羅列した文章を書く子どももいます。

こういう子どもは、<span class="b red">感情表現が苦手だ</span>ということですから要注意です。


こういう場合も、<span class="b">やはり質問をしながら、じっくり引き出してあげる</span>のがいいでしょう。

<span class="b purple">「象さんどうだった？」「大きかった？」「どんなことしてた？」</span>

<span class="b purple">「子どもの象さんがいて、かわいかった」「そうなの。お母さんも見たかったな。そういうことを書いてくれたら、もっとおもしろかったのに」</span>

こういう会話の中で、子どもの気持ちをしだいに引き出すようにしてそうすれば、すらすら書けるようになるでしょう。

お母さんは、ついうまい文章を書かせようと、あれこれ教えてしまいがちです。


<span class="b purple">「ここはこう書いたほうがいいわよ」</span>とか、ときには<span class="b purple">「ここはこうだったんじゃないの？」</span>などと、書くべきことを勝手に決めてしまったりもしますが、これは<span class="b red">逆効果</span>です。

これでは、子どもの書こうという意欲をそいでしまいます。

子どもに書きたいことを書かせ、お母さんはそれを引き出すことに徹する。

そのことに、くれぐれも注意してください。]]>
      
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   <title>友だちといっしょに遊ぶことで、子どもの頭の回転は速くなる</title>
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   <published>2009-11-13T23:01:38Z</published>
   <updated>2009-11-13T23:19:36Z</updated>
   
   <summary>子どもにとっての勉強は、机に向かっているときだけではありません。 とくに子どもは...</summary>
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         <category term="子供がつぶれない為の勉強法、学習法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもにとっての勉強は、机に向かっているときだけではありません。

とくに子どもは、遊びの中からさまざまなものを吸収します。

ファミコンの登場以来、子どもの遊びもずいぶんおもむきが変わってしまいましたが、それでも屋外で何人かの子どもたちが遊んでいるのを見かけると、やはりむかしと変わらず、子どもは遊びの天才なのだということに気づかされます。

子どもたちは、「そのときその場にあるもの」を何でも利用します。

たまたま落ちていた板切れは、野球のベースにも、戦争ごっこの安全地帯にもなります。

昨日あったものがなくなっていても、めげません。

すぐ代用品を見つけてきます。

遊びのルールも変幻自在です。

人数がふえれば変わり、一人帰ればまた変わります。

場所の広さや、道具のあるなし、そうした違いでもルールを微妙につくりかえます。


こういう工夫は、遊びの中だからこそできるのです。

すこしでも早く遊びたい、すこしでも楽しく遊びたいと思うからこそ、子どもたちの頭はフル回転します。

こうした、<span class="b">頭の体操</span>は、勉強にも通じるものであることは言うまでもありません。


子どもは、一人で遊んでいるときも、いろいろと工夫をします。

しかし、やはり友だちと遊んでいるときの工夫にはかないません。

人数がふえればそれだけ状況は複雑になりますから、より多くの工夫が必要ですし、一人ならあきらめてしまうことでも、何人かいれば何とかしようということになるからです。

友だちと遊ぶことによって得られるものは、頭の回転の速さだけではありません。

小さな子や女の子がまじっていれば、ハンディキャップをつけてやる。

早く帰る子がいれば、それまでに終わるようにルールを変える。

遊びを楽しくするためのそうした工夫をとおして、みんなが楽しむためには仲間への思いやりが必要だということを実感するのです。

また、誰かがルールを破れば遊びが台なしになりますから、<span class="b blue">ルールを守ること、公平であることのたいせつさ</span>も実感します。

チームワークを必要とする遊びなら、責任感も身についていきます。

これらはすべて、社会生活を送るうえで必要不可欠なものです。


最近は、友だちと遊ぶといっても、ソフトを持ち寄ってファミコンをやるということが多いようです。

みんながやっていることは、一通りやらせてあげたほうがいいのですが、ときには外に追い出すくらいのつもりで、ほかの遊びもさせたいものです。]]>
      
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   <title>お母さんの手伝いをよくする子どもは、ものごとを順序だてて考えられる子になる</title>
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   <published>2009-11-13T14:19:02Z</published>
   <updated>2009-11-13T14:29:19Z</updated>
   
   <summary>お母さん方が家事をこなす様子を見ていると、いつも感心させられます。 たとえば炊事...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[お母さん方が家事をこなす様子を見ていると、いつも感心させられます。

たとえば炊事をあげることができます。

かぎられたスペース、かぎられた数のコンロを使って、何種類もの料理を作り、そのどれもが、食卓に並んだとき冷めないように、絶妙のタイミングで仕上がります。

掃除にしても洗濯にしても、時間のムダが出ないよう、じつによく考えられた手順でこなされていきます。

家事は、<span class="b">創意工夫の宝庫</span>と言えるでしょう。


お母さんのお手伝いをよくする子どもは、こうした工夫をしぜんに身につけていきます。
たとえば、おっかいによく行かされる子どもがいるとします。

何度か行くうちに、回る店の順番を工夫するようになります。

そして、<span class="b">「歩く距離だけを考えるとスーパーのあとに八百屋さんに行ったほうが早いけど、スーパーでの買い物が多いから八百屋さんに先に行ったほうが楽だ」</span>というように、いろいろな条件をあわせて考えることもできるようになっていきます。

掃除でもそうです。

テーブルと床を掃除するとき、せっかく床を掃除したのに、テーブルからゴミが落ちて二度手間になった、という体験をすると、<span class="b">「今度は先にテーブルを掃除したほうが楽だ」</span>というように考えるでしょう。


こうした経験を積み重ねると、<span class="b blue">「順序」ということのたいせつさ</span>を理解していきます。

同じことをするにも、順序を変えるだけで楽にもたいへんにもなる。

そして、よく考えれば、実際にやってみなくても楽な方法を見つけることができる。

こういうことがわかっていくのです。

なにより重要なのは、子どもがそれを、体験をとおして知ることができるということです。

お母さんのアドバイスがあったにせよ、かならず子どもは感覚的に確かめることができます。

たとえば、<span class="b">「ぞうきんがけは、汚れの少ないところを先に」</span>と教えられて、あとで実際にぞうきんを見れば、たしかにこのぞうきんで棚を拭いたら、かえって汚れてしまいそうだ、ということを実感できるはずです。

順序だててものごとを考えるという発想は、高学年以降の算数ではとてもたいせつなことの一つです。

しかし、口による説明だけでは、実際の使い方もありがたみも、なかなか理解させることができません。

子どもが体験を通して身につけていれば、こんなにすばらしいことはありません。


もちろん、この発想がほんとうに役に立つのは、社会に出てからです。

同じことをやってもどうも人より時間がかかり、<span class="b green">「要領の悪いやつ」「グズなやつ」</span>と呼ばれてしまうような人は、子どものころにあまり親の手伝いをしなかったのかもしれません。]]>
      
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   <title>いま求められる「資格試験制度」を考えてみる</title>
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   <published>2009-11-12T22:58:19Z</published>
   <updated>2009-11-12T23:04:44Z</updated>
   
   <summary>偏差値をほんとうになくすためには、資格試験制度の導入が必要だと思います。 高校受...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[偏差値をほんとうになくすためには、資格試験制度の導入が必要だと思います。

高校受験でしたら、数学はこのライン、英語はこのラインと決めておきます。

たとえば数学だったらABCの三つのランクを決めればいいのではないでしょうか。

こうして九科目を決めておいて、ある高校はAがいくつでBがいくつ、Cがいくつなら合格と表示して、そういう子を希望するのです。

そういう子が集まって、全員入学ではありませんが、試験なしで合格できるような形がいいのではないでしょうか。


全員入学の制度は、私はある意味で賛成できません。

実際に現場で子どもを教えていて、いま全員入学すると、高校の現場が困るということがわかるからです。

中学三年生でも、成績が下から一、二割の子どもの中には、小数、分数の計算ができない子がかなりいます。

そういう子が、いまの高校の教育制度のままで全員入学したら、子どもたち自身がかわいそうです。

ですから、いろいろと学科をふやして、高校卒業の資格が取れるような高校制度にすれば問題ないと思います。

大学ですと、フランスのバカロレアが資格制度ですし、ドイツの場合も資格制度を取り入れています。

資格試験でAをいくつ取っているか、Bをいくつ取っているか、その結果、大学一年生が定員の倍になっても入学させていいのではないかと思います。


学生があふれたらどうするのかと言われるかもしれませんが、進級のときに厳しくすればいいのです。

はいったときが１０００人、二年生のときが８００人、三年生のときが６００人、四年生のときが４００人というように、トータル的に人数を考えるのです。

いまの大学は、担当教授の本を読んでいなくても、授業に出席しなくても、進級できる制度ですが、もうすこし厳しくしてもいいのではないかと思います。

さらに、資格制度になれば、隣の子と自分の子を比べる必要がありません。

自分は自分、これだけ勉強すればこれだけの資格が取れるのだということになれば、他人を意識することも少なくなると思います。

そして、黄初に戻りますが、子育てが競争になるということが、まずなくなるに違いありません。

子育てが競争になるのは、隣の子に比べてうちの子はどのくらいできるか、ということを知りたがるからです。


しかし、競争入試がなくなれば、比較する必要もなくなるわけです。

<span class="b">やるべきことをきちんとやるということは、小さいときからのきちんとしたしつけがだいじです。</span>

そうすると、小さいときからしっかりとしつけられて、学習する習慣を身につければ大丈夫というように、本来あるべき学習環境が家庭に戻ってくるでしょう。

また、競争意識をむきだしにして、たとえば中学受験で、隣の子がどこそこの学校に受かって、どうしてうちの子がこうなのだろうというような気持ちにもならないと思います。

<h3>ほんとうの意味を知っていれば「偏差値」はこわくない</h3>


<span class="b red">偏差値＝入試の諸悪の根源</span>だと思っている人はけっこういます。

でも、偏差値というのは、全体の中で自分はどこに位置するかということを示す数字で、競争入試があるかぎりそれを利用するのはやむをえないことだと思います。

ただ、それによって子どもをランクづけるとか、偏差値によって高校をランクづけるとかということは避けなければなりません。

偏差値でなくても、ランクづけは絶対評価でもできます。

たとえば東京でいうと、桐朋学園という進学校がありますが、桐朋に合格する子はいつも学校の成績が９５点以上だったとします。

すると、桐朋という学校は、９５点以上必要なのかという評価になるわけです。

このようにテストの点数でもランクづけができるわけですから、偏差値だけを悪者にするのはおかしいことです。

偏差値やテストで序列化して、輪切りにするということがおかしいのです。


たとえば高校の評価の序列の場合、いまは偏差値で輪切りにされているかもしれませんが、<span class="b">偏差値ではなくて、教育の内容で競争する</span>という考え方が出てきてもよいのではないでしょうか。

そういうかたちで学校が競争しようと思えばいくらでもできるわけです。

偏差値は平均が５０で、最高が７５、最低が２５となっているのがふつうです。

あくまで、全体の中でどれだけできたかできないかを表す数字なので、その人の絶対的な能力を示しているものではありません。

ですから、偏差値にこだわると、子どものほんとうの実力さえ見失いかねません。

ちゃんと勉強していけば、誰でも本物の学力が身につきますから、相対評価の偏差値を気にしすぎないようにしましょう。]]>
      
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   <title>親子で楽しめる趣味やスポーツがあるとやる気のある子が育つ</title>
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   <published>2009-11-12T14:53:51Z</published>
   <updated>2009-11-12T15:14:57Z</updated>
   
   <summary>子どもの学力を伸ばすためには、家庭内のコミュニケーションがたいせつであることは、...</summary>
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         <category term="子供のやる気を引き出す方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[<span class="b blue">子どもの学力を伸ばすためには、家庭内のコミュニケーションがたいせつである</span>ことは、今までの記事でおわかりいただけたでしょう。

そのコミュニケーションをよりよいものにするために、<span class="b">親子で楽しめる趣味をもつ</span>ことをおすすめします。

親子で共通の趣味があると、「親子」という関係のほかに<span class="b blue">「同志」</span>のような関係が加わります。

すると不思議なことに、親子のあいだでは話しにくいようなことが、同志に対しては話せるので、結果的により深いコミュニケーションがとれるようです。

それまでほとんど口も聞かなかったような父と子が、いっしょに釣りに行くようになったとたんに話しはじめるというようなこともあります。

これは男の子と父親のあいだに多く、女の子と母親のあいだでは、どちらかというと<span class="b blue">「友だち」</span>のような関係でいろいろと話し合うようです。

また、場合によっては<span class="b red">「ライバル」</span>のような関係が加わることもあります。

子どもは、親を尊敬すると同時に、どこかで、いつも押さえつけられている親を越えてやろう、というような意識をもっています。

たとえば、将棋などの勝負事やスポーツが共通の趣味になると、親に勝つために一生懸命研究したり練習したりします。

これは、子どもの向上心を高めます。


もちろん、親をライバルとは思っていなくても、親といっしょに何かをやっているという意識は、子どものやる気を高めます。

趣味の分野で上達するための努力は、苦しいものではありません。

楽しみながら努力して、望む結果を手に入れるという体験は、好きなことでなければなかなかできません。

やる気がありますから、こうした体験もしやすいはずです。

言いかえれば、<span class="b f11em">「やればできる」という体験</span>です。

この体験は、<span class="b blue">自信</span>につながります。

勉強をはじめ、ほかの分野にもこの自信は生きてきます。

多少の困難にぶつかっても、自分の力を知っていますから、何とか乗り越えようという気持ちをもつことができます。

自分の趣味に子どもを誘ってもいいですし、「いっしょにはじめてみようか」という感じで新しいことにチャレンジしてもいいでしょう。

ぜひ実行してみてください。]]>
      
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   <title>生活体験と知識を結びつけることが、勉強好きな子を育てる</title>
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   <published>2009-11-11T18:13:55Z</published>
   <updated>2009-11-11T18:28:27Z</updated>
   
   <summary>有名私立中学に合格するような子どもたちは、みんながみんな、四年生ぐらいから進学塾...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[有名私立中学に合格するような子どもたちは、みんながみんな、四年生ぐらいから進学塾に通い、寝る間も惜しんで勉強してようやく合格するというわけではありません。

なかには、六年になってから受験でもしてみようかなどと言いはじめ、たいして勉強もしていないのにスッと合格してしまう子どももいます。

はたから見ればうらやましいかぎりですが、そういう子どもは、やはり頭がよくて知能が高いのでしょうか。

しかし、こういう子どもたちは「勉強していないように見える」だけで、ほんとうは人一倍勉強しているのです。

といっても、ほかの受験生たちのように、何時間も机にかじりついているわけではありません。

<span class="b blue">日々の生活体験そのものが、その子にとっては勉強なのです。</span>

頭脳が違うとしたら、生活体験と学習した知識を結びつけて考える能力、ということになるでしょう。


たとえば、学校で歴史の勉強をすると、そういう子どもは教科書にも参考書にも載っていないような人名まで、たくさん知っています。

でもそれは、たまたまこのあいだ見たテレビドラマが、その時代の話だっただけのことです。

割合の計算も苦もなくこなしてしまいますが、それは新聞の折り込みチラシとバーゲンセールのおかげです。

速さの問題も簡単に解いてしまいますが、乗り物が好きで、速い乗り物にあこがれているせいです。


たしかに記憶力がいいということは言えるかもしれませんが、それもどちらかといえば、自分の頭の中でいろいろな知識を結びつける「隠れた能力」のおかげのようです。

ですから、このような子どもにとっては、勉強は楽しくてたまりません。

興味が興味を呼び、どんなものを見ても目を輝かせます。

ただ知識と経験を結びつけるだけの能力ですから、ここでは「隠れた能力」と呼んでおきますが、この能力は特殊なものではありません。

ただし、子どものうちからこの能力が使えるようになるには、やはり<span class="b">訓練</span>が必要で、それができるのほお母さんしかいません。


といっても、幼児英オ教育のような、特別の訓練方法があるわけではありません。

このサイトで述べてきたことを、きちんと実行すればいいのです。

とくに、<span class="b blue">日常生活での子どもに対する接し方と、生活体験をたいせつにする意識はつねにもち続けてください。</span>

ちゃんと実行したからといって、私立中学に合格できるような学力を簡単に得られるというわけではありません。

でも、勉強嫌いにならずに、中学、高校と進んでも落ちこぼれることなく、社会に出てもりっぱに通用する知恵をもった人間に育っていくことは、まずまちがいありません。]]>
      
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   <title>子どもたちをとりまく受験環境</title>
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   <published>2009-11-11T09:35:22Z</published>
   <updated>2009-11-11T09:46:52Z</updated>
   
   <summary>いまの競争入試の制度があるかぎり、受験生やその親としては、自分の成績の位置が気に...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[いまの競争入試の制度があるかぎり、受験生やその親としては、自分の成績の位置が気になるのは当然です。

３００人が定員という中学校を受験する場合、８０点以上の子が自分以外に３００人いれば、８０点取っても合格できません。

つまり、受験においては絶対評価は信用できないということです。

しかし、小学校の評価は絶対評価なので、母親の多くが小学校の評価を信用しなくなっているようです。

偏差値がなくならないのは、このよう競争入試のため、ほかの子どもに比べて自分の子の位置がわからないと合格できないということが理由の一つにあげられます。


もう一つは、子育てが競争になりつつあることです。

いまと比べると、２０年から３０年まえには、中学受験に熱心なお母さん方は少数でした。

ここまで競争意識が蔓延してきたというのは、高校受験の入試が激化したからだとは考えられません。

というのは、高校受験に関しては、受け皿が３０年まえに比べて統計的にすごくふえているからです。

また、進学率も９６パーセント前後になりましたが、進学を希望している子はせいぜい９７〜９８パーセントいればいいというのが私の考えです。

そうすると、９８割る９６で単純に全国を平均した場合の競争率が出てくるわけで、１．０２倍前後です。

つまり、競争率は激しいとは言えません。


３０年まえの高校受験のときは、進学率はいまより低かったわけですが、絶対的な人数が多かったので、高校に行きたくても行けなかった子が１０万人以上いました。

そのような時代が何年か続いたことと比べたら、いまは、高校受験に関してはひじょうに恵まれていると思います。

単純計算しても１．０２倍なので、国の政策によって入学者の頭が押えられているという人もいますが、私は当てはまらないと思います。

都立高校の場合、客観的な状況から見ても、競争率は下がっているので、競争は激化していないと言えるはずです。

ところが、なぜだか受験競争は年々激化しているように見えるのです。

それは、さきほど述べましたが、子育てが競争になってきていることと、わが子を隣の子よりも一ランクでも上の高校に行かせたいという意識がひじょうに強くなっているからと思われます。

つまり、競争率は下がっていますが、<span class="b">競争意識はそれぞれの家庭で高まってきている</span>ということになります。

その理由としてはいろいろ考えられますが、一つは、男女に関係なく、管理社会が発達するにつれて、人々が孤独になってきていることがあげられます。

たとえば、昔は子育ては共同でやったものでした。

「うちの子、よその子」というのではなく、村全体で、または隣近所の町内会や子ども会で子育てをする、という意識がありました。

それが、管理社会が発達し、分業化が進むにつれて、子育てまでが各家庭でばらばらになってしまったのです。


<span class="b">子育てが各家庭ごとにばらばらになった、つまり核家族という単位で子育てをすることになった結果、子育てが競争になってきたのではないでしょうか。</span>

塾に行くにしても、大手の進学塾に通うことが一種のステータスだと考えたり、中学受験をさせることで、あそこの子はすごいと思わせるなどといったこともそうです。

つまり、子育てが競争になってきたために、実質的には激しくないにもかかわらず、意識のうえで、受験戦争が高まっていると考えられてしまうのです。

この高校受験に関する状況は、中学受験の場合とはだいぶ違います。

中学受験の場合は、意識も高まっていますし、実質倍率が高くなっています。

２０〜３０年まえに比べて、かなり倍率が高くなり、受験者数もふえているという事実からみても、中学受験が激化しているというのは明らかです。

ですから、中学受験と高校受験とは分けて考えなければなりません。


また大学受験に関しても、第二次ベビーブームの受験生はそろそろ終わりになりますから、これからは高校受験と同じで、受け皿はだんだん広くなってくると思います。

ただし、競争意識というのはなくてはなりませんので、銘柄大学に行きたいという意識は、より強くなることでしょう。


高校受験においてもその傾向は強まっています。

首都圏の場合、ある程度の都立高校、公立高校に行けるのに、もっとランクが上の私立に行きたいという受験生がふえているようです。

ですから、偏差値６５以上の私立高校に関しては、むかしに比べて競争は激化していると言えるでしょう。

名まえを出せば、早稲田系統や慶応系統の付属です。

さらに、中大、成城、学習院、青山学院などの大学付属校が軒並み２０年、３０年まえに比べて難しくなっています。

これらを考えると、一部で激化しているということは確かです。

マスコミは、こうした点だけに注目しがちですが、このことだけで、高校受験は３０年まえに比べてたいへんなのだというように解釈されては困ります。

教育関係の方でも、年年受験競争は激化しているという説をとっている人がけっこういらっしゃるようですが、一般のお父さんお母さん方も、自分たち団塊の世代が受験したときのたいへんさを忘れてしまっているのです。]]>
      
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   <title>なぜ落ちこぼれるのか？増えている自学自習できない子どもたち</title>
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   <published>2009-11-10T19:36:06Z</published>
   <updated>2009-11-10T19:37:18Z</updated>
   
   <summary>落ちこぼれる子どもたちがふえてきた背景に、根本的な問題として、自学自習できる子が...</summary>
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      <![CDATA[落ちこぼれる子どもたちがふえてきた背景に、根本的な問題として、<span class="b red">自学自習できる子がひじょうに少なくなってきた</span>ことが考えられます。

その理由について、ここでは家庭と学校に分けてすこし考えてみることにします。


<h3>地域や家庭の教育力の低下</h3>


自学自習できる子が減少してきている理由として、家庭や地域での教育力の低下をあげることができます。

核家族がふえてきた現在では、どうしても親が<span class="b red">過保護</span>か、または<span class="b red">無関心</span>かの両極端になってしまう傾向があるのです。

塾でも過保護の子どもがふえてきています。

過保護にしつけられた子どもたちは自学自習がまずできません。

そして学力も低い傾向があります。

これは完全に家庭の教育力の低下の一つです。


また、親自身が孤独になってきていることも、地域や家庭の教育力低下の一つの遠因になっています。

一つの組織である共同体（地域社会）の中で、いわゆるアイデンティティーが欠如している、つまり自分の存在を確認できるところがないわけです。

すると、子育ても孤立化し、子育てを他人の子どもとの競争ととらえるようになってしまうというのは、まえに述べたとおりです。

加えて、子どもをどのように育てたらよいのかわからないという親もふえています。

そこから、過保護になるか放任主義になるかのどちらかに分かれるのです。


塾やスイミング、剣道、そろばんなど、さまざまなおけいこごとがありますが、そういうところに通わせておけばいい、という親もけっこういます。

これは、見方によれば教育熱心にもとれますが、<span class="b red">放任主義</span>と同じだといってよいと思います。

そういうお子さんは、目が死んでいます。

月並みな言葉ですが、親の愛情が欠けているのです。

自分の子どもでありながら、あまり一生懸命育てたくないという親もふえています。

しかし、むかしに比べればお金はあるので、スイミングや体操などのクラブに入れて、本来自分が教育しなければいけないことまで放棄してしまう、または逆にずっとつきっきりになってしまうというようになります。

<span class="b">つまり、過保護も放任主義も根っこは同じなのです。</span>

これは、産業社会が発達すればするほど、人間がそういう傾向になるというのは、避けられないことなのかもしれません。


人間が社会の中にはいる、組織の中にはいってその一員になるということは、連帯感が芽生えるきっかけではありますが、同時に孤独感に陥るきっかけとなる可能性もあります。
産業が発達して分業化が進めば進むほど、人間どうしのつながりも細分化されていくのだとも言えます。

ですから、これからの子育ては、こうしたことを前提にして行なう必要があります。


たとえば、よく<span class="b">「親の背中を見て、子どもは育つ」</span>と言われますが、これはもう、ひとむかしまえの話だと思います。

そのころの親というのは、家で働いている人が多かったので、両親の働いている姿を見て子どもは育っていったわけです。

ところがいまは、お父さんは会社に行って、家でその働く姿を見る機会はありません。

ですから作文を書かせると、

<span class="b green">「お父さんは土曜日、日曜日は家にいるけれども、ごろごろしてテレビを見ている。</span>

<span class="b green">ほんとうはお父さんに遊んでもらいたいんだ」</span>

などと書く子がいるわけです。

また、

<span class="b green">「お父さんはいつも１１時頃に帰ってくる。</span>

<span class="b green">だから夕飯をいっしょに食べられないんだ。</span>

<span class="b green">朝はぼくがご飯を食べるときには、お父さんはもういない」</span>

そういう家庭も多いようです。

つまり、<span class="underline">親の背中を見て、親の働く姿を見て育つ子はひじょうに少なくなってきているのが現実です。</span>


人間が孤立化している時代だからこそ、これからの子育ては、このことをより意識した教育をしていかなければなりません。

地域の人たちが連帯意識をもって地域で子育てをする、子育ては隣の子との競争ではないのだ、という方向に社会全体をもっていかなければ、子どもたちが落ちこぼれていくという問題の解決は難しいと思います。

多くの方の意見のように、教科書が難しくなってきたから、落ちこぼれなどの教育問題が起きたと論を進めてしまうと、このような本質的なものを見逃してしまう可能性がひじょうに強いので気をつけなくてはなりません。


<h3>過度の期待をもたれる学校</h3>


子どもたちが落ちこぼれていく理由の一つとして、よく学校の教育力の低下をあげる方がいます。

しかし、私自身は学校の教育力については、あまり変わっていないと考えています。

その理由として、三つあげることができます。

第一に、一クラス当たりの人数が減ってきていることがあげられます。

むかしは５０人いたのが、いまは４０人を切っているのです。

むかしより先生の目が届くことになりますから、教育環境はよくなっていると言えます。

また第二に、先生一人当たりの生徒数も、小学校・中学校とも３０年まえに比べて少なくなっています。

また、環境や教育設備もよくなっています。


そして第三に、学校の先生の質に関しては、マニュアル化されている若い人が多いといわれていますが、全体から見るとがんばっている先生もいらっしゃいますので、むかしと大きな変化はないと思います。

それなのになぜ学校教育の質が落ちてきたように思えるかというと、期待が大きすぎるのではないでしょうか。

家庭や地域の教育力が低下していれば、子どものしつけや非行の問題に関しても、すべて学校で対処してもらえないかという気持ちが強くなります。

しかし、いまの学校制度では、すべてに対処するのは<span class="b red">無理</span>なのです。

というのは、学校の制度というのは、第二次大戦が終了して三年後ぐらいに日本の教育制度が変わったあと、４０年近く基本的に変わっていないからです。

ですから、しつけの面や地域の教育力低下、家庭の教育力を補填するような機能になっていないのです。

そのような、教育制度自体が世の中の動きからちょっとずれているという意味でもあります。

高校の教科を選択制にするとか、総合学科をつくるとか、いろいろな試みがありますが、いまちょうどゆれている時期だと言えるでしょう。

ゆれているというのは、地域の教育力を補填することができない、補填するには学校以外で開拓しなければならないときだということです。

また、繰り返し述べてきたように、教育の土台である家族の形が変わってきているのに、上にのっている学校の教育制度が変わっていないので、どうしてもずれが生じてしまい、学校はだめだという批判になってくるのだと思います。

いろいろ調べてみても、３０年まえと比べて学校自体が悪くなっているという部分はほとんどありません。

<span class="b f11em">あまりにも学校だけに期待しすぎているのです。</span>

勉強は教えなくてはならない、子どもたちにわかるような言葉で、しつけも含めて教えなくてはならない、だから、たいへんなことなのです。


進学塾では、たとえば平行四辺形の面積の出し方などは、底辺×高さの公式さえ教えればいいわけです。

ところが学校の先生は、なぜ底辺×高さになるのか、それを長方形の形とかいろいろな形にして教えます。

　円の面積の出し方にしても、３０分、１時間かけて公式を教えるわけです。

どうしてそうなるのかということもやらなければなりません。


また、学校の先生は、しつけまですることを期待されています。

しかし、このことは、中学校の管理教育につながってしまいます。（管理が厳しい学校ほど非行に走り、自由な服装で、自由な規則のところのほうが非行が少ないというデータがあるくらいですから、私は、管理教育はやるべきではないと考えています。）

しかし、どうして学校がやらざるをえないのかというと、地域や家庭がそれを望んでいる部分があるからなのです。

思春期になっていろいろな問題が起きたら、家では対処することができなくて、

<span class="b purple">「先生、なんとかしてください。非行の問題なんて、うちでは対処できません」</span>

<span class="b purple">「登校拒否なんて家では……」</span>

<span class="b purple">「落ちこぼれになったら……」</span>

と、どんどん学校に要求することが多くなるわけです。

そう考えると、学校の先生はほんとうにいろいろな面でストレスがたまっているのではないでしょうか。

ヨーロッパの小中学校の先生のように、勉強を教えるだけが仕事ではないのですから。

がんばっている現場の先生を見ていると、けっして質が落ちているということはないと思います。]]>
      
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   <title>世の中の出来事に関心をもつ子どもは、優しく貰い子に育つ</title>
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   <published>2009-11-10T12:06:21Z</published>
   <updated>2009-11-10T12:12:12Z</updated>
   
   <summary>「最近気になっていること」などという題名で作文を書かせると、ほとんどの子どもは自...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[「最近気になっていること」などという題名で作文を書かせると、ほとんどの子どもは自分の身の回りのことを題材にしますが、なかに何人か、社会的な出来事を題材にする「どもがいます。

たとえば、

<span class="b green">「最近、ゴミ問題が大きく取り上げられています。</span>

<span class="b green">このままゴミがふえていったらどうなってしまうんだろう。</span>

<span class="b green">私たちも何かしなければいけないと思います」</span>

とか、

<span class="b green">「日本では、平気で食べ物を残す人がたくさんいるのに、アフリカでは餓死する子どもたちがいる。</span>

<span class="b green">日本から食べ物を送ることはできないのでしょうか」</span>

といったぐあいです。


こういう子どもの作文は、文章もしっかりしていますし、考え方の筋道もとおっていて説得力があります。

国語力が身についていますから、ほかの科目についても優秀で、たいていクラスでも上位を占めています。

ニュースや新聞などの報道を理解しているのですから、それは当然とも言えるでしょう。

また、人の気持ちを思いやれる、優しい子どもたちだという点でも共通しています。

社会に関心を向ける中で、人間はたがいに助け合って生活しているということを、しぜんに感じているのでしょうか。

このように、世の中の出来事に関心のある子どもを育てるには、まず親自身が、そうしたことに関心をもつことが必要です。

子どもかニュースなどを見ていて、<span class="b green">「これ、どういうこと？」</span>などと聞くことがありますが、<span class="b purple">「お母さんにもわからないわ」</span>ですましてしまうと、子どもは<span class="b green">「こういうことは知らなくてもいいんだ」</span>と考えて、しだいに興味をもたなくなってしまいます。

たとえ知らなくても、<span class="b purple">「わからないわ。お母さんも勉強しなくちゃね」</span>とか、<span class="b purple">「あとでお父さんに聞いてみましょう」</span>というように言っておきます。

実際に、父親と協力したり新聞などで調べたりして、あとで説明してあげることができればベストです。


また食卓でも、積極的に社会的な話題をもち出して、子どもを含めて意見を述べ合うというような体験も、子どもにはいい影響を与えます。

べつに、問題を正確に理解して言う必要はありません。

知っている範囲の知識をもとに、子どもに説明してあげられて、自分なりの意見を述べることができれば、子どもに関心をもたせるには十分です。


<span class="b blue">子どもが社会の授業で習ってきたことを話題にする、</span>というのもいい方法です。

自分の習っていることが、大人たちにも関心のあるたいせつな問題だということがわかれば、子どものやる気も変わってくるはずです。]]>
      
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   <title>高校受験をめぐる現状</title>
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   <published>2009-11-09T20:29:00Z</published>
   <updated>2009-11-09T20:46:36Z</updated>
   
   <summary>いまの中学生は、３０年まえに比べて勉強する量は少なくなりました。 また、受け皿も...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[いまの中学生は、３０年まえに比べて勉強する量は少なくなりました。

また、受け皿もたくさんあります。

ですから、序列化された方法で学校を選ぶのではなくて、地理的なことや学校の設備や校風など、内容で選んでほしいと思います。

しかも、むかしよりもずっと選択範囲も広くなっているので、むやみに競争意識をもつ必要もありません。

受験競争のため<span class="b green">「たいへんだ」</span>とあせって受験勉強に取り組まないでもらいたいのです。

自分なりにきちんと教科書を中心に基礎学力をつけておけば、けっして心配することはありません。


また、<span class="b green">「進学するには私立でなくては……」</span>と言われますが、東京都内にかぎっても、進学校の数では、まだ都立のほうがかえって多いくらいです。

私立の場合は一部のかぎられたところが進学校であるにすぎません。

その、ほんの一部の進学校の受験競争だけが、ひじょうに厳しくなっているのです。

すべての高校の受験競争が激しくなっているわけではありませんから誤解しないでください。


ただ、私立の中堅校以上の、とくに大学付属高校では明らかに難しくなりました。

教科書だけの勉強で受験するのは難しいので、教科書プラスアルファの学習が必要です。
前述したように、３０年まえの受験は、教科書だけの勉強でたいていのところに合格できました。

一部の国立系統はたしかに難しかったのですが、それでも、教科書プラス問題集を一冊やれば、自学自習でトップクラスの都立校やほとんどの私立に合格できたのです。

ところが、いまは教科書がやさしくなり、入試問題が一部の学校でひじょうに難しくなって、私立の中堅校でも教科書だけでは太刀打ちできなくなっています。

そういう意味で<span class="b">進学塾がふえてきた</span>のです。]]>
      
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   <title>子どもは遊びや家族とのふれあいの中でいろいろなことを学んでいる</title>
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   <published>2009-11-09T03:37:46Z</published>
   <updated>2009-11-09T03:53:15Z</updated>
   
   <summary>遊びの中にも子どもを成長させる要素はたくさんあります。 伝統的な遊びでいえば、こ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[遊びの中にも子どもを成長させる要素はたくさんあります。

伝統的な遊びでいえば、こまやおはじきなどは、子どもの集中力を高めるのに役立ちます。

いろいろと難しい「ワザ」などもありますが、子どもは、遊びだからこそ誰に言われなくても熱心に取り組み、いつの間にかクリアしてしまいます。

そのときの集中力は、大人にもなかなか真似できません。

将棋やダイヤモンドゲームなどの知的ゲームが、子どもの想像力を伸ばすことに加え、落ち着きや考える習慣も身につけてくれることはよく知られています。

トランプの好きな子どもが数字に強くなるのは当然ですし、途中で点数などを計算しなければならないゲームもたくさんありますから、算数の学力にも影響します。


また、いろいろな<span class="b">「ごっこ」遊び</span>は、子どもの想像力を養うとともに、大人の世界のさまざまなルールを体験させてくれます。

大勢の友だちとの遊びは、さらにいろいろなことを子どもに教えてくれますが、それについてはまえにご紹介したとおりです。


<span class="b">家族とのふれ合い</span>も、子どものたいせつな学習の場です。

家庭は、社会の最小単位といわれるように、社会生活のルールのほとんどが、家族どうしの関係にもあてはまります。

そうしたものを、子どもは知らず知らずのうちに学んでいくわけです。

これも広い意味では、しつけということになるのかもしれません。

また、子どもは、家族の一人ひとりをじつによく観察しています。

親のちょっとしたくせが子どもにうつってしまう、ということがよくありますが、そういう意味では親はいつも気を抜けません。

よくも悪くも、親は子どものお手本なのです。


こうした日常生活の中での学習は、学校でのいわゆる「勉強」と区別して考えがちですが、この両者は密接に結びついています。

子どもがどんな遊びをしているか、家族関係や、親子のコミュニケーションはうまくいっているか、こうしたことのすべてが、学力にも深い関わりをもっているのです。]]>
      
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   <title>忘れものをしないようにあ母さんが準備をしてしまうと、子どもの学力は上がらない</title>
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   <published>2009-11-08T22:27:51Z</published>
   <updated>2009-11-08T22:45:15Z</updated>
   
   <summary>子どもが学校へ出かけるとき、「忘れものない？」という言葉は、多くのお母さんの日ぐ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもが学校へ出かけるとき、<span class="b purple">「忘れものない？」</span>という言葉は、多くのお母さんの日ぐせになっているようです。

子どもがこの時点でもう一度確かめればいいのですが、急いでいるうえ、もう慣れっこになってしまっているので、あまり気にとめません。

せっかくお母さんが心配しているのに、子どもは忘れものをしてしまいます。

それが、たまのことであれば、しょうがないでしょう。

でも、授業に使うたいせつなものを、いつも忘れるということになると話は違います。

<span class="b purple">「つぎの授業は角度の勉強をするから、かならず分度器を持っていらっしゃい」「つぎの授業は地図帳を持ってくるんですよ」</span>そういった指示が出されたとき、かならずといっていいほど忘れてくる子どもがいます。

本人は、あまり悪びれた様子もありません。

<span class="b green">「また忘れました」</span>などと、当然のような顔でニヤニヤ笑っていたりします。


話を聞いてみると、お母さんが翌日の準備をしているという場合が多いようです。

子どもがきちんと伝えないかぎり、お母さんはつぎの授業で何が必要になるかは知らないわけですから、忘れものをするのは当然です。

ところが子どもは、自分で準備をしたわけではないので、ちっとも責任を感じないのです。

このような子どもは、勉強に対する姿勢がどうしても消極的になります。

時間割表を見ながら自分で準備をすれば、しぜんに授業に対する心の準備をすることができます。

子どもによっては、<span class="b green">「あしたから新しい単元だな。今度はどんなことをやるんだろう」</span>などと、期待感をふくらませることもあるでしょう。

しかし、お母さんが準備をしてしまうと、そういうチャンスが失われてしまうのです。

いつまでたっても受け身のままで、自分から学ぼうとする気持ちがなかなか出てきません。

忘れものをしないようにしつけるということは、結局、責任感を身につけさせるということにはかなりません。

自分のことは、自分でする。

その責任も自分にあるのだと、子どもに早いうちから教えてあげたいものです。

責任感をもつということは、言うまでもなく社会に出てからもたいせつなことですが、このように学力にも関係してくるのです。]]>
      
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   <title>しつけのきちんとできている子どもは勉強も得意になる</title>
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   <published>2009-11-08T14:55:39Z</published>
   <updated>2009-11-08T15:00:39Z</updated>
   
   <summary>子どものやることには、いっさい口を出さない。 やりたいことは自由にやらせる。 そ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どものやることには、いっさい口を出さない。

やりたいことは自由にやらせる。

そういう放任主義が、子どもをのびのびと育てる方法だと勘違いしている家庭は少なくありません。

しかしこういう子どもは、大人とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、責任感がうすいので友だちとの信頼関係もつくれなかったりと、学校生活もあまりうまくいかないという場合が多いようです。

そればかりでなく、<span class="b">しつけができているかいないかは、学力にも大きな影響を与えるのです。</span>

しつけがきちんとできていない子どもは、<span class="b green">「やらなければいけないこと」「がまんしなければいけないこと」</span>に対応できません。

そうすると、三年生、四年生と学習内容が複雑になるにつれて問題が起こってきます。

たとえば国語なら、文章が長くなってくると、最後まで読みとおすということができなくなります。

本を読み慣れている子どもにはわけもないことですが、ふだん漫画ばかり読んでいるような子どもにとっては、教科書の説明文などを読むのは、たしかにかなり苦痛をともなうことかもしれません。

そのとき、しつけのできていない子どもは、途中で投げ出してしまいがちなのです。

算数なら、繰り上がり、繰り下がりが二度、三度重なるような計算が出てきたあたりで、しつけのできていない子どもはもういやになってしまいます。

「できない」のではなく、めんどうくさいから「やらない」のです。

そして、<span class="b">「めんどうくさい」→「やらない」1「わからなくなる」→「もっと、めんどうになる」</span>という<span class="b red">悪循環</span>がはじまってしまいます。

こういう子どもは、塾に行かせてもあまり効果がありません。

たとえ学力が低くても、なんとかわかろうと努力してくれる子どもは、少人数でじっくり教えればかならず成果が上がります。


しかし、やる気のない子どもはどうしようもないのです。

しつけができている子どもは、<span class="b green">「つらくても、やらなければいけないことがある」</span>ということを知っています。

国語の長文も、つまらないと思いながらも読みとおしますし、めんどうな計算も苦労しながら練習します。

学校の勉強というのは、そのようにして努力すれば、かならず成果が上がるようにできているのです。

こういう子どもは、<span class="b blue">「わかる」喜び、「できる」喜び</span>を体験することができ、学力も上がっていきます。


「しつけ」と聞いただけで、<span class="b green">「なんだ、古臭い」</span>というイメージをもってしまうお母さんもいるかもしれません。

でも、古臭いのはしつけの方法だけで、最低限教えなければならないことは、「むかし」も「いま」もあまり変わっていないのです。


<h3>箸を正しく使える子は、勉強もよくできる</h3>


最近は大人でも箸を正しく使えない人がふえてきました。

大学生が集まっていたりすると、変な持ち方をしている学生が一人二人ではないので、びっくりします。

まして子どもとなると、じつにバラエティーに富んだ箸の使い方をします。

食べ物がちゃんとつかめるんだから、持ち方くらいどうだってかまわないじゃないか、というかもしれませんが、それがそうでもないのです。


子どもたちをずっと観察していると、どうも箸を正しく使える子どもは、使えない子どもに比べて学力も高いという傾向があるのです。

理由はいくつか考えられます。

一つめは、<span class="b">大脳生理学的な理由</span>です。

指先をよく使う人はボケないなどといいますが、手の運動と脳の働きのあいだには密接な関係があるようです。

ですから、<span class="underline">手先の器用な子どもは頭の働きもいい</span>ということは考えられます。

長い目で見れば、指先を使わせる習慣をつけたほうが脳のためにいいということは言えるかもしれません。


二つめは、<span class="b">箸を使う練習の過程が、子どもに忍耐力を植えつけている</span>ということです。

箸の練習は、しつけの中でも、子どもにもっとも大きな努力をしいるものの一つでしょう。

何しろ箸の使い方は、文字どおり食べるためにどうしても必要な技術ですから、子どもはとりあえず自分なりの方法を編み出してしまいます。

そこから先は、ほとんど親子のがまん比べのようになってきます。

子どもは、正しい持ち方がうまくいかないうちはどうしてもイライラしますから、つい自分流の持ち方に戻ります。

それをふたたび、親が正しい持ち方に戻す。

この繰り返しで、親子ともども苦労します。


しかし、それを通り抜けて、ついに正しい持ち方をマスターしたときには、子どもは大きな<span class="b blue">達成感</span>を感じるはずです。

<span class="b">「がまんして、努力して、それが報われる」</span>この体験が、子どもにとっては重要なのです。


いっぽう、親が途中であきらめてしまった子ども、最初から努力させられなかった子どもは、この体験をすることができません。

この体験があるかないかが、すこし複雑な学習内容に出合ったときに、努力しても身につけようとするかしないかの差になって表れるのです。

これが、学力を大きく左右することは言うまでもありません。


三つめは、これは箸にかぎらないのですが、<span class="b">指先を使うこまかい作業は子どもの集中力を養う</span>ということです。

箸で豆をつまむ。

折り紙をきれいに折る。

ナイフでエンピツを削る。

こうした作業は、かなりの集中力を必要とします。

こうしたこまかい作業ができる子どもは、計算ミスなども少なく、学力も高い場合が多いようです。]]>
      
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   <title>「わかる」子どもは、「できる」ことの大切さもわかっている</title>
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   <published>2009-11-07T19:12:50Z</published>
   <updated>2009-11-07T19:20:13Z</updated>
   
   <summary>「わかる」ことのたいせつさばかり強調してきました。 このあたりで「じゃぁ、わかっ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[「わかる」ことのたいせつさばかり強調してきました。

このあたりで<span class="b green">「じゃぁ、わかってさえいれば、できなくてもいいんですか？」</span>という質問がきそうです。

もちろん、そんなことはありません。

どんなに問題の解き方がわかっていても、計算違いで答えがまちがっていたら、やはりテストでは×がつきます。

答えはわかっていたのに、漢字をまちがえた。

これもやはり×です。

とくに、解答欄に答えだけを書く形式のテストの場合、考え方がわからなかった場合も、考え方はわかっていたのにうっかりたし算の繰り上がりをまちがえただけの場合も、まったく同じ減点をされることになります。

「わかっていること」がちゃんと評価される、システムになっていればいいのですが、現在の学校教育は、残念ながらそうではありません。

答えが正しいか正しくないかははっきりわかりますが、考え方がわかっているかいないか、わかっていないとしたら、どこまでわかっていてどこからわかっていないのかを、答案用紙から正確に判断することはひじょうに難しく、ましてそれを、点数という形で表すことは至難です。

また、ただでさえ忙しい先生は、テストの採点にそんなに時間をかけることはできません。

その結果、答えだけを評価するという形のテストがふえることになります。

こうなると、「わかってはいるけれども、計算や漢字が苦手な子ども」たちは、挫折を感じることになります。

「わかった」という喜びも、低いテストの点数を見てがっかりしてしまうとしたら、こんなにもったいないことはありません。

どんな子どもでも、そんな経験を繰り返していたら、やはり、だんだん勉強がいやになっていってしまうのではないでしょうか。


でも心配することはありません。

<span class="b blue">お母さんが、子どもの「わかっていること」をきちんと評価してあげればいいのです。</span>

たとえば、子どもがテストを持ち帰ったときに、

「いちばんたいせつな考え方はちゃんとわかってるんだから、偉いわね。</span>

<span class="b green">でも、計算違いをしただけでこんなに点数を引かれて、とっても残念ね。</span>

<span class="b green">毎日計算の練習をして、まちがえないようになりさえすれば、すぐにいい点数がとれるようになるわよ」</span>

とか、

<span class="b green">「読み取りはちゃんとできてるんだから、国語の力はあるのね。あとは、漢字さえきちんと練習すれば、点数もあがるわね」</span>

というように言ってあげます。


こうした言葉で、子どもは失いかけていた自信を回復します。

そして、しぜんに計算や漢字を練習しようという気持ちになります。

「わかっているけどできない」ことの悔しさをいちばん痛感しているのは、いうまでもなく子ども本人です。

わかったときの喜びも、記憶に残っています。

ですから、あとは練習さえすれば「できる」ようになる、ということがわかれば、人一倍努力するものです。

努力した結果、テストの点数が上がれば、もう大丈夫です。

その子どもは、「わかる」ことと「できる」ことがそろえば喜びが二倍になるということを、自らの体験で知ることができたのです。

その喜びの大きさは、「できる」だけの子どもには絶対に経験することのできないものです。]]>
      
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   <title>テストの点数にこだわると、子どもは勉強が嫌いになる</title>
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   <published>2009-11-07T09:20:40Z</published>
   <updated>2009-11-07T09:27:28Z</updated>
   
   <summary>子どもがテストを持って帰ってきたとき、どんな言葉をかけてあげるでしょう。 このと...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもがテストを持って帰ってきたとき、どんな言葉をかけてあげるでしょう。

このとき、あまり点数にこだわると、子どもにいい影響を与えません。

たとえば、<span class="b purple">「どうしたの、こないだより３０点も下がったじゃないの」</span>というように言ったとしましょう。

ほんとうは、前回のテストと今回のテストとでは、内容が全然違うわけですから、比べても意味はないのです。

それを、「点数」という観点だけで比べてしまうことで、子どもは知らず知らずのうちに、<span class="b green">「たいせつなのは点数なんだな」</span>という意識をもってしまいます。

こうした点数にこだわった言葉というのは、つい出てしまいがちです。

<span class="b purple">「つぎは８０点を目標にしようね」</span>とか、<span class="b purple">「国語の点数をすこし算数に回せたらいいのにね」</span>と言っている方も多いのではないでしょうか。

しかし、よく考えてみると、勉強本来の目的からいえば、テストの点数などはおまけみたいなものでしかありません。

運動会での順位や、習いごとの成果などにこだわるお母さんもいます。

とくに、習いごとの場合は、特別に力がはいるようです。

ピアノの発表会などでは、プログラムの順番に目の色を変え、<span class="b purple">「どうしてうちの子が最後じゃないんですか」</span>などと先生に文句を言って、かえって子どもにたしなめられる、などという場面も目にします。


親が子どものテストの点数や成果にこだわるのは、愛情の結果でもありますから、そのこと自体を責めることはできません。

自分の子どもがかわいいからこそ、ついよその子どもと比較してしまいますし、点数や順位などという目に見える形で、自分の子どもの能力を確かめたくなるのです。

しかし、それを子どもの前で口にしてしまうと、子どもも結果にばかりこだわるようになります。

その結果、勉強が嫌いになってしまいます。


子どもを、結果より内容、過程をたいせつにするように育てるためには、やはり日常の会話に注意する必要があります。

子どもがテストを持って帰ってきたら、どんな点数でもまずそれを認めてあげます。

そのとき、「６０点とったこと」よりも「三間解けたこと」に注意を向けさせるようにしましょう。


運動会でも、順位が何位でもがんばったことをほめてあげて、ほかの子どもの順位などはなるべく話題にしないことです。

ピアノを一生懸命練習していたら、そのことをまず認めてあげて、その子の演奏が自分をどんなに楽しい気持ちにさせるかを伝えてあげます。

<span class="b">結果より内容ということをいつも頭に入れて、子どもに接してください。</span>]]>
      
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   <title>子どもの考える力をもっとも伸ばしてあげられるのは親</title>
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   <published>2009-11-07T01:03:21Z</published>
   <updated>2009-11-07T01:20:20Z</updated>
   
   <summary>子どもにとっては、「できる」ことよりも「わかる」ことのほうがたいせつだと力説して...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもにとっては、「できる」ことよりも「わかる」ことのほうがたいせつだと力説してきましたが、学校の授業では、残念ながら「できること」のほうが重視される傾向は強いようです。

もっともこれは、先生にばかり責任を負わせることはできません。

いまの日本の受験制度では「できる」ことをよしとする風潮は避けられないのです。

それに、たとえ先生が「わからせる」ことを重視する意識をもっていたとしても、３０人、４０人の生徒を前にして、一人ひとりの子どもの理解度を紳かくチェックすることができるでしょうか。

まして、それぞれの子どものレベルに応じて、きちんとわかるまで指導することができるでしょうか。

指導している先生もいますが、残念ながら少数派のようです。


それでは、塾に行かせればいいのでしょうか。

とくに低学年のうちは、これも考えものです。

ベテランの先生がごく少人数を相手に教えてくれるような塾が見つかればいいのですが、アルバイトの講師が、５名、１０名の子どもを相手に教えているような塾では、あまり効果は期待できません。

むしろ小学校の低学年のうちは、家庭学習で十分だと私は思います。

ですから、<span class="underline">子どもが「わかる」体験ができるまで、じっくりと考えさせてあげられるのは、やはり親、とくに子どもといつも接することができるお母さんしかいない、</span>ということになります。

こう言うと、<span class="b purple">「しろうとの私が教えても大丈夫だろうか、教え方をまちがえたらどうしよう」</span>と不安に思うお母さんも多いことでしょう。

でも、心配することはありません。

なによりお母さんには、学校や塾の先生にはない、大きな強みがあるのです。

<ul class="topics">

<li>（１）子どもの性格やくせ、習慣などを、誰よりもよく知っているということ。</li>

<li>（２）時間を気にせず、子どもがわかるまで責任をもってつき合えるということ。</li>

<li>（３）最初から子供とのあいだに強い信頼関係ができあがっているということ。</li>

</ul>

これらの点で、学校の先生では逆立ちしてもできないぐらい、子どもの学力を伸ばすためには有利な面をもっているのがお母さんなのです。

三番目の信頼関係はとくに需要なところにあります。

ですからお母さんが自分なりに工夫して一生懸命に教えて上げれば、子どもにとってはかならずプラスになります。

教え方については、自分が習ったときの記憶に従うのではなく、子どもの教科書をよく見て、それにそった教え方をするということさえ守れば、まちがえるということはありません。

家で教えるときのポイントは、参考書や問題集だけに頼らず、実際のものを使って考えさせるということです。

学校などでは絵や図を使うところですが、家なら本物のくだものや硬貨、トランプのカードなどを使って、実際に手を動かして体験的に理解させることができます。

買い物にいっしょに出かけたり、公園に遊びに行ったりしながら、勉強というより遊びのような感覚で、楽しく取り組めればいいのです。]]>
      
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   <title>子どもは叱り方一つで勉強が苦手になる</title>
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   <published>2009-11-06T03:42:00Z</published>
   <updated>2009-11-06T04:00:43Z</updated>
   
   <summary>こんな話があります。 以前アメリカで、黒人の小学生と白人の小学生の学力を比べたと...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[こんな話があります。

以前アメリカで、黒人の小学生と白人の小学生の学力を比べたところ、明らかに黒人のほうが劣っていました。

このことは、<span class="b red">「だから黒人は劣った人種だ」</span>と、人種差別主義者のかっこうの論拠になっていたのですが、ある学者がこれに疑問をもちました。

いろいろ調べてみると、黒人の親と白人の親では、<span class="b">子どもの叱り方が違う</span>ということがわかりました。

黒人の親は、ただ<span class="b purple">「いけません」</span>と怒鳴るだけだったり、すぐ手をあげてしまったりします。

それに対して白人の親は、きちんと<span class="b blue">理由</span>を説明して<span class="b purple">「だからそういうことをしてはいけないのよ」</span>というように叱っていたのです。


そこでその学者は、黒人の親たちに、叱り方を変えるように指導しました。

すると、<span class="b">黒人の子どもの学力は、みるみる白人に追いついてしまった</span>というのです。


この話は、叱り方が子どもの学力にいかに大きな影響を与えるかを、端的に示してくれています。

みなさんの家庭では、子どもをどのように叱っているでしょうか。

口より先に手が出てしまったり、ただ頭ごなしに<span class="b purple">「そんなことをしてはいけません」</span>とだけ言って理由を説明しない叱り方。

これはいまのアメリカの例でもわかるとおり、望ましくありません。

論理的な考え方ができるようになりませんし、自分で善悪の判断をする力も身につかないからです。

いつもこういう叱り方をされている子どもは、<span class="b red">どこか人の顔色をうかがうようなおどおどしたところがあり、勉強に対してもあまり積極的になれない</span>ようです。


ほとんど叱ることがなく、子どもにやりたいことをやらせている放任主義も感心しません。

<span class="underline b">子どもは、自分にとってよいことか悪いことかの判断はできますが、他人にとって、あるいは社会的によいことか悪いことかの判断はできません。</span>

当然それは、経験をつんだ大人が責任をもって教えてやらなければならないのです。

それをやめてしまったら、子どもは協調性のない、社会に適応できない子どもに育ちます。

また、大人とのコミュニケーションがへたで、学ぶという姿勢にも欠けるので、学力的にもあまり伸びません。

これらはどちらかというと極端な例でしょうが、ちゃんと理由を説明して叱っているようで、じつは子どもに悪影響を与えているという場合もあります。


レストランなどで子どもが騒いでいるとき、お母さんが<span class="b purple">「お店の人に叱られるからやめなさい」</span>というように叱っているのを耳にします。

これを聞いた子どもは、どう考えるでしょうか。

自分たちが悪いという意識はなく、反対に<span class="b green">「怒りっぽい店員のせいでぼくは遊べない」</span>などと逆恨みするかもしれません。

<span class="b green">「お母さんに叱られた」</span>という意識もうすいはずです。

これでは、何のしつけにもなりません。

ここは、<span class="b purple">「ほかのお客さんの迷惑になるし、お母さんも困るからやめなさい」</span>というように叱るべきです。

人に迷惑をかけたり、人を困らせたりすることは、自分が迷惑したり困ったりすることを考えれば、明らかに悪いことだとわかります。

ですから、さきほどと違い、子どもは<span class="b green">「自分は悪いことをしたんだ。だから叱られたんだ」</span>ということをはっきり意識します。


このように、子どもを叱る場合には、<span class="underline">なぜそれが悪いことなのか、はっきりわからせるような言葉を選んで叱る</span>ことがたいせつなのです。]]>
      
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   <title>豊かな生活体験が子どもの本物の学力を伸ばす</title>
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   <published>2009-11-05T15:08:44Z</published>
   <updated>2009-11-05T15:10:04Z</updated>
   
   <summary>たとえば、いつも虫をつかまえて遊んでいる子どもと、虫というとほとんど写真でしか見...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[たとえば、いつも虫をつかまえて遊んでいる子どもと、虫というとほとんど写真でしか見たことがない子どもと、理科で昆虫の勉強をしたとき、どちらがよく理解できると思いますか。

<span class="b green">「わかりきったことを聞くな」</span>と文句を言われそうですね。

たしかに答えはわかりきっています。

日常生活の中で体験している子どものほうが、よく理解できるに決まっています。

でも、そのことを意識しているお母さんは、どれだけいらっしゃるでしょうか。

<span class="b purple">「そんなことを言っても、うちの近くには林もないし、野原もありません」</span>と言われるかもしれません。

しかし、生活体験というのは、自然にふれる体験だけのことではありません。

反対に、都会の子どもには都会の子どもにしか体験できないことがあり、それも立派な生活体験です。

たいせつなことは、子どもの日々の体験を、子どもの学力にどう結びつけるかなのです。

これは、お母さんの意識のしかた一つで大きく変わってきます。

たとえば、ケーキを家族で食べるときに、子どもに切り分けさせてみます。

<span class="b purple">「四人で食べるから、四等分してね。どう切ればいいかな？」</span>

<span class="b purple">「今日はお客さまが来てるから六等分ね。ちょっと難しいけど、どうしたらいいかな？」</span>

そうして、<span class="b purple">「はい、四分の一ずつ」「今日は六分の一ずつね」</span>と言いながら取り分けます。


こういう体験をしている子どもは、分数の理解力もやはり違います。

また、テレビを見ていて地名が出てきたときなど、家族で地図を広げて確かめてみるのもいいでしょう。

<span class="b purple">「日本地図でいうと、このへんだね。ここを詳しくした地図でいうと、ほら、あった」。</span>

このとき、<span class="b purple">「このへんは雪が多いのよ」「このへんはカニがおいしいのよ」</span>などと、知っている範囲で、その地方の特色などをちょっと説明してあげます。

そうすると、地図のしくみもしぜんに理解できていくでしょうし、テレビの見方も変わってきます。

<span class="b green">「ここはどういうところなんだろう」</span>と、いままでより深い興味をもって見るようになるのです。

そして、そういう習慣がついていると、五年生になって地理の勉強をはじめたとき、興味も自信ももって取り組めるようになります。

自然にふれる体験にしても、都会にはまったく自然がないわけではありません。

校庭のすみ、ちょっとした空き地、家の庭先など、植物が生えている場所はじつはけっこうあります。

そして、昆虫だってかならずいるはずです。

そんなところを通ったときなど、<span class="b purple">「この花、雑草だけどきれいね。なんて花だか、うちで図鑑で調べてみようか」</span>と言って摘んで帰る、そんなことを何度か繰り返しているうちに、子どもは自分でも、道端の草花に目を向けるようになっていくでしょう。

そうして子どもの意識が生き物に向くようになっていれば、遠足や旅行に行ったときの体験がまったく違ってきます。

それまで見たこともなかった植物や昆虫を見て、胸をときめかせる体験をするかもしれません。

体験をとおして得た知識や考え方は、かならず「本物の学力」に結びつきます。

お母さんの意識一つで、問題集を何冊も与えるよりも貴重な学習を、子どもにさせられるということを知っておいてください。]]>
      
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   <title>親子でできる家庭学習法</title>
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   <published>2009-11-05T05:11:33Z</published>
   <updated>2009-11-05T05:16:08Z</updated>
   
   <summary> ロールプレイングを家庭学習に取り入れてみる 電話相談や父母懇談会で、「どうやっ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>ロールプレイングを家庭学習に取り入れてみる</h3>


電話相談や父母懇談会で、<span class="b purple">「どうやって勉強させたらよいか」</span>という質問をよく受けるのですが、

<span class="b blue">「ほめることもたいせつだし、お母さんがお子さんに勉強を教えることも必要だけれども、それよりも、ときどきお母さんが聞き役になってほしい。</span>

<span class="b blue">お母さんが生徒になって、子どもが先生になるときをつくってほしい」</span>と答えています。


たとえば、二年生の算数を見ても<span class="b purple">「お母さん、これわからないなあ。○○ちゃん、教えて」</span>と言う余裕をもってほしいのです。

子どもは<span class="b green">「お母さん、こんな問題もわからないの。これはね……、わかった？」</span>と言いながら教えてくれます。

子どもはお母さんに教えることによって、ふだんと逆の立場に立つことができるわけです。


低学年だとまだ難しいのですが、四年生くらいになると、塾でも子どもを相手にこれと同じことをやっています。

いま話題になっていることなど、<span class="b purple">「ぼくは知らないから、教えてくれる？」</span>と言うと、子どもは<span class="b green">「先生、そんなことも知らないの？」</span>と言いながら、得意になって一生懸命しゃべります。

これを、勉強にも活用できないかと考えています。

ふつう家で親が子どもに教える場合、親のほうが一方的に教えるだけという図式が多いと思います。

すこし立場を変えて<span class="b purple">「お母さんもわからないなあ。今度いっしょに調べてみようか」</span>と持ちかけたらどうでしょうか。

そうすれば、<span class="b green">「またお母さんがうるさいこと言ってる」</span>という取られ方をしなくなるのではないか、と家での接し方の例としてアドバイスをしています。


いまのお話は専門用語でロールプレイング（role playing／体験的学習法、役割演技法・以下RPと記す）と言いますが、不適応を起こした子どもの治療法としてよく行なわれています。

最近私のところに相談に来たお子さんは、小学校高学年の子で、学校に行っていませんでした。

学校に行っても友だちとどうつき合っていいかわからない、友だちに何か言われたときにどう答えればいいかわからないというのです。

そういった場面をRPで実際に演技させます。

相手や自分のふるまいをそのまま演じたり、立場を逆にして何度か練習すると、<span class="underline">相手の気持ちがわかるようになり、自分でどう答えればいいかがわかってきます。</span>


私が治療した中には、気分が落ち込んでうつ状態になり、自分はだめな人間だと思い込んでいるビジネスマンがいました。

趣味や得意なものを聞き出したところ、むかし、水泳をやっていて、ある程度自信があるということがわかりました。

そこで、私が水泳教室の生徒になって、その人から水泳を教えてもらうという設定で演技してみることにしました。

つまり、私が<span class="b green">「こわくてできない」「私はだめだ」</span>などと、その人のふるまいを演じてみせるわけです。

すると、<span class="b purple">「そこのところはこうすればいい」「そんなふうに物事を考えるから、やる気がなくなるんだ」</span>と、そのビジネスマンが私に言ってきます。

その言葉は、じつは私がその人に伝えたかったことなんですね。

<span class="b blue">それを自分で見つけ出すことによって、ほんとうにやる気も出てきますし、気分も晴れるわけなのです。</span>


<h3>ロールプレイングなら具体的な手がからを得られる</h3>


役割を演じることは、学習場面でも同じことが言えます。

具体的にこうすればよいという手がかりを整理することができるのです。

<span class="b">「子どもがお母さんに勉強を教える」</span>ことによって、具体的な学習の手がかりをもつことができるようになります。

これがRPの一つのキーポイントだと言えるでしょう。


<h3>ロールプレイングでリハーサルをすることができる</h3>


もう一つのキーポイントは、役割を演じることによって、心理学で言う「リハーサル」をすることができることです。

具体的にこうすればいいとわかっていても、実際にできない子は数多くいます。

こういった子どもに、「リハーサル」はひじょうに重要です。

ふつう、算数の問題を解くときは、いきなり式を答案用紙に書くのではなく、いったん頭の中で問題や答えを整理してから書いています。

それは、頭の中で一回リハーサルしているのと同じことになります。

このことは、考えをまとめ上げるプロセスとして、たいへん重要です。

<span class="b">つまり、このリハーサルのできる子が「わかっている子」とも言えるわけで、逆に言えば、わかるためにはリハーサルが必要だ</span>ということになります。


人に何かを教えることは、リハーサルすることにつながります。

<span class="b green">「お母さん、こうすればいいよ」</span>と教えながら、子どもは頭の中で教える内容をリハーサル、つまり自分の頭の中の考えを整理し、言語化しているわけです。

このことが、学習を促進することは言うまでもありません。

ですから、<span class="b green">「わかっているけど、うまく表現することができない」</span>といった子どもたちには、RPはひじょうに有効な方法だと言えるでしょう。


<h3>ロールプレイングを上手に利用した学習法とは？</h3>


生活体験などもまさにRPです。

算数の例でいうと、五年生になると割合の問題で「１００円の１０パーセント引きはいくらか」というのを勉強します。

そんなとき新聞のチラシを見ながら<span class="b purple">「一万円の３０パーセント引きって、いくらになるかしら」</span>とお母さんが子どもに尋ねるというのも一つの手ではないでしょうか。

子どもがお母さんに教えることで、リハーサルをすることになります。


そのあとでたいせつなのは「一万円の３０パーセント引きはいくらですか」という問題として、もう一度ノートにやらせることです。

つまり、実際の問題として理解することが必要なのです。

そうすると、RPはリハーサルの効果をもたらして、その後の学習に役立つことになります。]]>
      
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   <title>遊ばない子、遊び方がへたな子は、オモチャ以外のもので遊ぶ工夫を親子でしてみる</title>
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   <published>2009-11-05T01:54:50Z</published>
   <updated>2009-11-05T02:10:15Z</updated>
   
   <summary>遊びの中には、子どもの成長にプラスになるさまざまな要素が含まれています。 なかに...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[遊びの中には、子どもの成長にプラスになるさまざまな要素が含まれています。

なかには学力に大きな影響を与えるものも少なくありません。

ですから、遊び方がへたを子どもは、学力も高くないのがふつうです。

本来、遊びの嫌いな子どもはいません。

遊び方、遊ぶことの楽しさがわかれば、子どもはしぜんに遊ぶようになるはずです。

そして、楽しみながらいろいろなことを学ぶはずです。

机に向かって勉強させることもたいせつですが、遊ばない子どもの場合は、まず工夫して遊ぶことを教えてあげることが、学力をあげる早道だといえるでしょう。

このとき、ただオモチャやゲームを買い与えるのではなく、できればそうした既製の道具を使わずに遊ぶ工夫を、親子でいっしょにしてみるとより効果的です。

たとえば、コップやビンに水を入れて叩いたりすると、その水の量によって音の高さが変わるということはごぞんじだと思います。

それを実際にやってみて、好きなメロディーを叩いて遊ぶのです。

もっと高い音やもっと低い音がほしいということになれば、水の量を調節したり、べつの形のコップを探したりと、いろいろ工夫をはじめるでしょう。

もし、音に興味を示すようなら、ゴムをはじいて、引っ張る力によって音の高さが変わるような楽器を工夫してみてもいいでしょう。


こうした経験は、将来、理科で音について勉強するとき、かならず役に立ちます。

目と耳と手で実際に体験しているわけですから、教科書や参考書の記述を読むだけでは得られない、深い理解が得られるのです。

また、水の量やゴムの張力を微妙に調節するなどの作業をとおして、集中力や忍耐力も身につきます。


何かを部屋の中に隠して、おたがいに探しあうというような、単純な遊びでもかまいません。

そのものの一部はかならず見えていなければならない、というようなルールを決めておいて、どちらが先に相手の隠したものを見つけるか競争するのです。

何度か繰り返すうちに、子どもはなんとかお母さんの盲点をつこうと、いろいろ隠し場所を工夫します。

そのことが、子どもの想像力などを養うことにつながるのです。

硬貨を使った遊び、ヒモを使った遊び、紙とエンピツを使った遊びなど、身近な道具を使った遊びはいろいろ工夫できます。

もちろん、お母さんが考えた遊びをやらせるだけでなく、<span class="b purple">「今度はあなたがルールを決めて」「つぎはあなたが考える番よ」</span>といったぐあいに、子どもに考えさせてください。

遊びが楽しいのはおたがいに、ある「きまり（ルール）」があるからだとか、ルールが複雑だと、簡単な遊びも頭を使う必要があることなど、子どもは遊びながらしぜんに応用力をつけていきます。

知能が発達してくると、複雑なルールの遊びが好きになってくるものです。

そして、お母さんが子どもといっしょに遊びながら、思う存分楽しむことが何よりもたいせつです。

お母さんが「遊びにつき合ってあげている」という態度ですと、子どもは敏感ですから、すぐにやる気をなくしてしまうのです。]]>
      
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   <title>「なぜ」「どうして」にいっしょになって考えてあげることが子どもを賢くする</title>
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   <published>2009-11-04T14:57:33Z</published>
   <updated>2009-11-04T14:58:50Z</updated>
   
   <summary>幼稚園にも上がらないころから、子どもは「なぜ？」「どうして？」と、質問しながら親...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼稚園にも上がらないころから、子どもは<span class="b green">「なぜ？」「どうして？」</span>と、質問しながら親につきまとうようになります。

家事に忙しいときには、わずらわしいばかりですが、このときの対応が子どもの将来を左右します。

<span class="b purple">「忙しいんだからあっちへ行ってなさい」「手が離せないからあとにしてね」</span>と拒絶し続けると、子どもは、自分の疑問が母親に迷惑をかけている、と感じますから、しだいに好奇心にフタをするようになってしまいます。

<span class="b purple">「でも、まちがったことを教えてしまうよりは……、」</span>と思うかもしれません。

なにも、その場で正しいことを教えてあげる必要はないのです。

「教える」よりも、<span class="b blue">「いっしょに考えてあげる」</span>という姿勢がたいせつなのです。


まず、自分のわかる範囲で誠実に答えてあげることです。

子どもにわかりやすいような、おおざっぱな理屈でも構いません。

子どもが自分なりに納得することさえできれば、好奇心はさらに活発になります。

うそを教えるのがいやならば、<span class="b purple">「お母さんはこう思うわ。あとで確かめてみましょうね」</span>というようにつけ加えておけば十分です。

<span class="b purple">「あとで調べましょう」「あとで確かめましょう」</span>と言った問題については、ぜひ実際に調べて、なるべく早くフォローしてあげたいものです。

もしかすると子どもは、質問したことすら忘れているかもしれません。

でも、お母さんまでが忘れてしまうと、<span class="b green">「あとで〜する」</span>というのは、何もしないという意味だと子どもは解釈するかもしれません。

ですから、子どもがたとえ質問したことを忘れていたとしても、<span class="b purple">「さっき（このあいだ）○○ちゃん、こんなこと聞いたでしょ。あのときお母さんよくわからなかったけど、いっしょに調べてみようね」</span>と言ってあげれば、子どもは、自分も忘れているようなことまで、親は覚えていてくれたと感じるはずです。

そして、<span class="b">親が自分をたいせつにしてくれているということを実感するのです。</span>

それに、約束を守った親に対する信頼も深まります。


また、いっしょに図鑑や事典を開いて調べることで、子どもは<span class="b green">「わからないことでも調べればわかる」</span>ということを、体験として知ります。

図鑑や事典の使い道もわかります。

将来自分で使えるようになったときは、一人で調べられるようになるでしょう。]]>
      
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   <title>子どもが教師役、親が生徒役になって、学校で習ってきたことを話させてみる</title>
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   <published>2009-11-03T16:20:48Z</published>
   <updated>2009-11-03T16:33:34Z</updated>
   
   <summary>子どもに学校であったことを話させることは、親子のコミュニケーションをはかり、ども...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもに学校であったことを話させることは、親子のコミュニケーションをはかり、どもに話をまとめて人に伝える練習をさせ、学校での子どもの様子を把握するという、一石三鳥くらいの効果があります。

ただでさえ、小学校高学年から中学校へと進むと、子どもは学校での出来事を話したがらなくなります。

反抗期でもあり、しかたがないことなのですが、この年代には、いじめなどの問題も深刻になりますから、親子のコミュニケーション不足がとんでもない事態につながりかねません。

<span class="b">低学年のうちに話をする習慣がついているかいないかによって、この時期のコミュニケーションにもかなり差が出てくるようです。</span>

子どもに学校の出来事を話させるとき、ついでに<span class="b purple">「授業ではどんなこと習ったの？」</span>と、子どもに学習内容についても話させてみてください。

子どもは、教室でのことを一生懸命思い出そうとするでしょうが、そのこと自体が、子どもにとってはとてもよい復習になります。

復習というのは、できるだけ習った直後にやったほうが効果があるのです。

とくに低学年のうちは、こうして話をしただけでも、日常の復習としては十分なほどです。

また、忘れかけていた宿題も思い出すかもしれません。

このとき、子どもが<span class="b green">「こんなことを習ったけど、よくわからなかった」</span>というようなことを話したら、しめたものです。

<span class="b purple">「じゃあ、お母さんといっしょに、もう一度考えてみようか」</span>と言って、ぜひ早いうちにお母さんが見てあげてください。

子どものつまずきのもとを、事前に取り除くことができます。


ある程度できる子どもなら、<span class="b blue">ときには、子どもが教師役に、お母さんが生徒役になる</span>というのも効果があります。


<span class="b purple">「へえ、そんなに難しいこと習ったの。</span>

<span class="b purple">お母さん、ずいぶんまえに習って、忘れちゃったから、教えてくれる？」。</span>


こんなふうに言ってあげると、子どもは<span class="b green">「なんだ、お母さんもそんなことわからないの」</span>などと、まんざらでもない顔で教えてくれるものです。

お母さんも子どもに勉強を教えてみるとおわかりになると思いますが、<span class="b">よく知っているというだけでは、他人にはなかなかうまく教えられないものです。</span>

自分の知識を整理し直して、相手に対してあの手この手の工夫をしないと、わからせるというのは難しいものです。

でも、教えたあとには、そのことについての自分の理解がいちだんと深まっていることに気がつくはずです。

子どもも、学校で習ってきたことをお母さんに教えることで、そのことについての理解をぐんと深めることができるのです。

場合によっては、子どもが自分自身の理解が不足していたところに気づくかもしれません。

このときに、<span class="b purple">「そこはね」</span>と、お母さんが教えてしまったらぶちこわしです。

<span class="b green">「なんだ、お母さん知っているんじゃない。インチキだよ」</span>と言って、二度とお母さんに教えてくれなくなるかもしれません。

まず子ども自身に考えさせて、どうしてもわからなかったら、<span class="b purple">「じゃあ、明日学校の先生に確かめて、また教えてね」</span>というふうに言ってあげればいいでしょう。

こうすることで子どもは、<span class="b blue">責任感と勉強に対する積極的な姿勢を、自然に身につけることになるのです。</span>]]>
      
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   <title>子どもに勉強を動機づけるにはどうしたらいいか</title>
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   <published>2009-11-03T14:14:59Z</published>
   <updated>2009-11-03T14:20:24Z</updated>
   
   <summary> 勉強する意欲の乏しい「受け身的な子ども」が多いのぼなぜか？ どのようにすれば、...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>勉強する意欲の乏しい「受け身的な子ども」が多いのぼなぜか？</h3>


どのようにすれば、子どもが家庭学習をやる気になるかを、考えてみたいと思います。

テストで１００点をとってきたとき<span class="b purple">「よくできたね」</span>とはめるだけでは、勉強はそこで終わってしまうのではないでしょうか。

<span class="b">よい点をとるために勉強するのだと、勉強の目的がすりかえられてしまうからです。</span>

テストのために勉強するのではなく、「わかる」とおもしろいから勉強する、というようにもっていくのがたいせつだと考えています。

それでは、勉強のおもしろさをわからせ、家庭学習を上手にさせるにはどうしたらいいかというと、動機づけや、やる気をどう起こさせるかという問題になると思います。

勉強の動機づけとして、算数のテストで１００点をとってきたから今月のお小遣いを１００円アップするとか、成績が上がったら自転車を買ってあげるなどといった、ものを与えるということが一つとしてあげられます。

たしかにそれも一つの動機づけですが、それを続けていくと、三年生になったらこれをあげる、四年生になったらあれを、中学受験で合格したらラジカセ、高校受験ではバイク、大学受験では車、では大学卒業したら何もあげるものがない、と同時に勉強もしなくなってしまうというようになると思います。

ものを与えだすと<span class="b red">一種の中毒</span>のようになって、与え続けないと勉強しなくなり、家庭学習においても、何かをもらわなくては勉強しないというようになってしまう気がするのです。

実際に塾の子どもたちに作文を書かせますと、ものを与えて勉強させる親が多いのがわかります。

しかし、そういう子を見ていて共通しているのは、勉強がおもしろいとか、楽しいという雰囲気がないことです。

<span class="b green">「これは受験のためにやるんだ」</span>という感じで、ひじょうにさめたところがあります。

積極的に勉強に向かうのではなく、合格するためにやる、親や学校の先生に言われたから、しかたなくやるといった受け身的な子どもが多いのです。

私はそうした経験から、<span class="b">「もの」で勉強させるのには限界があるのではないかと感じています。</span>

そして、勉強の動機づけとしていちばんだいじなのは、<span class="b green">「ああ、こういうことなのか。わかった」</span>という喜びや楽しさだと思っています。


<h3>勉強の動機づけは子どもの発達階段によって違う</h3>


まず前提として、<span class="b blue">子どもの発達段階（子どもの学年）を考慮する</span>必要があるということです。

すべての年齢、学年の子どもに同じ話を当てはめるわけにはいきません。

私は仕事柄、不適応を起こした子どもたちとよく話します。

その子たちを見ていると、学年によって不適応を起こしたきっかけがまったく違うことがわかります。

ですから、学年差（発達差）は重要なポイントだと言えるでしょう。

やる気の問題にしても、それを考慮する必要があります。


まず、小学校だと低学年と高学年で対応が違います。

中学校では初期（中一の二学期、中間試験まで）とそれ以降とに大きく分けて、学校の学習内容も家庭学習のねらいも違ってきます。

小学校一、二年生では、学習するうえで教材の中身にはあまり重きをおかなくてもよいのかもしれません。

むしろ<span class="b blue">学習する態度、姿勢、あるいは条件づくりの段階</span>だと言えます。

小学三、四年生になると教科書は急に難しくなり、高学年になるとまた難しくなりますが、その段階になって、中身の理解、学習材料の理解へとはいっていきます。

さらに中学校では、カリキュラムががらっと変わります。

算数が数学に、社会や理科が分割されて、英語が新しくはいり、指導の仕方もクラス担任制から教科担任制に変わります。

これらは子どもにとっては劇的な変化なのです。

また小学校のテストは、基本的に到達度評価の観点に立っていますが、中学校ではストレートに数字で評価されるようになります。

つまり、中学の前半は、子どもにとって新しい学習スタイル獲得の時期だと言えます。

中学の後半になってようやく、中学で学ぶべき学習内容に取り組む時期になります。

また、中三の一学期には進路指導（進学指導）も具体的になり、進路を見極めて学習するということが加わります。


このように、学年によって学習目標が質的に異なります。

それを踏まえたうえで、ものでやる気を起こさせるか、わかることでそれを引き出すかという問題を考える必要があるでしょう。


<h3>小学校低学年までは生活習慣を身につける段階</h3>


小学校低学年までは、<span class="b blue">学校や家庭での生活習慣、学習習慣を身につける時期</span>です。

お母さん方の中には、子どもが低学年のうちから猛勉強させようとする人もいますが、その時期は勉強でなくてもいいですから、机に向かう習慣がつけばいいのです。

低学年のうちに、何かするときには机に向かうという習慣づけができていれば、つぎには算数の教科書を机の上で開くようになります。

いきなり、机の前で教科書を開かせてじっとしていろと言っても、子どもには苦痛でしかありません。

ドリルや参考書でなくても、図鑑や学習漫画でもいいわけですね。

学校から帰ってすぐにファミコンをすることに比べたら、毎日３０分でも図鑑や学習漫画を見れば、あとでわかる喜びをつかむきっかけを獲得する確率は高いといえます。

たとえば、小学校高学年の国語の授業で、おとなから見れば常識と言えることがらを知らないお子さんがけっこういます。

ドリルや問題集をいくらやっても、物語の背景を思い浮かべることはなかなか難しいものです。


ある教科書に、『ごんぎつね』という物語が出てきます。

江戸時代のお話で、かなり牧歌的なところがあるお話です。

その中で、主人公がウナギを獲ってびくに入れるのですが、「びく」を知らない子がかなりいるのです。

ところが、豆博士というか、きまりきった勉強はしないけれど、いろいろなことをよく知ってる子がいて、そういう子に絵を猫かせると、さらさらと描くことができます。

また、話の中に「小川が流れています」という文章があると、いまの子は両岸がコンクリートで固めてある川を思い浮かべてしまいます。

いっぽう、ハイキングなどで実際に見たことのある子は、まわりが土と岩のほんとうの小川を思い浮かべて、ああいうところでウナギを獲るんだなとわかるのです。


ですから、<span class="b">小学校高学年の勉強をほんとうにわかるようになるためには、そのまえに、とくに低学年のうちにやらなくてはいけないこと、体験させておきたいことがいっぱいあるのだと思います。</span>]]>
      
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   <title>「見かけの学力」だけでは勉強好きな子は育たない</title>
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   <published>2009-11-02T22:01:59Z</published>
   <updated>2009-11-02T22:08:35Z</updated>
   
   <summary>「子どもの学力を伸ばしたい」と考えて、このサイトを読んでいらっしゃるお母さんに、...</summary>
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      <![CDATA[「子どもの学力を伸ばしたい」と考えて、このサイトを読んでいらっしゃるお母さんに、あらためて<span class="b purple">「学力って何でしょう？」</span>などと聞いたら、おそらく変な顔をされるでしょう。

<span class="b green">「問題を解く力に決まってるじゃない」</span>とか、<span class="b green">「テストの点数、通信簿の数字」</span>といった答えが返ってくるに違いありません。

もちろん、それはまちがいではありません。

学力は、問題を解く力やテストの点数として表れます。

でも、開票解ければ、テストの点数がよければ、「学力がある」といってよいかというと、そう簡単にはいかないようです。


学力には、<span class="b blue">「本物の学力」</span>と<span class="b blue">「見かけの学力」</span>がある、というのが私の考えなのです。

算数の問題を例にとってみましょう。

たとえば、「かぶと虫が３匹います。足の数は全部で何本でしょう」という問題があったとします。

かぶと虫には、１匹あたり六本ずつ足があり、それが３匹いるわけですから、「６×３＝１８」という式をたてて「１８本」というのが答えになります。

ここでの問題のポイントは、「１つあたりの数×個数＝全体の数」というかけ算の基本的な考え方が理解できているかどうかにあります。

この問題を説明したあとで、つぎに「８人乗りのボートが４そうあります。全部で何人乗れますか」という問題をやらせてみます。

<span class="b green">「１そうあたり８人乗れるボートが４そうあるから、８×４＝３２で、３２人」</span>というように考えられる子どもは、さきほどの問題の意味を完全に理解していますから、心配ありません。

こうした理解を積み重ねていけば、かならず「本物の学力」が身についていく、と考えていいでしょう。


けれども、なかには、

<span class="b green">「いまはかけ算の問題をやっている。</span>

<span class="b green">さっきは６×３だった。</span>

<span class="b green">だから今度はきっと８×４だろう」</span>と考えて「８×４＝３２」という「正解」を出す子どもも、何人かいるのです。

こういう子どもは、いわゆる「要領のいい子」ということになるわけですが、私はこれを「見かけの学力」と呼んでいるのです。

問題を解く力があるかないか、ということだけを見ているかぎり、この「本物の学力」と「見かけの学力」は区別できません。

「だったら、どっちでもいいじゃないの」と思われるかもしれませんが、<span class="underline b red">違いは小学校高学年から中学、高校と進むにつれてしだいに表れてきます。</span>

「見かけの学力」しかもっていない子どもは、<span class="b red">応用問題ができない</span>のです。


たとえば中学校で、方程式を解くことはできても、文章題から自分で方程式をたてることができないようなことになります。

学校のテストでは、ほんとうの意味での応用問題というのはあまり出題されません。

せいぜい、教科書の問題の数字を変えただけといったものが多いので、それでもなんとかついていけるでしょう。

また、公立高校の入試なども、基本的な問題が多いですから、高校までははいれるかもしれません。

でも、そのころには確実に<span class="b red">数学嫌い、数学アレルギー</span>のような子供になってしまっています。

高校ではまず、落ちこぼれるでしょう。


<span class="b green">「小学校のころは勉強も好きで、成績もよかったんですけど、中学にはいったらとたんにやらなくなって…、」</span>と嘆くお母さんに、よく出会います。

そこで、小学校のころどんな勉強をしていたのかを聞いてみると、計算ドリルや漢字練習などを毎日きちんきちんとやっていても、文章題はあまりやらなかったり、計算だけをどんどん先に進んで練習させるような塾に喜んで通っていたり、というような場合が多いのです。

こういう子どもは、「見かけの学力」はちゃんと身につけています。

ですから、学校の成績は悪くありませんし、開票解けたりいい点数をとれたり、それでほめられたりといぅのはうれしいことですから、そのためには喜んで勉強もします。

でも、本当に勉強が好きなわけではありません。

したがって、解けない応用問題がふえてくると、とたんに勉強がいやになってしまうのです。

<span class="b red">「見かけの学力」だけをもっている子どもは、けっして、本当の意味での「勉強好き」にはならないのです。</span>]]>
      
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   <title>問題をたくさんやらせるよりじっくり考えさせるほうがいい</title>
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   <published>2009-11-02T04:36:53Z</published>
   <updated>2009-11-02T04:44:40Z</updated>
   
   <summary>子どもが２０分勉強して、そのあいだに１０問の問題を解いたとします。 そうしたら、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもが２０分勉強して、そのあいだに１０問の問題を解いたとします。

そうしたら、おそらくお母さんは、<span class="b purple">「よくやったわね、がんばったわね」</span>とはめてあげるでしょう。

でももし、同じ２０分のあいだに一問しか解けなかった、あるいは一問を考え続けて、結局まだ解けていなかった、としたらお母さんはどうするでしょう。

<span class="b purple">「ほんとうに考えていたの？　ほかのことを考えていたんじゃないの？」</span>などと言ってしまうのではないでしょうか。

そうすると、子どもも、<span class="b green">「時間のかかる難しい問題を考えるより、やさしい問題をたくさんやったほうがお母さんにほめられる」</span>と思ってしまいます。

そして、ちょっと苦労しそうな問題にぶつかると、とりあえず飛ばしておいて、数だけこなすというようになります。

これは、「考える」という過程よりも、「何問解いた」という目に見える効果をだいじにする発想につながります。


矢指問題だけで数をこなすというのは、言ってみれば、野球の練習をするのに、ランニングや素振りなどの基礎的な練習ばかりして、ボールを打つ練習はなかなか当たらないからやらない、というのと同じです。

これでは、野球をしても、いつまでたってもヒットが打てるようにはなりません。


たとえ結果的には解けなかったとしても、一つの問題をじっくり考えるということは、それだけで、よい思考のトレーニングになります。

考える力は、考えることを繰り返すことによってしかつきません。

ですから、子どもが２０分も考えたということは、とても素晴らしいことなのです。

<span class="b blue">できる問題を１０問解くより、できない問題を考えてみるほうが、子供の学力を伸ばすためにはずっと効果的です。</span>


子どもがよく考えた問題については、まずその「考えた」ということ自体をほめてあげてください。

<span class="b purple">「そんなに考えてたの。えらいわね」</span>

<span class="b purple">「じっくり考えられるということは、お兄（姉）さんになった証拠ね」</span>

というぐあいにほめられると、<span class="b blue">子どもには「考える」ことのたいせつさがわかってきます。</span>

そして、その間題を<span class="dotted">かならず最後まで自力で解かせてあげてください。</span>

考えても解けない、ということで、子どもの中にも欲求不満がたまっています。

それは、わかった、解けたという体験でしか解消できません。

ですから、<span class="b purple">「あとは答えを見て、やり方を確かめておきなさいね」</span>というのはダメなのです。

子どもが、<span class="b green">「考えるのはムダだ、答えを見たり、人に聞いたりしたほうが早い」</span>というように考えてしまうからです。

もちろん、ヒントを与えたり、誘導してあげたりするのはかまいません。

ただ、教えすぎないことです。

<span class="b purple">「これこれこうだから、式はこうで、答えはこうなるわね」</span>と、お母さんが説明してしまっては意味がありません。

これは、親が子どもに教えるときには、いつでも気をつけなければならないことです。

子どもがつまずいている問題は、大人から見れば簡単な問題ばかりですから、ついイライラして全部説明してしまいたくなりますが、そこはお母さんのほうもぐっとがまんすることがたいせつなのです。]]>
      
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   <title>子どもに言葉をかけるときは「受け手の論理」を考える</title>
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   <published>2009-11-01T20:44:46Z</published>
   <updated>2009-11-01T21:07:20Z</updated>
   
   <summary>子供のやる気を起こすには、親の態度が非常に大切ですが忘れてはいけないものが、「受...</summary>
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         <category term="子供のやる気を引き出す方法" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子供のやる気を起こすには、親の態度が非常に大切ですが忘れてはいけないものが、<span class="b">「受け手の論理」</span>ということです。

つまり褒めたり叱ったり相手に何か言葉をかけるとき、それがほんとうに機能するか否かは、受け手がそれをどう受け止めたかで決まるということです。


たとえば教師が、何かの罰として、生徒にグラウンドを走らせたとします。

先生としてはその罰で生徒に反省を促したつもりでも、当の生徒は、<span class="b green">「授業をしないですんだ」</span>というように、報酬として受け止めてしまう場合があります。

同じように、ほめるにしても、受け手の子どもにどのように機能しているかということをチェックすることがだいじです。

学習の話でいえば、勉強の楽しさに気づきはじめた子どもには、ステップ・バイ・ステップで、徐々に難しい課題を与えます。

その子の状態を把握せずに、いつまでもやさしい問題ばかりを与えていれば、子どもはわかる喜びもなくなっていきます。

逆に、やる気はあってもその問題でつまずくようならば、やさしい問題に戻って基礎をやり直せば、満足感をもってつぎのステップに進むことができます。


このように、つねに「受け手の論理」を意識しなくてはいけません。


<h3>子ども自身に目標を立てさせること</h3>


それからもう一つ、やる気を起こさせるうえで問題なのは、大人が自分の目標を子どもに直接与えてしまう例が多いことです。

この学年ならこれぐらいできなくてはいけないと、親が勝手に決めて与えるのです。

基本になるのは、現在の子どもの状態を正確に把握することで、つぎに、何をすればいいかという具体的で身近な目標を設定することです。

最終的には、どこそこの学校にはいるという大きな目標があったとしても、日々の学習を支えているのは、より具体的で身近な目標です。

それは<span class="b blue">「いまの子どもの状態プラスアルファ」</span>ということになります。

ただ、まわりに影響されて、<span class="b purple">「あの子ができるのだから、うちの子もこれくらいはできるはず」</span>というようになりがちなので、気をつけなければなりません。

<span class="b">具体的な学習目標というのは、子ども自身に立てさせたほうがいいでしょう。</span>

<span class="b">ただ、いままで満足した経験のない子は、つぎのステップの目標を立てられないのです。</span>


そういうときは、<span class="b blue">親のアドバイス</span>が必要です。

つまり、なるべく子ども本人が計画を立てて、自分自身の目標をもったほうがいいということですね。

ただ、それができない場合は、親の適切なアドバイスが必要になるけれども、その際、親の考、妄押しつけないようにしなければいけないわけですね。


<h3>はじめは身近な目標を立てさせる</h3>


たとえば、子どもの立てた目標が十分できる内容なら、もう１ランク上げるように言います。

反対に、いきなり大きな目標を立てる子もいます。

これはおうおうにして親の影響を受けている場合が多いのですが、失敗する可能性が高いですから、下げるようにアドバイスすることが必要です。

そのときには、ただ下げるように言うのではなく、<span class="b">「これをするにはどうすればよいのか」という具体的な方法</span>を教えることがだいじです。


大学生ぐらいになっても、自分の目標をもてない人が、けっこういます。

ある２２、３歳の青年ですが、将来何になりたいかという質問に、<span class="b green">「僕は有名人になりたい」</span>と答えるのです。

<span class="b purple">「有名になってどうするのか」</span>と尋ねても、それ以上具体的な考えはもっていません。

<span class="b green">「なぜ有名になることがいけないのか」</span>と逆に怪訝そうな顔をするのです。

おそらくそれまでに、<span class="dotted">すこしずつ目標を立てて達成するという経験をしてこなかった</span>のでしょう。


大きな目標をもつことはたいせつだと思います。

ただそれ以上にたいせつなのは、<span class="b blue">その大きな目標に到達するために、どのような身近な目標を立てるかということです。</span>

そういうことのできる人は、社会に出ても仕事のできる人ですよね。

すこしずつ小さな目標を達成しながら、大きな目標に向かってどんどんつき進んで行けます。

<span class="b red">身近な目標をもたず、大きな目標に振り回されている人は、失敗体験がひじょうに多い</span>のが特徴です。

逆に、身近な目標を立てられる人というのは、日々の活動の中で満足を感じる度合いが高く、同時に、<span class="b blue">内からのやる気を育てている人</span>でもあります。

大きな目標だけにこだわる人にとっては、日々の生活そのものが失敗感でいっぱいなんですね。

これはつまらないことです。

当然やる気もなくなります。


精神的にも不安定になってきます。

そうした失敗体験を多くもっていると、できることまでできなくなってきます。

やるまえから、できないのではないかと思えて不安になってきます。

そして、結局やろうとしなくなってしまうのです。


<h3>子どもを見るときは、親もプラス志向の発想をする</h3>


やる気を育てるには、親の態度がたいせつだという話をしましたが、親が「ゼロからの出発」ではなく、「マイナスからの出発」というように発想を変えてみてほしいと思います。

できなくて当たり前というように、親が視点を変えて見れば、子どもがいろいろなやる気を秘めていることに気がつくはずです。

<span class="b green">「根気がなくて、１０分と机に向かって勉強したことがない」</span>という子でも、好きなプラモデルを作らせたら、一時間でも夢中になっています。

ということは、一時間ものごとに集中できる力をもっていることになるのです。


そのことは、実際に勉強を教えていてもよく感じることです。

教師のもっていき方しだいで、ふだんよく遊んでいる子は、一時間でも二時間でも集中できます。

同じことをしても、できない子もいます。

そうした子は休み時間でも遊べない子です。

一人でじっとしています。

授業に集中できる子は、休み時間には、友だちといろいろ工夫して思い切り遊んでいます。

そのうちに、何かのきっかけで自分で勉強しだすようになる子が多いようです。


ですから、一時間集中して遊んでいる子が１０分しか勉強していなかったとしても、叱らずに<span class="b purple">「がんばっているね」</span>と声をかけてあげてほしいと思います。

<span class="underline">否定的な見方でなく、プラス志向で</span>ということです。]]>
      
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   <title>お母さんの褒め言葉は、子どものやる気を引き出す</title>
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   <published>2009-11-01T12:23:55Z</published>
   <updated>2009-11-01T12:39:12Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[お客さまが来て、いすに座ったとき、子どもがふと気がついて、用意してあったおしぼりを持ってきたとします。

お母さんは<span class="b purple">「よく、気がついたわね」</span>とほめてくれ、お客さまからも<span class="b purple">「えらいね、ありがとう」</span>とお礼を言われます。

そうすると、つぎからはお客さまが来るたびに、おしぼりやお茶などを出すようになるはずです。

こんなことは、子どもにはよくあります。

<span class="b">子どもにとって、大人、とくにお母さんからほめられるということは、絶対の価値をもっています。</span>

ですから、一度ほめられたことは何度でもやろうとしますし、途中ではめられたことは最後までやりぬこうとします。


勉強についてもそうです。

<span class="b purple">「よくできたわね」「がんばったわね」</span>と、いつもほめられている子どもは、やる気も出ますし、勉強が好きになります。

反対に、<span class="b purple">「どうしてこんな問題ができないの？」「なんでそんなに時間がかかるの？」</span>などと、いつも叱られている子どもは、勉強が苦痛になり、しだいに嫌いになっていきます。

子どもが悪いことをしたときは、きちんと叱ることが必要ですが、<span class="b box-yellow">勉強については叱ることは禁物です。</span>

問題が解けなかった、答えをまちがえたことについて、子どもは何も悪いことをしたわけではないのですから。


テストについても、<span class="b red">「全部できるのが当たり前、できなかった問題はマイナス」</span>という発想を、<span class="b blue">「現在の点数がその子どもの実力、できなかった問題ができるようになればプラス」</span>という発想に変えてください。

どんな点数をとってきたとしても、その子どもは、できる範囲で精いっぱいがんばったのです。

まず、そのことを認め、ほめてあげます。

子どもも、点数が悪いときは内心いやな思いをしています。

それをお母さんのほめ言葉が解消して、次回はがんばろうという気持ちになります。

問題が解けたら解けたことを、考えたけれども解けなかったら考えたことを、計算ができたらできたことを、とにかく、<span class="underline b">子どもがやったことをつねに認めてあげ、ほめてあげればいいのです。</span>

これは、甘やかすということとはまったく違います。

大人の基準からすれば、まだまだ足りないように見えるかもしれませんが、子どもなりにがんばっているのですから、ほめられて当然なのです。


お母さんが勉強について常にプラス思考をもち、その意識で子どもに接していれば、子どももしぜんにプラス思考を身につけます。

それが<span class="b blue">自信とやる気</span>につながります。]]>
      
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   <title>あいさつができない子は、消極的で学力も伸びにくい</title>
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   <published>2009-10-31T17:23:25Z</published>
   <updated>2009-10-31T17:41:45Z</updated>
   
   <summary>塾にくる生徒の中には、大きな声で「こんにちは！」と言いながらはいってくる子どもも...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[塾にくる生徒の中には、大きな声で<span class="b green">「こんにちは！」</span>と言いながらはいってくる子どももいます。

また、こちらが<span class="b purple">「こんにちは」</span>と言ってはじめて<span class="b green">「こんにちは」</span>と返事を返してくる子どももいます。

なかには、<span class="b purple">「こんにちは」</span>と言っているのに黙ってわきをすりぬけていく子どももいます。


<span class="b">「知っている人に会ったらあいさつをする」</span>これは、しつけの中でももっとも基本的なものの一つです。

身につけるのに、それほど苦労するとも思えません。

幼いころは、人見知りをするという一時期もありますが、小学生にもなったら、それは理由になりません。

あいさつができないと、「いちばん簡単なしつけもできていない子」ということになりますから、塾では、あいさつだけはできるまでやり直させるようにしているそうです。


あいさつというのは、人と人とのコミュニケーションの出発点です。

あいさつをかわすことによって、おたがいに<span class="b green">「私はあなたとコミュニケーションをとる用意がありますよ」</span>という態度を表明しあっているのです。

よく、仲たがいをしている友人どうしなどが、道で会っても横を向いてすれ違うというような光景がありますが、これは<span class="b green">「いまは、君とはコミュニケーションをとらないぞ」</span>という意思表示になるわけです。

子どものころから、あいさつをきちんとする習慣をつけることによって、誰とでもコミュニケーションできる姿勢がしぜんに身につくのです。

あいさつができない子どもは、ほかの場面でもその影響が出てきます。

たとえば授業中に手をあげるかあげないかもそうです。

手をあげるということは、先生とコミュニケーションをとるという積極的な態度です。

答えが「わかっていて」も手をあげなければ、先生には<span class="b purple">「わかっていない」</span>としか伝わらないわけです。

学力をつけるためにはマイナスとなります。


もちろん、あいさつさえできれば学力が上がるなどと言うつもりはありません。

とても明るくて、あいさつも大声でするけれども、学力はいま一つという子どもも、いくらでもいます。

しかし、こういう子どもでも、あいさつができない子どもよりは、学力が伸びる可能性は高いと言えるのです。

　あいさつは、学力を上げるために教えるものではありません。

ただ、あいさつのできないことが、学力の面ですらマイナスになる可能性があるのです。
将来、社会生活を送るうえで、そのマイナスははかりしれません。

「たかがあいさつ」と考えているお母さんは、ぜひ考え直してください。]]>
      
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   <title>外からと内からの二つの動機づけ</title>
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   <published>2009-10-31T14:44:06Z</published>
   <updated>2009-10-31T14:49:28Z</updated>
   
   <summary>心理学では、やる気などの動機づけには二種類あると考えられています。 一つは外から...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[心理学では、やる気などの動機づけには二種類あると考えられています。

一つは外からの動機づけ、もう一つは内からの動機づけです。

前者の典型的な例が「ものによる報酬」です。

それ以外にも、お母さんの<span class="b purple">「よくやったね」「がんばったね」</span>というような言葉や、親子が視線を合わせてうなずいたりする、というのも含まれます。

報酬というと、ごほうびだけを連想しますが、われわれが何かしたときに本人にとってプラスだと思われる結果を伴ったら、それは全部報酬と呼んでいいのです。

人間の一生は、ものの報酬と切り離せません。

大人の場合、毎月の給料も外からのやる気を起こさせる報酬ですし、一般的に本人にとってプラスだと思われる結果を伴うと、すべてそれは報酬だと考えます。

つまり、われわれの生活は報酬でコントロールされていると言ってもいいのです。


もう一つの内からの動機づけとしては、自分で目標を設定して到達したときや、わからなかったものがわかった、あるいは自分の興味、関心、好奇心を満足させたときなどの喜びがあげられます。

これは他人から与えられるものではありません。

たとえば、一時期はやった「ルービックキューブ」というパズルがあります。

あれなどは、できたからといって誰かにほめられるわけでもなく、まさに解ける喜び、すなわち内からの動機だと言えるのです。


<h3>外からの動機づけから内からの動機づけへ</h3>


一般に学習をうまく進めるには、当初は外からの動機づけが有効で、それをいかに内からの動機づけに移行させるかということがたいせつです。

さきほど例としてあげた、大学に行っても子どもにものを与え続けて一種の中毒現象になるといったケースは、<span class="b red">外から内への移行に失敗したケース</span>だと言えます。


年齢が低いほど外からの動機づけが必要で、高学年になるにつれて内からの動機づけがふえてきます。

と同時に、その発達段階の中で外から内へという方向もあります。

つまり全般的な発達から見ると、外からの動機づけから内からの動機づけへと大きな変化があり、さらにそれぞれの段階で外から内へという、二次元で構成されているわけです。

そこで、たとえば学習習慣を身につけさせる場合、低学年の子どもには、<span class="b blue">お母さんの言葉による励まし</span>がたいせつです。

ものをあげる必要はありません。

そして、その言葉の内容もすこしずつ工夫して変えていきます。

最初のうちは<span class="b purple">「がんばったね」</span>でもいいのですが、<span class="b purple">「図鑑を読んでると楽しいでしょう」</span>といったように対象そのものに興味をもたせるようなアドバイスに変えていくといいのです。]]>
      
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   <title>子どもの勉強意欲をなくすだけの、２つの間違った教育</title>
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   <published>2009-10-30T19:35:26Z</published>
   <updated>2009-10-30T19:44:07Z</updated>
   
   <summary>勉強には「競争心」も必要だという言葉を、よく耳にします。 たしかに、はっきりとゴ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[勉強には「競争心」も必要だという言葉を、よく耳にします。

たしかに、はっきりとゴールの決まった結果の重視されるものの場合、競争相手がいるかいないかは、能率や成果を大きく左右します。

陸上競技などでも、大差のついた競争よりも、ゴール間際までせりあった競争のほうがいいタイムが出るということは、よく知られています。

ですから、たとえば受験勉強などにかぎっていえばライバルの存在や点数を競う環境が、よい結果につながるということもあるでしょう。


しかし、小学校、とくに低学年の勉強についていえば、これはあてはまりません。

この時期の勉強の目的は、将来人間として生活していくために必要なさまざまな考え方の基礎を身につけること、そして中学、高校、大学と続く学校生活の中で、自ら学習する姿勢を養うことです。

ここで大切なのは、<span class="b blue">結果よりも過程</span>です。

<span class="b box-yellow">好奇心から出てくる本当のの意欲やる気をうまく引き出してあげることが、もっとも重要なのです。</span>


<span class="b red">こうした場合、競争心はむしろマイナスに働きます。</span>

他人と比べるとき、どうしても点数や成績などの「結果」で比べることになりますから、子どもは結果ばかりを気にするようになってしまうのです。

「知りたい」「理解したい」というほんとうの意欲は忘れられ、「点数を上げたい」という欲求だけになります。

こうなると、「できる」子どもにはなるかもしれませんが、「わかる」子どもには育ちにくくなるのです。

そして、点数が思うように上がらないと、一気に勉強が嫌いになってしまいます。


たしかに、お母さんどうしの競争心もありますから、よその子の点数が気になるのはいたしかたありません。

子どもがテストを持って帰ってくると、つい、<span class="b purple">「○○ちゃんは何点だったの？」</span>とか、<span class="b purple">「△△君はこないだ100点だったらしいわよ」</span>などと言ってしまいがちです。

また、兄・姉ができる子だった場合など、<span class="b purple">「お兄ちゃんはこんなところすぐできたわよ」「お姉ちゃんはこんな点数とったことなかったわ」</span>といった言葉も出てしまうことがあります。

でも、こうした言葉は、じつは子どものほんとうのやる気をそいでしまう可能性がひじょうに高いのです。


同じような理由で、<span class="b purple">「100点をとったらファミコンのソフトを買ってあげる」とか、「80点以上だったらお小遣いをアップしてあげる」</span>といった、ごほうびでつるという方法も感心できません。

なんとかやる気を出させたいという親心はよくわかりますが、かえって逆効果になる場合も少なくありません。

こんな例もあります。

小学校の高学年になったころから、成績によってお小遣いを決めていたお子さんの話です。

それが功を奏して（と親は思っていたのですが）、小学校ではまずまずの成績をとり、中学一年までは順調にいきました。

ところが、二年生になったとたん、一学期の中間テストから、ガクンと成績が落ちたのです。

驚いた親は、あわてて塾に相談に行きました。

そこで実力テストをやらせてみると、一年生の内容もけっして理解しているとはいいがたく、成績がよかったのが不思議なほどでした。

そして、期末テストのときに理由がわかりました。

先生に呼び出された親は、子どもがカンニングの常習犯だったということを聞かされたのです。

お小遣いのアップにつられたその子は、「点数」を得るため、カンニングをしていたのです。

ところが、中学二年のとき、席順が前になったことからカンニングがうまくいかず、成績が落ちてしまったわけです。

あわてて無理にカンニングに頼ろうとしたところで、とぅとうバレてしまったというのが真相でした。


子どもの心理を考えると、これはけっして特殊な例だとは思えません。

<span class="b">ごほうびを与えるにしろ、罰を与えるにしろ、子どもの目を結果だけに向けさせてしまうような方法は、長い目で見た場合うまくいかないことが多いようです。</span>


<h3>子どもが興味をもったことは、ただ黙ってやらせてあげればよい</h3>


<span class="b purple">「うちの子は鉄道にだけは夢中で、部屋の中も模型やら雑誌やらでいっぱいなんですよ。</span>

<span class="b purple">もうちょっと学校の勉強にも力を入れてくれればいいのに」。</span>

こんなお母さんの声もよく聞きます。

鉄道であったり昆虫であったり、あるいは野球であったりサッカーであったり、何か一つのことに熱中してしまうというのは、どちらかというと男の子に多い傾向のようです。

お母さんにしてみれば、鉄道にいくら詳しくても将来べつに役に立つわけじゃないし、あるいは、スポーツに熱中したところでそうそうプロになれるわけでもありませんから、その分勉強がおろそかになったら困る、と心配になるのも、もっともです。

ですから、つい<span class="b purple">「いいかげんにしなさい」</span>と叱りたくなるのも無理はないのです。

でも、ちょっと見方を変えてみましょう。


子どもが何かに熱中するということは、<span class="b blue">好奇心の純粋な表れ</span>であり、何かをしたいというエネルギーに満ちていると考えることができます。

好奇心というのは、一つの疑問が解決されるとそれがすぐつぎの疑問につながり、どんどん広がっていくという性質をもっています。

ですから、一つのことに熱中していた場合、それがしぜんにほかの分野のことにも広がっていくものなのです。


たとえば鉄道に興味をもっている子どもは、路線について調べているうちに、しぜんに日本の地理に興味が広がっていくかもしれません。

あるいは、列車そのものへの興味が、電気関係や工学関係への興味につながっていくかもしれません。

そして、このように一つの分野について知識を追い求めていけば、自然に難しい事柄にも挑戦するようになります。

専門的なことなら、まわりに教えてくれる人もいないでしょうから、あれこれ本を見比べたりしながら、自分でなんとか理解しようとするでしょぅ。

興味のあることなので、それはちっとも苦になりません。

そして、ついにわかったときの喜びは、何ものにもかえがたいものがあるに違いありません。


<span class="b">こういう取り組み方は、じつは、勉強に対するもっとも望ましい態度にほかならないのです。</span>

<span class="b">つまり、何かに熱中できる子どもは、ほんとうの意味で勉強好きな子どもになる可能性が、ひじょうに高いのです。</span>


スポーツに熱中する場合も、すこしでも上手になるために自分なりに工夫して練習したり、コーチやうまい人の話を真剣に開いて自分なりに消化したりという体験の中で、かならず貴重なものを得られるでしょう。

そして、何に熱中するにせよ、かならず得られるのが<span class="b blue">「集中する」</span>という体験です。

子どもに集中力をつけさせることの難しさは、教育にたずさわったことのある人間なら、誰でも痛感していることです。

けれども、何かに熱中した体験をもっている子どもとそうでない子どもでは、明らかに違いがあるのです。

自分が集中できるということを知っている子どもは、<span class="b">「切り替え」</span>の要領さえ覚えれば、どんな勉強であってもすぐ集中できるようになります。

ですから、子どもが何かに興味をもって、やりたいと言い出したら、ぜひ<span class="dotted">黙ってやらせてあげてください。</span>

そして、子どもがそのことについての話をしたがったら、<span class="dotted">興味をもって聞いてあげてください。</span>


こういう話をすると、かならずといっていいほど、<span class="b purple">「ファミコンでもいいんですか？」</span>という質問を受けます。

これは難しい質問です。

集中力という点では、ファミコンもほかのものと変わりませんから、まるっきりマイナスだとは言えないでしょう。

ですから、もしお子さんが熱中しているのなら、<span class="b purple">「ファミコンはよくない」</span>という理由で無理やりやめさせるのは考えものです。

ただ、ファミコンの場合には、二つ問題があります。

一つは、目をはじめ、健康的にはあまり望ましくないということです。

もう一つは、機械を相手にした遊びですから、<span class="b red">コミュニケーションをもてない</span>ことをあげることができます。

受け身的な遊びでもあり、指示待ち人間になる可能性がおおいにありえるのです。

月並みな結論になりますが、ファミコンの場合はやはり、ほどほどにとどめさせるのがいいように思います。]]>
      
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   <title>いい親子関係をつくるための外から内への動機づけ</title>
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   <published>2009-10-30T09:24:53Z</published>
   <updated>2009-10-30T09:47:14Z</updated>
   
   <summary>中学二、三年で親子関係がうまくいってない子どもの作文を読むと、よく「親は、顔を見...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[中学二、三年で親子関係がうまくいってない子どもの作文を読むと、よく<span class="b purple">「親は、顔を見れば勉強しろ、勉強しろと言うだけで、うるさい」</span>と書いています。

そこで思うのは<span class="b purple">「勉強しろ」</span>と言うだけでは、いい親子関係はつくれないのではないかということです。


<h3>子どもへの言葉のかけ方に気をつける</h3>


よく外からの動機づけとしての「もの」が、この場合は言葉になりますが、悪者扱いされるのは、その与え方に問題があるからだと思います。

ある学習を身につけさせるには、最初は連続して外からの注目が必要です。

そして、しだいにその頻度を少なくしていくのです。


たとえば一つの行動に対して、最初は<span class="b purple">「よくやったね」</span>と連続してほめます。

それを１０回繰り返して子どもが自分からすすんでやるようになったら、ほめることを三回に一度、五回に一度、十回に一度、<span class="dotted">やがて与えないというように、フェードアウト（fade-out）していく</span>ことがたいせつです。

こうした知識を親が知っておくといいと思います。

<span class="b">つまり、子どもが何か新しいことをしているときは、連続して注目するのです。</span>

<span class="b">そして自分からするようになったら、注目回数を少なくしていくわけです。</span>

注目することをずっと続けると<span class="b red">中毒現象</span>が起きるので、やめるタイミングが重要です。

外からの動機づけから内からの動機づけへと変えていく時点で、

「よくやったね」から<span class="b purple">「わかるとおもしろいね」「また新しいことができたの。楽しいね」</span>というようにほめ方も変えていくと、子どもは徐々に<span class="b box-yellow">「わかることはおもしろいんだ」</span>という経験をしていくことになります。

そうした周りの注目の変化によって、自分からわかることの楽しさに気づいていきます。
そうすると、自分の興味や関心にしたがって、自発的にわからないことを調べようとする姿勢が出てきます。

発達段階でいうと、小学校の低学年から高学年になるころで、とてもたいせつな時期だと言えるでしょう。

その時期の親子の接し方、家庭学習の仕方は低学年と高学年では違ってくるということですね。


さきほど点数にこだわってほめる親の話が出ましたが、これは、子どもの中の「外から内へ」という動機づけの変化を考えると、ひじょうにへたなほめ方だといえます。

それよりも、わかろうとする姿勢や新しいことにチャレンジすること、自分で興味や関心をもって何かを調べようとしたことをほめるべきです。


私は父母に対して、<span class="underline">テストの点数だけを問題にせず、かならず中身を見て、ほめたり励ましたりしてほしい</span>と話しています。

たとえば難しい問題ができたら、<span class="b purple">「よくできたね。お母さん、これ難しいと思うよ」</span>とひとこと言うのがだいじなのです。

言われた子どもは<span class="b green">「そうか。ぼく、才能あるのかな」</span>と、自信がつきます。

そういうほめ方をしてほしいと思います。

１００点をとってきたら、内容も見ないで<span class="b purple">「あら、よかったじゃない」</span>で終わらせてしまうお母さんは多いようです。

そして６０点をとってきたら、<span class="b purple">「なによ。６０点なんてとってきて」</span>とつい言ってしまいます。

そこをぐっとがまんして、<span class="b purple">「あら、これは難しい問題なのに式はできてるじゃない。計算でまちがえたのね。今度は気をつけようね」</span>というように、<span class="dotted">いいところを探してほめてほしい</span>のです。


<h3>子どものできたところをきちんと評価してあげる</h3>


小学校四、五年生の子どもがいるお母さん方に、<span class="b">「ある日、子どもが学校から３０点のテストを持って帰ってきました。そのとき何と言いますか？」</span>と聞きますと、<span class="b purple">「なんでまちがえたの」「このあいだ習ったばかりでしょう」</span>といった答えが８割でした。

つぎに<span class="b">「隣の家の同年齢の子が遊びに来て、同じように３０点の答案を見せたら、何と声をかけるか」</span>と質問すると、<span class="b purple">「よかったね」</span>とほめはしないが、<span class="b purple">「ああそう、がんばったわね」</span>と答えるというのです。

つまり、同じ点数でも、自分の子どものときはできなかった７割に注目し、隣の家の子どものときはできた３割に注目しているのです。

もしその日、テストでまちがったところを直してくる宿題が出ていたら、どちらの子がやる気を出せるでしょうか。

親から子へのかかわりの基本は、<span class="b blue">できたところを正当に評価する</span>ことが出発点だと思います。

言葉かけも含めた外からの動機づけの経験をもたない子に、内からの動機づけが生まれることはありません。

できたところに注目することは、外と内からの動機づけを同時に行なうことになります。

さきほど家庭学習をしない中学生に「勉強をしなさい」という親の話がありましたが、それは、できないところに注目しているからだと言えるでしょう。

つまり、<span class="b purple">「どうして３０点しかとれないの」</span>と言うのと基本的に同じです。

子どもの否定的な面ばかりを見ているのです。

親から見れば、子どもの悪いところばかり目につき、ここを直してほしい、もっとこうしてほしいといったことが、いろいろあるのが当然です。

でも、よくないところを直していこうという発想でいくと、親も子もおたがいにイライラしますし、くたびれてしまいます。


たとえば、ファミコンばかりしてちっとも勉強しない子に、<span class="b purple">「ファミコンをやめて勉強しなさい」</span>と何度も言うよりも、子どもが机に向かったとき、ひとことほめてあげることがだいじです。

そのほうが、お母さんも笑顔でいられます。

そうすれば、しぜんにファミコンをする時間が少なくなるかもしれませんね。

ファミコンをやめて子どもがしぶしぶ机に向かったときは、<span class="b purple">「がんばってるじゃない」</span>と声をかけてあげることがたいせつなのに、<span class="b purple">「ファミコンをやめなさい」</span>と言って、子どもがやめるのは当然だと、お母さんは子どもに声をかけるのを忘れてしまうのです。

<span class="b">否定的な言葉が多いと、やる気が失われる</span>ということです。


<h3>両親の基本的な教育方針を一致させておく</h3>


よくレストランなどで、親子連れを見かけるのですが、子どもはテーブルの上の調味料のぴんなどをさわろうとしますね。

そういうときに、ひとこと母親が言っただけで、すぐやめる子どももいれば、やさしく言っただけではやめずに、かなりきつく叱らないとやめない子どもと２通りあります。

今までのお話で分かると思うのですが、<span class="b">子どもが小さいころの親の接し方やしつけで、ずいぶん変わってくるのではないかということです。</span>

これはあとの学習習慣にもつながってきますよね。

それはテストの点数のところでお話しした親の態度に通じると思います。

<span class="b purple">「これはだめ、あれはだめ」</span>と、ふだん禁止する言葉ばかり言っている親が多いのではないでしょうか。

<span class="b purple f11em">「だめ」</span>と言うだけでは、こうしたらいいという情報がはいっていません。

「だめ」と言ってやめたときに、<span class="b purple">「おりこうだね」</span>と声をかければ、子どもはこれを繰り返せばいいということを学習できるのです。

レストランの親子連れで気がついたことですが、お母さんのひとことでやめる子どものほうは、食事中もとてもいい雰囲気で、親子でよく会話をしているんです。


いっぽう、一回の注意でやめない子どものほうの親子は、食事中も雰囲気がとげとげしく、ほとんどしゃべらないんです。

話すとしても命令する言葉だけというような場合が多いような気がします。

そういったことが、親子関係や家庭学習などすべてにつながりを持っているのではないでしょうか。

場面は違っても、共通しているのは、<span class="b">できないところに注目するか、できるところに注目するか</span>ということではないかと思いますよ。


また、<span class="b f11em">子どもにかかわっている周囲の大人の考え方を一致させておくこと</span>がたいせつです。

たとえば、両親の基本的な方針が一致していれば、役割分担した中でそれぞれの接し方が違っていても、話し合ってたがいに補い合うことで、問題は起きません。

そうした基本的考えの一致なしに、ばらばらに接すると、子どもはとまどってしまいます。

中学受験をする場合、子どもの父親と母親の考え方が一致していないと、子どもは勉強しません。

中学受験の場合、教科書のほかにその５倍ぐらいの勉強が必要だと言われていますが、そうした勉強についてこられる子の家庭では、例外なく両親の考え方が一致しています。

逆に、受験を目指しているにもかかわらずなかなか勉強しない子の場合、父母懇談会で話してみると、両親の考え方が一致してないことが多いようです。

お母さんは受験させたいのに父親が反対だとか、本人にぜんぜんその気がないなど、両親どうしや親子の考えの不一致がよく見られます。]]>
      
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   <title>「できる子」よりも「わかる子」を育てることが大切</title>
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   <published>2009-10-30T02:57:04Z</published>
   <updated>2009-10-30T03:09:50Z</updated>
   
   <summary>「本物の学力」と「見かけの学力」の違いは、「わかる」と「できる」の違い、と言い換...</summary>
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      <![CDATA[「本物の学力」と「見かけの学力」の違いは、<span class="b">「わかる」と「できる」の違い、</span>と言い換えることができます。

以前の記事で、算数だけを例にとって説明しましたが、この「わかる」と「できる」の違いは、ほかのどの教科にも表れます。


「暗記科目」の代表と考えられている社会を例にとってみましょう。

たとえば、五年生では日本各地の自然や産業について学びますが、そこで「北陸地方は日本の穀倉地帯（米どころ）」と教わります。

このとき、「北陸地方では米がたくさんとれる」という事実だけを覚えれば、テストで点数をとることはできます。

ここで満足してしまう子どもも、少なくありません。

でも、これは<span class="dotted">「できる」だけ</span>です。

いっぽう、<span class="b green f11em">「なぜ北陸地方では稲作が盛んなんだろう？」</span>というところにまで興味をもち、考、至る子どももいます。

すると、「北陸地方は雪が多く、田畑を耕作に使える期間が短い」「稲は種をまいてから収穫までの期間が短い」という事実を結びつけて、<span class="b green f11em">「なるほど、だから米なのか」</span>と納得することができます。

これでこの子どもは、「北陸地方は日本の穀倉地帯である」ということが「わかった」ことになるわけです。

社会科は、けっして「暗記科目」などではありません。

歴史の勉強になれば、この「なぜ」という考え方がいよいよたいせつになります。

というより、歴史というのはこの「なぜ」「どうして」を追いかける勉強だといえるからです。

ですから、<span class="b">年代や事件の内容だけを暗記している「できる子」と、歴史の流れを理解している「わかる子」の違いは大きいのです。</span>


理科は、本来科学的な考え方を養う科目です。

小学校では、できるだけ実験や観察を通して自然現象にふれ、そのうしろにある自然のしくみ、法則のようなものを理解させるようなカリキュラムが組まれています。

扱われる事実や現象はひじょうに少なくなっていますので、ただ覚えてしまおうと思えばたいした苦労はいりません。

ところが、中学校になると内容の密度は急に濃くなります。

その落差は、おそらく四教科のうちでいちばん大きいでしょう。

ですから、小学校のうちに実験の意味などをきちんと考え、「わかる」ところまでいっていないと、とたんに挫折してしまうのです。

中学にはいって理科が嫌いになる子どもが多いのは、こうした理由によるものです。


国語の場合は、「できる」だけで点数がとれるということは少ないでしょう。

「国語ができる子」というのは、基本的に「わかる子」です。

ただ、本来の国語力である読解力や表現力をつける勉強は、家庭では難しいので、ついつい漢字の練習や語句の暗記などですましてしまうことになります。

そういうことだけやっていても、国語の学力は伸びません。

「わかる」子どもというのは、<span class="b blue">ものごとをきちんと論理だてて考える力がある子ども</span>のことです。


考える力や習慣が身についているかどうかは、学校の成績に影響するばかりではありません。

<span class="b">じつは、社会に出たときに、その差が大きく出てきます。</span>

言われたことはできるけれども、自分で企画を立てたり、同じやるにしても能率のいい方法を工夫することができず、<span class="b green">「いったい学校で何を勉強してきたんだ」</span>と言いたくなるような新社会人がふえているそうです。

これなどは、学生時代を<span class="b red">「見かけの学力」だけでなんとか切り抜けてきてしまったために、自分で考える力が身についていなかった、</span>ということなのではないでしょうか。

「できる子」よりも「わかる子」を育てることがたいせつだ、と私が考える理由は、そこにあります。

学校の成績はともかく、社会に出てから、意義のある仕事をし、自分で納得のいく充実した人生を送らせてあげるためにも、子どもに、自分の頭で考えて「わかる」体験を積み重ねさせてあげる必要があるのです。]]>
      
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   <title>生活体験が豊かな子は、学力も確実に伸びていく</title>
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   <published>2009-10-28T12:23:57Z</published>
   <updated>2009-10-28T12:24:25Z</updated>
   
   <summary>「よく学び、よく遊べ」とは、むかしからよく言われることですが、子どもの学力をすく...</summary>
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      <![CDATA[<span class="b f11em">「よく学び、よく遊べ」</span>とは、むかしからよく言われることですが、子どもの学力をすくすくと伸ばしてあげるためには、小学生のうちは、むしろ<span class="b blue">思いっきり遊ばせてあげたほうがいいぐらいなのです。</span>

子どもは「遊び」をとおして<span class="b">「考える力」</span>や<span class="b">「創造力」</span>を身につけます。

さまざまな疑問を感じて、それを<span class="b green">「なぜ？」「どうして？」</span>と尋ねてきます。

これらのすべてが、いわゆる<span class="b box-yellow">「生活体験」</span>というものです。


生活体験が豊かな子は、まちがいなく学力も伸びていきます。

そして、この生活体験だけは、学校や塾では教えられません。

ですから、遊ぶ時間を削ってまで、計算ドリルや書きとりドリルばかりをやらせていたのでは逆効果になりかねないのです。

問題の解き方やテクニックだけを覚えていて、テストでいい点をとる「できる」子の学力を、私は「見かけの学力」と呼んでいます。

この「見かけの学力」は、ただ「できる」だけ、「質問の答えを出せる」だけで、子どもの考える力を伸ばしてはくれません。

ですから、いまは「できて」も、来年はどうなのか、三年後、五年後はどうなのかといえば、けっして安心していられません。

<span class="b green">「小学校のときはできたのに……」</span>と、途中で息切れするケースがじつに多いのです。

いまの社会では、指示されたことをこなすだけの人間より、新しいことを考える人材が求められていますが、<span class="underline b red">こうした子は将来、社会に出てからも、指示を与えられないと何もできない、「創造力」「発想力」のない社会人になってしまうことさえ考えられます。</span>

これらはすべて、はじめに述べた「生活体験」が豊かな子と、そうでない子の違いによるものです。

<span class="b blue">生活体験の豊富な子は、勉強が好きで、考える力もありますから、落ちこぼれることもありませんし、学力もどんどん伸びていくものなのです。</span>


といっても、ただたんに子どもを好きなように遊ばせておくだけの<span class="b red">放任</span>がいいと言っているわけではありません。

私がここでいう「生活体験」のなかには、家の手伝いをしたり、あいさつやマナーを守るなどの<span class="b">しつけ</span>も含まれています。

たとえば、あいさつがきちんとできること、電車やレストランなど、おとなしくしている必要のある場所で騒がないこと、正しい箸の使い方ができることなど、こうしたいわゆる「しつけ」は、本物の学力向上のためには忘れてはならないだいじをことだということです。

机の前に何時間も座らせて、何冊もドリルをやらせるぐらいなら、こうした「しつけ」や遊びに時間を使ったほうがずっと有意義です。

そこで、子ども自身がもっと「考える力」をつけられるような家庭学習のヒントをこのサイトのなかでいくつかお話し、これからも子供の学力を伸ばす為の、生きる力をつける為のたくましい子に育てる為の、参考になる記事を書いていこうと思います。

一人でも多くの子供達が、より充実した少年・青年時代を送り、立派な大人へと育っていく、その一助になることが当サイトの目的です。]]>
      
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   <title>赤ちゃんの顔の向き</title>
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   <published>2009-07-24T08:17:09Z</published>
   <updated>2009-07-24T08:18:47Z</updated>
   
   <summary>生まれてまもない赤ちゃんは、たいていどちらか片方を向いています。 そのほとんどは...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[生まれてまもない赤ちゃんは、たいていどちらか片方を向いています。

そのほとんどは病的ではない<span class="b">強直性頸反射</span>のためですから心配はいりません。

まれに斜頚のこともありますが、そのときはかたいしこりにふれるはずです。

そのしこりも、ほとんど半年くらいでなくなってしまうので、放っておいてかまいません。

気にして、マッサージなどはやらないことです。せいぜい、からだをよく運動させてやることでしょう。


万一しこりが大きくて一〜二歳になってもなくならず、顔や頭の形までゆがんできた場合にだけは手術が必要になります。]]>
      
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   <title>股関節脱臼</title>
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   <published>2009-07-22T02:27:36Z</published>
   <updated>2009-07-22T02:33:38Z</updated>
   
   <summary>「脱臼」といっても、ほんとうに関節がはずれているケースはめったにありません。 ほ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      「脱臼」といっても、ほんとうに関節がはずれているケースはめったにありません。

ほとんどは、はずれかけているか、ただ関節の成長がおそいだけのものです。

生まれて三ヶ月までは新生児用のおむつをあてて、脚が自由に動くようにしておくとかなり防げるといわれます。

診断の方法は、大腿を手に持って両側に開かせたときに手に感ずる音で調べるのがいちばんです（クリック法）。

ただ、脱臼には関係なく、赤ちゃんによっては力を入れるために股の開きがかたいことがあります。

まして緊張するとよけいにかたくなるので、よほどゆっくり調べないと誤診のもとになります。

レントゲン検査はなるべくやらないほうがよいでしょう。

やるとしても三ヶ月をすぎてから、性腺を防護するプロテクターをあてて、三〜四ヶ月に一回くらいまでにしてもらうようにしてください。


治療としては、生後一〜三ヶ月はおむつのあてかたに気をつけることです。

その後は、布製あぶみ式つつバンドを一ヶ月か四、五ヶ月使用すればほとんどなおります。

長く使うのは、お座りや立つちなどの動きを妨げるのでいいことではありません。

しかし、どうしても脱臼がなおらない場合は、入院して牽引をかけるのもやむをえません。

手術が必要なケースはめったにありません。
      
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   <title>気になる頭のこぶ、形、大きさについて</title>
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   <published>2009-07-21T05:33:21Z</published>
   <updated>2009-07-21T05:49:46Z</updated>
   
   <summary>生まれてまもない赤ちゃんの頭にある押さえるとぷよぷよするこぶは、頭血腫といいます...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[生まれてまもない赤ちゃんの頭にある押さえるとぷよぷよするこぶは、<span class="b red">頭血腫</span>といいます。

これは、生まれるとき頭蓋骨の骨膜の下に出血したもので、二〜三ヶ月のうちにかならずなくなります。


頭の形はほとんどの子がいびつです。

それは頭蓋の成長のしかたが大なり少なり左右均等ではないからです。

ですから、寝かせかたにはほとんど関係ありませんし、かっこうよくしようと枕をあてるのは、効果がないばかりでなく、頭が固定されて運動が制限されるのでよくありません。
心配しなくとも、座ったり歩くようになれば、しだいにいい形になってきます。

頭が大きく見えたり、小さく見えたりする場合も、からだとの割合でそう感じることもありますし、親をはじめ先祖に似ることも多いのです。


ただ、「おどりこ」（頭のてっぺんにあるやわらかいところ）があまりにも大きく、しかもきんきんに盛り上がって脈打っているとか、頭囲のふえかたが多すぎる場合には、<span class="b red">水頭症</span>ではないかと疑い、ＣＴ（コンピュータ断層撮影）もらう必要があります。


もし水頭症のときは、チューブを脳室に入れ、心臓か腹腔に脳脊髄液を流す手術をします。

そのさい、発見が早く、ほかに奇形をともなっていなければ、知能はおかされずにすむことが多いでしょう。

ただ、程度がひどくてすでに知能のおくれが目立っている場合には、手術の効果はあまり期待できません。

二分脊椎（脊椎被裂）をともなって、脊髄がはみでている場合には、下半身の麻痺を覚悟しなければなりません。


一方、頭が極端に小さく、頭国が平均より五センチ以上も少ない場合には、<span class="b red">小頭症</span>の疑いがあります。

これには治療法がなく、知恵がおくれ、<span class="b red">運動障害</span>や<span class="b red">けいれん</span>をともなうこともあります。]]>
      
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   <title>歯ぐきにある白い玉みたいなものはなに？</title>
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   <published>2009-07-19T23:27:04Z</published>
   <updated>2009-07-26T04:58:37Z</updated>
   
   <summary>歯ぐきにある白い玉みたいなものは真珠腫といわれます。 異常ではなく、いつの間にか...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[歯ぐきにある白い玉みたいなものは<span class="b red">真珠腫</span>といわれます。

異常ではなく、いつの間にか消えます。

ほっぺの内側に白いかすのようなものがついているのは<span class="b red">鷲口瘡</span>といわれます。

カンジダという糸状菌によるもので、幼い赤ちゃんには大なり小なりよく見られるものです。

おっぱいが飲めるかぎり放っておき、けっしてふきとろうとはしないでください。

もしおっぱいが飲みにくそうになったら、ピオクタニン（紫チンキ）を塗ればすぐになおるでしょう。

また、歯のはえかたは、個人差が大きいものです。]]>
      
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   <title>子供の事故を防ぐには</title>
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   <published>2009-07-18T08:37:15Z</published>
   <updated>2009-07-18T08:37:52Z</updated>
   
   <summary>幼い子をもつ親は、やれ机のかどに頭をぶつけないだろうか、やれへんなものを飲み込ま...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼い子をもつ親は、やれ机のかどに頭をぶつけないだろうか、やれへんなものを飲み込まないだろうかと、いつも気が気ではありません。

でも、幸いに大事にいたることはまれ。

ほとんどの子は転んだりぶつけたりをくり返しながら、すくすくと育っていきます。

ですから、多少のけがは目をつむってもかまわないと思います。


<span class="b red">「あぶない、あぶない」</span>と手を貸したり行動を制限ばかりしていると、ひとときといえども子どものそばから離れられませんし、

だいいち、子どもがしっかりと育つはずがありません。

自分で危険を察知し、反射的に回避する能力は、なん度か痛い目をしたりけがを経験しながら、からだが覚えてゆくものだからです。

かといって、まったく野放しにするわけにはゆかないのはもちろんのこと。


重い病気が減ってきた今では、一瞬のうちに命を奪いかねない事故は親によって最大の恐怖であることも確かです。

ですから、親は、<span class="b green">「少々のけがはしかたないが、重大な事態はぜったい避けなければならない」</span>というはざまで、苦心するほかないのでしょう。


<span class="b red f11em">ところが、重大な事故は、緊張感を欠き、安逸に流れたときに多く起きているようにみえます。</span>

「はいはい」から歩けるようになった赤ちゃんに慣れ、要領めいたものをつかむと、

わが子が薬を口にし、高所から落ちるという可能性を、いつの間にか意識から遠ざけてしまいがちです。

いたずら盛りの赤ちゃんを<span class="b green">「あ、やっているな」</span>とほほえましく思いながら、それとなく注意を向けていれば大丈夫ですが、

親がなにかにかまけてこの存在を忘れると、ものをのどにつまらせたり、激しく転倒するといったことがおこってしまいます。


<span class="b f11em">そこで、まずは、身のまわりから恐ろしい事故を招く状況をなくすことが、親としての最低限の義務になります。</span>


熱湯は手の届かぬところに、ベランダには踏み台になるものを置けません。

わが子の性格と成長の過程から、あらかじめ起こしそうな事故を予測し、対策を講じておくことも、親に求められる責任でしょう。


また、三歳くらいまでは高いところから落ちるのと水におぼれるのが怖い。

ベランダには台になるものを置かない、ふろ場は水を張ったままにしないなどの注意は絶対必要です。


四歳前後からは交通事故が大敵。

この年ごろならかなり話も通じるので、まじめにルールを守らせるようにしたい。

同時に、おとなの責任として社会的に安全策をすすめる努力をすべきでしょう。]]>
      
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   <title>予防接種の考えかた</title>
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   <published>2009-07-11T13:12:28Z</published>
   <updated>2009-07-11T13:33:42Z</updated>
   
   <summary>親としての責任を果たす 子どもがいると、役所をはじめ、保育園や学校などから予防接...</summary>
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         <category term="子供の健康と病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[親としての責任を果たす


子どもがいると、役所をはじめ、保育園や学校などから予防接種の通知がくることでしょう。

親としては、予防接種で防げる病気は防ぎたいが、かといって、


<span class="b green">すべての予防接種が必要なのかどうか、

ほんとうにきくのか、

副作用はないのかなど、</span>


いろいろな疑問や心配をもつにちがいありません。


こうした悩みはけっしておろそかにしないことです。

予防接種を受けるのはほかならぬわが子。

親としては、すべての予防接種についてよく考え、すこしでもわからないことや不安があれば、医者なり保健士なりに徹底的にたずね、納得いかないものは受けさせない、という断固とした態度をとることです。

それを、

<span class="b green">「国がすることだから、まちがいないだろう」</span>

とか

<span class="b green">「医者がすすめるのだから、大丈夫だろう」</span>

などと考えて、すべてを「おまかせ」にするのは、とても危険なことです。


なにしろ予防接種というのは、病原菌を人為的に弱め、体内に入れて免疫をつくらせるというのが原理、もともと不自然で、害がまったくないとはいいきれません。

それでも、元の病気がひどく怖いものなら、あえて受ける必要があるでしょうが、大したことのない病気なら、むしろ本物にかけて自然の確実な免疫をつけたいと思うのは、必ずしも素人考えとして笑われてよいわけはないでしょう。

そういった目で、いま行われている予防接種を検討しなおしてみる必要がありそうです。

<span class="b">専門家の説明がどうしてもわからないばあいは、なお納得できるまで問いただす勇気をもつこと。</span>

自分でも多くの本にあたって調べ、親どうしで情報を交換することも大切です。


また、予防接種について、受ける立場から研究を進めている民間のグループも多くなっているので、そこに入れてもらうのもよい方法です。

そうしたひとたちといっしょに、厚生省や自治省がちゃんとした予防接種行政をするように働きかける運動をすることが、わが子に対するなによりの責任の果たしかただと思います。


<h3>予防接種を受けるときの注意点</h3>


実際に予防接種を受けるときには、<span class="b red">けっして無理をしない</span>ことが大切です。

通知がきたからとか、いま逃すと面倒だとか、親の都合できょうやってもらうのがいいといった考えで、子どもの調子がよくないのに受けさせるのは、ひじょうに危険です。

なによりも元気できげんもよいときに。

体温については、何度から熱とはきめられないので、迷ったら、やはり元気ときげんのぐあいで判断してください。

ちょっとした鼻水やせきの場合も、その状態が何日もつづいていて悪化するようすはなく、元気ときげんが普通ならまあ大丈夫。

しかし、鼻水やせきが昨日きょうにはじまったというのなら、元気がよくても見合わせたほうが無難と思います。

また、熱がでたり、ぐったりするほどの病気にかかったあとは、一週間くらいは見合わせるのが常識です。

下痢は、軽くて元気がよくても、<span class="b">ポリオ（小児麻痺）生ワクチン</span>だけは避けなければなりません。

下痢がなおってからも三日以上は延ばしたほうがよいでしょう。

そのほかのワクチンなら、元気さえよければ、ちょっとした軟便くらいは大丈夫かと思います。

どのワクチンについても、おたふくかぜ、水ぼうそうなどの伝染病にかかったあとは完全になおってから、とくにはしかは免疫の力をしばらく低下させるので、なおって一ヶ月以上たってから接種を受けるのが安全です。


病院や接種会場では、まず、子どもの状態やワクチンについての不安とか疑問があれば、遠慮せずに聞くこと。

「予診」というまえもっての診察で「接種は不可」とはねられたけれど、その理由が納得できないときには、勇気をもって食い下がってよいと思います。


<h3>ワクチンの種類とその知識</h3>


<span class="b green f12em">ツベルクリン反応とＢＣＧ（結核の予防ワクチン）</span>


法律では、ツベルクリンは生まれてから四歳までのあいだに一回して、結果が陰性ならＢＣＧをすることがすすめられています。

しかし、ＢＣＧは、肺結核に対する効果が世界的に疑問をもたれ始めているうえ、接種したあとのツベルクリン反応の陽転を結核と誤診される恐れがありますから、一律にはやらないほうがいいでしょう。

ツベルクリンをこまめにし、自然陽転したら結核の予防薬を飲ませるという方法をお勧めします。

ただ、乳幼児が感染すると結核性髄膜炎になるおそれがあり、それにはＢＣＧが効くので、

接種する範囲に結核の病人が出た場合はすぐに、

また保育園に行く子は入園前に、

大人と接する機会の多い子も早く、ツベルクリン反応が陰性なのを確かめたうえでＢＣＧを接種しておくべきです。


ＢＣＧ接種の方法は上腕に二カ所スタンプを押すようになされます。

副作用は接種して一〜二ヶ月たったころ局所にいくつかの針跡が赤く現われることが多いですが、半年以内に消えます。


まれにはわきの下のリンパ節がはれることもあります。

きわめてまれには骨炎をおこしたり、生まれつきの免疫不全症があると<span class="b red">敗血症</span>などをおこすことがないではありません。]]>
      
   </content>
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   <title>ミルクの悩み・疑問</title>
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   <published>2009-07-06T11:00:29Z</published>
   <updated>2009-07-06T11:15:18Z</updated>
   
   <summary> 哺乳瓶を嫌ってなかなかミルクを飲んでくれません。 きらったらやめて、うんとおな...</summary>
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   </author>
         <category term="子育てＱ＆Ａ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office12.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みＱ＆Ａ" />
</span>哺乳瓶を嫌ってなかなかミルクを飲んでくれません。

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office11.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みの回答" />
</span>きらったらやめて、<span class="underline">うんとおなかをすかせてから瓶をあてがう</span>のがコツです。

それでも受けつけなかったら、また泣かせてでも時間をあけること。

からだを動かして遊んでやったりして、おなかをすかせることも大切です。

乳首がきらいなばあいもあるので、いろいろな種類を試してみてください。

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office12.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みＱ＆Ａ" />
</span>あまりミルクを飲んでくれないのですが・・

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office11.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みの回答" />
</span>赤ちゃんにも小食のタイプがあり、あせって飲ませようとしても、おそらく無駄。

飲む量が少なくても、きげんがよく、

一日平均、三カ月まで二〇グラム以上、六カ月まで一五グラム以上、九カ月まで一〇グラム以上、

その後は五グラム以上体重が増えていれば、最低限の発育はしているので心配する必要はありません。

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office12.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みＱ＆Ａ" />
</span>
ミルクを飲むのに時間がかかるのですが・・

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office11.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みの回答" />
</span>

遊び飲みをしているか、ミルクの出かたがわるくて困っているかも知れません。


遊んでいるようなら、適度に相手をしながら二十分ほどで離してください。

あえぐように吸いつづけているときには、まず晴乳瓶のキャップをゆるめてみてください。

それでも同じなら、乳首の穴を大きくするか、クロスカットにかえてみてください。

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office12.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みＱ＆Ａ" />
</span>急にミルクを飲まなくなりました

<hr />

<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office11.gif" wigth="100" height="100" alt="ミルクの悩みの回答" />
</span>

まず、<span class="b f11em">きげん</span>と<span class="b f11em">元気</span>を見てください。

それらがわるければ病気を疑わなければなりません。

しかし、きげんも元気もよければ、あわてることはありません。

いままでよくふとってきた子なら、ここでひと休みしているのです。

自分で成長をコントロールする脳の働きが成熟した証拠で、喜ぶべきことです。


赤ちゃんが少々乳を吐いても、きげんと元気がよければ心配する必要はありません。

母乳でもミルクでも、乳の出が良すぎるか、吸引力が強くて一気に飲みほしてしまうばあいには、空気もたくさん飲んでいたりして、吐くことが多いようです。

吐きかたもさまざまで、だらだらと出す子もいれば、噴水みたいに吐く子もいます。

飲みっぷりがどうであっても、授乳後にはゲップをさせること。

どうやっても吐く子がいますが、三カ月をすぎるとおさまるものです。]]>
      
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   <title>健康診断の受け方</title>
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   <published>2009-07-04T18:11:39Z</published>
   <updated>2009-07-04T18:16:35Z</updated>
   
   <summary>健康診断を受けようとする親は、わが子の発育がたしかめられるうれしさと、もしかして...</summary>
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         <category term="子供の健康と病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[健康診断を受けようとする親は、わが子の発育がたしかめられるうれしさと、もしかしてわるいところがみつかりはしないかという不安の入り交じった、多少とも緊張した顔つきをしています。

まして、具体的に心配なことのある親は、それが医者から駄目押しされるのではないか、想像よりわるい事態といわれはしないかと、恐れおののいているようです。


<span class="b">こうした親の気持ちに、健康診断はどれほど応えられているのでしょうか。</span>

よかったという声も聞くけれど、<span class="b red">「異常」</span>とか<span class="b red">「異常の疑い」</span>のレッテルをはられて、余計な心配をさせられたという怒りの声もよく聞くのです。

それはきっと、いまの健康診断が、親からの相談に来るというよりも、医者などの専門の立場から子どもを評価することに重点が置かれているためではないかと思います。

しかも、その評価のしかたがほとんど統一されていて、いわば○×式に優劣を決めてしまうようになっていることが多いのです。


だから、たいていの健康診断がまるで流れ作業、どの親も同じ質問を受け、どの子も同じ診察を受けるといったふう。

およそ親がこまごまとした話など持ちかけられるような雰囲気ではないわけです。


こうした点は、だんぜん改めてもらっていいことです。

せっかく赤ちゃんのためにするのですから、まず、その子と親の意に沿うように。

そして、お上による決まった形の「調べ」でなく、ひとりひとりの心配にこたえる、地についた「相談」であるように。


<span class="b">そのためには、聞きたいことがあったら、たとえ雰囲気が堅くても、遠慮なくたずねる勇気が必要です。</span>

そうでないと、赤ちゃんは品質検査を受ける物品みたいになってしまいますし、だいいち、医者のチェック項目にない問題を落としてしまう危険があります。

万一、「異常」といわれたときは、たいへんなショックでしょうけれど、ここではぜひ落ちついてください。

いまは「異常」のレッテルを張りすぎるきらいがありますから、納得できなければ、十分に説明を求めたほうがよさそうです。

「精密検査」が必要だとしても、それをどこで受けるかは親の自由であって当然。


とにかく、一切を健康診断に取りしきってもらうのでなく、親も生活感覚からの判断力を鍛えて、楽しく赤ちゃんを育ててほしいと思うのです。


<h3>子供の健康診断の結果をどう判断するか</h3>


<span class="b green f12em">いわれたことがよくわからない</span>


いわれたことがよくわからないとか、聞きもらしたことがあったら、そのままにしないでたずねるように。

その場で機会を逸したら、あとで電話するなり出かけていって、確かめること。

ときには医者や保健婦のちょっとしたことばのはしに猛烈な不安をもたされたり、心ないいいかたにショックを受けることがあるかもしれませんが、そんなときでもめげずに詳しい説明を求め、真意を問うべきだと思います。


<span class="b green f12em">発育がわるい</span>


なにか「異常」を指摘されても、できるだけ冷静に。

それはかならずしも決定的ではないし、もともと健康診断はスクーリング（網にかける）の性格をもっているからです。

発育がわるいとか、ふとりすぎといわれても、ただ「標準」と比較してだけのことなら、にわかに心配する必要はありません。

<span class="b">発育のようすは、親をはじめ日常その子をみているひとたちの感じのほうが、意外によくあたっているものです。</span>

もちろんそこには主観が入りますから、確かめたければ、<a href="http://www.y-ads.jp/health-and-sickness/0810101111.html" target="_blank">カウプ指数</a>など総合的な発育の評価法を試みてください。


<span class="b green f12em">育児のしかたがまちがっている</span>


母乳の与えかた、ミルクの量、離乳のすすめかた、幼児の食事などについてまちがっているとしかられても、それでなんとか育っているのなら、まあいいとしていて大丈夫だと思います。


<span class="b green f12em">からだの異常</span>


からだの異常についても、親の感じでたいしたことはないと判断されれば、あわてずに、しばらくようすをみるようにするほうがよさそうです。

発育のさかんな子どもは、そのうちに自然になおってしまうことが多いからです。

しかし、どうしても心配とか、重い異常を指摘されたときは、さらに詳しい検査を受けて確かめてください。


<span class="b green f12em">発達がおくれている</span>


発達がおくれているという疑いをもたれると、ショックは大きいでしょうが、これほど、あとになって、なんともなかったとわかることの多いものはありません。

実は、専門的な発達の診断法は考えられているほど確実ではないし、大勢の子どもを短時間に流れ作業式に調べたのではなおさらよくわかりにくいのです。

そもそも発達というのは、子どもによってさまざまな姿をとるし、環境によってもすごく変わるもの。

簡単に表面からだけではとらえられないものでもあります。

ですから、むしろ家庭や地域で日常の子どもと接している自分たちのほうが発達のぐあいはよくつかめると考えていてよいと思います。

もちろん、素人には気づかないこともあるでしょうが、それほどならたいした異常ではないはずです。

<span class="b">また、たとえ大きな発達のおくれがあるとしても、それをただちにマイナスとばかりはきめつけられません。</span>


いま流行の「発達」という概念には、

年齢にともなって一定のことができるようになるのを「正常」とする意味が強く含まれているようですが、

<span class="b red f11em">これはあまりにも人間を浅くとらえる考えです。</span>

まず、人間を能力で評価しようとするところが、ひじょうに一面的です。

能力がすぐれていても人間的にどうかと思うひとがいるし、劣っていてもすばらしいひとはいくらでもいます。


<span class="b red">しかも、その能力というのが、いまの時代、いまの社会の多数者のできることに基準がおかれている点が気になります。

そういう基準で評価されれば、別のできかたをする少数者は<span class="f11em">「異常」</span>とされるほかなくなります。</span>


そこからは、少数者の特性を生かす道はひらかれず、ひたすら多数者に近づく努力のみ要求されることになるでしょう。

これでは世の中の奥行きが深くなりそうにありません。


<span class="b">それに、なにかが「できるようになる」ことは、おうおうにして、別になにかが「できなくなる」ということをともないがちです。</span>

たとえば、歩くのが上手になるにつれて、はいはいは下手になります。

<span class="underline">はいながら見えていたものも見えにくくなるでしょう。</span>

ことばが巧みになったために、空虚な発言ばかりふえて、真実みのある沈黙や仕草は消えてしまうかもしれません。

数や文字を覚えただけに、事物そのものとのていねいなつき合いをおろそかにしてしまうひともよくいます。

<span class="b f11em">そういうわけで、発達のおくれを、イコール障害と思わないでください。</span>


障害というのは、本人と社会のありようの関係でもたらされるものですから、そうした観点で対応するようにしてほしいと思います。


<span class="b green f12em">「要観察」「要精密検査」</span>


健康診断の結果、「要観察」とか「要精密検査」とかいわれたときにも、

それがからだについてであろうと発達についてであろうと、以上のことを考えて、どうするかを判断してください。

かならずいわれたとおりにしなければならないことはないし、すくなくとも、どこで診てもらうかは親の自由です。

観察や検査が納得できないときには、別のところで診てもらうのはよいことですが、あまり性急に結論をえようと「はしご」を重ねるのはどうかと思います。

からだの異常については急ぐばあいもありますが、それならかえって早くどこかで治療を受けるべきだし、発達に関することなら、むしろゆっくりと経過を見るほうがよいからです。]]>
      
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   <title>よく病気をする子こそ大胆に育てよう</title>
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   <published>2009-05-03T03:05:30Z</published>
   <updated>2009-07-27T01:25:45Z</updated>
   
   <summary>しょっちゅう病気をするといっても、わりに軽く、まあなんとか育っていれば、気にしな...</summary>
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         <category term="子供の健康と病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[しょっちゅう病気をするといっても、わりに軽く、まあなんとか育っていれば、気にしなくていいと思います。


病気によって、かかる年ごろというのもあって、

一、二歳までは鼻かぜ、「ぜろぜろ」する<span class="b">かぜ、下痢、中耳炎</span>など、

二、三歳をすぎると<span class="b">扇桃炎、気管支炎</span>のほか、<span class="b">水ぼうそう、おたふくかぜ、風疹</span>といった「伝染病」も盛りになります。


こうして年齢に見合った病気を経過することは、かえってその後の健康にとっていい結果をもたらすもの。

それによって免疫ができるし、幼いなりに「やまい」とのつき合いも覚えられる。

<span class="b blue">つまり、子どもは病気をしながら育つという面をもつからです。</span>


よく病気をする子が、かならずしも弱いとはかぎりません。

赤ちゃんを卒業したてのころは、上のきょうだいから病気をもらうことは避けられませんし、保育園や幼稚園に入ると、しばらくのあいだ、たてつづけに病気に見舞われることも多いでしょう。

いずれも、うつされる機会がふえたのがいちばんの原因で、それだけで「弱い」と思うのは早計です。


また、医者通いばかりしていると、なおさら弱くしてしまう恐れがあります。

自分で病気とたたかう力を削ぎますし、薬の害も軽視できません。

<span class="underline">精神的にも医薬に頼るくせができるうえ、よけいな病気までもらう可能性が大きいからです。</span>


そんなことをするよりも、もっと積極的、大胆に育てるほうがいいと思います。

なんともないときはもちろん、多少病気ぎみでも、元気さえあれば、外に出して好きな遊びをさせてもいいですし、おふろにいれてもいいのでは。

そのほうが心身ともに勢いがついて丈夫になることが多いみたい。

たとえ熱がでたりぐずっても、一日、二日とがんばらせると、自然になおったり、病気になる回数もへる傾向があるようです。]]>
      
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   <title>体罰でのしつけについて</title>
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   <published>2009-03-20T05:57:51Z</published>
   <updated>2009-08-07T07:19:40Z</updated>
   
   <summary>体罰でしつけをしようとするのはもっとも怠惰なおとなの考えることです。 人間として...</summary>
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         <category term="赤ちゃんや子供のしつけ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[体罰でしつけをしようとするのは<span class="b red">もっとも怠惰なおとなの考えること</span>です。

人間としての影響力でなく、安直な暴力で従わせようとするわけですから、自信のなさをも露呈しているともいえます。

それでは親としても成長することはできないでしょう。


しかも体罰は動物の調教と同じで、<span class="b red">子どもから自主性を奪いがちです。</span>

中には暴力に抗して強く育つ子もいるかもしれませんが、それは危険なかけ、大半は権威に従順で卑屈な人間に育つと思わなければなりません。


ただ、ほんとうに許しがたく、怒り心頭に発して思わず手がでてしまったというのはしかたがないし、子どもも身にしみるかもしれません。

でもそんなことはめったにあってはならないことです。]]>
      
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   <title>障害のある子の子育て</title>
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   <published>2009-03-17T18:17:52Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>障害のある子を育てるのは、その程度によってたいへんにはちがいありませんが、 将来...</summary>
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         <category term="子育て支援" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[障害のある子を育てるのは、その程度によってたいへんにはちがいありませんが、

将来の見通しについてはあまり悲観的に考えないで、親がその子とともに積極的に開拓してゆくようにかまえてほしいと思います。


考えすぎると、普通の子を育てるときにもあるたいへんさまでも、障害のせいにしてつらさを増してしまいがちです。

特別の子だからと世話に力を入れすぎるのも、無用のくたびれを招くもとです。


そもそも、異常はその子のすべてではないし、それが生きるうえにどれほど障害になろうとも、一個の人間としての生涯はすでに始まっているのです。

しかも、その人間は、ほかならぬ自分たちがこの世にもたらしたひと。

これは、なにごともなかった子とまったく同じことでしょう。

とすれば、とにかく子育ては着手されなければなりません。

むしろ、あるがままのわが子を、そういう子としてたんたんと育てていれば、障害があることについても、しだいに度胸がすわってもきそうです。

そうなれば、障害児を育てるのは、世間で考えるほどたいへんではないといえるようになってくるかもしれません。

<span class="b f11em">そのとき親は、人間として大きく成長していることでしょう。</span>


そこまでなるのには時間がかかるでしょうが、じっさいにたくさんの先輩がいるのですから、いろいろなことを学んでほしいと思います。

もし近くにそういう人がいなければ、下記の団体にたずねれば、相談に乗ってくれますし、適当な人も紹介してくれるはずです。

<a href="http://www.zenkokuren.com/" target="_blank">障害児を普通学校へ・全国連絡会</a>


<h3>社会に育ててもらう</h3>


どうして自分たちだけがと嘆いたところでどうにかなるものでもありません。

そうした子どもだからこそ、むしろ世間に突きだして、いっしょに育ててもらうようにすべきです。

<span class="b">それにしても、障害児を育てるにあたっては、多くのひとの直接の協力が必要です。

とりわけ夫婦が力を合わせることは不可欠。</span>


母親だけが背負ったのでは、身も心ももちにくいでしょう。

夫婦だけではやりきれないことは、親戚はもちろん、友人、知人、近所のひとたちに、遠慮なく助けを求めるのがよいと思います。

だれだってピンチにはひとの助けが必要なのだし、とくに障害のある子は多くのひとたちに知られ、その中で育つことによって世間で生きられるようになるからです。


きょうだいがいる場合には、できるだけ手伝ってもらうべきですが、けんかやわがままは、普通のきょうだいのようにやらせておくべきでしょう。

障害のある子の犠牲にしたのでは、両者とも明るく育ちそうにありません。

このほか、たいへんさをしのぐためには、家事をうんと簡素化することも必要なのではないでしょうか。

すべてをきちんとやろうとしてダウンしてしまったのでは、もとも子もなくなります。

家事は少々の手抜きをしたところでなんとかなるし、すぐその生活様式に慣れてもくるはず。

いまは、こまかいことにこだわらないおおらかさが求められているのです。


<h3>普通に育てる</h3>


障害児を育てるにあたっては、障害にばかり気をつかうのでなく、その子を全体として育ててゆくことが大切です。

障害はその子のすべてではないし、その子は障害をかかえながらも人間として成長しなければならないのです。


障害を不欄に思って、大切に育てすぎれば、世の中で生きてゆく力がつきません。

少々のからだの不自由があっても、できるだけ自分のことや家事はやらせ、友だちとも遊ばせたほうが積極的になります。

知恵おくれだって、家に閉じこめないでいれば、いろいろなことを覚え、ひととのつき合いかたも上手になるはず。

視覚障害も、いつも手を引くばかりしないで、ひとりで壁などを伝って歩かせたり、広い所では走らせたりすれば、大胆に外にでてゆけるようになるでしょう。


聴覚障害も、大勢の友だちと遊ばせていれば、ひとりでにさまざまのことばを聞き分けるようになってくるものです。

寝たきりの子にしたところで、窓を開け、乳母車や車椅子で外にだし、太陽や風にあて、多くのおとなや子どもと接しさせれば、表情もからだの動きも生き生きとしてきます。


こうしたことは、考えてみればあたりまえの話で、

<span class="b blue">動きや感覚にしろ、知恵にしろ、ことばにしろ、まわりの自然や社会と接することによって育てられてくるのです。</span>

この事情は普通の子とまったく変わりありません。

ただ、普通の子を含めて、子どもによって、育ちかたのちがいと早いおそいがあるだけです。

<span class="b">とすれば、障害児の育てかたも、普通と同じを原則にしなければなりません。</span>


<span class="b red">特別扱いして、訓練にばかり時間を費やしていたら、かんじんの自然や社会と接する機会を減らし、人間としての成長を妨げてしまうでしょう。</span>

ですから、しつけにしても、障害児だからといって手心を加えないように。

なんでもしたいようにさせるのはまちがいです。

叱るべきときは、たとえけいれんのある子でも、断固として叱らなければなりません。

そのかわり、子どもが困難を克服してなにかをなしとげたときには、いっしょに喜んでやってください。

そして失敗したときには、アーアといっしょに悲しんでやるのです。


<span class="b">世間との関係では、とにかくかくさない、恥ずかしがらないのがかんじんです。</span>

堂々と外にだし、チャンスを見て障害のようすを話してしまったほうが、ぐっと気が楽になるはず。

また、そうしてこそ、成長にとって大切な自然や社会との接触も豊富にできるのです。


子どもが大きくなって、奇形やからだの不自由さなどについて気にしだしたら、そんなことは人間の価値をきめるものではない、

いろいろなひとがいるのだから、かくさず恥ずかしがらず振る舞うように話してやってください。

<span class="b f11em">だいいち、親が不憫に思うほど子ども自身は深刻ではないのではないでしょうか。

なのに、親があまり悲憤なようすを見せると、かえってしょげてよくないと思います。]]>
      
   </content>
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   <title>園をいやがる子</title>
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   <published>2009-03-17T12:28:55Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> まず子どものいいぶんを聞いてやる はじめはよろこんで保育園や幼稚園に通っていた...</summary>
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   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>まず子どものいいぶんを聞いてやる</h3>


はじめはよろこんで保育園や幼稚園に通っていた子どもが、あるときから急にいやがりだすことがあります。

親としては心配やら、いらだたしいやらで、思わず<span class="b">「首になわをつけてでも連れてゆく」</span>という気持ちになったりしますが、

そういう場合は、さり気なく子どものいいぶんを聞いてやり、まず園の先生とじっくり相談することです。

<span class="b red">というのは、「登園拒否」をするのは園になにか原因があると考えられるからです。</span>


とすれば、園の側に子どもにとって重荷になるものをなくしてもらうことが先決。

クラスの友だちや先生との相性もあるでしょうし、疲れとか慣れが関係して行きたくないときもあるでしょう。

保育のしかた、食事やひるねのとりかたがいやだということにでもなれば、事態は深刻。
だんぜん「拒否」したくなる気持ちはよくわかります。

園にしてみれば、課業とか保育のしかたに問題があるとは考えたくはないのでしょう。

家庭での育てかたや子どものほうに問題があるようにいわれることもないとはいえません。


そんなときはもちろん反省もしてみなければなりませんが、どう考えても園のほうに問題があるようなら、遠慮をしないで希望をいうべきです。

そして、子どものいいぶんを聞いても、園と相談をしても、どうしても原因がわからないときは、<span class="b blue">しばらく待ってみることです。</span>

すると、たいていの子どもがふっと園に行くといいだすもの。

なんとなくということもあるし、家にいるより園に行ったほうがましと判断したようにみえることもあります。

いずれにしても、自分できめたことですから、もうあまりぐじぐじすることはなくなるでしょう。


それでもなお行きたがらないとすれば、よほどの理由があると考えなければなりません。
まして、その理由がよくわかり、親が懸命に園と話し合ってもどうにもならないとなれば、最終的にはよその園にかわるか、やめるのもやむをえないかと思います。

園はそんなに無理をしていかなければならないところではありません。]]>
      
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   <title>幼稚園に通う</title>
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   <published>2009-03-13T03:14:41Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> 遊びの場として考えよう 幼稚園に対してはあまり大きくかまえないほうがいいようで...</summary>
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   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>遊びの場として考えよう</h3>


幼稚園に対してはあまり大きくかまえないほうがいいようです。

しつけをしてもらおうとか、なにかを学ばせようとかすると、それが子どもに伝わってコチンコチンにさせてしまいがちです。

<span class="b">それよりもむしろ、幼稚園は遊びの場として考えるのがよいのではないでしょうか。</span>


この年齢の子どもにとって、大勢の子どもといっしょにいることは、それだけですごく心おどることなのでしょう。

たとえひとり遊んでいても、ほかの子の存在がたえず気になるし、ちょっとでもチャンスがあればすぐに集まって遊びを広げ、関心がそれたりけんかで別れてもまた離合集散を繰り返します。

みんなでなにかをすることは、調子に乗った子にとっては、おもしろさも成果も倍増するにちがいありません。


一方、それをはずれた子はいい知れぬ疎外や孤高の感情をかみしめることになるでしょう。

いずれにしても、親からはえられなかった緊張した場面です。

そうしたなかで、子どもは自分を含めた人間、もろもろの事物への認識とかかわりを深めてゆくのでしょう。


幼稚園に行きだしたからといって、すべてを園中心にすることはありません。

子どもの育ちは、むしろ、家での暮らしや近隣でのつきあいや遊びで受ける影響のほうが大きいのです。

ですから、たとえ園の方針とちがうことがあっても、親は自分の信じる教育をつらぬくべきだし、その家庭なりの生活は守られてよいと思います。


園を学校の予備校にするのではなく、そうした生活を広める媒介として大切にしてほしいと思います。

園が終わってからの近所での自由な遊び、とくに友だちとの遊びは子どもが求めますし、いかにも楽しそう。

夏など長い休みもあることですから、仲良く遊べる友だちができるように親も協力してやってください。


<span class="b f11em">そのためには、親どうしのつき合いがとっても大切。</span>

親は親で気心の知れる友をつくり、子どもが仲良くなったら親もざっくばらんにつき合うようにしたいものです。

送り迎えにしても、初めのうちは親がついていくのもしかたありませんが、慣れてきたら、子どもだけで通わせるとか、親が交代で面倒をみるようにしたらどうでしょう。


<h3>幼稚園の選び方</h3>


とにかく近いのがいちばん。

遠いと、通うのがたいへんなこともありますが、それよりも、せっかく園でできた友だちと家に帰ってから遊ぶことができないのが難点です。


つぎに、ぎょうぎとかカリキュラムが厳しいところは敬遠したほうがよさそう。

<span class="b blue">じっさいに親子で見に行って、園児たちが、いきいきと、好きなことをして遊んでいるところがいいと思います。

それでいて乱れた感じがなければ最高でしょう。</span>


それから、<span class="b f11em">当の子どもとその園との相性</span>もあるでしょう。

保育のしかた、先生、子どもたち、これら全体のかもしだす雰囲気が、うちの子にぴったりとか、まあまあとか、どうも合いそうにないといった感じは意外に大切です。

親にしても、園や親たちとの相性がよくなければ、なにかとやりにくいことが多くなるのではないでしょうか。


こうした懸念を確かめるためには、とにかく親子して候補にあがった園を見に行くのがいちばん。

そのさいは、一度だけでなく二〜三度みてまわれば、さらによくわかるでしょう。


<h3>自主保育について</h3>


子どもを幼稚園などにやるのではなく、親たちが呼びかけあってグループをつくり保育をする<span class="b blue">「自主保育」</span>というやり方があります。

保育を専門家に預けるのではなく、自分たちの手でしようとするところに意義があります。

現にあちこちでそうしたグループが生まれ、それなりの成果をあげています。


ただ、じっさいにつくっていく過程では、施設の問題や専門家をどうするか、費用の面などさまざまな難問があることは事実です。

でも、そうした難問をひとつずつクリアしていけば、幼稚園などでは得がたいすぐれた保育を生み出す可能性を秘めています。


グループをつくるにあたっては、身近の知り合いから少しずつふやしていくのがよいでしょう。

<span class="b">１０人以内か、せめて２０人までにとどめたほうがよさそう。</span>

いきなり不特定多数のひとを集めると、とりきめごとばかり多くなって、自主保育の聞達さが失われてしまうかもしれません。

また、自分では努力しないで、既成のグループに入れてもらって要領よく恩恵にあずかろうとするのは、自主保育のよさをこわすことになってしまいます。


グループの運営も、できるだけ形式的にしないで、親しい友だちか近所どうしみたいな関係にしたほうがよいと思います。

子どもを「保育する」といった感じが抜けて、家族ぐるみつき合うようにでもなれば最高でしょう。]]>
      
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   <title>保育園に預ける</title>
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   <published>2009-03-12T18:36:40Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>常勤にしろ、パートにしろ、あるいはフリーにしろ、両親がともにまとまった時間を外で...</summary>
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         <category term="子育て支援" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[常勤にしろ、パートにしろ、あるいはフリーにしろ、両親がともにまとまった時間を外で働くばあいは、子どもをどこかに預けなければなりません。

それが保育園なら、それまでの親と子の関係は新たな段階に入ってくることになります。
仕事に向かわなければならないおとなと、園で過ごすことになる子どもは、もはや「親子」という縦のつながりをこえて、ひとつの共同生活者になっているはず。

<span class="b green">「かわいそう」</span>ではなく、<span class="b green">「お互いにしっかりやろうよ」</span>といった感じで対すれば、相手だってけっこう頼もしく応じるはずです。

親子の関係がそういうものになっていれば、預けることによって愛情に飢えるといったこともないのでは。

もし子どもの心に危機をもたらすことがあるとすれば、それは親の都合だけで子どもを預け、その人格への配慮が抜け落ちているからにちがいありません。


園とのかかわりにおいても、同様の事情が大いに考えられなければなりません。

親は預けるだけ、園は預かるだけでは、子どもはまるで品物のよう。

子どもは、その冷たいはざまで心を痛めてしまいそうです。

前夜の病気を伏せて登園させたり、保育中のけがを内証にして帰したりしたために起きた事故は、それが防ぎうるものだけにやりきれません。

この点で、たがいがなんでもいえる関係になることが不可欠だと思います。

とりわけ病気のときなどは、もし「休ませる基準」に不服や意見があれば申し出て、保母さんとともに検討し直していいこと。

がんばって意見をいう勇気をもってほしいと思います。


親同士が、新米も先輩もいっしょになってグループをつくれば、心強いし、なにかのときの助けにもなるかと思います。

どうしても休まなければならない病気や、保母さんたちのストのときなど、夫婦だけでなく仲間とのあいだでやりくりできれば、犠牲は少なくできるのでは。

育児の理念とか、食事や衣服など、こまかい世話のしかたで食い違いがあっても、それ自体はまあ大したことにならないでしょうが、

その間に、批判やそれを聞く耳を欠いた場合には、ひとりよがりが高じて、子どもをつらい目に追い込まないともかぎりません。

要領のよい、あるいはお金だけの<span class="b green">「お願いします」</span>では、自分の労働への問いかけはないし、わが子への責任を果たしえないことになるでしょう。]]>
      
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   <title>子供が盗みや嘘をついた時、親としてまずすべきことは？</title>
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   <published>2009-03-09T19:54:23Z</published>
   <updated>2009-10-13T07:46:04Z</updated>
   
   <summary>うそと盗みほど、親にとってショッキングなできごとはないかもしれません。 躍起にな...</summary>
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         <category term="赤ちゃんや子供のしつけ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[うそと盗みほど、親にとってショッキングなできごとはないかもしれません。

躍起になって「やっていいこと」と「わるいこと」のけじめを教えようとするでしょう。

ところが、肝心の<span class="b f11em">「善悪の区別」</span>というのが、意外とややこしく、かなりあいまいなことに気づくはずです。

うそひとつとっても、絶対についてはいけないものだとはきめつけられそうもありません。

ほんとうのことを話すと、無用に人を傷つけることもあるし、友だちをかばうためにつかねばならぬうそもあるはずです。


幼い子がなにか失敗をしてとがめられたとき、その理由をきちんと説明することはむつかしい。

自分はいくらわるくないと思っていても、親を説得できるほどきちんと話すことは無理です。

思わず、<span class="b green">「ネコがやった」</span>とその場逃れをしたくもなるでしょう。


また、どうしても親が認めてくれない秘密をもったときも、それをとりあげられないためには、欺き隠すほかないでしょう。

このばあいのうそは、幼い心の中に、親のいいなりにならない自分だけのものが芽生えた成長のあかしといえます。

いずれにしても、道徳的に偽りだけを責めたところで、子どもの気持ちにとどきようはありません。


こうしたときには、だました相手だけでなく、うそをいった自分に対しても痛みを感じているはずですから、

<span class="b f11em">むしろそのまま受け取っておいたほうがいいと思います。</span>


<h3>子どものいいぶんを聞いてみよう</h3>


<span class="b blue">ことの真実を確かめるばあいは、子どものいいぶんを十分きいてやる姿勢が必要。</span>

しつこく追いつめるだけでは、うそを重ねさせ、その痛みすらまひさせてしまうかもしれません。


盗みは、それ自体より、それをすることによって、子どもが世の中をどう考え、どのように生きかたを選んでゆくかが大切な問題になってきます。

親の完全な保護のもとにあった幼児が、自分の意志と才覚で危険を冒すようになったとすれば、それはたいへんな成長といえます。

それどころか、物品には所有があること、お金との取引があることを知り、なおそれを犯すのですから、この社会への挑戦でさえあるでしょう。


そうした行為に、<span class="b red">裁き</span>とか<span class="b red">懲罰</span>はなじみません。

<span class="b green">「なんてことを」</span>ときめつけるよりも、まずほほえましく子どものいいぶんをきくべきだと思います。

そのうえでやはり相手にすまないとなれば、親子して謝りにいくべきでしょう。

でも「わるい子」扱いしたり、余罪を追及するのは心ないこと。

<span class="b blue">子は信じられることで、悪事さえ成長のばねにするはずです。</span>]]>
      
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   <title>子供がけんかしていたら、あなたはまずどうしますか？</title>
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   <published>2009-03-07T10:04:53Z</published>
   <updated>2009-07-04T01:06:21Z</updated>
   
   <summary>幼い子のけんかを見ていると、自分がいまやっていることややりたいこと、それに必要な...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼い子のけんかを見ていると、自分がいまやっていることややりたいこと、それに必要なひとやものをなんとか確保しようと、必死で自分を守っているようです。

ですから、ほかの子から遊びを妨害されたり、おもちゃを取り上げられたりすれば、猛烈に怒りますし、

ほかの子が<span class="b green">「いいこと」</span>をしているのを知れば、すぐに割り込んでいって押しのけようともします。


<span class="b blue">どうやら、幼い子にとってけんかは、子ども仲間のあいだでやってゆくのに欠かせないもののようなのです。</span>


それを<span class="b green">「乱暴はいけません」</span>とか<span class="b green">「けんかはやめなさい」</span>などとしつけにかかっても、はたしてどれほど子どもの心を納得させられるでしょうか。


<h3>子供のけんかはすぐには止めない</h3>


それよりも、まずは好きなだけやらせておいたらどうでしょうか。

子どものけんかは子どもどうしにまかせておけば、おのずとかたはつくもの。

精一杯やったことで、かなりの満足感もあるようです。

まして勝ったほうは、相手を征服した快感を覚えるのですが、それでいて友を失い、自らを非難する苦しみも味わわざるをえません。

負けたほうは、みじめさをかみしめつつ、相手を軽蔑するか、またの挑戦にかけてでも、なんとか意地を残すほかないでしょう。

こうして、子どもたちはそれなりにこの世に生きる厳しさ、むつかしさを体得していくのだと思います。


<span class="b f11em">ただ、おとながどこまで子どもどうしにまかせられるかは実際問題としてむつかしいところです。</span>

きょうだいげんかなら、耐えがたいほどになったら、ころあいをみて、ということでしょうか。

よその子とのけんかのばあいは、親どうしの気づかいもあってさらに複雑になるでしょう。

でも、飛んでいってやめさせたり、わが子だけを叱ってあやまらせたりするのは、けっしていいやりかたではありません。

やはり、なるべくけんかはやらせ、とめるときも子どもがえこひいきを感じない工夫をすることが大切です。


いずれにせよ、そんな表向きのしつけより、子どもの内面をくんでやりたい。

なにか鬱屈があれば、荒れるのは当然です。

十分に認められ愛されていれば、他人に寛容になるでしょう。]]>
      
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   <title>子供のわがままをどう対処しますか？</title>
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   <published>2009-03-04T10:26:15Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>自分でしたいことやできることがふえ、親の命ずるがままから脱却しようとする幼ない子...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[自分でしたいことやできることがふえ、親の命ずるがままから脱却しようとする幼ない子は、まずだれをも支配下に置こうとしはじめます。

親にはあれやこれやと気まぐれに要求し、親から求められたことは「あまのじゃく」になって逆らいます。

ほかの子どもに対しては、主導権の争いから、おもちゃを取り上げるといった行為に出ます。

それが拒否されれば、ひっくり返って泣き叫んだり、かたくなに固執しつづけたりもするでしょう。


この種のわがままには、ただの<span class="b">「しつけ」</span>で対してもあまり効果はないでしょう。

説教や命令では、子どもの気持ちとすれちがうばかり。

かえって、わるい子ときめつけることによって、意地を張らせかねません。


<h3>「自由に」が原則</h3>


それよりも、なるべくやりたいようにやらせたほうがよさそうです。

少々因っても黙って見すごすか、せめて「しょうがないねえ」くらいにとどめておく。

そうすれば、子どもは自分で決めた行為を通せたのがうれしく、

<span class="b">しかし同時に、結果については責任を取らなければならぬ苦しさをも味わうことになるでしょう。</span>


これとはちがい、なにかエネルギーの鬱積があって吐き出されず、その代償がわがままに現れているばあいがあります。

精いっぱい遊べないとか、おとなに囲まれて息がつまりそうな子は、当たり散らしたり、際限なく要求を出して、それでもなお満たされません。

わりと年長の子に多いようですが、そういうようすがみえたら、とにかく発散させてやることが必要かと思います。


<span class="b blue f11em">どんなばあいにも、子どもには自由を。</span>自由はわがままを乗り越えるものです。

解放された感情が、我慢を強めてくれるからでしょうか。

そのうえでなら、自制を強いることがあっても、相当に耐えられそうです。

子どものいうことをどうしても認められないときは、こちらの本音をそのままぶつけるのがよいと思います。

<span class="b green">「いやよ」</span>とか<span class="b green">「きらい」</span>といった感情、

あるいは<span class="b green">「困る」「こうしてほしい」</span>といった都合で迫るのは、説教や命令よりもずっと子どもの心にはしみやすいはず。

たとえその場はいうことをきかなくても、ひとの気持ちを踏みにじったという悔悟は、その後の子どもの行動を律する糧となるでしょう。

人間関係の道徳は、こうして相手を思いやることから、はじめて身についてくるものなのです。]]>
      
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   <title>落ちつきのない子供にどう対処しますか？</title>
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   <published>2009-03-03T03:19:39Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>幼い子は落ちつきがあるほうが不思議。 なかにはおっとりした子もいるでしょうが、た...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼い子は落ちつきがあるほうが不思議。

なかにはおっとりした子もいるでしょうが、たいていの子は一瞬たりともじっとしていません。

エネルギッシュな子だと、親が悲鳴をあげたくなるほど動きまわるものです。

それを無理に落ちつかせようとやかましくいえばいうほど、ますます落ちつかなくなるのではないでしょうか。

現に、おとなが多い家庭でかまわれてばかりいる子が、ひじょうに落ちつかないということがままあります。


<h3>やがて落ちつくときがきます</h3>


<span class="b f11em">ですから、なるべくしたいことをさせておくのがいちばん。</span>

少々移り気にすぎるようでも、それはおそらく十分に気にいった遊びがみつかっていないためでしょう。

そのままにしておけば、いつの間にかなにかに熱中して、静かになっているときがあるものです。

もし家にいることが多すぎるようなら、外にだす工夫も必要です。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　とにかく、そうこうしているうちに、相当の暴れん坊でも急にひとがかわったように落ちつくときがやってくるものです。

親としてはそれまでの辛抱です。

たとえ、保育園や幼稚園、保健所や病院などで、おかしいといわれたり、親の目からみてもふつうではないと感じても、<span class="b red f11em">けっしてあせらないように。</span>

それでもやはり、できるだけやりたいことをやらせ、友だちとも遊ばせ、保育園や幼稚園にも通わせるのがいちばんいいのです。

やたらに<span class="b">「多動」</span>とか<span class="b">「自閉」</span>とかの病名をつけて専門家の「治療」を受けさせるのはいいこととは思えません。]]>
      
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   <title>行儀の良い子供に育てるには</title>
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   <published>2009-02-28T05:54:36Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[ぎょうぎというと、世間一般に通じる作法と思いがちですが、時代や文化によってかなり変化するものですし、ＴＰＯ（時・場所・場合）によってもずいぶんとちがうようです。

ですから、あまり型にはまったぎょうぎを教え込むのはどんなものでしょうか。


あいさつひとつをとっても、<span class="b green">「おはようございます」</span>の一点ばりでは、相手によっては滑稽だったり、みずくさかったりするでしょう。

そんな切口上で深々と頭をさげられるより、にっこり<span class="b green">「おはよう」</span>のひとことのほうが気持ちがよいばあいがよくあります。

もしかすると、いきなりいたずらをしかけてきたり、遠くからアカンベエをしてみせたりといった仕草に、ずっと強列なメッセージをおぼえるひともいるかもしれません。


他人の前でのぎょうぎにしても、いいつけられたとおりにこちこちになっているのはなんとも不自然、

きらいなひとやいんちきくさい相手を攻撃したり避けたりの行為も、あながち不作法とはいいきれません。


<span class="b">世にそういう道義はあっていいことです。</span>

そもそも幼い子にじっと静かにしていることを要求するのが無理。

心は好奇心でいっぱい、やがてもぞもぞ、からだをくねらせはじめるのです。

それを叱られるのをみるのは、相手だってけっして愉快には感じないのでは。

<span class="b blue">そんな実りのない、子どもにとって耐えがたいしつけに躍起になるより、

相手が不快にならない程度に自由に行動させたほうが、よほどその場にふさわしいぎょうぎになると思います。</span>

おとなをそっちのけで楽しく遊んでいるのは、叱られながらおとなしくしているよりも、みていて気持ちのよいもの。

親にわがままをいいにきても、親の話がたいせつなら待たせておき、切りのいいところで対応してやれば、相手もさほど不快に思うことはないでしょう。


ただ、自分の勝手ばかりで傍若無人、ひとに失敬な行動にはびしっとしつけなければならないのはもちろんのこと。

気おくれや恥ずかしさから相手を無視するような態度をとる子には、あいさつをする勇気を持たさねばならないでしょう。


<h3>内実こそが大事</h3>


「ぎょうぎ」は表現ではありますが、<span class="b">内実</span>こそが大切です。

形式については、相手との関係、<span class="underline">その時と場所に応じて変わるのが自然。</span>

いつも<span class="b green">「おはようございます」</span>では興ざめしてしまいます。]]>
      
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   <title>子供のこわがりの対処法</title>
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   <published>2009-02-25T07:27:14Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> 親が守ってくれているという信頼を与える お誕生すぎから一歳前後の子はひどくこわ...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>親が守ってくれているという信頼を与える</h3>


お誕生すぎから一歳前後の子は<span class="b red">ひどくこわがりです。</span>

いろいろと周囲のことが見えてきたけれど、それらの正体がよくつかめない、

なにがおきているのか、自分に対してなにをしてくるかがよくわからないという状態でしょうから、やたらこわがるのも無理ありません。

なかでも巨大なエネルギーを感じさせるものは、たまらなくおそろしいようです。

近づくヘリコプターの爆音、吠える犬などは身を震わせてこわがります。

まして以前にひどい目にあった記憶があれば、なんとかそれから逃げようと、あがき泣き叫ぶでしょう。

注射をされた病院などは近くにきただけで大騒ぎ。

おふろで落とされかけた子は、おふろというとしがみついて衣服を脱がさせようとしません。


<h3>子供のこわがりに対しての処方箋</h3>


<span class="b f11em blue">とにかく、こわがりだした子は、しっかり抱いて、気を静めてやることが大事です。</span>

親が守ってくれているという信頼がなにより心強く、恐怖に立ち向かう力をつけてくれるはずですから。


そのサポートのもとに徐々にこわいものの正体をわからせてやったらどうでしょう。

ヘリコプターの爆音には、窓をしめて、やや遠ざかってから抱いて外にでて眺めてみる。

吠える犬には、いったん逃げてから、きつく子どもを抱いて少しずつ近よってみるといった練習をするのです。

でも、極端にこわがることは、しばらく避けておくのもやむをえないかもしれません。

髪を洗うのをいやがる子なら、おふろはからだを洗うだけにし、汚れががまんできる限界まで待ってやったらどうでしょう？

あえて慣らそうと毎日強行するより、そうした配慮をしてくれているという安心が、洗髪への恐怖をいくぶんでもやわらげるのではないでしょうか。


また、親からみても、こわがるのはあたりまえ、

あまりひどすぎる仕打ちをする病院などは、親の責任でつれてゆかない、別のところにかえるといった勇気をもたなければ、子どもにはもうしわけないと思います。]]>
      
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   <title>子供が乱暴な行為をとる場合</title>
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   <published>2009-02-23T15:04:24Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼い子をかんだり、たたいたり、髪をひっぱたり、突き倒したりするのをみていると、まるで強迫観念にかられているかのよう。

相手がそこにいるのが耐えがたい、気になる、それでちょっかいをだしてみるといったふうにみえるのです。


<h3>相手との関係を確かめる行為</h3>


これは、子どもの我がでてくるにしたがい、自分と似たような相手の存在をなんとか自分と関係づけようとする苦心の努力なのだと思います。

だから、そうしながら遊びが成立したり、けんか相手となかよくなったりするのでしょう。

<span class="b f11em">そうであれば、こうした行為はなるべくするままにまかせておいたほうがよいでしょう。</span>

中途半端にとめられると、相手との関係がきまらないかぎり何度でもくり返しそう。

とめられたことに対する意地もでてきそうです。

もちろん、危険だったり、あまりにしつこいときはとめるべきですが、

そのときはさっとわが子を抱き、相手にはちょっと<span class="b green">「ごめんね」</span>というくらいにして、その場を離れるのがよいと思います。

相手の親がいないときは両方を抱いてやるのがいいでしょう。

<span class="b red">いずれにしても、けっしてわが子だけを叱らないことです。</span>

<span class="b green">「あなたの気持ちはよくわかっているわよ」</span>といった感じで受けとめるようにしてやりましょう。


むしろ問題は親どうしの関係です。

それが疎遠だとこうした対応はなかなかできないものだからです。

<span class="b f11em">いちばんいいのは、あらかじめ相談して、危険がないかぎり放っておこうと申し合わせておくこと。</span>

それが無理でも、なんとか気心を通じさせる努力だけはしたいものです。

家族におとなが多く、ちやほやと甘やかされたり、やかましく叱ったりしすぎると、子どもは自分を安定させることができず、よその子がくるとかみついたり、たたいたりすることもあります。

また、おとなからかまわれることが少なく、愛情に飢えていると、よその子に攻撃的になるともいわれます。

もし思い当たるふしがあれば、みんなでなんとかする必要があります。

親に対してかみついたり、たたいたりするのは、多くは愛着のなせるわざ、甘えているか、親をわがものにしたい気持ちの現れでしょう。

でも、あまりしつこいときは、親のかまいかたがわるいのかもしれません。]]>
      
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   <title>子供がかんしゃくを起こした時の対処法</title>
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   <published>2009-02-21T06:05:10Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> あえて放っておきましょう 子どもが急に大声をあげて泣きだし、ひつくりかえって手...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>あえて放っておきましょう</h3>


子どもが急に大声をあげて泣きだし、ひつくりかえって手足をハタハタさせて怒っているときには、ちょっと手のつけようがありません。

いくら親があやまったり、なだめたり、抱いたり、あるいは叱りつけたとしても、かえって火に油を注ぐだけ。

<span class="b f11em">それは、かんしゃくが子どもの内面からきていることを示しています。</span>

表面は、ほしいものがもらえなかったとか、いたずらを禁止されたといった原因があったとしても、実はそれはたんなる引き金で、内心はなにかにつけていらだっていたのです。

自分のしたいことがはっきりせずもやもやしていたり、ものごとがうまくできない自分にあせりを感じていたり、親のいうことをきこうかきくまいか迷っていたり。

それでかんしゃくをおこすと、今度はかんしゃくをおさえられない自分にいらだってしまうのです。


ですから、表面のきっかけになったことだけを解決しようとしても子どもの心の奥にはとどきません。

<span class="b f11em">こうした内面のかっとうは、結局は本人が自分で解決してゆくしかないのです。</span>

親としてかんしゃくは耐えがたいことかもしれませんが、<span class="b blue">あえて放っておくことです。</span>

といっても、泣く子をひとりにしてどこかにいってしまうのは考えもの。

親にできるただひとつのこと、それはそばにいて無言のサポートをしてやることです。

そうしてやれば、たいていの子どもはくたびれて、やがて寝入ってしまうか、いつの間にか遊びに夢中になったりするでしょう。


そんな体験を何度かくり返すうち、子どもの内面は成長し、やがてかんしゃくをおこすことも減ってくるはずです。

かんしゃくをよくおこす子どもを、はれものにさわるように大事にするのはどうかと思います。

必要なしつけや生活の事情は遠慮なく子どもにぶつけたほうがいいでしょう。

そういうことが少ないと、子どもはかっとうに悩み、内面をきたえていくチャンスに恵まれないことになってしまいます。]]>
      
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   <title>子供がだだをこねる意味</title>
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   <published>2009-02-20T02:21:05Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>人間としての共感をもって　子どもがだだをこねるのは、自分の求めるものが、なにかに...</summary>
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      <![CDATA[人間としての共感をもって　子どもがだだをこねるのは、自分の求めるものが、なにかに妨げられて、その鬱屈した気分がうまく収拾できないときです。

ですから、こうした状態になった子は、なによりその気分をわかってやることが大切。

たとえよくわからなくても、親がわかろうとしていることが子どもに感じられればいいのです。


だだをこねるのを、<span class="b green">「やめなさい」</span>と高飛車に押さえつけようとするのは<span class="b red">禁物</span>です。

そうでなくとも鬱屈した気分がよけいに火をつけられて、逆効果になりかねません。

こちらもいらいらしているのなら、むしろ無視しておいたほうがましでしょう。


親としては、子どもが求めて果たされないものがなにかを、どうにかしてわかろうと努力してやりたいものです。

ひじょうにエネルギーはもっているのに気が弱い子のばあい、ちょっとした遠慮でそれを発散できず、ぐずつくということがあります。

そのようであれば、なるべく押さえつけない対応をしたほうが伸びるでしょう。


自分でやりたい遊びが上手にできず、そのためのもどかしさが原因になっていることもあるようです。

そんなときは、すこし手伝ってやるだけで解決することもあります。


もしかすると、いまだだをこねている原因とは別のところに、心底から満たされないものがひそんでいるというばあいもあるかもしれません。

それはもう、人間としての共感で洞察するしかありません。

もし、親にからだで突っかかってくることがあったら、しっかりと抱きしめてやるにかぎります。

それこそ最高のなぐさめになるはずです。]]>
      
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   <title>子供の反抗にどう対処しますか？</title>
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   <published>2009-02-16T17:57:19Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> 子どもの意思にまかせてみる 反抗は、ひととひととの関係に、それをもたらす動機が...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>子どもの意思にまかせてみる</h3>


反抗は、ひととひととの関係に、それをもたらす動機があって起きてくるもの。

子どもだけで「反抗期」などという時期を迎えるわけではないでしょう。

とすれば、それは子どもとおとなのあいだに矛盾が高まってきたときに生じることになります。

ただ、幼い子はまだ判断のしかたが単純で、自己主張もかたくなにすぎるのがふつう。

だから、「反抗」にはそうした事情を配慮して対応してやらなければなりません。


<span class="b blue">まずは、なにをするか、どのようにするか、やめるかやめないか、いつやめるかといった行為の選択をできるだけ自分の意志できめさせるようにしてみたらどうでしょう？</span>

服を着たがらない子に二種類の服を見せて

<span class="b green">「どっちにする？」</span>

とたずねると、

<span class="b green">「こっち」</span>

といってさっさと着ることがあります。

なかなか寝ようとしない子には、

<span class="b green">「ねなさい」</span>

よりも

<span class="b green">「もうねようか」</span>

と誘うほうが抵抗が少なそうです。


<span class="b f11em">こうした問いかけや誘いは、親を権威者にするのでなく対等の関係におくので、子どもは自我を傷つけられない。

それでいて決定した行為には自分で責任をとらなければならないことを悟らされるはずです。</span>


行為を自分で選ばせるからには、まかせると同時に、幼い子なりのタイミングをみはからってやることが大切です。

問いかけや誘いに対してすぐには応じなかったとしても、急がないでまってやる。

そして、こちらの要求でなく、子どもが思うとおりにできたときには、うんとほめてやるのです。

親の要求と子どもの意志が真っ向から対立したときは、親が譲歩できるほどのことなら、子の性格やその場の状況によっては、負けてやったほうがいいと思います。

子どもはがんばれば主張を通せるという自信をつけるし、その結果に自分で責任を負う経験をすることになります。


でも、どうしても譲れないばあいは、親の実力で従わせるのもわるいことではないと思います。

そういう切羽つまったときには、断固とした態度をとりつづけるにかぎります。

子どもはたいてい激しく抵抗して親の反応をうかがおうとしますが、少しでも動揺の色を見せてはなりません。

一度従わせようとしたら妥協せずにとおしたほうが、子どもは親を理解してくれるのではないでしょうか。]]>
      
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   <title>子供のいたずらも成長の為に必要なこと</title>
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   <published>2009-02-14T03:06:46Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>幼い子のいたずらは最初から悪意をいだいてやるわけではありません。 おとなと同じこ...</summary>
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         <category term="赤ちゃんや子供のしつけ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[幼い子のいたずらは最初から悪意をいだいてやるわけではありません。

おとなと同じことをしたいという欲求がいたずらといわれる行動にかりたてるのです。

父親のメガネを頭に乗せたり、母親のマニキュアをこぼしたりするのは、自分たちを好いてくれている証拠。

なによりほほえましいこととして受けとめてやりたいものです。


子どもはどうも入れ物にこだわることが多いみたい。

引き出しを開けたがるし、箱があればじっとのぞきこみます。

そして、中のものを次から次へと取り出しにかかります。

バッグなど逆さにしてばらまいてしまうでしょう。

コップや皿のようなものだと、それに入っている水やスープなどを別のコップや皿に移しかえ、またもとにもどすという仕草をくり返すことがよくあるのではないでしょうか。

こうした行為は「もの」に内部と外部があることが不思議で、

しかも、ひとつの「もの」の内部にある別の「もの」が外部にも出せるし、またその道もできるということがおもしろくてたまらないのでしょう。

この感覚がすすめば、任意に空想で、大きなものを小さなものの中に入れたり、小さなものでも外にだして大きなものにするといった遊びを展開することが可能になるはずです。

たとえば、お話で象さんを自動車の運転手にしたてたり、遊んでいる途中でポケットから小さな怪獣をとりだして大暴れさせることもできるのです。

<span class="b blue">これはすごく楽しいことで、おとなも子どもをまねて、いま一度こういったイマジネーションをとりもどすチャンスにしたらどうでしょう？</span>

そもそも、いたずらはおとなにとっては困るものですが、子どもにとっては楽しくて面白いこと。

<span class="b f11em">価値観からしてちがうのです。

おとなの価値観だけで禁止したり叱ったりしても、通じにくいと思わなければなりません。</span>]]>
      
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   <title>何故指しゃぶりをするのか？</title>
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   <published>2009-02-12T08:53:16Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> 指しゃぶりをする意味 三ヶ月ごろから始まる「指しゃぶり」は、十分に親をおびやか...</summary>
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         <category term="赤ちゃんや子供のしつけ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>指しゃぶりをする意味</h3>


三ヶ月ごろから始まる「指しゃぶり」は、十分に親をおびやかす<span class="b red">魔性</span>を持っています。

指を吸う赤ちゃんは、親を拒絶するだけでなく、なにかの不満を屈折させている感じすら与えるかもしれません。

だからこそ、あのかわいげな仕草にかかわらず、たいていの親があわてて指を払いのけ、抱きあげたり、乳をふくませようとかかるのでしょう。


でも、赤ちゃんだって、いつものんきに過ごしているわけではありません。

いろいろな緊張や不安があるにちがいないのです。

おなかがすいたけれど乳を恵まれるかどうか、眠いのに寝つかれないといったいらだちや、さびしかったりやるせない気分にとらわれることもあるでしょう。

こんなときは、なんとかして心を静めたい。

<span class="b f11em">それを、赤ちゃんは自分なりのやりかたで試みているのです。</span>


もともと赤ちゃんは口で吸う欲求が強いため、乳を飲むだけでは足りないのかもしれません。

そのうえ、指をしゃぶることは、自身を確かめることになりますし、色情の満足に似た遊びにもなっているのではないでしょうか。

このようなことを考えると、「指しゃぶり」は、単なる「しつけ」の問題として片づけるわけにはゆかなくなります。

それは、人間の根源に触れるなにものかをはらんでいるのですから。


まして指しゃぶりを異常とか、わるいこととして排斥したら、人間はとてもやってゆけないのでは。

指しゃぶりを必死になってやめさせる必要がどこにあるのでしょうか。

せめて、赤ちゃんなら、この世への好意を抱けるよう親密に接し、珍しく楽しい体験を少しずつ広げてやりたいもの。

また、幼い子で日がな一日指をしゃぶってしょんぼりしているようなら、心を躍らせるような遊びに誘い、しりごみしたりこわがっているときには温かい支えを与えてやるくらいの心づかいをしてやればいいでしょう。


歯並びがわるくなるというのにしても、四、五歳までにやめればなくなるといわれています。

寝てからも指をくわえているときは、深く眠ってからそっと離してやったらどうでしょう。]]>
      
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   <title>おむつをとる時、トイレトレーニングの進め方</title>
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   <published>2009-02-09T23:34:57Z</published>
   <updated>2009-07-20T10:46:40Z</updated>
   
   <summary>余裕とユーモアをもって　おむつがとれるのはほかならぬわが子の成長のあかしみたいな...</summary>
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         <category term="赤ちゃんや子供のしつけ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[余裕とユーモアをもって　おむつがとれるのはほかならぬわが子の成長のあかしみたいなものですから、親ならだれだってできるだけ早くとりたいと思うのが人情です。

時期としては一歳半から二歳半のころがいちばんいいチャンスではないでしょうか。

このころには、排泄をコントロールする神経や筋肉が成熟するし、トイレを理解し親に便意を告げる知的能力も発達してくるからです。


ところが問題は、赤ちゃんにしてみれば<span class="b green">「しつけられる」</span>ということに対して、それに応えたいという気持ちと、

なんとなくしゃくで反発したい感情が複雑に交錯しているらしいのです。


だから、どのようにおむつがとれるかというのは、しつけようとする親の意志と、しつけられる子どもの意志の相互の関係でかなりちがってくるのではないでしょうか。


<span class="b f11em">とすれば、「トレーニング」などといったドライで一方的な調教みたいにしないで、親と子の心がふれあうようなやりかたでするようにしたい。</span>

少々でたらめがあっても、便意を告げることへの抵抗とトイレへの嫌悪感を固定しさえしなければ大丈夫。

そのためにはいやがるとき、しくじったときに、しつこくこだわらないようにするのが大切です。

だれでもおむつは早くとりたいですから、大いに奮闘したってかまいませんが、そこになにがしかの<span class="b blue">余裕</span>と<span class="b blue">ユーモア</span>がほしいのです。


排泄のしかたは文化の様式ですから、それになじむよう、親やきょうだいのトイレを見せたり、食事の前後や昼寝からさめたときなど生活の区切りにトイレに連れていったり、

便器にかけたら<span class="b green">「シーシー」</span>とか<span class="b green">「ウン、ウン」</span>とか声をかけるのはいいことでしょう。


ともあれ、おむつをとるのは悲喜こもごも。

はじめからかんたんにとれてしまう子もいますが、なかなかという子のほうが多いようです。

懸命にやってもだめで、あきらめたとたんにできたというひともいれば、

成功して大喜びしていたら思いがけず部屋でジャーとやられたひとも（笑）

それをまた夫婦して、たがいの育てかたや遺伝のせいにしたり、たいがいは、まあそんな他愛のない騒々しさの中で、どうにかなってしまうものなのですが。


<h3>おねしょ（夜尿）</h3>


三歳までは、ほとんどの子が夜中におしっこをもらします。

だから、夜だけはおむつをあてているのが普通です。

また、四、五歳でも、五人にひとりくらいは夜中にもらす子がいます。

毎日という子もいますし、ときどきという子もいます。

どっちにしても、そういう子がどこか病気だというわけではありませんし、知能に問題があるわけでもありません。

ちょうど歩きだすのに早いおそいがあるのと同じだと考えておけばいいのです。

親としては、内心のいらだちもあるでしょうが、それは心の中におさめるか、ちょっぴり小言にもらすくらいにして、ふとんの始末だけをさっさとしてやったらどうでしょう。


<span class="b green">「おちんちんがくさる」</span>とか<span class="b green">「学校に行けない」</span>と脅したり、

ほかの子とくらべて<span class="b green">「バカだ」「ダメね」</span>などと子どもをおとしめるのは、もしかして一生にわたる劣等感を残しそうです。

早く<span class="b green">「なおそう」</span>と医者通いをしたり、叱ったりすると、緊張して、よけいにもらすようになりかねません。

夕食後にいっさい飲みものを与えないのも心ないことだし、水分の需要の多い子どものからだにとってよいことではありません。

せめて、夕食後は大量に飲むのだけ制限して、寝る前にトイレに行く習慣だけはつけたらどうでしょう。


<span class="b red">夜中に起こすのは、かえっておねしょをつくるようなもの。</span>

眠りが妨げられて、神経やホルモンなど排尿をコントロールする仕組みが乱れるうえ、その時間になると無意識的にでもおしっこをするくせがついてしまうといわれています。


夜中にもらしても目覚めないのなら、そのまま朝まで眠らせておくのがいいでしょう。

しかし、おしりがかぶれてきたら、もらしたころにそっと寝巻とシーツをとりかえてやってください。

ふとんが維持できなければ、<span class="b">「おねしょパッド」</span>を買ってきて敷くか、本人がいやがらないかぎりおむつをあてておいてもかまいません。


ただ、いままでもらさなかった子が急におねしょをするようになったときは、なにか精神的な原因があるかもしれません。

思いあたるふしがあれば、それらの手当をしてやることが先決です。
]]>
      
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   <title>子供がしゃべり始める時期</title>
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   <published>2009-02-07T20:22:14Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary>十ヶ月もすぎるころから、たいていの子が自分の名前を呼ばれると振り向くようになりま...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[十ヶ月もすぎるころから、たいていの子が自分の名前を呼ばれると振り向くようになります。

<span class="b green">「いけません」</span>といわれれば、一瞬でもやめようとするでしょう。

<span class="b green">「ちょうだい」</span>といわれれば手にもっているものを渡そうとするかもしれません。

また、自分のほうから<span class="b green">「マンマ」</span>といって食事の催促をしたり、<span class="b green">「イヤイヤ」</span>といって逃げ出したりする子もでてきます。


こうして赤ちゃんはことばをマスターしていくわけですが、赤ちゃんがことばを理解するようすをみていると、意味を知ってというより、<span class="b blue">経験上感じを覚える</span>といったふうなのです。


赤ちゃんの了解することばも、おとなと同じというわけではなさそう。

<span class="b">「ワンワン」</span>ということばでも、ネコやトリまで意味していることはめずらしくありません。

こうしたずれは、なにも性急に改めさせようとする必要はありません。

別にあせらなくても、いっしょに暮らしている以上、いつの間にかちぢまってゆくはず。

赤ちゃんがネコを見て<span class="b green">「ワンワン」</span>といえば、たいていのおとなは<span class="b green">「ニャンニャンね」</span>とさりげなく訂正のことばを発するでしょう。

それを赤ちゃんはまねして<span class="b green">「ニャンニャン」</span>といってみる。

このときは、おとなだって赤ちゃんことばを使っていて、双方から歩み寄っているわけです。

このような歩み寄りが成立する背景には、赤ちゃんとおとなとのあいだに心情面での結びつきがしっかりあるにちがいありません。


<span class="b blue f12em">ようするに、ことばが通じ合い、さらにお話しに発展するのには、生活をともにし、心が結び合っていることが大切なのです。</span>


このようにみてくると、しゃべりはじめるのが早いかおそいかはひとつも問題になりません。

しゃべりはじめは子どもによって大きな開きがあって、ふつうはお誕生でひとつかふたつのことば、

早い子だと十ヶ月で、おそい子は二歳近くになっても<span class="b green">「ア、ア」</span>くらいしかしゃべらない子もいます。


でも、こちらのいうことがわかっていれば、心は通いあっているし、言語の概念も頭の中でできているのです。

そういう子はきっと、たくさんのことばを、それも豊かな文章として頭の中に蓄えつづけているのです。

だから、やっとしゃべりはじめたと思ったら、せきを切ったように話し出すことがあるのでしょう。]]>
      
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   <title>赤ちゃんのひとり立ち</title>
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   <published>2009-02-06T01:54:48Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:57Z</updated>
   
   <summary> 早い子とおそい子では半年の差 お誕生前後になると、ちょっとした拍子に、一瞬では...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>早い子とおそい子では半年の差</h3>


お誕生前後になると、ちょっとした拍子に、一瞬ではあるけれど、ひとり立ちすることがあります。

それを発見したときの感慨はいかばかりのものでしょうか。

思わず拍手かっさいをしてしまうかもしれません。


でも、あまり大声ではやしたてると、赤ちゃんが泣いてしまうかも。

まあそれはご愛敬ですが、二度目からは感激をなるべくひかえめにして、静かに励ましてやりたいもの。

ばあいによっては手を貸すなり、支えをそっとはずしてやるなりしてもいいかもしれません。

ひとり立ちは、最初のころは一〜二秒、どすんとしりもちをついては、また立ち上がろうとする動作を楽しんでいるようです。

やがてふらついていた腰がかたまって長く立てるようになると、今度はやたらと立ちたがりだすのではないでしょうか。

そしてひとり立ちがしっかりした赤ちゃんは、片手さえもってやれば、ひょこひょこと歩けるようになっていることでしょう。


<span class="b">ひとり立ちをするようになる時期は赤ちゃんによってずいぶんちがいます。</span>

早い子とおそい子ではゆうに<span class="b blue f11em">半年近くの開き</span>があります。

ですから、そのくらいのおくれは気にすることはありません。

せめて、つたい歩きがお誕生ちょっとすぎ、ひとり立ちが一歳二ヶ月くらいまでにできれば、どうということはありません。


それにともなって、ひとり歩きができるようになる時期も、赤ちゃんによって開きがでてきます。

たいていの子は一歳二〜三ヶ月ごろに歩きだしますが、早い子だと十〜十二ヶ月、うんと早いと七〜八ヶ月でひとり歩きする子もいないではありません。

逆におそい子だと一歳半近く、一歳七、八ヶ月になってやっとという子もいます。


ひとり歩きの早いおそいには、どうやらその子の性格も大きく働いているように思えます。

大胆な、わるくいえば向こう見ずの子は早く歩いてしまうし、憤重な、わるくいえば憶病な子は歩くのがおくれるふしがあるみたい。

どちらがいいかはいちがいにはいえないし、親としては、わが子の性格を理解してやることが務めでしょう。]]>
      
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   <title>医者にかかるタイミング</title>
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   <published>2009-02-02T16:29:46Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>ほんとうに医者にかかる必要があるほどの病状なら、赤ちゃんはそのことを全身で訴える...</summary>
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         <category term="子供の健康と病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[ほんとうに医者にかかる必要があるほどの病状なら、赤ちゃんはそのことを<span class="b red">全身で訴えるでしょう。</span>

眠れぬくらいぐずるとか、生気がなくなるとか、顔つきや仕草も苦しそうな、どこかふつうでないようすをみせるはず。

<span class="b red">そんなときに高をくくったり、親の都合で医者にみせるのを延ばしたりするのはひじょうに危険です。</span>


医者にかかるとき、つい忘れてしまうのが赤ちゃんの<span class="b">意向。</span>

どうせなにもわからないからと思うのでしょうが、赤ちゃんはさほどつらくなく、いつもに近い調子なのに、親のほうが心配で放っておけず、医者にかけてしまうということがよくあります。

熱が出たとか、せきをするといったときに、そのことだけで病状を判断し、熱が「高い」とか、せきが「ひどい」とでも感じられれば、矢も楯もたまらなくなるわけ。

まして、知り合いの子が「肺炎」になったなどという話を聞いていればなおさらのこと。

こうして医者のところに連れて行かれる赤ちゃんは、自分の必要からではなく、

実は、親の心配を担い、それを解消するために身をつくすことになりかねないのです。


それでも、医者が赤ちゃんの気分と病気の性質をよく考えて、そうした配慮をしてくれればよいのですが、親の心配のほうに加担して、念のためといって、不要な薬までくれることがあります。

もし、そのときの熱やせきが、突発性発疹とか普通のかぜであったら、抗生物質は効きません。

効かない薬を与えるのは、からだに害を加えるだけです。


どんな場合でも、医者にかかったら、不審なことは遠慮なくたずねるべきです。

このごろは検査のしすぎと、そこからくる病名のつけすぎ、生活規制のゆきすぎが問題になっているので、わが子の身になって生活者の実感はどしどし出して、たがいに修正すべきはするようにしてください。

とにかく、<span class="b f11em">病気を見立て治療するのは医者だけでなく、親にも責任が大きいことを肝に銘じてほしいのです。</span>

医者にかかったとしても、予想に反しどんどん悪化するときには、時機を失わぬよう、他の医者に変わる決断までしてかまわないと思います。]]>
      
   </content>
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   <title>赤ちゃんづれの旅行</title>
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   <published>2009-02-02T01:56:42Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary> 目的によって臨機応変に 旅行のときに赤ちゃんをどうするかは、まず、その旅の目的...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>目的によって臨機応変に</h3>


旅行のときに赤ちゃんをどうするかは、まず、その旅の目的やら性格によって違ってきます。

赤ちゃんだってひとりの人格と社会的な関係をもっていますから、それとのかかわりで旅行の是非はきめられなければなりません。

実家の祖父母が孫の顔をみたいと望んでいて、こちらもそれに応じる気持ちが強いときには、赤ちゃんはその旅行にしっとりと溶け込めるし、主役として当然欠かすわけにもいきません。

しかし、気がすすまないのに義理で連れていくとすれば、赤ちゃんを両親と祖父母のあいだで不安定にしてしまう恐れがあります。

そのようなときは、できるだけ双方で意向を交わし合って、いくにしろやめるにしろ、心を整えてからにしたほうがよさそうです。


出産につづく育児疲れで、実家に帰って休養したくなったら、赤ちゃんも連れていくことになるでしょう。

勤めのある夫にはまかせられないし、赤ちゃんがそばにいなければ寂しいにちがいないからです。

幸いに父親もまとまった休暇がとれるようなら、一家ででかけると、みんなが寂しくありません。


レジャーで、海や山、スポーツや観光に出かけたくなったときには、赤ちゃんのことをよく考えて、夫婦でじゅうぶん検討してください。

このばあいはまったくの親本位で、赤ちゃんはつき合わされるだけですから、赤ちゃんの体調を考えてがまんするか、無理のない程度にとどめるかしなければなりません。


<span class="b f11em">どんなばあいでも、赤ちゃん連れの旅行では、夫婦の協力が不可欠です。</span>

母親だけが抱きづめ、世話のしづめでは、母子ともにくたびれてしまいます。

運転、荷物運びなど、それぞれの力と体調に応じて、適当な<span class="b">「分業」</span>も必要です。

旅先での環境や交際が赤ちゃんに煩わしいようなら、夫婦して守ってやる勇気を持たなければなりません。


ペースは、赤ちゃんに合わせてゆっくりと。

授乳やおむつの交換、睡眠など、いつもの習慣はくずさないのが、旅行を楽にするコツです。

もし赤ちゃんがぐずりだしたり、病気にでもなったら、予定を変更する度量ももっていなければなりません。

乗り物は、目的地までの所要時間、速度の加わり方、揺れ、混雑など、いずれも少ないほど楽です。

親子とも、生理的にも心理的にも、二、三時間以上の拘束は苦しいのではないでしょうか。

それをこえるときには、途中での休息を考えてください。


<h3>乗り物で注意すること</h3>


<span class="b f12em">電車</span>


うんとすいている電車を選べば、となりの空いている席に赤ちゃんを寝かせられて、親子とも楽です。

ただし、急停車にそなえて転げ落ちないようにしておくように。

込むおそれのあるときは、指定席をかならずとっておくこと。

禁煙車、禁煙席があればそこに乗るのはもちろんです。


冷暖房がききすぎているときは車掌に申し出てもいいし、込んでいて授乳やおむつの交換がしにくいときには、車掌室を使わせてもらってもいいと思います。

ミルクをつくるお湯は、ビュッフェか食堂車がついた電車ならそこでもらえるはず。

つくったミルクをさますのは洗面所でできるでしょう。


泣きだして座席でどうやっても泣きやまないときは、立ってゆするか、通路を歩くか、デッキにでてみるはかないでしょう。

他人の手前せつないですが、早く泣きやませようとあせるのは禁物です。


<span class="b f12em">自動車</span>


いちばんこわいのは事故ですから、細心の注意が必要です。次に心配なのが疲れ。

授乳とおむつの交換を目安に車をとめ、一日の行程は六〜八時間までに。

冷暖房をかけるときはおとなだけのときよりもゆるめにしてください。


車内の空気がわるくなりやすいので、パーキングのたびにしばらくドアを開けるなど、換気には気をつかってください。

車はとてもくたびれるので、目的地についたらゆっくり寝かすように。


<span class="b f12em">飛行機</span>


生後二週間をすぎれば乗せられますし、三歳までは無料です。

座席は禁煙席でスチュワーデスが近くにいるところを選ぶこと。

赤ちゃん用ベッドや授乳室がある便なら申し分ありません。

不自由を感じたらスチュワーデスにたのめば便宜をはかってくれるでしょう。


離陸のときは、縦に抱いて乳をふくませておくと耳が痛いのを防げるといわれます。

飛行中はつねにしっかり抱いて、ベルトを締めておくこと。

親だけトイレにいくときは隣のひとかスチュワーデスに預け、絶対にひとりで寝かせておかないこと。]]>
      
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   <title>赤ちゃん連れの外出</title>
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   <published>2009-01-30T10:18:24Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary> ひとにふれ、自然になじませる 天気がよい日には、だれだって家にはいたくないもの...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>ひとにふれ、自然になじませる</h3>


天気がよい日には、だれだって家にはいたくないもの。

ひとりでは動くことのできない赤ちゃんだってその気持ちは同じです。


赤ちゃんも一ヶ月をすぎれば、外にだすことができるようになります。

ぽかぽか陽気に誘い出されるように外にでて、明るい光や花のにおい、木々の緑のなかに身をおけば、わざわざ「外気浴」だの「日光浴」だのと、自然を物理的な要素に分けて赤ちゃんの体への刺激にするといった意識は、どこかにとんでいってしまうでしょう。

「外気」は空であり、風であり、香りであり、「日光」は輝きであり、ぬくもりであり、色彩。

これらは、ただの皮膚や内臓への生理的な効果をはるかにしのいでいます。

赤ちゃんとの外出はこのような自然とのなじみをつくってくれるだけでなく、ひとびとにふれ、世のありさまを見聞きする機会ともなるでしょう。

見ず知らずのひとが不意にのぞきこんだり、あやしてくれたりします。

ときには抱っこしてくれるかもしれません。

その感じは、親とはずいぶんちがうのではないでしょうか。

<span class="b">赤ちゃんは、そうした喧騒のなかで、しだいにこの世となじんでいくのです。</span>

外に出たときは、移動ばかりでなく、できるだけのんびりと座っているひとときをもちたいもの。

寒い季節でも風の強くない日だまりを、暑い季節でも木陰のすずしい風の通る場所を選べば、親子ともゆっくりできるのではないでしょうか。

外にいる時間は、のんびりと<span class="b green">「そろそろ帰ろうか」</span>といった気分できめてよいのでは。


<h3>用事での外出</h3>


用事で出かけなければならないときに、家にもう一人以上のおとながいなければ、赤ちゃんをどうするかが問題になります。


ごく短い時間、ゴミを捨てにいくとか、近くの店で小物を買ってくるといったことなら、赤ちゃんをひとりでおいていっても大丈夫でしょう。

眠っていたり、おとなしく遊んでいたりするのを兄はからい、ベッドの柵やふとんの具合などの安全を確かめて、急いで用をすませてください。

ただ、生まれて間もない子をうつぶせのままにしておくのは危険です。

ちょっとのあいだでも、鼻と口がふさがれば、窒息してしまう危険性があるからです。

乳をのませたあとすぐ寝かせて出かけるのも、吐いたときに気管をつまらせる恐れがあります。


三十分以上のまとまった時間がかかる用事のばあいは、赤ちゃんだけおいていくわけにはいきません。

だれかに預けるか、自分が連れていくか、用事の性質と、親子の体調と気分、天候などによって判断してください。


<span class="b f12em">だれかに預けるばあい</span>


預ける必要を感じたときは、遠慮せずに思い切って先方に頼むこと。

このばあいは、相手に対して平素から礼をつくしていることが条件になるでしょう。

頼む相手としては、近いことと、赤ちゃんを知っていて、親ともなじんでいてくれる人が最高でしょう。

そうした人とは、預けたことがきっかけになって、たがいに助け合える間柄になれそうです。


預けて出かける場合には、ついでに何件かの用事をまとめてすませてしまうようにしたらよいと思います。

郵便局、銀行、買い物など、要領よくすれば、けっこう回れるもの。

ただ半日以上かかる用事、冠婚葬祭とか、自分の病院行き、同窓会などのときには、すこしぐらい遠くても、親戚か、懇意な友人に預けたほうが気が楽かもしれません。


<span class="b f12em">いっしょに連れて出るばあい</span>


気楽な用事で、道中は安全、天気も上々といった日には、のんびりと親子で出かけるのもわるくないでしょう。

少々気の張る用事でも、赤ちゃんに無理をかけないですむのなら、いっしょにつれていったほうがいいかもしれません。

ただし、赤ちゃんを連れていく場合には、とにかく早く用を切りあげて帰ること。

せいぜい二時間以内でしょうか。

病院とか人ごみなど、病気をうつされやすいところは避けてください。]]>
      
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   <title>親に甘える</title>
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   <published>2009-01-29T04:24:29Z</published>
   <updated>2009-08-13T04:26:30Z</updated>
   
   <summary>甘えは不安の裏返し 幼い子は、親に対して、大なり小なり甘えん坊です。 親は、幼い...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[<h3>甘えは不安の裏返し</h3>


幼い子は、親に対して、大なり小なり甘えん坊です。

親は、幼い子から見れば、大きくて力があって、頼りがいのある存在、自分の生きることのほとんどすべてを世話にならなければならないひとです。

やさしく抱かれ、愛撫されれば安心できるし、困難に陥ったとき、ちょっと助けてくれるだけでどれだけ救われることか。

だから親としては、これには相当に応じてやるべきでしょう。


ただ甘えたいだけでべたべたするときでも、こちらに受け入れる余裕のあるかぎり、甘えさせるのもわるくありません。

<span class="b">親に十分甘えられた経験は、子ども時代を安定させるだけでなく、おとなになってからの心のおおらかさのもとになるような気がします。</span>

もし、冷たく突き放されたら、孤独で、満たされぬ甘えを一生にわたって持ちつづけることになるかもしれません。


子どもには、つねに<span class="b red">親がいなくなる不安</span>がつきまとっているのではないでしょうか。

しらぬ間にどこかへ行ってしまったとか、自分のことを忘れたかのようにぼうぜんとしているとか、何かに夢中になっているのを見ると、子どもはいてもたってもいられなくなるようです。


<span class="b f11em">これも、やはり、保障してやらなければ。

いつでもそばにいてくれる。

いなくなってもすぐもどってくる。

それがかなわぬときでも代わりのひとがいるという信頼がないと、身がもちそうにありません。</span>


甘えには、身をゆだねることによって、相手から自分の求める行為を引き出すという意図が働いているばあいもあります。

それが察知されたときには、要求そのものに正面から立ち向かってやりたい。

そして、きける要求はきく、のめない要求はきっぱりと断るのがよいでしょう。

そうすれば、結果としてどうなっても、卑屈な態度は取らなくてすむようになるでしょう。

態度だけ責めて要求ははぐらかしたり、逆にかわいさから無条件に受けいれてしまっては、この種の甘えをなくすことはできそうにありません。


しかし、あまり度をすぎて甘えさせるのは考えもの。

いくらかわいいからといって、いつまでもべたべたさせておくのは、子どもからもっと充実した行動をする意欲を奪ってしまいそうです。

いっしょになにかを始めるとか、親から離れたくなるほど魅力的な遊びに気づかせてやる工夫が必要です。]]>
      
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   <title>子供とお風呂に入る</title>
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   <published>2009-01-26T23:43:07Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>赤ちゃんをおふろに入れるのはとてもたいへん。 でも、裸のわが子を抱いてお湯につけ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[赤ちゃんをおふろに入れるのはとてもたいへん。

でも、裸のわが子を抱いてお湯につけ、心をこめて洗ってやるのは、なんともいえない気分にちがいありません。

赤ちゃんの小さいうちは、ベビーバスがよく用いられますが、

あれはどうも<span class="b">「洗う」</span>という感じのほうが勝っているのではないでしょうか。

もちろん、それでも十分に「おふろに入れた」という満足感があり、そのやりかたが楽ならば、べつに悪くはないのですが。

でも、どちらかといえば、生まれて間もない子でも、普通のおふろに親が抱いていっしょに入るほうが楽だし安全、

なによりも親子が肉体を密着させることができるので、これほど情のこもる入れかたはないのではないかと思うのです。

ただ、いっしょに入ったとき、自分も同時に洗ってしまおうとすると、ひどくあわただしいし、のぼせがち、とてもゆったりはできそうもありません。

とくにひとりだけのときは、脱衣場に置いた赤ちゃんのことが気がかりでならないでしょう。

これはベビーバスにしても同じで、ひとりだと不自由。

とにかく赤ちゃんのおふろはふたりがかりで入れるにこしたことはなさそうです。

とすると、いちばんは夫婦が揃うときに入れるのがよい。

そのために少々おそい時間になってもかまいません。


赤ちゃんのからだにとっても、入浴は清潔のためだけではない<span class="b blue f11em">大きな意味</span>があります。

血液循環がよくなる、身体機能をよくするといった効能は、まだ自分ではほとんど動けない赤ちゃんには、かっこうのエネルギーの発散になります。

ただ、<span class="b red">おふろの温度</span>には注意を払ってやりたいものです。


いちばんいいのは、まずおとなが入ってすこしぬるく感ずる湯加減にそうっとつけて、しばらく赤ちゃんのようすをみることです。

気持ちよさそうな顔で、息も落ちつき、手足は動かしても全体に不安がなくほぐれた感じがあれば、その温度が最適なのでしょう。

もし安定よく抱いていても落ちつかないようなら、静かにかきまぜながら、温度を上げてみてください。

そのときには温度計は必要ありません。

やむをえない事情でひとりのときはもちろん、ふたりのときでも落ち着いて、とくにころんだり、やけどさせないように。

湯上がりはゆっくりと、すこしさめてから衣類を着せること、このくらいで「湯ざめ」はしません。


<h3>銭湯</h3>


内ぶろがなければ、生後一カ月をすぎたら銭湯につれていってかまいません。

ただし、あまり込まない時間で、手伝ってくれるひとがいるときを選ぶのがよいでしょう。

赤ちゃんをだれかに預けるか、落ちる心配のない安全な場所に寝かせて、

自分だけ先に入浴をすませ、それから赤ちゃんを裸にしてしっかり抱き、すべらないように気をつけてお湯をつからせてやるのです。

それでも熱そうなら水を入れている蛇口のあたりにしたらどうでしょう。

洗うときはどっかりと座って、腕から落とさないように。


<h3>お風呂を嫌う子</h3>


裸にするだけで泣きだす子は、お湯につけようものなら震えて激しい泣き声をたてるでしょう。

そんな子は、うんときつめに抱いて、要所（頭、顔、耳の後ろ、首、わきの下、おへそ、陰部、肛門などくびれたところ）だけでも洗い、お湯につけるのもさっとすませたらどうでしょう。

あまりたいへんなら、毎日きちんと入浴させることもありません。

夏は洗うだけにして、お湯につけるのはやめてもよいし、冬なら二、三日に一度で間に合うと思います。


<h3>内風呂にひとりで入れる</h3>


次のような手順でやれば楽でしょう。


（１）冬には、脱衣場と浴室を寒くない程度に暖めておく（感じでよい）。


（２）赤ちゃんを、衣類を着せたまま、危なくないように脱衣場に寝かせて、おとなが先に入浴をすませてしまい（揚ぶねにつかってよい）、その後、湯かげんを少しぬるめにしておく（温度計は不要）。


（３）おとなが軽くからだをぬぐってから、赤ちゃんを裸にしてしっかり抱き、浴室の床にどっしり座って、ひざの上で「かけ湯」をしながら、石けんで全身を洗う。


（４）洗い終わったら、お湯に手を入れて赤ちゃんの好みの温度に調整し、赤ちゃんを抱きしめなおして湯ぶねに入り、ゆっくりとつかっていく。


（５）お湯につけたとき、赤ちゃんが気持ちよさそうにしていれば、のんびりあやしながら楽しむ。

お湯が熟そうなら少しずつ水をさし、ぬるそうなら温度をあげるセットをして静かにかきまぜる。

ノブから熱い湯を入れるのは<span class="b red">危険。</span>

「さし湯」は、面倒でも赤ちゃんを引き上げてからにする。


（６）お湯から上がったら、赤ちゃんを脱衣場に敷いたバスタオルに寝かせ、もう一枚のバスタオルをかけておいて、おとなが先に着てから（そのくらいのあいだは「湯ざめ」しないのでゆっくりでよい）、赤ちゃんに着させる（脱衣場でなく部屋につれていってからでもよい）。]]>
      
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   <title>子供の離乳時期について</title>
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   <published>2009-01-24T08:27:01Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>赤ちゃんが三、四ヶ月になると、そろそろ「離乳」のことが気になってくるでしょう。 ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[赤ちゃんが三、四ヶ月になると、そろそろ<span class="b">「離乳」</span>のことが気になってくるでしょう。

この時期には離乳の準備をはじめ、五ヶ月ごろには本格的な離乳に入らなければならないと、たいていのひとが本を読んだり、医者や保健婦に聞いたりして、にわか勉強を始めるようです。

なんだかたいへんなことのようですが、離乳というのは、つまり、おっぱい以外のものを食べさせること。

赤ちゃんは自然に人間の食べるものを食べだすようになっていますから、そんなにむつかしく考える必要はありません。

自然体、あくまで気楽に、暮らし向きにあった方法でやるにかぎります。

<span class="b f11em">そためには、まず「離乳」ということばにとらわれないのがいい。</span>

赤ちゃんにただおっぱい以外の食べ物を与え始めるのを、そんな固いことばで考えるから、必要以上にむつかしくなってしまうのです。


栄養とか、「そしゃく」や「えんげ」の機能といった生理上の問題はありますが、それらにしたところで、常識で十分判断できること。

かえってむつかしく考えるとうまくゆかないくらい。

だから、「離乳」をほとんど意識しない二番目から後の子のほうが、なんとなくスムーズに進んでしまうのでしょう。

<span class="b f11em">とすると、とにかく赤ちゃんのようすによるのがいちばん。</span>

赤ちゃんがおとなの食べるのをじっと見つめ、口をもぐもぐさせたり、身を乗り出して手をばたばたさせでもすれば、それをきっかけにして与え始めてみるのです。

<span class="b blue">このような親と赤ちゃんの気持ちが触れあった瞬間がまさに食べさせ始めるときなのだと思います。</span>

そして、食べるようなら大胆に進め、嫌うようならゆっくりするというふうにしたらどうでしょう。

赤ちゃんによって食べかたはちがうのだし、少々の失敗やつまずきはだれでもあるもの。
それを反省し修正しながらやってゆくのが本当のところなのです。

親の気持ちだって、もっと素直に出させてもらってもいいのかも。

「標準」とちがうからといって食べさせたいものをすべて我慢するのは、いかにもつらい。

口移しに食べさせるのだって、衛生面からだけで遠慮するのは水くさい感じがします。

食品にしても、あまりに計算ずくなのはどんなものか。

工業的大量生産のベビーフードなんかよりも、食卓にある料理で赤ちゃんが欲しがるものを適当にアレンジして与えるほうが、ずっと心が通うし、

よく食べてもくれると思うのですがどうでしょう。


<h3>離乳食で注意すること</h3>


離乳は気楽にやるとしても、赤ちゃんに食べさせるものは安全でなければなりません。

いまいちばん気をつけなければならないのは、材料そのものと添加物に含まれるかもしれない有害な人工物質です。

したがって、離乳を親といっしょに進めるばあいは、この点から家族の食生活を注意しなければなりません。

「材料」は少々手間がかかって高くついても、ほんものの自然食品を手に入れたい。

それができないばあいは、もったいないけれど、


<span class="b">果物なら皮をむき軸に近い部分は捨てる、

野菜は念入りに洗って皮のむけるものはむき、葉の付け根に近い部分は用いない、

魚介類は内臓を捨てる、</span>


といった手の入れかたをしたほうがよいでしょう。


「添加物」については、まず表示をよく読むこと。

一般に、使用材料が多種で加工度が高い製品は避けたほうが安全。

中でも<span class="b red">インスタント食品</span>はもっとも危険が大きそう。

計り売りのおそうざいなど添加物の表示がないものは、色や光沢、食べてみての感じで選ぶか、信用できる店で買うほかありません。


<h3>離乳食の調理法</h3>


<span class="b f11em">まずは形式にとらわれないこと。</span>


離乳の初期（五〜六カ月）にはどろどろ、べたべたしたもの、

中期（七〜八カ月）には舌でつぶせるもの、

後期（九〜十一カ月）には歯ぐきでくだけるもの、


といった指導を受けることが多いでしょうが、これを守らなければならないわけではありません。

赤ちゃんによって好まれる調理はさまざま。

いろいろと試してみることです。


次にあまりビューティフルにつくろうとしないこと。

赤ちゃんをかかえた生活はた離乳食の食べさせ方ベビーフードについてだでさえ忙しいのですから、自分たちが食べるものを適当にアレンジして与えるほうが、ずっと手間がかからず経済的です。


<h3>離乳食の食べさせ方</h3>


なにはともあれ、おとなといっしょに食べさせるのがいちばん。

赤ちゃんはおとなの食べるのを見て食欲をそそられるし、食べかたも真似しやすいでしょう。

おとなだって、赤ちゃんといっしょに食べるほうが楽しいし、おいしいにきまっています。

<span class="b">ただ、現実には、赤ちゃんの目覚め、おなかのすきぐあいと親の都合とで食事の時間がきめられることになるはずです。</span>

ときには、おとなの食事時間をずらす工夫も必要になってきます。

赤ちゃんといっしょに食べるということは、そうしたつき合いが要求されるということは忘れないようにしてください。


<h3>ベビーフードについて</h3>


ベビーフードはつくる手間が省けて便利ですが、赤ちゃんの食べものとしてはすすめたくありません。

というのは、なにより栄養価とか赤ちゃんの生理機能とかが平均的に計算されている点が不自然だからです。

ようするに、<span class="underline">ひとりひとりの赤ちゃんのためにつくられているのではない</span>ということは忘れないでほしいと思います。

使うとすれば、自分でつくるのがむつかしいレバーペーストを与えたいときと、親が病気などで一時的にベビーフードでがまんしてもらうばあいなどでしょうか。

せいぜいそのくらいの出番、とうてい赤ちゃんの食事の主役にはなりえないものです。


<h3>離乳の悩み</h3>


食べものを受けつけない　食べさせはじめによくあることです。

これは親の食べさせたいという思いが、赤ちゃんの食べる気にマッチしていないだけのこと。

はやる気持ちはおさえて、しばらく離乳を見合わせるにかぎります。

この時期は食べる量は知れているので、半月やひと月おくれてもどうということはありません。

<span class="b f11em">そのかわり、親が食べるのを見せるようにしてください。</span>

やがて、じっと見つめたり、口をバクバクさせたりするようになるはずですから、

<span class="b blue">そうなったら親の食べているものをちょっぴり口に入れてみるのです。</span>

また、食べることは食べるがほんのわずかというときも、あせりは禁物。

こういう子はまだ母乳かミルクのほうがよくて、食べものにはなじまないのでしょう。

わずかでも食べさせ続けていれば、いつかはたくさん食べ出すものです。


<h3>急に食べなくなった</h3>


食べさせはじめて一〜二カ月のころに、急に食べなくなることがよくあります。

食べさせようとすると手で妨害したり、口から吹きだしたりしだしたのなら、食べることに慣れて遊びが入ってきたのかもしれません。

<span class="b f11em">そのときは食べさせることに懸命になるよりも、食事を楽しい遊びにしてやることのほうが大切。

そのうちまた食べだすときがくるはずです。</span>

赤ちゃんのようすがどうも変、元気がないというときは、もちろん病気を疑わなければなりません。


<h3>離乳食とアレルギー</h3>


しっしんができたり、胸をぜろぜろいわせたりしていると、医者から「アトピー」だとか「アレルギー体質」と診断され、卵や牛乳は避けるようにいわれることが多いのではないでしょうか。

そういう場合には、まず落ちついて事実をよく確かめてみる必要があります。

いままで何ヶ月もミルクを飲ませてきて、なんの異常も現れていなければ、まず牛乳アレルギーではないでしょう。

少なくともひどくはないはずなので、食べ物にはいっさい牛乳を使わないなどという極端な制限はしなくてよいと思います。


母親が牛乳や卵を食べていて、母乳を飲ませているのなら、アレルギーの可能性はないではありませんが、その場合は試してみればよいでしょう。

少しずつ牛乳や卵を与えてみて、しっしんやぜろぜろが悪化することがまったくなければ、まず関係はなさそうです。

量をふやしても変わらなければ、アレルギーではなかったということです。


<span class="b red">でも、与えたとたんに明らかに悪化したり、これまでになかった異常がでたばあいは、アレルギーの可能性が大です。</span>

与えるのを中止して、ひと月ほどしてからごく少量を再び試してください。

それで悪化しなければ、少しずつ増量する。

だめだったら、またひと月後とくり返すのです。

食物のアレルギーは消化力がつき免疫機能が成熟するにつれておきなくなるものですから、あきらめずにくり返してみることです。]]>
      
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   <title>赤ちゃんと遊ぶ</title>
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   <published>2009-01-23T04:37:38Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>ときとともに赤ちゃんは家族の一員といった感じの存在になってくるでしょう。 顔つき...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[ときとともに赤ちゃんは家族の一員といった感じの存在になってくるでしょう。

顔つきは気心の知れるようすに変わってくるし、からだも丸みを帯びてひとを誘う魅力を持ってきます。

そのころになると、育児に追われていた親にも少し余裕が出てきて、子どもとつき合おうかという気分になるもの。

こうして、あの親バカといわれる<span class="b">「かわいがり」</span>が始まります。

かわいさのあまり、大切に大切にという親の気持ちはわかりますが、

いまの育児にいちばん欠けているのは<span class="b f11em">「動かす」</span>ということではないでしょうか。

赤ちゃんも人間、動物の一種なのですから、動かずに寝かされてばかりいるのは、どんなにつらいかしれません。

それに赤ちゃんはそんなに弱い壊れものではありません。


<span class="b blue f11em">うんと大胆に、もっと多くの時間、体を動かしてやってください。</span>

暮らしの中に、折にふれて、動かしてやるチャンスはいくらでもあるはずです。

「赤ちゃん体操」を覚えるのも悪くありませんが、義務みたいになるとかえって苦になりますし、形式ばかりにとらわれるのは赤ちゃんにも迷惑です。

とにかく親と子おたがいが楽しむことがいちばんなのですから、「体操」なんかより自由な遊びのほうがずっといいのではないでしょうか。


ひざに乗せて<span class="b green">「ギッタンバッタン」</span>したり、

頭の上で<span class="b green">「たかいたかい」</span>したりするのは、それなりの運動量になりますし、

慣れて<span class="b green">「キャッキャッ」</span>と喜べば、かわいさもひとしおでしょう。


遊ぶのは、自然に、そのときどきの気分に応じてでいいと思います。

たとえ赤ちゃんが眠っていたり、かまわれるのが迷惑そうでも、かわいがりたくなったら、少しぐらいちょっかいを出したっていいではないですか。

もちろん、ひどく迷惑そうなときには遠慮するし、逆に赤ちゃんのほうから親を求めてくるときには、できるだけ応じてやる度量がなければならないでしょうが。


とにかく、赤ちゃんとはできるだけ遊んでほしい。

「あやしている」つもりが、じつは「あやされている」ような関係。

それが親と子のいつわらない姿なのかもしれません。]]>
      
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   <title>赤ちゃんの夜泣きの原因と対策方法</title>
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   <published>2009-01-20T04:10:15Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary> 昼間の過ごし方を改めてみよう 夜中に突然赤ちゃんに泣き出されるのは、なんとも切...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>昼間の過ごし方を改めてみよう</h3>


夜中に突然赤ちゃんに泣き出されるのは、なんとも切ないものです。

夜ごとに何度も泣かれると、わが子ながら面倒くさく、ときには憎らしくさえ感じることもあるでしょう。

でも、なんとか頑張って面倒をみてやれるのは、やはりそれが親であるゆえんですよね。

三、四カ月未満の赤ちゃんが夜に泣くのは、<span class="b">切実な生理的要求</span>にもとづいています。

おなかがへった、のどが乾いた、暑い、寒い、着物やふとんの具合が悪い、あるいは、どこかが痛いとかかゆいといった気の毒な状態さえもあります。

敏感な子では、おしっこがでたり、頭や手足が無意識に動いたりしたときなどに、ビクッとして、泣きだすこともあるようです。


これらに対しては、親は眠いからといって放っておくわけにはいきません。

「夜泣きは泣かせておけばなおる」という通説ほど赤ちゃんに酷なことはありません。

それよりも、原因を考えて面倒をみてやるほうが、親子とも楽になるでしょう。


<h3>子供の夜泣きの原因は？</h3>


四、五カ月からのちの夜泣きには、<span class="b blue">赤ちゃんのこころ</span>が深く関係してきます。

親があまり赤ちゃんにばかりかまけていると、赤ちゃんは図に乗ってくるかもしれません。


<span class="b f11em">ぐずぐずと甘え泣きばかりするようなら、すこし放っておいてみることです。</span>

お誕生が近くなってくると、夜中に遊びたくなる子もいます。

これも、なるべくかまわないで、ひとりで遊ぶくせをつけるようにしむけるのがよいでしょう。


しかし、あまり突き放してばかりいると、赤ちゃんのこころは傷つきます。

別室にカギをして知らぬ顔より、身近に寝かすとか、せめて、眠りがけにはそばにいてやりたいもの。


大切なのは、できるだけ、昼間から遊びの相手をしてやり、日光や外気や、世の中の文化にもよくふれて、たがいにこころを満たし、適度に緊張した生活のリズムをつくっていくことだと思います。

とりわけ、自分では十分に体を動かせない赤ちゃんを、おとなが手伝って運動させてやること。

<span class="b green">「たかいたかい」</span>とか、我流でけっこうですから、思いきって振り回してやってください。

ここで育児の参加を渋りがちなお父さんの出番ではないでしょうか？

男性はだいたい照れ屋なのでお母さんから声を掛けてあげてみてください。


毎夜の夜泣きをひとりで背負い込むと、たいていのひとが疲れ果ててしまうでしょう。

そんな悲惨なことにならないためには、どうしても夫婦の協力が欠かせません。

明日の仕事に支障があるからといって知らんぶりをするなど許されようはずがありません。


<h3>夜泣きの対策</h3>


夜によく眠れるようになりそうな工夫を考えられるだけやってみてください。


<span class="b">日中に外に出る時間を多くする、

暇をみてはうんとからだを動かしてやる、

夜寝かせつける時間をおそくする、

夕方に昼寝する習慣のある子は早めに起こす、

昼と夜とをとりちがえたみたいな子は日中に長く眠らせないなど。</span>


次に、夜の熟睡を妨げそうな原因をチェックします。


<span class="b">部屋とふとんの中の温度（暑さ、寒さ）、

おむつと着物（窮屈さ、しわ、着せすぎ）、

ベッド（よく動く子だと狭くて苦しい）、

姿勢（うつぶせ寝がよい子もいる）、

かゆみ（湿疹、あせも）、痛み（おむつかぶれ）など。</span>


これらのことをひととおりやってみても夜泣きがおさまらなければ、そういう子として覚悟をきめて対応するしかありません。


寝かせる場所は、できるだけ親のそばに。<span class="b blue">いちばんいいのは同じ寝床に添い寝することです。</span>

これだと、ぐずりはじめたときに、機を失うことなくなだめることができます。

なかには、抱いて歩きまわったり、戸外に出ないと泣きやまない子もいます。

そのときも早く寝かせようとあせらないことです。


ようやく眠った子をベッドにもどすときも、あせりは禁物。

すやすやと寝息をたてていても、すぐには降ろさず、からだがほぐれてずっしりと重い感じになってから、抱いたままベッドに寝こむようにします。

そして赤ちゃんが落ちついてからそっと腕を抜くようにすれば、再び泣き出されることは少ないでしょう。


<h3>抱きぐせについて</h3>


赤ちゃんが定まらぬ目で親を追い、クスンクスンと鼻をならし、手足を踊らせて抱っこを要求したときには、できるだけこたえてやるべきです。

すぐには応じられない場合には、<span class="b green">「ちょっと待ってね」</span>と声をかけ、間があきすぎてしまったら

<span class="b green">「ごめん、ごめん」</span>と念入りに抱きしめてやったらどうでしょう。


しょっちゅう抱いているとくせになるからとか、甘やかして自立心の成長を妨げたくないといった理由で抱かずにいるのはどんなものか。

親を求めているときに抱いてもらわなければ寂しいでしょうし、デリケートな子やエネルギーの強い子は、不安で落ちつきを保ちにくいでしょう。

赤ちゃんには自然な情のままにかまってやり、ひとへの信頼をもってもらうことが大切です。]]>
      
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   <title>子供の寝かしつけ方と気をつける点</title>
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   <published>2009-01-17T21:41:39Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>赤ちゃんの安らかな眠りは、あわただしい育児のなかのひとときのやすらぎ。 たまった...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[赤ちゃんの安らかな眠りは、あわただしい育児のなかのひとときのやすらぎ。

たまった家事や用事を片づけたり、夫婦の語らいをするチャンスも、このときを逃すとなかなかみつかりそうもありません。


<span class="b f11em">でも、だからといって、親の都合で一方的に眠らせようとするのはどうかと思います。</span>

赤ちゃんには、その子なりの生活のリズムがありますし、成長につれて変わってもきます。

眠くもないのにベッドに入れられ、抗議の声をあげても無視されたら、怒ってしまうでしょう。


そもそも親と子は共同生活者、子どもだけを別に、早く寝かせようとするには無理があるのです。

たとえ、そのときはあきらめて眠ったとしても、行きあたりばったりな寝かしつけは、

<span class="b red">生活のリズムを乱して、乳の飲み方を悪くしたり、ぐずりをもたらす可能性があります。</span>


では、赤ちゃんに眠ってほしいと思ったらどうすればいいでしょうか。


<span class="b blue">それは心底から「頼んで」みることです。</span>

まだわからないからと、さっさと床に入れてしまうのでなく、「用事があるからね、寝ていてね」とほおずりでもして、しばらく傍らにいてから離れるのです。

それでもぐずられたら、あきらめるか、どうしても手をかけられないときには、そのまま放っておくのもやむをえません。

でも心底頼んでおけば、情緒は安定するのではないでしょうか。


眠る時間も、本に書いてあるような、なんヶ月の子はなん時間眠らなければならないといった「標準」にこだわる必要はありません。

あれはあくまで目安、平均の話にすぎません。

赤ちゃんによって、また家庭の生活様式によってちがうのがふつうですから、ようするに、赤ちゃんの好きにまかせておけばよいのです。

<span class="b blue">すくなくても目覚めた時にきげんがよければ、眠りは足りていると思っていいでしょう。</span>


ぐずぐずと眠そうなのに寝つかれないようすがあれば、なにより安心させてやること。

そのためには<span class="b blue">とにかく抱いてやる</span>ことです。

そして、うんとスローなテンポでゆすってやったらどうでしょう。

そうすれば自然にそれにあわせて語りかけたり、歌ってやることになるはずです。

静かになってもすぐに降ろすのではなく、しばらく抱きつづけてからそっとベッドに降ろすこと。


赤ちゃんを寝かしつけるときに大切なのは、それを<span class="b red">形式化しない</span>ことです。

いくら忙しくても、寝かしつけるときはやさしさをこめてやるべきです。


<h3>うつぶせ寝</h3>


赤ちゃんの寝かせかたや抱きかたは、たぶんに民族の風習です。

アメリカ人はうつぶせ寝をさせることが多いようですが、無理にまねをする必要はありません。

よくいわれるようなうつぶせにすれば頭の形が良くなるという根拠もなさそうです。

赤ちゃんによっては、あおむけだと寝つきにくく、うつぶせにしたほうが安定する子がいるかもしれません。

そのばあいはやむをえませんが、うつぶせ寝だと<span class="b red">窒息</span>や<span class="b red">突然死</span>の危険があるので、敷きふとんはかたく、必ず誰かがそばにいるようにしてください。


<h3>添い寝</h3>


赤ちゃんを親のふとんの中に入れるか、ふとんを並べて寝かせる添い寝は、日本人の感情と生活様式に根ざした昔からの風習。

そばに寝かしておけば赤ちゃんを見つめ愛撫することができるし、眠っているあいだに赤ちゃんになにかあっても気づきやすい。

また、赤ちゃんがぐずりだしたとき、タイミングよくかまってやれるのもいいところです。

これは現代に生かしておいてよい伝統ではないでしょうか。

ただ、乳房をふくませながら眠ってしまうと窒息させる危険があるので、疲れているときは避けること。

添い寝させると眠れないとか、ベッドでスペースがないときでも、せめて同室には寝かせてほしい。


<h3>寝室のレイアウト</h3>


赤ちゃんができると、空間、とくに寝室をどうするかが問題になってきます。

生まれたてのころは、大切に専用のベッドに寝かせておくのが普通でしょうが、それにしてもそのベッドをどこに置くかは、なかなかの問題。

オール母乳なら母親のそばにかぎるにしても、二人の床に添えるか、母子だけ別に寝るかについては、夫と妻子とのスタンスの取り方もかなりかかわってくるのではないでしょうか。

ミルクばかりの場合には、どちらが授乳するかによって位置がきまってくるはず。


添い寝のばあいだと、夫婦のベッドのどこに寝かせるかが問題。

どちらかの端に置くのは赤ちゃんを落とす危険があります。

そうかといって、夫婦の間にはさむのも、よほどひろいベッドでないかぎり、窮屈で二人ともゆったり眠れなくなるかも。

この点、日本式のふとんか洋式のマットだけにすれば楽ですが、どうしてもベッドがよいのなら、父親だけ降りるか、母子が別の床をつくるか、子どもだけ離して寝かせるか、いろんなバリエーションを工夫するほかないでしょう。


<h3>赤ちゃんを長時間ひとりにしない</h3>


ごくごくまれなことですが、なんにも異常のなかった赤ちゃんが、ふと見たら死んでいたということがあります。

原因はわかっていませんが、<span class="underline">赤ちゃんを長いあいだひとりにしておいたときによくおきています。</span>


<span class="b f11em">ですから、赤ちゃんを長時間ひとりにしておくことは絶対してはなりません。

夜はおとなのそばか、せめて同じ部屋で寝かせるようにしましょう。</span>


「突然死」といってもあっという間に死んでしまうのではなく、

<span class="b">たいていうなったり、吐いたり、ひきつけたり</span>といった苦しむ時間があるので、そばにいればその気配を察することができます。

赤ちゃんが眠っているあいだは、ときどきようすをうかがい、ふとんが顔にかぶさっていないかに気をつけ、うつぶせ寝のばあいは敷きふとんをかたくしましょう。]]>
      
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   <title>ミルクで育てる</title>
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   <published>2009-01-15T16:48:24Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>どうしても乳房がよく張ってこず、赤ちゃんが始終泣きづめるようになったら、ミルクに...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[どうしても乳房がよく張ってこず、赤ちゃんが始終泣きづめるようになったら、ミルクに切り替えるのもやむを得ません。

そのさい、母乳でないと病気への抵抗力が弱くなるとか、アレルギー体質になるとか、栄養と発育に偏りがおきやすいといった意見が気になるでしょう。

確かに栄養と免疫の点で母乳が優れているのは事実ですが、それも初乳、せいぜい一カ月くらいまでに強調されることです。


<span class="b f11em">大切なのは、母乳かミルクかよりも、母と子の双方に無理ながんばりを強いないこと。</span>

赤ちゃんを育てるのは日々の暮らしですから、母親が自分で選択を迫られていったん決断したら、あとはあっけらかんとミルクを与え始めるにかぎります。

子どもにわるいとか、だめな母親などと思いわずらうことなどまったくありません。

<span class="b blue">なんといっても、ミルクで育てる最大のメリットは父親にもやれるという点でしょう。</span>

子育てにこれを生かさない手はありません。

哺乳瓶で授乳するときでも、赤ちゃんの息づかいは十分肌で感じることができますから、父親にもミルクをやってもらって、日頃一歩ひいている感のある男親を育児へと誘ってみたらどうでしょう。


ミルクを使うときには、どうしても数字にとらわれてしまいがちです。

ミルクの缶には一回の量と一日の回数の目安が書いてありますし、母乳とちがってミルクの場合は飲んだ量がはっきりわかるからです。


ここがむつかしいところだけれど、まずまず母乳と同じように好きなだけ飲ませていて大丈夫なのではないでしょうか。

飲みの悪い子だと心配になりますが、顔色も元気も良くて最低限の発育さえ確保していれば、あせらずにようすをみることです。

逆に、あんまり飲みすぎとか太りすぎと思われたらセーブしたくなるでしょうが、少々飲みすぎてもまあ大丈夫。

二、三カ月たつうちに大半が落ち着きます。

せめて一日一リットル、一回200ccをこえなければよいでしょう。

飲むのが少なくても、きげんがよく、体重が最低線を維持していれば気にしないことです。]]>
      
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   <title>子どもの病気とどう付き合えばよいか？どう判断すればよいのか</title>
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   <published>2009-01-13T22:16:59Z</published>
   <updated>2009-07-27T01:58:48Z</updated>
   
   <summary>元気と機嫌をみる 育児はたいへん手間のかかるものですが、それでも病気することさえ...</summary>
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      <![CDATA[<h3>元気と機嫌をみる</h3>


育児はたいへん手間のかかるものですが、それでも病気することさえなければ、どれほど楽になることか。

熱をだしたり下痢をしたりするたびに、親は動転してすぐにでも医者につれていこうとします。

でもいまは、急な病気で一晩で死んでしまうとか、二、三日ようすを見たために手おくれになるようなことは、まずないと考えていいでしょう。

子どもが急に病気になったとしても、あまりあせらず、じっくりと病状をみてほしいのです。


そのためには、年齢のいかんにかかわらず、子どものようすをよく見てください。


<span class="b f11em">まず、元気があるかどうか。</span>

赤ん坊ならおっぱいを飲まないとか、幼児ならグターッとしているとか、

そんな<span class="b red">「これは」</span>といったようすがなければ、まずたいしたことはありません。

また、多少元気がなくても、話しかけたりあやせば笑い、きげんがいい、というのであれば心配はいりません。


<span class="b f11em">次には、きげんのぐあい。</span>

やけにグズったり、メソメソしたり、やたら怒りっぽいとか、赤ん坊ならいつまでたっても泣きやまない　−　そういうときは、医者に診せたほうがいいでしょう。

でも、本当に急を要する事態のときは、真っ青になってもうろうとしたり、意識がないとか、引きつけているとか、とにかく尋常でないようすが現れますから、たとえシロウトでも、はっきりわかるものです。

子どもは全身で反応しますから、そういう極端な状態でなければ、多少熱や咳がひどくても、元気やきげんがよい、またはまあまあなら、

半日や一日ぐらい、医者に行かずにようすをみても大丈夫でしょう。


<span class="b f11em">第三に、経過をみること。</span>

半日から一日見ていれば、急を要する病気なら、みるみる元気がなくなったり、きげんがわるくなって、これはという状態が出てくるからです。


<span class="b f11em">ほかに、その子の病気の癖を考えることも大切。</span>

ちょっとしたことで高熱を出したり、ひきつけを起こす子は、少し早めに手当を加えたほうがいいでしょう。

逆に、医者が大丈夫だといっても、親から見てこれはという感じのときは、思いきって医者を変える勇気と決断が必要です。

自分の感覚とか判断を大事にしなければなりません。]]>
      
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   <title>おっぱいの上げ方</title>
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   <published>2009-01-13T13:40:27Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary> あせらず、自然体で クスンクスンとぐずりはじめた赤ちゃんに、張りつめた乳房をあ...</summary>
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      <![CDATA[

<h3>あせらず、自然体で</h3>


クスンクスンとぐずりはじめた赤ちゃんに、張りつめた乳房をあてがうと、むしゃぶりついて飲みはしてしまう。

そのときほど母親になったよろこびを実感することはないのではないでしょうか。

おっぱいをふくませるというのは、ただ育てるための栄養を与えるという行為ではありません。

母親と赤ちゃんの人間的な交渉として、たがいを探り合うという面が多分にあるものです。

ですから、うまく授乳できるだろうか、という不安はだれもがもたざるをえないでしょう。

理想どおりに飲ませようと気負えば気負うほど、かえってぎこちなくなってしまうよう。

型どおりの授乳法にとらわれず、自分にとって楽なやりかたを工夫してゆくようにしたいものです。

飲む間隔にしても、飲む量にしても、赤ちゃんによってじっにさまざまですから、だれもが同じようにはいきません。

だから、よその子とくらべて同じように飲まなくても気にすることはありません。

おっぱいがよく出ないばあいは不安になるでしょうが、産後一カ月くらいは調子に乗らないのがむしろ普通。

赤ちゃんが泣いたときに根気よくふくませていれば、たいていは、しだいによく出るようになるはずです。

逆に、乳房はよく張るけれど赤ちゃんがほとんど飲んでくれない、ようやく吸いついても、すぐ寝入ってしまう、といったときにも、じっと待つことが求められます。

時間がきたからといって無理におこして、乳首をふくませようとしても、<span class="b red">だめ、</span>かえっていらだちが増すばかりでしょう。

そんなときは、じっと赤ちゃんの寝顔に語りかけ、そっと抱くだけにしてください。

こだわりがすっと薄らいでゆくことでしょう。


授乳にあたっては、楽な姿勢でやるのがいちばん。

いつもきちんとしようと努めるより、疲れていれば寝ころび、興が向けばテレビや本を見ながらのほうがずっと気持ちよく飲ませられるにちがいありません。

そうしながらでも、赤ちゃんが飲みやすいように、そして苦しくならないように気をつけていれば、それでいいはずです。]]>
      
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   <title>母（父）子家庭 子育てについて</title>
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   <published>2009-01-11T10:20:35Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[現代では、シングル・マザーとかシングル・パパとかが珍しくはなくなりましたが、

こと子どもをめぐる「家庭のあり方」となると、まだ、両親そろったケース、それも両親が仲むつまじく暮らしているケースだけが取り上げられる傾向にあるようです。

いうまでもなく、父母であることと、夫婦であることは、つねに両立するとはかぎりません。

いくらいっしょにいても、不仲で修復の望みさえないばあいには、子どもは同時に両親に甘えることはできません。

また、子どものためだけに無理に仲むつまじく装っていくのも、果たしてどんなものか。
たがいに消耗が耐えがたいほどなら、むしろ別れたほうが新しい展望が開けるのではないでしょうか。

そのさいには、世間体や経済上の制約がのしかかってくるでしょうが、それは一生にかかわる問題として勇気をもって決断されてよいことです。


しかし、子をもうけた男女が別れるのはすごく大変なこと。

どうしても情が残るでしょうし、子どもへの愛着もあって、とてもかんたんに清算できそうにありません。

まして、子どもにとって父母は、自分をこの世にもたらした人。

成長につれて、自分はだれの子か確かめたくなり、実の親を知らなければ調べてみたくもなるものです。

<span class="b f11em">この宿命を、親は重く受け止めておかねばならぬでしょう。</span>


別れた相手のことを子どもがたずねてきたら、その場にふさわしいかたちで、はっきりと教えてやるべきだと思います。

また、別れた相手と会わせるかどうかは、子どもと自分と相手の三者がその必要を感じたら、会わせるのがよいと思います。

そのさい、ある程度のとりきめはかわしておくべきですが。


<h3>人情の中で育てる</h3>


さまざまな事情から母（父）子家庭になったばあいも、世間の目などひとつも気にすることはありません。

自分でそういう生き方を選んだか、そういう運命になったので、いまはひたすらその道を歩むほかはないのです。


<span class="b f11em">むしろ、夫がいない分だけ、わずらわされずにしっかりと育児ができたり、

妻がいないために普通の男より生活力がついて、子どもから愛着と尊敬を受けられるくらいに思って、おおらかにやってほしい。</span>


子どもがかわいそうだとか、不欄などと考える必要はありません。

家族にもいろいろなタイプと内実があって、母（父）子家庭もそのひとつ、子どもはそうした暮らしをともにする仲間になってもらったらよいのです。

母（父）子だけだと、なにかとピンチに弱いこともありますから、公的援助はもちろん、友だちや近所のひとたちの力を借り、つき合いを広くもって、その人情の中で親子が生きるようにしたらいいでしょう。

ただ、まわりからの援助は気持ちよく受けるとしても、それに甘えないようにはしたいものです。]]>
      
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   <title>「次の子」が出来た時の不安</title>
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   <published>2009-01-08T08:00:49Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary> 一人目とはまたちがった感慨 二人目の子をいつつくるかはそれぞれの夫婦の人生設計...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[

<h3>一人目とはまたちがった感慨</h3>


二人目の子をいつつくるかはそれぞれの夫婦の人生設計によりますが、一人目を宿したときとは異なった感慨を覚えるのではないでしょうか。

一人でも手に余るほど忙しいのに、二人の面倒をみるなんて想像するだけで目がまわりそう。

そのうえ、お金の問題から住宅事情、仕事との兼ね合いまで、現実はなかなか厳しそうです。


共働きの家庭では、ようやく仕事にもどれるようになったのに、すくなくとも女性は、再び仕事を休まねばならないのです。


<span class="left">
<img src="http://useful-infomation.info/images/office12.gif" wigth="100" height="100" alt="子育ての不安" />
</span><span class="b green">一人目との関係も大いに気になるはず。

はたして次の子も同じようにかわいがれるだろうか。

上になる子に手が十分かけられなくなるけれど、大丈夫かしら、なんだかかわいそう。</span><br /><br />


そんな心配を、どの親も大なり小なり持つようです。

ひとりっ子より兄弟がいるほうが幸せだろうか、間隔は何年くらい離れるのが理想的かといった迷いも生じてきます。


こうしたさまざまなことは、現在避妊をしている夫婦にも、常に突きつけ続けられている難問であるでしょう。

産後四十日もすれば、生理はなくとも、妊娠の可能性はあるのですから。

「次の子」への対応は、まずは夫婦と第一子とで共有したい。

産むのならば、それぞれの人生設計をあらためて了解し合い、三人で誕生を待つようにするのがよいと思います。


母親が妊娠すると、幼い子でも敏感に察知するし、親もかまえがちになるので、早く話してやり、大きくなったおなかを大切にする約束などをして、たがいにいらだたない工夫をしてほしい。

父親ができるだけかまってやるようにすれば、母親を奪われる不安を静めることができるでしょう。


たとえば、定期の健康診断にいっしょに連れて行くと、産院になじめてよさそう。

いざ出産のときは、父親または祖父母ら、なじんだひととともに母親の傍らに寄れれば、ずいぶんと安心するかと思います。

「次の子」はできてしまえば十分にかわいいし、男でも女でも変わらぬもの、「上の子」も程なく落ち着くことでしょう。]]>
      
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   <title>子持ちのつき合いを積極的に</title>
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   <published>2009-01-05T17:17:18Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子持ちになると、なにかファミリーのようなまとまりができて、他人には以前とはちがった雰囲気を感じさせるのかもしれません。

まだ子どものいない友だちはちょっと入り込みにくい感じだし、すでに子どもがある友だちも、事情がわかるだけにへんに遠慮したり、

子どもを介したつき合いにかたよりがちになるのではないでしょうか。


でも、子どもができたためにこれまでのつき合いがうすまるとすれば、やはり寂しいことです。

親子三人での暮らしがいくら楽しいといっても、社会からしだいに閉ざされていったのでは、やがて物足りなさを感じることは目に見えています。

とくに毎日ひとりきりで家に閉じこもって育児をするお母さんの場合は、世間から取り残されてしまったような気持ちになってしまうかもしれません。

こんな状態は、おそらく赤ちゃんにとっても好ましくないだろうと思います。


<span class="b f11em">赤ちゃんは母親と父親だけで育てられるものではありません。

親以外の人とも接し、ときには親から離れて世の情けを知ることも大切なのです。</span>


そうしてこそ、<span class="b f11em">「社会性」</span>といわれるものが身につくし、独立心も鍛えられるはずだからです。


つき合いが狭いと、じっさいの生活でもいろいろと困ることがおこります。

なにかのときに赤ちゃんの世話を頼めるひとがいなかったり、相談にのってくれる相手がみつからなかったりすれば、途方に暮れてしまうでしょう。

だとすれば、なるたけ積極的につき合いを広げるように心がけるのがよさそうです。

近所に住む同じような年ごろの子をもつひとに声をかけて親しくするのもいいでしょう。
昔の友人に久しぶりに声をかけるのもわるくないのでは？


また、子どもを預けて趣味のサークルなどに顔を出すのも友だちづくりにはいいかもしれません。

いずれにせよ、ある時期からは赤ちゃんを通りこした自分たちどうしの友人関係をつくるように努めだしたほうが、かかわりかたが狭くならないでいいと思います。]]>
      
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   <title>夫婦関係が問われる時</title>
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   <published>2009-01-03T21:58:33Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[赤ちゃんが生まれてからしばらくは、ばたばたとした子育ての日常に追われ、夫と妻は「親」を自覚することに精一杯、愛情の軸も赤ちゃんに強く焦点を結んでいます。

しかし、やがて子持ちの暮らしにも慣れ、赤ちゃんもしっかりしてくると、おたがい、自分の人生に対する意志が再びめばえてくるはずです。

ただ、その意志は二人だけのときとは異なったものにならざるをえません。

<span class="b f11em">なぜなら、赤ちゃんを中にはさんで、それぞれがどう向き合うかという点で、異なる性向があらわれてくるからです。</span>

そこには、男と女の生来の差もあるでしょうし、それぞれの気質と育ちも大いに関係するでしょう。

「男は外で働き、女は家を守るもの」という通念に知らず知らずひきずられているかもしれません。


ここで、夫と妻が家族のありかたをきちんと話し合っておくことが、二人だけでなく、赤ちやんの将来のためにも大切なのではないかと思います。

絶え間ない日々の育児の中で感じるおたがいの不満は、たとえいまは些細なことでも、意外と大きな問題の芽をはらんでいるものです。


妻の<span class="b green">「勝手すぎる」「自分ばかり損をしている」</span>という不満も、夫の「なっていない」「かまってくれない」という思いも、どちらもいいかげんにはすませておけません。

これらは赤ちゃんをはさんで、二人の愛情の軸がずれはじめた兆しなのかもしれません。

その元凶がもし社会通念にもあるとすれば、それに対してもとことん議論しておく必要がありそうです。

育てかたについての意見のちがいはあるのに、一方だけに強制したり、まかせてしまったりするのでは、他方のいいところが生かせなくなるでしょう。


<span class="b blue f11em">育児は夫婦で分かち持つのが原則。</span>

かならずしも形の上での平等でなくとも、両方が心と生活の中に子どもをきちんと組み込んでいればよいのです。]]>
      
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   <title>子育てに関して、祖父母とどう付き合うか</title>
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   <published>2009-01-01T01:59:58Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>子どもが生まれると、その世話をめぐっておじいちゃん、おばあちゃんと若夫婦との間で...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもが生まれると、その世話をめぐっておじいちゃん、おばあちゃんと若夫婦との間できわどい人間模様が展開されることでしょう。

じっさい、若夫婦と祖父母が子育てで対立するケースは少なくないようです。


おじいちゃん、おばあちゃんにしてみれば、孫がかわいくてしかたがない。

しかも、わが子の性格が子育てに反映し、孫にもその欠点や美点が受け継がれていくのを客観的に見ていると、若夫婦の育て方に対して思い入れも深くなるし、口出しもしたくなるというものです。

反面、義理の息子や娘に対する遠慮も当然あります。

そこに<span class="b red">ジレンマ</span>が生じるわけです。


反対に若夫婦の側からすれば、祖父母が孫を甘やかしたり、いちいち干渉するのをうとましく感じることもあるでしょう。


だから、若夫婦は祖父母に対して、思い切ってフランクにつきあうほうがいいと思います。

自分たちが育児にはりきっていて、自信もあるのなら、「思うようにやらせて」と宣言してしまったほうが、すっきりします。


ただ、その場合でも、祖父母の孫への愛着を粗末にしないように。

逆に、祖父母から育児の経験を聞きたいというのであれば、率直に頼んでみることです。

あまりかまえないで、先輩後輩くらいの感じでつきあったらどうでしょう。

もし、育児の方法をめぐってトラブルがおきたときは、それが子どもにどれほどの差をもたらすかをまず考えてみてください。

「靴下をはかせるか、はかせないか」とか「服をもう一枚着せるか、着せないか」などは、どちらかが妥協すればすむことです。

にもかかわらず、どちらもあとに引けないというなら、これはもう衣服の問題ではありません。

なにかほかの感情がうずまいているにちがいないのです。


それぞれの暮らしをかき乱すようなことになっては困りますが、生き方の根本の部分でたがいに節度を守るようにして、おじいちゃん、おばあちゃんには、若夫婦もおおいに甘えてもいいのではないでしょうか。

それぞれの思いが重なり合う中で、子どもは成長していくのです。]]>
      
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   <title>親父のスタンス</title>
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   <published>2008-12-29T02:15:52Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>子育てでは、父親というのはどうも割が悪い、自分だけ取り残されたような感じがするこ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子育てでは、父親というのはどうも割が悪い、自分だけ取り残されたような感じがすることが多いと感じているでしょう。

それはそのはずで、そもそも子を宿すのは女性、男ははたから見聞きするほかありません。

生まれるときも、たいていは産院の廊下、タイミングが悪いとあとからあたふたと駆けつける始末です。


生まれてからにしても、ハンディは決定的。

なにより男にはふくよかなおっぱいがありません。

いくら女に負けない育児をしたいと思っても、乳房をふくませている姿を見せつけられてはお手上げ。

母子の間には割り込めないみたいな気分になるのも無理はありません。

まして、男が<span class="b green">「おれは稼ぐ、育児はおまえにまかせる」</span>というスタンスをとった場合には、ますます母子から浮き上がらざるをえないでしょう。

気まぐれに子どもの相手になることはできても、ひとたび世話が必要となれば、たとえちょっとしたことでも、母と子のむつみ合いからはずされてしまうにちがいないのです。

それでよいのだ、男は寂しくても家族を養い、妻を精神的にリードするのが務めなのだという考えがあるかもしれません。


世間には、父親は大局的なところで子に感化を与えるべきだという意見が強いようです。
しかし、それでは子どもとのこまごまとした、しかし懐深いところでの接触は少なくなるにちがいありません。

そして、父と子との人格的な交渉も上滑りになってしまいそうです。

たとえ男性が社会的に広い視野を持っているとしても、生活のすみずみで発揮されなければ、子どもにはとどきにくい。

妻を介してといっても、<span class="b red">子の世話の機微を知らなければ、説得力に欠ける</span>と覚悟しなければなりません。

それに、このようにしていたら、せっかく子どもを持った楽しみも満喫できないのではないでしょうか。


男だって、わが子のかゆいところまで手を差し伸べてやりたい気持ちはあるのに、そこをパスしてしまうのですから、親冥利を十分に味わえそうにありません。


父親も断然子どもに肉薄するスタンスをとるべきだと思います。

少々の照れや面倒くささは乗り越えて母親と同じ世話をすれば、きっと確かな手応えをえられるでしょう。]]>
      
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   <title>子育てに疲れたと感じたら</title>
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   <published>2008-12-28T04:56:03Z</published>
   <updated>2009-08-07T07:09:00Z</updated>
   
   <summary>育児の分担は半々に 赤ちゃんや幼い子をもつお母さんがいらいらやからだの不調をうっ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[<h3>育児の分担は半々に</h3>


赤ちゃんや幼い子をもつお母さんがいらいらやからだの不調をうったえるケースでは、

ちょっと家事の手をやすめ、子どもから離れればよくなると思うのに、なかなかそれができないというひとがたくさんいます。

夜は帰りがおそい夫につき合い、朝は明け方から目をさます子どもの面倒でくたくたになっているお母さんの悲鳴もよく聞きます。


こうした状態は、お母さん自身はもちろん、子どもにとってもよいことではありません。
私さえ我慢してがんばれば、といった気持ちで乗りきろうとするのには、どうも無理があるような気がします。


もともと子どもを育てるのはたいへんですし、少々のピンチや苦労は親をきたえてくれるでしょうが、

お母さんだけがそれを全部背負って「犠牲」になっているというのでは、どこかにその不満のはけぐちが出てくるにちがいないと思うのです。


<span class="b f11em">やはり、育児には男性の協力が必要です。</span>

それも、手伝いという程度ではなく、いっしょに育てるという気がまえでなければだめでしょう。

もちろん、仕事の事情は考慮されなければなりませんが…。


ぼくの知り合いの夫婦でも、

夜中に子どもに泣かれたときには交代で起きる、

奥さんが病気になったら夫が家と子どもの面倒をひきうける、

といったひとたちが増えてきました。


また、ピンチのときに手伝ってもらえる近所のひととか友だちをもっていることは、とても心づよいことです。

世間とのつき合いが疎遠になりがちな若いカップルは、そうしたつきあいを大切にし、自分たちにあったやりかたでつくっていったらどうでしょう。

<span class="b blue f11em">それは、同時に、子どもの世界をひろげることにもつながるはずです。</span>


<h3>ときには気晴らしも必要</h3>


どんなに子育てに自信のある人でも、ときには<span class="b green">「もういや」「できない」</span>といった気分に襲われ、「ダメな親」と自分を責めさいなむことがあるでしょう。


このような状態では、だれだっていらいらしたり、落ち込んだり、なにをするのもおっくうになったりしても不思議はないと思います。

よく、わけがわからず涙がこぼれることがあるといいますが、それもこうした辛さのなせるわざなのでしょう。

なのに、少しでも鬱うつとしていると、すぐに<span class="b red">「育児ノイローゼ」</span>とか<span class="b red">「マタニティ・ブルー」</span>といったレッテルがはられるのは心ないこと。

母親自身まで自嘲的にそのようにいわざるをえなくなるのは、いかにも残酷なことだと思います。

でも、それはだれにも大なり小なりあること。

あまり自分を責めすぎないようにするにかぎります。

むしろ、ダメと感じる親のほうが、それだけ育児に対する熱意が高い証拠なのですから、誇りをもっていいくらいなのです。


でも、たぶん落ち込んでいるときというのは、そうたやすく気分が晴れないのも事実。

そんなときはまず、どんなふうにダメなのか、感じているとおりをしゃべってしまうのがいちばんのようです。

ただし、相手はなるべくだまってこちらのいうことを聞いてくれるひとを選ぶこと。

忠告や激励するばかりのタイプは避けたほうが無難です。


また、わが子への<span class="b red">否定的感情</span>は、なにより吐き出してしまうにかぎります。

暗い顔を隠そうとせず、できないことは無理にやろうとしない。

愚痴をこぼしたって、当たり散らしたって、かまわないと思います。

それから、なにもかも忘れて眠るチャンスをひねり出すことや、気晴らしをすることも効果があります。

一日か半日でもいい、夫や実家や友人に子どもを預けて、ぐっすり眠るとか、美容院や映画にでかけたりすると、気がずいぶんと晴れるのではないでしょうか。


早い話が、母親ひとりで全責任を負わず、疲れたら夫をはじめ、祖父母、知人などに子どもを預けて休むことができれば、ずいぶんと楽になるはずです。


母親自身もまわりに気をつかわず、マイペースでやるのがよさそう。

親も子もひとりひとりちがうのですから、よその育児と比較するのはつまりません。

およそ子どもは、相当にでたらめをやっても、なんとか育つものなのです。]]>
      
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   <title>子供の「反抗期」がなければ、それでいいのか</title>
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   <published>2008-12-28T02:45:51Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>反抗期は心身の成長の証という意見もあります。 はたしてそうでしょうか。 様々な視...</summary>
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         <category term="思春期の子育て・教育" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[<span class="b">反抗期は心身の成長の証</span>という意見もあります。

はたしてそうでしょうか。

様々な視点で考えてみましょう。


<h3>子供の反抗期で悩んでいる親へ処方箋</h3>



私は<span class="b green">「本当に反抗期って、なくなってもいいものなの？」</span>とどうしても思ってしまうのです。

「仲よし親子、それでいいのだ」と思いながらも、どうしても私の頭をそんな疑問がよぎってしまいます。

それは、学生たちの姿が精神科やカウンセリングで出会った（いい子）と重なってしまうからです。

最近、診察室に来る子どものなかにも、「反抗期がなかった」「ずっといい子だった」という子が増えた、という話をよく聞きます。


でも、ちょっと考えてください。

彼らは、

<span class="italic">「いまは、家から外に出られない、ダイエットをやめられない、自分の身体を傷つけてしまう」</span>

といった深刻な問題を抱えているからこそ、クリニックまでやってくるわけです。

ずっと（いい子）で親とも仲よしだった子どもが、どうしてそんな泥沼にはまってしまったのでしょう。


ここで、ひとつの例として　「トモコ（仮名）」という子のケースを紹介しながら、この間題を考えてみましょう。


その子、トモコは、地元の中学校に通う3年生でした。

親が言うには、トモコは小さなころから親を困らせたことが一度もなく、自分から進んで宿題もするし家の手伝いもする、だれからもはめられる（いい子）だったとのことです。

「こうしなさい」と親が言うと、「はーい」とすぐに返事をし、「イヤだよ」と反発することはほとんどなかったといいます。

小学校、中学と成績もずっとよく、学校では先生がクラスで、「トモコさんを見習いなさい」といつも言っていたそうです。

周囲の期待通り、トップクラスの成績で中3になったトモコは、クラス替えでいままで出会ったことのなかった同級生グループに出会います。

彼女たちは見た目もとてもおとなっぼく、<span class="b blue">「私はこう思う」「私はこうしたい」と自分の意見をはっきり言うグループ</span>でした。

たとえ相手が先生でも、自分と意見が違っているときは、「それは間違ってると思います」などと言い返します。

もうボーイフレンドがいるという子もいるようでした。

<span class="italic">「昨日、親とケンカしてさ、チョームカついたから彼氏の家にプチ家出してやった」</span>

といった声も聞こえてきます。


親や先生の言うことはなんでもきいてきたトモコにとっては、考えられないことでした。

最初、トモコは、

<span class="italic">「あの人たちって（悪い子）（ダメな子）なんじゃないだろうか、いまに落ちこぼれになるんじゃないか」</span>

と思いました。


しかし、1学期の中間テストでその予想は見事にはずれたことがわかりました。

<span class="b blue">クラスの成績上位者のほとんどは、彼女たちで、「はっきりしたことを言うグループの子」で占められていたのです。</span>


<span class="italic">「あんなに好き勝手して先生にも逆らって遊んでばかりいる（悪い子）なのに、こんなにがんばっている私より成績がいいなんて…」</span>

とトモコはショックを受けました。

1学期が終わり、夏休みがはじまりました。

　ずっと、

<span class="italic">「あの子たちに勝つにはどうしたらいいんだろう」</span>

と考えていたトモコは、

<span class="italic">「夏休みのうちにかっつこいいスタイルになれば、2学期にみんなをびっくりさせられるかも」</span>

とダイエットをはじめることにしました。

最初は親に気づかれないように、おかずやごほんを少し残す方法からはじめましたが、体重が少し減りはじめると、<span class="b green">「もっとやせたい！」</span>と強く思うようになりました。


ある日の夕食のテーブルで、トモコはついに言ったのです。


<span class="italic">「ママ、今日から私、ゴバン食べないからね。

おかずも野菜だけにして」</span>

びっくりした母親は、

<span class="italic">「なに言ってるの？野菜だけじゃ栄養もエネルギーも足りなくて、勉強にも集中できなくなっちゃうじゃない。

だいたいあなた、最近、食欲もないし顔色も悪いわ。

どこか身体の調子がおかしくなってるんじゃない？

明日、ママといっしょに内科の先生のところに行きましょう」</span>

と早口で言いました。

それを聞いているうちに、トモコの頭の中で何かがプツンと音をたててはじけ、頭がまっ白になりました。

それから、トモコは、

<span class="b red">「うるさい、うるさあーい！　何よ、お母さんなんて自分の勝手ぽっかり押しっけて！　
私、これまでずっとガマンして言うこときいてきたけど、もうイヤ！　

絶対にお母さんの言うことなんて、きかないからね！」</span>

と言いました。

トモコは、自分でも驚くほどの大声で、そんなことを叫んでしまっていたのです。

そして、叫びながら、


<span class="italic">「そうか、私っていままでガマンしてきたんだ…。

親の言うことが　”イヤだな””違うな”と思っても、そう口に出さなかっただけだったんだ…」</span>


とはじめて気づきました。

それからトモコは、母親の作った食事にはいっさい手をつけず、わずかなお菓子や水だけを口にして、あとは一日中、自分の部屋に引きこもるようになりました。

母親や父親が部屋に入ろうとすると、<span class="b red f11em">「出ていけ！」</span>と大声をあげます。

親に無理やり連れられてクリニックに来たときは、頬はこけ、太ももや腕が棒のように細くなっており、「拒食症」の状態にあることは間違いないようでした。

母親は、私の前で、


<span class="italic">「先生、トモコはずっと自慢の（いい子）だったんです。

それがあんな怒鳴り声をあげるなんて、信じられません。

お願いです、トモコを昔の（いい子）に戻してください」</span>

と涙をこぼしました。


<span class="b">問題は、トモコが（いい子）じゃなくなってしまったことにあるのでしょうか？

トモコが怒鳴るのをやめ、部屋から出てきてまた元通りに食事をしたり勉強をしたりするようになれば、それですべては解決なのでしょうか。</span>


ここでちょっと注目したいのは、トモコが（いい子）じゃない同級生の行動を見ているうちに、こう気づいたことです。


<span class="b f11em">「私は、これまでずっとがまんしてたのに！」</span>

そう、トモコはただ素直でものわかりのよい（いい子）だったわけではなくて、

どこかで<span class="underline">無理</span>をしながら、親の言うことをなんでもきき、自分から進んで家の手伝いや勉強をする（いい子）だったにすぎないのです。

クラスのあの（いい子）じゃない子たちは、実は本当の（悪い子）ではなくて、（がまんしない子）（自分らしく生きている子）だったのだ…。


そう気づいたときにトモコの心の中で、これまでずっと

「いい子にしなきゃ」と無理をしていい子をしてきた緊張の糸がプツンと切れ、親に対してものすごい反発心や怒りが一気にわいてきたのでしょう。

ですから、無理をしてトモコをいい子にしようとすれば、トモコがまた「がまんする子」「自分を押し殺す子」に戻ることではありません。

それよりもこれからしなければならないことは、トモコがもう緊張して無理をすることなく、たとえ相手が親や先生だとしても、<span class="b blue">言いたいことは言う、したいことはする、と自然に自分らしく振る舞えるようにすることです。</span>

それを、トモコ自身にも、それ以上に親たちにもわかってもらわなけれげならないのです。




<ul class="topics">

<li><a href="http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/0912/147034.htm?o=0&p=0" target="_blank">子供を引き取りたい : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE（読売新聞）</a></li>

<li><a href="http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51396382.html" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.y-ads.jp/education-at-adolescence/0812281145.html" target="_blank">子供の「反抗期」がなければ、それでいいのか | 思春期の子育て・教育</a></li>

<li><a href="http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51377975.html" target="_blank">おまえら子供殺す母親の気持ちって少しでもわかる？:アルファルファモザイク</a></li>

<li><a href="http://www.might-project.com/education/point/01_01.php" target="_blank">才能開花プロジェクト　まいと｜子供の反抗する原因と対処方法</a></li>

<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070610#p1" target="_blank">また君か。＠d.hatena：最近知り合いの子供に吹き込んだ嘘っぱち</a></li>

<li><a href="http://anond.hatelabo.jp/20090114035316" target="_blank">子供が携帯を欲しいと言い出したら</a></li>

<li><a href="http://www.ohmynews.co.jp/news/20070814/14073" target="_blank">２人の子供が家出し、捜査願いを出した夜 - OhmyNews:オーマイニュース “市民みんなが記者だ”</a></li>

<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/makinamikonbu/20080823/1219439610" target="_blank">「本当に全部ボクが悪い」と自責する子供を健気だと妄想するだけに止まり、条件反射で母親を叩くから虐待の連鎖は止まらない。 - こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブ��</a></li>

</ul>]]>
      
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   <title>わが子と自分の両方を大切にする気持ち</title>
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   <published>2008-12-24T11:38:20Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>子どもには「つきあいきれない」ところが、たくさんあります。 気が強くて活動的な子...</summary>
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         <category term="子育て" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[子どもには「つきあいきれない」ところが、たくさんあります。

気が強くて活動的な子どもをもったお母さんなどは、それを身にしみて感じていることでしょう。

片時もじっとしていず、家中をはいずりまわり、ひっくり返して、それをとめれば火のついたような泣声をたてる。

買いものに連れて出れば出たで、親の手をふりきって、どんどん行ってしまう。

お母さんは一目子どものあとを追い、始末をつけるのに精いっぱいです。


かといって、おとなしい子なら楽かというと、そんなことはありません。

お母さんにくっつきっぱなしで、ろくに用事をさせてくれないなどということがおきるでしょう。

ちょっと台所に立っても足元にまとわりつき、そばのいすに座らせるのもだめ、洗たくものを干しに出ようものなら、大泣きに泣く。

これではトイレにもゆっくり入っていられません。


こうした悩みは、子どもをもった以上、避けられません。

幼い子どもをかかえた暮らしというものは、子どもの面倒をどれだけみるか、みきれるかという問いかけに、いちいち答えをだしていかねばならぬ毎日であるでしょう。


相手は生身の人間だし、年が二十以上もちがうのですから、いっしょに暮らすのはたいへんむつかしい。

もちろん、育児の知識や技術で少しはカバーできるでしょうが、とことんまで合わせるというわけにはゆきません。

それでも、親は子どもとなんとかやってゆくほかないのです。


それを世間では　「責任」とか「教育」の問題にしがちですが、

<span class="b f11em">親はもっとなまなましいところで、子供とやってゆくようにしたらどうでしょう？</span>


かわいくてたまらなければ存分に面倒をみてやるし、どうにもつきあいきれなくなったら、多少の勝手はさせてもらうのです。

そのときでも、もちろん子どもの状態をちゃんとつかんで、危険や精神不安の限界ではかまってやるだけの余裕をもたなければなりません。

そのためには、母親がいつも育児の犠牲になっているのでなく、自分の時間と生活をもつということが必要です。

子どもをもった不自由は、このような、自分をも大切にしようとする母親の「子がかわいい」という気持ちによってのみ、乗り切られてゆくのだと思います。]]>
      
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   <title>子育てで一番参考になるもの</title>
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   <published>2008-12-24T00:45:19Z</published>
   <updated>2009-07-19T05:57:28Z</updated>
   
   <summary>小児科がよく受ける子育ての相談の一つに、 「いつから離乳食を始めたらよいでしょう...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[小児科がよく受ける子育ての相談の一つに、

<span class="b green">「いつから離乳食を始めたらよいでしょうか」</span>

とか

<span class="b green">「しつけはいつから始めればよいでしょうか」</span>

といった、長い目でみた子育ての計画をたずねられることが最近多くなっているそうだという。


たしかに、育児にはそうした見通しをもってかかることが必要です。

それに、人間が人間を育てるのですから、理想やスケールの大きなもくろみがあってもよいでしょう。


子育てについて、医者にたずねたり、本を読んだりするのもいいでしょうが、

<span class="b f11em">同じような子をもって悩んでいるお母さんどうしで意見や体験を交換すれば、もっといろいろなことが学べるはず。</span>

そのほうが、より安心できるし、おたがいが育児についての考えを深めることができるようにみえます。


もちろん、離乳食をいつから、どのようにすすめるかなどは、いちおうの医学的な知識がいります。

ですが、実際にやるとなると、子どもや家庭の事情によって一律にはいかないのがあたりまえ。

サラリーマン家庭の主婦と共働きや自営業では同じようにいきませんし、よく食べる子と下痢しやすい子とではとうぜんやりかたがちがいます。

いたずらをどうするかといったことについても、生活は大いに関係します。

家具の少ない持家と調度の多いアパートでは、いたずらへの許容量にも差がでるにちがいありません。

きょうだいや年寄りがいるかいないかでも、お母さんのやりかたはずいぶんちがってくるようです。


子どもにはいろいろな<span class="b f11em">「たち」</span>があり、同じ「しつけ」をしても、ひとりひとり反応がとても異なります。

おとなしくて気の弱い子はちょっと叱っただけでべそをかくでしょうし、活動的で気が強い子は少々どなられても平然としています。


そんなとき、ほんとうに参考になるのは、医者や本からえた知識ではなく、<span class="b blue">いろいろな事情をもったほかのお母さんの体験</span>ではないでしょうか。

育児の計画には、こうしたちがいをもっと取り入れてみたらどうでしょう。

たとえ医者に言われたり、本に書いてあっても、無理なことは

<span class="b green">「そんなのできないわ」</span>でいいのです。

あれこれと思いまどわずに自分のやり方をもつことが、育児を楽しくやる秘訣。

自信をもってマイプラン、マイペースでやってください。]]>
      
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   <title>「子どもを育てる」ってどういうこと？</title>
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   <published>2008-12-20T01:48:40Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>産院から赤ちゃんを連れてわが家に帰ってきたとき、ほかでもない「わが子」を迎えたと...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[産院から赤ちゃんを連れてわが家に帰ってきたとき、ほかでもない「わが子」を迎えたという感慨がひしひしと胸に迫ってくるでしょう。

いかにも頼りなげな存在であっても、二人の間にいま一人の「ひと」が「いる」のです。

そのときから、親子三人での新しい暮らしがはじまります。

それは、やれおっぱいだ、おむつだ、おふろだと、おとなとはまったくちがう生活のリズムで日常をかき乱してきます。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　親たちはいやおうなしにその生の営みに巻き込まれていくことになります。

甲高い泣き声をたてていれば真夜中でもおっぱいをふくませなければなりませんし、寝自首たてずに静かにしていれば、寝ているとはわかっていてもそっとのぞかずにはいられないのが親の情です。

おっぱいをやるにしても、育児書のグラビアをかざるようなファンタスティックなものではありません。


<span class="b">親としてこういうわずらわしさになじんでいくためには、いさざよく生活のスタイルを一変させてしまうのがよいかと思います。</span>

二人だけのときのようにスマートにはいかないかもしれませんが、「ごぶつき」の暮らしを新たにつくり出してゆくのもまたおつなもの。

それをきらって、身軽なときのままを守ろうとするほうがかえってみじめさを増しそうです。


赤ちゃんができると、夫は妻をとられたような寂しさや嫉妬を感じたり、妻は、育児に無関心な夫にいらだちや不満をおぼえたりすることがあります。

<span class="b">どうやら、親と赤ちゃんとの新たな関係は、これまでの夫婦の関係を問い直すことにもなりそう。</span>

ここでは、二人の関係を新しく組み換える必要がありそうです。

女のひとは子育て以外の自分があることを忘れないで、男のひとだってわが子はかわいいのだから子育てはするというふうにしたほうが、二人の間はずっと成熟していくのではないでしょうか。

とはいえ、ときにはつらいな、やすみたいなと思うこともあるはず。

<span class="b blue">そんなときは、気張らず、適当にするくらいののんきさをもったほうがよさそうです。</span>

すやすやと眠るわが子をながめながら、二人でお酒を楽しむ、そんなひとときも大切にしたいものです。]]>
      
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   <title>思春期はストレスが増加する時期</title>
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   <published>2008-12-19T10:48:29Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>保護されている間は自分の家のことだけで良かった子どもの関心が仲間を通して社会へ広...</summary>
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         <category term="思春期の子育て・教育" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[保護されている間は自分の家のことだけで良かった子どもの関心が仲間を通して社会へ広がっていきます。

お父さんが最高と思っていた子どもは、だんだん社会的な評価というものがあり、そのなかではうちのお父さんはそれほどでもないと気づいたり、

逆に自分の家の社会的ステータスは高いんだということに気づいたりします。


児童期はどんな会社でもお父さんが社長であれば、それは世界一の社長です。

しかし思春期に入ってきた子どもは小さな家族だけでやっている会社の社長と大企業の社長では社会的評価が全く違うということに気づきます。


<span class="b green">「何だ、社長と言ったっていろいろあるのか。お父さんはちっぽけな社長なんだ」</span>

とか

<span class="b green">「えー、家のお父さん大きな会社の社長なの。お父さんを乗り越えるのは大変だ。僕には無理だよ」</span>

とか事実を知って子どもは様々な反応を示します。


同じように自分に対しても社会的評価というものがあるということに気づいていきます。
学校の成績順位が<span class="b red">子ども達のストレス</span>になってきます。

勉強よりもスポーツや趣味に秀でている子どもは、一番社会的評価が高いものが成績だと知ったときに、強いストレスを感じます。

結局ストレスは子どもの自己評価を下げていってしまいます。

要するに世のなかには自分で思っていたのとは別な評価の仕方があるのだなということを知るようになります。

そのときに自分はそれなりに評価されてしかるべきと考えることのできる子どもはいいのですが、

<span class="b">そうでない子どもは反対に世間の価値観に合わせようとしてストレスを強く感じてしまいます。</span>


世間の価値観と言っても一様ではなく、子どもに大人の社会にもいろいろな考え方があるのだということを教えることが大切になります。]]>
      
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   <title>最近は九歳頃から第二次性徴が始まる</title>
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   <published>2008-12-18T13:17:38Z</published>
   <updated>2009-07-06T07:33:26Z</updated>
   
   <summary>九歳がなぜ一つの発達のターニングポイントと言われるようになったのかを最初に考えて...</summary>
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         <category term="思春期の子育て・教育" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[九歳がなぜ一つの発達のターニングポイントと言われるようになったのかを最初に考えてみましょう。

いままでは九歳という年齢は安定した児童期の典型的な年齢と考えられていたのです。


しかし最近の子ども達にとっては必ずしもこの説があたらなくなってきました。

全体に身体成熟が早く、<span class="b">第二次性徴</span>と言われる現象が九歳くらいから始まり出す子ども達が増えているのです。

女の子で言えば、早い子では生理が始まり、いやでも自分が女性であるという性的同一性を求められます。

身体つきも女性らしくふくよかになってきます。

女の子よりいくらか発育は遅れますが、男の子は夢精やマスターベーションの経験がそろそろ始まり出します。

これらは子ども達にとっては強い混乱と不安を引き起こします。


第二次性徴から由来する性の問題はストレートに親にも相談しつらいことです。

一方身体の変化から無性に興奮しやすくなります。

何かとスリルを求めて騒々しくなります。


本来このような思春期の始まりは中学生くらいからだったのですが、最近は成熟が早まり、小学校中高学年からこの思春期の現象を示す子どもが結構増えてきているのです。


危険なのはこのような現象に気がつかずに、それまでと同じく子ども扱いをしていると思春期特有の反抗をもろに受けて親子の関係を複雑にしてしまうのです。

我が子が思春期特有の行動を取るようになったら、年齢に関わらず子ども扱いをやめ一人前の付き合いをする必要があるのです。

児童期から思春期への変化を少し見ていきましょう。]]>
      
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   <title>望まれる父親と子の関係とは</title>
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   <published>2008-12-16T17:47:30Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:58Z</updated>
   
   <summary>最近の父親が、子どもの教育やしつけに及ぼす影響は、ほとんどないに等しいと言えまし...</summary>
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         <category term="子育て" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[最近の父親が、子どもの教育やしつけに及ぼす影響は、ほとんどないに等しいと言えましょう。

それは子どもを権力的な関係のなかで支配していた、かつての「父権」の失墜の反動とも言えるかも知れません。


父親は子どもに対して無力、ないしは、無関心になっています。

しかし権力的であれ無力な父であれ、どちらにしろ父〜子の関係は、支配〜服従という縦の構造であることに変わりはありません。


<span class="b">必要なことは親子の関係を支配〜服従の関係でなく、対等〜協力の関係に変えることであると思います。</span>

そのためのリーダーシップを取ることが、現代の父親に求められていることではないでしょうか。

夫婦や親子のお互いの役割や資質の違いを認め、その上での協力関係を作っていくこと。
このことを父親自らの行動を通して教えることは、子どもを真の意味での民主的な人間に育てることでもあるのです。

そして未来を生きる子ども達にとって、民主的に生きること、

つまり周りの人と対等の立場で協力し合って生きることができるということが、人間として最も大切な能力になると私は考えています。]]>
      
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   <title>父親も家庭に参加すべきである</title>
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   <published>2008-12-15T23:21:24Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:59Z</updated>
   
   <summary>父親は家庭をいつでも手に入る憩いの場として考えがちな傾向があります。 しかし憩い...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-ads.jp/">
      <![CDATA[父親は家庭をいつでも手に入る憩いの場として考えがちな傾向があります。

しかし憩いの場は決して無条件で与えられるものではありません。


<span class="b">父親も憩いの場を作るために、家庭に参加する必要があるのです。</span>

権威を傘に、子ども達を自分の思うままに支配することでなく、また、自分は関係ないと無関心さをさらけ出すことでもなく、

家族のメンバーとしての居場所を確認し、皆が憩えるような協力の場を、父親のリーダーシップで作っていかなければならないのです。

権威主義的な父親は命令を平気でします。

リーダーシップの父親は何かを家族のために提案します。

お互いを尊敬している人間関係では、命令するということはまずありません。

<span class="b blue">提案、話し合いが子どもとの良い関係を作る、一番いい方法なのです。</span>

当然のことながら提案は、場合によっては子ども達に受け入れられないかも知れません。
提案とは相手に断る自由を認めることでもあるからです。

父親の提案が断られたからといって、父親の権威が否定されたわけでもないのです。

受け入れられるように提案を修正するか、次回の機会を待つかを決めればよいのです。


同様に、子どもの提案に父親が<span class="b green">「ノー」</span>と言うこともあるのです。

ただし子どもを納得させる、論理的な「ノー」という理由が必要なだけなのです。

そうであれば子どもも「ノー」と言われたことで、<span class="underline">自分が否定されたのではないことを学びます。</span>


丁寧な子どもとの話し合いが必要になります。お互いが信頼できる父〜子関係でなければならないのです。


<span class="b">注意してほしいのは、信頼とは親の期待通りに子どもがなってくれることではないのです。

子どものありようを、そのまま受け入れることから、子どもへの信頼は始まるのです。</span>

そして普段から子どもとよく付き合い、自分のことをお父さんはよく知ってくれているという気持ちを子どもが持つことが大切なのです。


また子どものことをよく知るためには、父親自身のことも、子どもに知らせなければならないと思います。

かつての父親のように、働く姿を子どもに見せることは難しい時代です。

しかし、仕事について、父の考えについて、子どもと話すことは可能です。

お互いに知り合うことが相互尊敬の基本になるのです。


父親は勇気を出して自分の生き方を子どもに正直に伝えてほしいのです。

うまくいったことも、そうでなかったことも包み隠さず話してほしいのです。

ただし子どもとべたべたし合うことは、尊敬し合うこととは違います。

べたべたした関係は、自立した人間の協力関係でなく、お互いに依存を必要としている、自立することの不安を抱えた関係であることが多いのです。


<h3>子どもは両親の仲から人間関係を学ぶ</h3>


父親が子どもに影響を与えるためには、父〜子の関係だけでなく、父〜母の関係、すなわち<span class="b">夫婦の関係</span>も大切です。

夫婦の結婚生活がうまくいっていないことは、子どもにとっても大きなピンチになります。

夫婦がもめているときは、子どもは手の込んだやり方で親と付き合うようになるものです。

<span class="b">子どもは親のどちらの立場も支持できないものです。</span>

無意識的に問題を起こすことによって、自分に親の関心を引きつけ、夫婦の危機をひとまず延期させる子どももいます。

夫婦がもめているときに、父親は子どもに良い影響を与えることができません。


Ｗさん一七歳。

父五一歳、母四七歳、妹一四歳の四人家族の例です。

Ｗさんは高校に入る頃から何度も何度も手を洗わないと気がすまない洗浄強迫という行為がありました。

彼女が高校に入る頃に、父の女性問題で夫婦の間が険悪になっていたのです。

Ｗさんは、夜、両親の寝室の前を通ったときに、父から離婚という言葉が出ているのを聞いてしまいました。

ひどいショックを受けましたが、それを母親にも言うことができず、一人で悶々と悩んでいました。

そんなとき気がつくと何回も手を洗っている自分がいたのです。

初めは気にしなかった親達も一時間ほど手を洗っている娘を見て心配し出しました。

いくらかの経過があった後に、医者にかかることになりました。

この頃には父も協力的で母と一緒に病院について行ったりしてくれました。

カウンセリングを受けて比較的症状は軽減しました。

すると再び夫婦の仲が険悪になったのです。

Ｗさんの症状もまた悪くなりました。

このような経過が何度か続いたあとで、カウンセラーは<span class="b">家族療法</span>と呼ばれる新しい方法に切り替えました。

家族の協力を作り上げるように面接を工夫したのです。

夫婦の和解が成立した頃から、Ｗさんの洗浄強迫はなくなりました。


<span class="b">子どもは親から最初の人との関係のあり方を学ぶのです。</span>

両親が協力的であれば、<span class="b blue">人と人との関係が協力的</span>であることを学ぶことができます。

反対に両親の関係が対立的、敵対的であれば、<span class="b red">人との関係を対立的、敵対的</span>と考えてしまうでしょう。

夫婦が協力的であることが、子どもを協力的な人間にするもっとも大切なことなのです。-----
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   <title>いま求められている父親像とは</title>
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   <published>2008-12-15T14:40:09Z</published>
   <updated>2009-07-03T23:30:59Z</updated>
   
   <summary>私達は父親という言葉からどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。 年配の大人...</summary>
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      <![CDATA[私達は父親という言葉からどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。

年配の大人達は<span class="b">「厳しい」「頑固」「近寄りがたい」「乗り越える壁」「規範」</span>など、

表現は様々ですが、力を持った権威的な存在として、父親を受け入れるにしろ否定するにしろ、思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、最近の子ども達の父親のイメージは違うようです。


子どもと話しているとき、父親のイメージを聞く機会があります。

返ってくる答えは、<span class="b green">「興味ない」「どうでもいい」「よくわかんない」</span>など、

「父親が自分にあまり影響力のない、無関心などうでもよいものである」というイメージです。


Ｍ君、中学二年生。

父親は四六歳のサラリーマンです。母親は四六歳の専業主婦。

私立高校二年のお兄さんと、小学六年の弟の五人家族です。

Ｍ君は学校で何人かの仲間と一人の子どもをむかつくということでいじめました。

学校で強い指導を受け、自分からも希望してカウンセリングを受けました。

<span class="b green">「親父？　よくわかんないや。ほとんど顔を合わせたことないし。

俺に直接は何も言わないよ。

おふくろにごちゃごちゃ言っているみたいだけれど。

親父は仕事のことしか考えてないのではないか。

俺達としたって、まあ、給料さえ持ってきてくれたらいいし」。</span>

カウンセリングをやっている友人から聞くと、Ｍ君は、父親なんかどうでもいいという素振りで話していたそうです。

Ｍ君にとっての父親は、かっての子ども達が感じていた、恐い、「厳父」のようなものから程遠いものになっていました。


もちろん父親にも言い分はあるでしょう。

<span class="b green">「厳しいリストラのなかで、会社で一生懸命がんばっている。家にいるときぐらいのんびりと憩いたい。子育てや家のことまでやらなければならないなんて」</span>と。

結局父親は家庭のなかでの尊敬を失い、また自らも影響力を維持することをやめ「厳父」から「ただの人」になっているのが現状ではないでしょうか。


しかし、正確には「ただの人」でなく、現代の父親は<span class="b red">「ただの人以下」</span>になっていないでしょうか。


「ただの人以下」の父親は、子どもの人格形成にどのような影響を与えるのでしよう。

父親が教育や子育てに参加しないことは、権威的な、ないしは権力的な親がかつて問題であったのと同じくらいに、<span class="b red">子どもにマイナスの影響</span>を与えているのではないでしょうか。


<span class="b">結論を先取りすれば、現代の父親の課題は家庭のなかに、かつてのような権力的な父親の権威を取り戻すことではないと思います。</span>

かと言って子どもを甘やかし、影響力をほとんど持たない無関心な父撃あってもならないと思います。

第三の父親の姿、本当の意味での「ただの人」の父親とは何か、考えてみましょう。


<h3>権威ある父親像の失墜</h3>


父親には力があるもの、権威があるもの、支配するものというイメージがつきまとってきました。

またこれはかつての男性につけられていたイメージでもあったのです。

このようなイメージは農業や家内工業を中心とした共同体社会のなかで作られてきたものでもあったのです。


ドイツの精神分析学者であるミッチャーリッヒは、著書『父なき社会』のなかで、

<span class="underline">子どもは父の働く姿を直接見ることから、自己形成や生きる知恵を学びとった</span>と論じています。

このような父親像は、家父長制度が維持できた、わが国で言えば戦前までの社会で、その善悪は別にしてもそのなかで初めて可能であったものです。


戦後の工業化、都市化の急激な波は、この父親像を明らかに衰退させました。

私達の親の世代は、第二次世界大戦の敗北で、権力的な「父権」を放棄せざるをえなかったのです。

「父権」は戦後の民主的な価値観を受け入れるなかで、その権威を失っていったのです。

サラリーマン化した都市では、父親が働く姿を子どもに見せる機会はほとんどなくなりました。

家での父親はリーダーシップさえ放棄した、無力な姿をさらすことになったのです。

子どもにとって、父親のそのような姿から、威厳や規範を学ぶことは難しいのです。

かつての子ども達には乗り越えるべき壁としての父親が存在していました。

子ども達はこのような父親を意識的にも無意識的にも<span class="b">「規範」</span>として一つの基準にしてきていたのです。

しかし現代の父親は、かつての権力的に子どもを支配する父親ではなくなりました。

<span class="b">子どもにとっては乗り越えるべき父親が不在になったのです。</span>


戦前の強い「父権」主義から、その反動としてか、戦後の父親は、家庭の問題に父親みずからがリーダーシップを取ることが少なくなりました。

かつての「厳父」は、最近では「給料運搬人」とか「粗大ごみ」と揶揄されている始末です。


不登校児Ｓ君のことです。

中学一年のＳ君は四四歳になる父と三八歳の母の三人暮らしでした。

Ｓ君は二学期の初めから不登校を始めました。

母は強く登校を勧めましたが、Ｓ君は登校しなかったのです。

父は会社の仕事で一か月ほど外国に出張していました。

九月の終わりに父が帰ってきたときには、Ｓ君は完全な不登校になっていました。


母は父にＳ君の様子を話しました。

父は自分が学校に行くように言うから呼んできなさいと言いました。

学校に行かないことで、Ｓ君を強く叱りました。

明日から学校に行くという約束を、父はＳ君に強要しました。

Ｓ君はしぶしぶ承知しました。

父は母にＳ君が学校に行くと約束したことを伝え、しっかり子育てをしてくれなければ困ると不満を言いました。

次の日、父は朝早く会社に出勤しました。

しかしＳ君は父との約束に反して、登校時間になっても起きてきませんでした。

結局、その日も彼は学校へ行かなかったのです。

遅く帰ってきた父に、母はＳ君が登校しなかったことを伝えました。

これからどうしたらいいか相談しようとしました。

<span class="b">父は急に不機嫌になりました。</span>

教育は母に任せてあるのだから、母がどうにかしてほしいと父は言いました。

家に帰ってきてまで家族のことで心配かけないでほしいと不満を言ったのです。


この父親は、どこにでもいるありふれた父親です。特別に家族に無関心というわけでもないのです。

子どもと接触することも少なく、また関心の大部分が仕事にあったのは事実ですが。

ある日、父親は急に子どもの問題に直面させられ<span class="b red">狼狽</span>したのでした。

自分が無力であるということを、父親は改めて知らされました。

自分の無力さへのいらだちが、怒りとなって母親に向けられたのだと思われます。

怒りを向けられた母親は、家庭の重大時に協力してくれない父親に失望しあきらめていかざるを得ませんでした。


<h3>父親の無力化が子どもどのような影響を及ぼすのか</h3>


父親の無力化は、いろいろな影響を子どもに及ぼします。

特に子どもの成長への影響は無視できません。

また家族各々の関係の持ち方をも変えることになります。

夫婦の関係の希薄さに逆比例して、母と子の関係が密着していきます。

精神分析によれば、<span class="b">子どもの倫理観の形成には、父親の権威像が必要である</span>と言われています。

いわゆるエディプス・コンプレックス説です。


フロイトは幼い男児が母親に性的関心を向けるが、父親による去勢を恐れ、心理的な葛藤状態になることを、「エディプス・コンプレックス」と呼びました。

子どもは父親を自分と同一視することによって、この葛藤を解決していくのだと考えました。

この父親像を自分のなかに取り入れることにより、倫理や道徳の規範となる超自我（良心の働きをするもの）を形成していくのです。

去勢という強い圧力を子どもに与えることのできる父親が、子どもの心に倫理的、社会的規範を与えると主張しました。


しかしこの説に批判的な考えもあります。

エディプス・コンプレックス現象は、別に性的な特別の欲求によって起きてくるのではなく、<span class="b">甘やかされた子ども一般に見られる現象だ</span>という主張があります。

これはフロイトと同世代のウィーンの精神医学者アルフレッド・アドラーによって唱えられたものです。

アドラーはエディプス・コンプレックスを、甘やかされた子どもが、自分の欲求を何の制限も受けずに得ようとする、対人行動の一つであると考えました。


母親に甘やかされた子どもは、自分の欲求の全てを、母親から満足させてもらうことを期待するようになるのです。

性的に目覚めたときも、母親によって全ての欲求の満足を得ていた子どもは、自分の欲求を制限することができないのです。

発達史のなかで甘やかされた子どもは、自分の欲求を他者との関係のなかで制限することを学んでいないのです。


アドラーによれば社会的規範というものは、フロイトの言う去勢不安のようなものから生まれるのではなく、<span class="b">親との対人関係を適して学んでいくものだ</span>と考えました。

父親が恐ろしいもの、権威あるものとして振る舞うことではないのです。


<span class="b">お互いを尊敬し、家族と喜びを分かち合い、失敗を恐れない勇気を育て、周りの人と協力することの大切さを、

父親は子どもとの関係のなかで、身をもって実践し、教えなければならないと考えたのです。</span>


このような体験を通して、子どもは社会化されていくのです。

それはまた他者と恐怖ではなく、喜びを通して協力していくことを学ぶことでもあるのです。


父親が子どもの育児や教育に参加してくれないと失望した母親は、父親への期待を捨て、自分一人で子どもを守ろうとします。

さらに核家族化や、少子化によって、母親は子どもの教育のために自由に時間を使えるようになりました。

このような母〜子の関係のなかで、現代の母親は、必然的に子どもを甘やかし、結果的に過保護の育児になっていくのです。


母親は心理学や育児書の情報をふんだんに学び、子どもが発達途上で自らの力で乗り越えなければならない課題を、先回りして、手を回し、子どもが失敗するのを防ごうと一生懸命になります。

<span class="b red">失敗してもそこから子どもが何かを学び、立ち直るということを信じることができないのです。</span>


<span class="b green">「この子のために」</span>という論理で、母親は子どもに干渉することを正当化します。

このことがどのくらい子どもを甘やかすことになるかを考えないのです。

母親の心理には、子育てに失敗したら大変だという不安が、色濃くあるのです。

この不安が、母親の自分こそ守ってあげなければという気持ちを、肥大化させています。

こうしてアドラーの言う甘やかされた子どもが、社会化の不十分な��わがまま″な子どもが、圧倒的に多くなっているのです。


中学三年のＰ子の例です。

四〇歳のサラリーマンの父と三九歳の専業主婦の母、中学一年の弟の四人家族でした。

Ｐ子は中学二年の頃からいわゆるつっぱりグループと付き合いがあって、家に帰ってくるのが遅いときがよくありました。

弟と仲が悪く、つかみ合いのけんかをよくしました。


あるとき、私は夫婦二人で二、三泊の旅行に行くことを提案しました。

父は賛成しましたが、母は頑として賛成しません。

理由は母がいなければ、子ども達だけでは何もできないし、子どものけんかは収まりがつかなくなるだろうということでした。

また姉はこれ幸いと外泊してくるかも知れないし、とても子どもだけ残して親が旅行に行くなんてとんでもないという考えでした。

母は自分がいるから、かろうじて家族が持っているので、いなければ皆てんでに勝手なことをすると考えていました。

説得に難航しましたが、私は、とにかく一泊だけしてみるよう勧めました。

結局両親は一泊旅行に出かけました。


お母さんの心配をよそに、子ども達は一度もけんかしませんでした。

むしろ協力的で仕事も分担し、親がいるとき以上に仲が良かったのです。


もちろんＰ子は、外泊や遊びに行くこともありませんでした。

母にとっては大きなショックだったようです。


<span class="b">子ども達を信頼することを、母親が学んでいくにつれてＰ子の問題行動も減っていきました。</span>

この例のように親の信頼は子どもを大きく成長させるのです。


<h3>子どものありのままのを受け入れることで、父親は信頼される</h3>


子ども達に父親が一番教えなければならないことは、

人は皆お互いが平等であり、尊敬し合って、協力していくのだという民主的な具体的な生き方ではないでしょうか。

教えなければならないことは、人は皆、性別とか、国籍とか、年齢とかに関係なく、対等であり、相互に尊敬し合うなかで、協力的な関係を築いて生きていくことが必要だということです。


「厳父」のような理想的な父親像を作り、そうあらねばならないとがんばることではないのです。

いまの父親に必要なのは、子どもの現実の姿を認め、良い関係を作り、そこから父親の影響力を取り戻していくことではないでしょうか。

父親の強さというものは、完全な父親の姿を、子どもに見せることではないと思います。
不完全であること、父親といえども失敗することがあるということを、ありのままの姿として子どもに示す必要があるのです。

<span class="b blue">不完全であることを認める勇気こそ、最大の勇気である</span>ということを、子どもに教えなければならないのです。]]>
      
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   <title>中学生の子供に対する接し方</title>
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   <published>2008-12-13T21:49:04Z</published>
   <updated>2009-07-11T07:27:20Z</updated>
   
   <summary> 子育てから、一人の大人としての付き合いへ、 親は気持ちを切りかえよう。 中学生...</summary>
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      <![CDATA[<ul class="topics">

子育てから、一人の大人としての付き合いへ、

親は気持ちを切りかえよう。

</ul>

中学生になると子ども達は急激に変化してきます。

小学校の後半からは身長も伸び出し、第二次性徴である声変わり（男子）や身体の丸み（女子）も見られてきます。


決定的なのは男子には夢精が女子には生理が始まることです。

児童期は性というものをほとんど意識しなかった子ども達が自分が性的存在であるということ、言い換えれば自分の性的衝動をどう抑えるかという課題に直画します。

これは、心理的現象というより生理的な一つの成熟現象ですが、このことが子ども達に心理的な変化を引き起こします。


<h3>中学生の特徴</h3>


<span class="b f12em">（１）刺激を求める</span>


中学生になる頃から、何かに夢中になることがあります。

多くはクラブ活動であったり、ロックやジャズに夢中になったり、ときにはゲームセンターに入り浸りになることもあるかも知れません。

このような活動の背景には性的衝動の突き上げがあります。

猛々しくどこかイライラし出します。

ささいなことですぐに興奮することもあります。

また、暴力的になることもあります。

大人への批判も厳しいものになり、否定的になります。

極端な行動に走ることもあります。


親はこのような子どもを見て戸惑います。

今度はどんな行動をするのか心配してすごしたり、子どもの行動にショックを受けて、驚くばかりでなく傷つけられたと感じて怒ったりすることも珍しくありません。

多くの場合こうして親と子どもは対立的な関係になり、

子どもを小学生時代のように力で抑え込もうとしてみたり、それが不可能とわかると全くあきらめて何もしなくなるようになっていきがちです。


<span class="b f12em">（２）仲間から受け入れられようとする</span>


性的な新たな変化は親への秘密を作るようになります。

何でも親に話していた素直な子どもでも自分の性については、特に反対の性の親には話せなくなります。

よく中学生の親から

<span class="b green">「最近うちの子どもは私に何も話してくれない」</span>

と嘆きの話を聞くことがあります。

子どもが親にあまり自分のことを話してくれないのは淋しいことかも知れません。

しかしこの秘密を作るということは親離れの、言い換えれば<span class="b blue">自立の最初の現れ</span>なのです。

中学生になって何でも親に話しているとすれば、それは少し自立への準備が遅れているのかも知れません。

秘密を作るようになった子どもは、性についての不安を友達のなかで解消しようとします。

<span class="b">中学生は友達の構造が大きく変わります。</span>

小学生時代の遊びを中心とした遊び友達から少人数のいわゆる親友に変化していきます。
この親友は少人数でいつも一緒に行動するような仲間です。

仲間内だけで通用するような言葉を作ったり、共通の持ち物を持ったり、秘密を共有したりして、仲間の団結を強調します。


また、親を含めた他の人達が自分達に干渉することをひどく嫌います。

自分の所属している仲間が批判されると、自分が批判された以上に怒ります。

特に、親が仲間を批判したりすると、親を猛烈に憎みます。

子どもは仲間に受け入れられようと必死です。

仲間の価値観の方が親のそれより優先します。

<span class="b">この時期の子どもの最大の目標は広く仲間に受け入れられるということなのです。

むしろ仲間を批判しないで見守っていれば、少なくとも親と子の関係は悪くなりません。</span>


しかし親は多くの場合自分の子どもが選ぶ仲間が気に入りません。

なぜなら親が与えた友達ではないからです。

そこで子どもの仲間に不安になったり、気をもむようになります。

仲間を批判したり仲間から抜けるように強要すれば子どもは激しく反抗します。

友人との付き合いをやめるということはまずありません。

強引にやめさせたとしても子どもは無気力を装って親に抵抗してきます。


<span class="b f12em">（３）自己の確立</span>


中学生になると物の見方が拡大していきます。

将来の自分のことについてもある程度現実的に考えられるようになります。


自分が勉強でどのくらいの順位にいるのか、

どういう学校を出れば有利な職につけるのか、

親の職業は社会的にはどのレベルのものなのか、

将来なりたいものになるためにはいま何が必要か


等です。

<span class="b">特に他人の評価が気になり出します。</span>

周りの人が自分をどう見ているかということです。

自分で自分を価値付けることのできない子どもは、自分の価値を他人にゆだねます。

親や学校の先生、または友達です。

多くの場合周りの大人は無条件で子どもの価値を認めるということをしません。

常に条件を付けて子どもを承認します。

<span class="b green">「有名高校へ入れそうな点数を取ったらお前を認めてやる」</span>

とか

<span class="b green">「お母さんの言うことを聞いていればいいの。お前はまだ子どもなんだから」</span>

等の言葉は子どもの自分への価値を低くしてしまいます。

<span class="b green">「親にまだ全然信用されていないのか」

「俺はダメな人間だ」

「俺なんか嫌いだ」</span>というように考え出します。

こうなると子ども達は必要以上に自分を高いものだと見せようとして、親や同年齢の子どもをけなしたり、批判したりしてきます。

また必要以上に自分の才能をひけらかそうとしたりします。

他人を見下したりすることもあります。


反対に

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